第69話 昼下がり、不在、凪の駆け引き
「精が出るわねー」
「凪様!」
昼下がり、白峰邸の修練場。
場所を借りて修練に励んでいると凪様が顔を覗かせる。
あの夜――伯雷様の来訪と共に成人する事が決まり、一層の修練に励む日々が始まった。
なにせ成人の日に無様な姿を晒せば家名に傷を付けるばかりか、伯雷様の好意に泥を塗る事になる。
それだけは絶対に避けなければ。
けれどそんな思いとは裏腹に、自邸内では稽古相手が不在。
お祖父様は中京国との今後で多忙を極め、その重臣勢も同様。
日頃から稽古相手となる小雪も、残念ながら今は天宮邸には居ない。
修練するにあたって稽古を付けてもらう相手は必須であり、邸内で見つからないとなれば外に出るしかない。
その結果、僕が行き着いた先は、ついこの間までお世話になった白峰邸。
「そろそろ始めましょうか?」
「お願いします!」
履物を脱ぎ、修練場へと上がってくる凪様。
互いに修練場に立ち、木刀を緩く構えた凪様と対峙する。
凪様とて卿と呼ばれる身。
次卿であるお祖父様ほどでは無いとしても、その政務は忙しいはず。
それでも、僕の為に時間を割いてくれている。
凪様は自分にも責任があるからと言ってくれるけれど、僕からすれば感謝しかなく、だからこそ全力で。
「いきます!」
空蝉で一気に加速し、凪様の周囲を高速で移動する。
そうして陽動をかけつつ、凪様が見せる意識の死角を探す。
右――いや、左か。
僕の動きに合わせて凪様の木刀が僅かに右へ流れた。
その一瞬の隙を逃さず、凪様の左側面へ踏み込む。
凪様の動きに合わせ弧を描いて広がった、長く伸ばされた銀髪。
僕の斬り込みに対して凪様は右足を軸に体を開き、躱しながらもその体勢は崩れていない。
大丈夫、凪様の動きは見えている。
斬り込み、躱され、今度は僕の左側面へ凪様の木刀が迫ってくる。
空蝉で離脱する事で風斬り音を伴ったその一撃を躱し、距離を取ったまま今度は水弾を放つ。
かつて、中京国での玄悠様との立ち会い。
あの時も水弾で弾幕を張ったが、日々を修練を経て今ではより多くの水弾を放てるようになった。
背面を除き、3方向から凪様を押し潰すように。
空蝉で高速移動しつつ、次々に水弾を放っていく。
「⋯⋯やるわね。でも」
弾幕を超え、壁を成す程の水弾。
それが3方向から同時に迫り、敢えて空けた背面へ逃げたところを。
そう思って凪様の背後に回り込もうとした瞬間。
水弾が一斉に弾け、巨大な一筋の水流と化す。
水流は凪様の周囲を渦巻きながら徐々に細くなっていき、やがて凪様の笑みを残して完全に霧散。
その光景は玄悠様との立ち会い時に似ているけれど、あれとは全くの別物と言っていい。
ここ数日、毎日のように目の当たりして尚、全く見切る事が出来ない凪様特有の技。
凪様の周囲に迫った攻撃を強制的に掻き消す、凪様を剣姫たらしめる技――止水。
凪様も僕同様に水の霊力を持っている。
そして、止水には水の霊力が使われている。
条件は同じでも、埋められない圧倒的な差。
未だ水弾を放つ程度の攻撃しか出来ない僕とは練度も技量も桁違い。
「そろそろ良いかしら?」
その言葉が終わらぬうちに、無限の長さを持った突きが伸びてくる。
凪様は先程の位置から一歩も動いていない。
木刀に纏わせた水流が一筋の突きとなり、驚異的な速さで伸びてきたのだ。
それを辛うじて躱すも、いつもと同じなら問題はここから。
躱した水流がうねり出し、そこから無数の水蛇が生み出される。
迫りくるそれらを片っ端から斬り捨てるも、水蛇は凪様の霊力で生み出されたもの。
凪様の霊力が尽きない限り無限に生み出され、その射程は修練場内全域。
