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月花の君 ~月明かりに、君を待つ~  作者: suimya
第2章 嘘つきの夜が、来るまでに
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第63話 嘘つきの夜が、来るまでに - 1



「お布団の用意が出来ましたよー⋯⋯って、坊っちゃん?」


「⋯⋯」


「坊っちゃん?坊っちゃーん?」


「⋯⋯」


「坊っちゃん!!」


「っ!!あ、えと⋯⋯何だっけ?」



 小雪に両頬を包み込むようにされ、慌てて返事を返す。

 正直何も聞こえておらず、小雪が何を言っていたのか。



「もう、ぼーっとして!具合でも悪いんですか?」


「そんな事無いよ。ちょっと考え事してただけ」



 小雪に心配される事は何も無い。

 ただ、ずっと同じ事を考え続けているだけで。



 考えないようにしても無意識がそれを掴んで離さないのか。

 同じ考えが脳内を占領している。



 靄がかかったように答えが出ない、堂々巡りな考え。

 言うべきなのに言う気の無い、単純でありながら難解な感情。



「ちゃんと待てますから大丈夫ですよ。それに、可愛い簪が貰えただけで小雪は幸せです」



 小雪の言葉に、胸が少し痛む。

 自分でやっておきながら都合の良い事を言っている。



 それが分かっていて尚。

 凪様に吊るし上げられそうになって以来、僕の方から簪に関して一度も口にしてない。



 小雪もほとんど口にしなくなり、僕が気にしないようにと簪も何処かに仕舞ってしまった。

 自分の感情よりも僕に気を遣う小雪を見て、心の中が罪悪感で一杯になる。



 2年の歳月を過ごした中京国王都・臨祠。

 何度か雅楽うたと一緒に見て回った宮中の市。



 そこでは女官達が簪を見ながら素敵な出会いに憧れ、雅楽が目を輝かせていた。

 だから、簪を贈る事の意味も十分に知っている。



 実際、お祖父様相手に話をする覚悟もあった。

 けれど、話した所で許されるかどうかは全く別の話であって。



 天宮家はお世辞にも順風満帆とは言えない。

 世代が一つ飛ぶ以上、お祖父様が引退すれば――。



 おそらく、お祖父様はその事を考えている。

 幼い僕が当主として家を守っていけるのか。



 外臣の家柄であり、しかも当主が幼いとなれば他の有力家からは見向きもされない。

 そうなれば天宮家を利用しようとする連中が群がり集まり、果てには乗っ取りを画策する輩も。



 それを防ぐ手段は一つだけ。

 どこかの有力家から新婦を迎え、その生家に後ろ盾となってもらう。



 お祖父様が見込んでいるのは、おそらく白峰家。

 白峰家の当主は凪様であり、凪様はお祖母様の弟子。



 剣聖の系譜に連なる一人であり、個人としても家としても有する力は絶大。

 その凪様が僕の後ろ盾となれば天宮家は白峰家の与党となり、滅多な事では手が出せなくなる。



 次卿の家柄である天宮家が白峰家の与党に。

 およそ常識では考えられない采配ではあるものの所詮、天宮家は外臣の家柄。



 お父様が生きていればまた違った展望もあったかもしれない。

 けれど、お祖父様は今を一代限りの栄華として割り切ったのだろう。



 白峰家と結びつきを強めるのであれば、白峰家中から新婦を迎えるべき。

 親族も与党も多い白峰家であれば、適齢の娘一人用意するくらい訳無い。



 ⋯⋯小雪では条件に合わない。

 小雪は確かに凪様と姉妹弟子であり、剣聖の系譜その末席を占める。



 けれど、その生家は白峰家ではなく袖下家。

 袖下家は白峰家と昵懇の間柄とはいえ、決してその配下にある訳では無い。



 独立した家であり、独自の勢力を有している。

 どこかで袖下家と白峰家が手切れとなれば。



 小雪を新婦に迎えれば、天宮家は袖下家を助けなければならない。

 それはつまり、白峰家を向こうに回して戦うという事。



 王族から毛嫌いされている天宮家。

 白峰家までも敵に回しては、立ち行かない事は火を見るより明らか。



 あの時、尾張でお祖父様の重臣は、相手として考えれば小雪は悪くないと言った。

 それにお祖父様は同意しなかった。



