第8話 鼎談
扉の向こうへと消えた、小さな背中。
意気消沈した、必死に感情を堪えていた表情が、目に焼き付いている。
「⋯⋯少し、気の毒ではありました」
「氏雅よ、珍しく情でも湧いたか?」
決して、同情したわけではない。
宰相という一国の政治を預かる立場として、今回の事は絶対に必要だった。
国政を動かす立場において、私情を挟むことは許されない。
ただ自国の国益に対し、必要と思われる手段を講じていくだけ。
それが直接的・間接的問わず、自国とそこに住まう民を守る事へ繋がるのだ。
だが、悠月殿が帰国を願い出るように仕向けておきながら、少し憐愍の情が湧いた。
「そうしろ、とのことだ。やむを得まい」
玄悠様が何気なく空中に手をかざすと、その掌中に光が生まれ、ゆっくりと収束していく。
眩いばかりの光が収まった後、その掌に残ったのは一冊の書物。
それは、装丁全てに白が用いられた純白の書物。
背にも表紙にも、本の表面には一切の文字も汚れも見られない。
よくよく見れば書物は先程の光の残滓を纏っており、純白の装丁と相まって神々しさを感じさせる。
ひと目見ただけで分かる⋯⋯これは、この世の物ではないことが。
「⋯⋯ふん、中身は外身と違って禍々しいものだ」
開いてすぐ、玄悠様は辟易した様子で書物を放り投げる。
放り投げられた書物は落下して地面に叩きつけられ⋯⋯るようなことは無かった。
全ての物は重力の作用により落下し、地面へと縫い付けられる。
そんな物理法則を嘲笑うかのように、純白の書物は空中で静止している。
「何度見ても不思議な書物ですなぁ」
「神話の時代の書物ですから。⋯⋯何か、新しき事でも?」
「あやつが考えることは分からん。だが、悠月の行く先は変わらない。同じ時を生きる颯や雅楽には、苦労をかけることになる」
「「それは⋯⋯」」
それきり玄悠様は口を閉ざし、空中で静止し続ける書物を見上げる。
その目には何が映って、何を考えているのか。
宰相として主の考えに思いを及ばせるのと同時に、愛する娘の未来の為に何が出来るのかを考えなければならない。
隣を見ると竜臣殿も難しい顔で書物を見上げていた。
純白の書物は、高い場所から悠然と世界を眺めているかのよう。
そして、三者三様の胸中を嘲笑うかのように輝きを強めると、どこへともなく消え去った――
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純白の書物を手にしながら、女は笑う。
「玄悠は上手くやってくれたみたいだね。ああ、紅茶とお菓子はそこに置いてくれると助かるよ。レイリア」
透き通るような白い肌に、綺麗に手入れされた白く長い髪。
純白の書物を眺めるその瞳は、闇を纏った宝石のように輝いている。
女は黒のロングドレスを身に纏い、それが彼女の白く長い髪を、より一層際立たせる。
白と黒の明暗が、女を艶っぽくも鮮やかに飾っている。
絶世の美女とも言える美貌を持ち、妖艶な空気を纏う女。
彼女を見た男性は、もれなく彼女の虜となるに違いない。
純白の書物をテ-ブルに置くと、女は置かれているカップを白く細い指で持ち上げる。
そしてカップの中に注がれた、淹れたての紅茶をゆっくりと口に含み、嚥下する。
「うん⋯⋯今日も素晴らしいよ。彼もしくは彼女は、彼として現し世に生を受けた。そして、この書物に名を刻んだ。⋯⋯楽しみにしているよ、悠月くん」
その表情は、まるで恋をするうら若き乙女のよう。
女は愛おしそうに、何度も何度も純白の書物を撫で続ける。
やがれそれも飽きたのか、女は上気した表情で息を吐く。
恍惚とした女の表情は、世界そのものを虜に出来るほどに美しい。
女は、これから始まるであろう素敵な茶会に思いを馳せ、楽しげに笑うのだった――