空蝉で逃げつつ迎撃するも、凪様の水蛇は修練場内を縦横無尽に駆け迫ってくる。
「しまっ――」
目の前に迫ってきた水蛇数頭を纏めて斬り捨て動きを止めた瞬間、その陰に隠れていた一頭が右足に巻きつき引っ張られる。
そうして体勢を崩された所に、背後から迫りくる水蛇の大群。
躱すにしても迎撃するにしても、体勢の立て直しが間に合わない。
それなら――。
「出たわね!」
霊力の扱いでも、戦いの経験値でも、今の僕じゃ凪様には敵わない。
けれど、僕にはもう1つの力――呪力がある。
霞と草原で出会い、それから修練を続けた結果。
最初は何となく断片的に感じるだけだった呪力も、今では目に見えるまでになった。
更には流線型だったり円形だったりと、ある程度使いこなせる。
呪力で掌に黒い球体を生み出し、そして。
「黒蹄!」
迫り来る水蛇の大群に向け一気に開放。
全てを押し潰す様を思い描き、黒き呪力がその通りに水蛇を押し潰――。
「うわっ!?ちょ、凪さ⋯⋯まぁぁぁぁ!!」
「はい、おしまい」
「うぅ⋯⋯」
全てを押し潰したかと思ったのに、どこかに討ち漏らした水蛇がいたのか。
あっという間に胴体に絡みつかれ、持ち上げられた空中でぶんぶんと振り回される。
吐きそうなくらい目を回され、凪様の目の前に下ろされ床に倒れ込む。
毎度毎度、この修練の終わり方はどうなのか。
修練中の攻撃は激しくとも殺される程の危険は感じない。
けれど、最後のぐるぐる回されるこれには殺されるんじゃないかという恐怖を感じる。
「大丈夫?」
「⋯⋯はい、いいえ」
大の字で倒れ見上げた先、修練場の天井がゆっくり回っている。
僕を覗き込む凪様が可笑しそうに笑っているが、僕としては体が動かない。
「でも、何度見ても不思議な力ね」
「凪様でも分かりませんか?」
「⋯⋯そうねー」
呪力については凪様でも分からないらしい。
誰かしら側に呪力の扱いを知る人が居れば良いのに。
そう思っていると、凪様とは別の影が僕を覆う。
影の主を見てみれば、そこに居るのはおぼんを持った舞姫。
艶やかな羽織を着た舞姫がおぼんを持つ姿というのは、どことなく不格好な感がある。
でも、おかしいな⋯⋯普段なら。
「小雪は居ないんですか?」
「ちょっとお遣いにね」
いつも修練が終わると、真っ先に水を持ってくる小雪。
今日はその姿が見えず、水を持ってきたのは舞姫だった。
僕の質問に対し、伏し目がちに答える凪様。
その表情に不思議なものを感じつつ、舞姫から水を受け取る。
お祖父様の帰還と共に僕は天宮邸に戻った一方、小雪は白峰邸に残った。
お祖父様と小雪は会わない方が良いと凪様が判断したためだ。
期限については諸々はっきりするまで。
小雪が持つ簪について僕とお祖父様の間で話が纏まるまでは、小雪は白峰邸で生活を続ける事になる。
凪様と小雪は姉妹弟子であり、白峰邸は小雪にとって居心地の悪い場所ではないだろう。
けれど、僕としては側に小雪が居ない状況というのは違和感しかない。
凪様が稽古を付けてくれるから――表向きにはそれが白峰邸に通う理由。
けれど、そこには小雪に会えるという理由も含まれている。
そう思っていたのに、今日は小雪に会えない。
それだけで何となく沈んだ気分になる。
「そうそう。悠月くんに会わせたい子がいるのだけど、良いかしら?」
気分が晴れないまま、凪様の問いかけに何の疑問も覚えず頷く。
そうして凪様が手を叩くと、入り口から入ってきたのは1人の美少女。
美少女を認めた舞姫の表情が険しくなったのを感じつつ、その姿を観察する。
歳はおそらく小雪と同じくらい。
髪色は凪様と同じ銀髪だが、毛先にかけて少し橙がかっている。
物静かな歩き方や上品な仕草からして、白峰家の族人?