 それはつまり、お祖父様にとって小雪は次期当主の新婦として格不足という事で。

 ――だから、策を弄した。



 先に既成事実を作り、凪様が知る所とし。

 そうやって根回しと地固めをした上で、お祖父様との話し合いに臨む。



 形としては、今の状況は思い描いた通り。

 けれど、理想とした物からは程遠い。



 本当はもっと周到に根回しするつもりだったのに、凪様に先に乗り込まれてしまった。

 そして、その結果、小雪を傷つけ。



「坊っちゃんの人生ですから。小雪は側に居られるだけで幸せですよ。⋯⋯他の誰かと結ばれても、ずっと小雪を側に置いてくださいね」



 小雪の何気ない一言が、胸を抉る鋭利な刃物と化す。

 狙い澄まして言っているのではないか、そう思える程に鋭い痛みが走り抜ける。



 小賢しくも策を弄した事で小雪を傷つけ、余計な勘繰りをさせて。

 その上、気まで遣わせて⋯⋯。



 普段と変わらない小雪の優しさが、今だけは鬱陶しくて仕方が無い。

 いっその事、声高に非難してくれた方が。



 以前のように怒ってくれても良い。

 そうすれば――。



 いつも救われてきたその優しさ。

 それが、今は痛みを撒き散らす凶器でしかない。



「⋯⋯寝ようか」


「はい!」



 それぞれの布団に入り、明かりが消され暗くなった室内。

 窓から差し込む月明かりだけが、仄かに周囲を照らしている。



 窓を背にする僕の表情は、きっと小雪からは見え辛いだろう。

 でも、その逆である僕からは小雪が今どこを見ているのか、はっきりと分かった。



 柔らかな月明かりが小雪の茶髪を暗闇から浮き立たせ、その大きな瞳が光を受けて輝いている。

 空気中を舞う細かな埃が月光を反射し、その中で輝く小雪の双眸は暗闇に浮かぶ宝石のよう。



 それは吸い込まれるように美しく、恐ろしく感じるほど神秘的。

 夜の静かな暗闇の中で、ふっと微笑んだ小雪の表情が強烈に網膜へと焼き付く。



「⋯⋯おやすみ、寝るね」



 胸の内の痛み、そして全てを見抜かれているという恐怖から逃げ出すように。

 徐ろに背を向け、小雪を視界から外す。



「坊っちゃん」



 不甲斐無さと罪悪感に押し潰されそうになっていると、不意に背中が温もりに包まれる。

 小雪が僕の布団に移ってきて抱き締めてくれたのだと、すぐに分かった。



「本当に気にしないでください。そんな事で坊っちゃんと疎遠になる方が小雪は悲しいんですから」



 背中を向けた事で、その表情は分からない。

 回された小雪の白い腕だけが視界に映っている。



「明日も晴れますかね?晴れたら何しましょうか?」


「何って⋯⋯」


「また一緒に修練しても良いですし、もう少しおでかけしても良いかもしれませんね」


「⋯⋯」


「明日も良い一日になるといいですね」



 耳元で囁くように話す小雪の声が、とても大きく感じられる。

 視覚が遮断されている事で他の感覚が鋭敏になっているのか、それはまるで世界が囁くよう。



 その一言一言が僕を責め立てるようであり、そのどれもに罪悪感が増していく。

 もう⋯⋯やめて欲しい。



 僕がいけない事、しくじった事は分かっているから。

 だからもう、今は⋯⋯やめてくれ。



「そう、だね」



 体を丸め、震える手を強く握り、絞り出したかのような声で返事をする。

 そして、そのまま目を閉じて言い知れない感情に耐える。



 ⋯⋯そうしながら、どれ程経っただろうか。

 きっと、感じた程には経っていない。



「小雪?」



 気が付けば、小雪から聞こえる寝息。

 寝ちゃった⋯⋯か。



「⋯⋯おやすみ、小雪」



 窓から差し込む月明かりが急速に失われていく。

 月は雲へと隠れ、強い輝きを放つ星々だけが窓の外に広がっている。



「ごめんね⋯⋯」



 きっと、この呟きは誰にも聞こえない。

 僕が思うよりも大きく響いたとしても、それを聞く存在は居ない。



 安っぽい言葉で罪悪感を吐き出して、言うべき事を何一つ言わず。

 きっと、今までで初めてだろう。



 初めて僕は――。

 意図的に、小雪を傷つける嘘をついた。







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