第64話 嘘つきの夜が、来るまでに - 2
「おやすみ、小雪」
⋯⋯暗闇の中で坊っちゃんの声が聞こえる。
目を閉じて寝息を立てる素振りをしただけなのに。
そういえば、以前にも尾張で似たような事をしたっけ。
同じ手に何度も引っ掛かるなんて、如何にも坊っちゃんらしい。
「ごめんね⋯⋯」
続いて聞こえてきたのは謝罪の言葉。
あの一件以来、坊っちゃんが悩んでいるのは知ってる。
そして、私はそれを知った上で気にしない素振りを続けている。
⋯⋯本当はそんな事してちゃいけないのに。
何故なら、坊っちゃんは何も悪くないから。
本当に悪いのは、他でも無い私だから。
でも、それを言ってしまったらどうなるか。
絶対に軽蔑される、それも欲深い卑怯な女として。
坊っちゃんからそう思われるのだけは嫌。
本当の事を言ったら軽蔑されてしまう、けれど言わなければ坊っちゃんは苦しみ続ける。
相反する感情、その葛藤に苦しみが増していき――。
いつしか坊っちゃんからも聞こえてきた寝息。
私のような寝た振りでは無く、本当に?
確認する為に慎重に、薄っすらと目を開く。
開いたその先にあったのは綺麗な白髪。
それは暗めの茶髪といった私のぼんやりした髪色とは違い、暗闇の中でも輝いている。
思わずその後頭部に顔を埋もれさせ、綺麗な白髪に頬を擦り付ける。
坊っちゃんの頭からは私と同じ石鹸の良い匂いがして、さらさらな髪が触れていて心地良い。
「ごめんなさい⋯⋯」
最初は、ただこうして側に居られるだけで⋯⋯それだけでとても幸せだった。
私を頼ってくれて、私だけに甘えてくれて。
そうして坊っちゃんが8歳の時、信頼を勝ち取った私は一緒に中京国へ渡った。
そこで始まった2人だけの生活。
どたばたながら、どこからも邪魔は入らなかった。
私は坊っちゃんだけを見て、坊っちゃんは私だけを見て過ごした。
けれど、そんな時間は何時までも続かないもの。
坊っちゃんには申し訳ないけれど、夢のような時間はたった2年で終わりを告げた。
大京国に戻れば必ず嫁取り話が始まる。
そうしていつか、私と坊っちゃんの間に誰かが割り込んでくる。
その人はきっと、私の欲しい全てを私から取っていく。
私が欲しいのは従者としての信頼でも親愛でも無い。
従者として側に在りながら、私は1人の女の子として見て欲しかった。
だから、凪姉さんに見抜かれた通り少しずつ種を蒔いた。
坊っちゃんの孤独や悲しみに寄り添い、私の気持ちを明確な言葉にする事も無く。
少しずつ、坊っちゃんの中で私の存在を育てて。
全ては、私が坊っちゃんにとって従者以上の大切な存在になる為に。
全ては、私がずっと坊っちゃんの1番である為に。
でも、坊っちゃんと市に行く前に着替えていた時の事。
昼食後のぱんぱんに膨れたお腹を帯で締め上げられながら、凪姉さんが発した一言が耳朶を掠めた。
――急に不安になった。
それを予想しなかった訳じゃない。
坊っちゃんも成人すれば国に仕える。
何時かはその時が来て、私の知らない世界を。
私の居ない世界を持つ事を覚悟していた。
けれど、聞かされた内容は予想の範疇を超えていて、心が不安で一杯になってしまった。
何でそんな⋯⋯もっと別の部署でも⋯⋯。
その事を考えただけで心の内はぐしゃぐしゃになった。
不安に焦る気持ちを抑え切れず、自制心は呆気なく決壊し。
気付けば思わせぶりな態度どころか、遠回しに証となる物を強請った。
そして買って貰ったそれを、これ幸いと凪姉さんに衒らかし。
凪姉さんを動かして、坊っちゃんの気持ちを確実な物にしようとした。
もっともそれは、凪姉さんが予想以上の剣幕で坊っちゃんを問い詰めた事で失敗したけれど。
⋯⋯こんな事、坊っちゃんに言える筈が無い。
結局は私が全部悪いんだ。
まだ坊っちゃんは成人すらしていないのに。
不安というだけで自分の感情をぶつけてしまった。
坊っちゃんから求婚して貰わなければ周囲が納得しないだろうと、あれこれ狡く立回ろうとした。
坊っちゃんは優しいから、全てを知っても私を責めたりしないだろう。
きっと誠実に、この不安な気持ちと向き合ってくれる。
「⋯⋯市井に生まれてたら。そしたら小雪から求婚出来たのに」
坊っちゃんが起きないよう注意しつつ、その体を少しだけ強く抱き締める。
少しだけ強く抱き締めた事でどちらの物か分からない、心臓の音が体を通して伝わってくる。
どこにも行かないで欲しい。
ずっと一緒に居たい。
その全てを――怒った顔も、泣いた顔も、笑った顔も、私だけに向けて欲しい。
この温もりを、いつまでも独占していたい。
私だけが坊っちゃんの一番で在りたい。
そこに嘘は無いし、それさえ手に入れば他は何も望まないから。
口では坊っちゃんの人生だからと物分かりの良い事を言ったとしても。
他の誰かと結ばれるなんて考えたくも無い。
坊っちゃんが幸せだとしても私は素直に喜べないし、きっと祝えない。
坊っちゃんには私とだけ一緒に居て欲しいのだから⋯⋯。
どうしようも無い考えがぐるぐると頭の中を回り、次第に目が冴えてくる。
それと反比例するように吐きそうな位、どんどん気分は悪くなっていく。
「⋯⋯坊っちゃん」
再びその白髪に頬を擦りつけ、その体を強く抱き締める。
坊っちゃんの匂いや存在を感じながら、少しずつ心を落ち着けていく。
⋯⋯絶対に疎遠にはなりたくない。
この前みたいに喧嘩別れになるのだけは嫌。
今まで一緒にいた時間と比べれば、たった少しだけの時間。
その少しで心が壊れそうになったのをまだ覚えている。
誰と話しても空虚な心には何も響かない。
目に映る物は全て色を失い、色の無い世界には何の意味も無かった。
坊っちゃんが迎えに来てくれたと分かった時、とても嬉しかった。
目を覚ました時には不機嫌な素振りをしてしまったけれど、そうしないと泣いてしまいそうだった。
この温もりの側に居られるだけでいいから。
お願いです、それ以外は望まないから。
だから――。
明日もその先も、ずっと坊っちゃんの側に――。
第2章、これにて完結です!
次回より幕間を挟まずに第3章に行く予定です!
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!!
これからも頑張りますので、評価や感想など何かしら「読んだよ!」という跡を残して頂けると嬉しいです。
そうなれば嬉しさのあまり作者が小躍りして、タンスの角に足の小指をぶつけて悶絶します。
これからも拙作を宜しくお願い致します!