「初めまして、悠月様。白峰寧子と申します」
「初めまして、天宮悠月です」
軽く自己紹介しつつ、目線を移し凪様に説明を求める。
その凪様の眉間には皺が寄り、苦悩の表情が見えた後――。
「悠月君の⋯⋯奥さんになる子よ」
「⋯⋯は?」
奥さん⋯⋯僕の?
そう思って改めて寧子の顔を見れば、微笑んだその表情から白峰家の姫に相応しい上品さが溢れ出ている。
顔は可愛く、可憐でどこか儚げ。
男心を擽るような柔らかい雰囲気を醸し出す寧子。
こんな子が伴侶の相手と言われて悪感情を抱く男は居ないだろう。
けれども、これは。
「話が違います!!」
小雪は白峰邸での生活を続けている。
それは、僕がお祖父様を説得するまで凪様が小雪の面倒を見てくれるという話だったから。
凪様は僕の事を応援してくれていたのではなかったのか?
それがどうして、凪様が別の伴侶を紹介するのか?
「寧子は白峰家の族人ですよね?これが凪様の答えなんですか?」
「先生に頼まれてね。頭まで下げられて、断れなかったのよ」
「だから⋯⋯小雪を外出させた?」
「⋯⋯」
おかしいと思った。
僕が白峰邸を訪ねる時間は毎日同じ。
当然、小雪もそれを知っている。
小雪なら僕が来る時間を知っていれば、その時間は外出なんてしない。
「⋯⋯こんなの、小雪ちゃんには見せられないわよ」
気の毒そうな表情をしていても、凪様が小雪を唆した事は明白。
言い方なんて、いくらでもある。
小雪にしか頼めないとか何とか言えば、お世話になっている手前、小雪は断れない。
そうやって小雪の外出に隠れ、凪様は僕に寧子を紹介した。
「お祖父様と話してきます」
「やめた方が良いわね」
「ならっ!!」
「悠月君。⋯⋯寧子の前でする話じゃないわ」
怒りで感情が昂ぶっていたが凪様の一言で、はっとする。
慌てて寧子を見れば、その顔に浮かんでいるのは先程と変わらない微笑。
けれど、先程とは異なってどことなく悲しげな印象を受ける。
凪様の言う通り寧子は悪くなく、その前でする話では無かった。
僕と凪様が何で揉めているのかまでは分からずとも、自分の登場がきっかけで揉め事が起こっている。
きっと、寧子にはそれが伝わっている。
無関係の人間を傷つけて平然としていられるほど、僕の神経は図太くない。
激情に駆られ今日初めて会った人を傷つけた。
凪様に嗜められ、気付いた事実に心が痛む。
でも、それならこの感情は何処にぶつければ良いのか。
この苛立ちは、この裏切られたという感情は何処に――。
誰にぶつければ良いのか。
「私を信じられない?」
「はい」
今更何を言い出すかと思えば。
堂々と嘘を付いておいて、信じられるも何もないだろう。
先に嘘を付いたのは凪様。
つまり約束を破ったのは凪様であり、そんな人間を信じられるはずが無い。
「悠月君」
もう凪様の顔も見たくない。
その顔を見れば、きっとまた我慢できなくなって言葉を吐いてしまう。
けれど、そうなれば再び寧子を傷つける事にもなる。
今は下を向いて凪様と目を合わせず、内なる衝動に耐えるしか無い。
「悠月君!!」
にも関わらず、凪様は僕の感情を無視するように僕の顔を覗き込んで来た。
そうして無理矢理に目を合わされ――。
「その眼は⋯⋯」
「⋯⋯」
間違いなく今の僕の目には、憎悪と憤怒が充満している。
黒い瞳が赤く染まっているのではないかと思うほどに、激情が表れているに違いない。
一方で凪様の目には確固たる自信があり、僕の目を見ても揺らぐ物はない。
そこには後ろめたさなどの感情は微塵もなく、あるのは――。
「悠月君。今はまだ、その眼はしまっておきなさい」
不意に抱きしめられ、振り解こうとするも、より強い力で抱き締められる。
そのままの状態で耳元で告げられたのは――。
「それでも、私を信じて頂戴」




