第6話 予兆 - 2
「竜臣様率いる中京軍の最初の攻略地点は、西京国の首都防衛の要となる城です」
竜臣様が地図上の矢印に沿って、指でなぞった進軍経路。
そして、そのなぞった先にある攻略目標を順番に追っていく。
「見る限りでは此処を落とし、本国からの増派を待って西四国へと侵攻しています。この間、偉誉国には無数の選択肢があったはずです」
中京軍が最初に攻めた城は西京国にとって首都防衛に欠かせない、国防の要とも呼べる城。
当然ながら規模は大きく高い防御力を備えた城で、攻略するには相当な時間がかかる。
実際に中京軍は攻略するのに1ヶ月を要しており、西京国側からすれば1ヶ月ここで足止め出来た事になる。
更に中京軍は攻略後、西京国首都には見向きもせず西四国へと進路を向けた。
主力は去ったとしても、首都近辺の大城に中京軍が留まっている。
その脅威に西京国が悲鳴を上げない筈がなく、時間的猶予があった偉誉国は少なくとも、
・西京国との講和に基づいて援軍を派遣する。
・西四国防衛を謳い、偉誉軍を西四国へ派遣。実効支配への足がかりを作る。
・講和を破棄して西四国に侵攻し、九州本土に対する防波堤を築く。
・中京国と密約を結び、西京国を二分して支配圏を拡大する。
これらの選択肢が取れたはずなのに、どれも選ばなかった。
それ以前に西京国から引き渡された、中京国の使者を無事に帰国させていることも考慮すると――
「偉誉国は、中京国と事を構える気はない。おそらく、数年間の軍事活動で中京国を相手に出来るだけの余力が無いのでしょう。なので、偉誉国はこちらの誘いに乗らなかったと考えられます」
「誘い、とは?」
「九州全土を支配し西京国を傘下に置いた偉誉国は、国防を考える上で侮れない相手です。西京国侵攻の狙いは偉誉軍の撃滅にあったのでは⋯⋯と考えたのです」
西京国と偉誉国は、攻守同盟まで含んだ講話を結んだ。
であれば、西京国を攻めれば偉誉軍が出てくる可能性は十分にある。
それを玄悠様や竜臣様が想定していなかったとは考えにくく、偉誉軍との交戦も視野に入れていたのではないか。
もっと言えば西京国侵攻は偉誉軍を釣るための撒き餌であり、本当の目的は偉誉軍の撃滅にあってもおかしくはない。
「領土を広げたとしても、多年にわたる軍事活動は国家を疲弊させます。今の偉誉軍であれば撃破するのは難しくなく、そうなれば偉誉国の国力は大幅に減衰。立ち直るまでに数年はかかるでしょう」
「⋯⋯だろうな」
「西京国を攻める事で偉誉軍を引きずり出し、これを葬ることで列島西部における覇権を確立する。それが本当の狙いだったのではないでしょうか」
本来なら2国同時に相手取るなど無謀もいいところ。
どんな些細な事柄でも、1対2というのは不利でしか無い。
だが、中京軍は列島最強と謳われる強兵揃いで、それを率いるのは名将の呼び声高い竜臣様。
良質かつ膨大な国力を誇る中京国であれば、多少の不利には目を瞑れる。
「⋯⋯僅か10歳にしてそこまで考えられるとは、悠月殿は末恐ろしい子だ。うちの颯など戦場で会えば即死でしょうな。はっはっはっ」
「笑いごとではないと思いますが⋯⋯。とはいえ、さすがは悠雲様の血筋というべきでしょう。概ね、当たっていますよ」
⋯⋯良かった。
氏雅様達の表情に不快感が無いことを確認して、ほっと息を吐く。
まずは礼を失した発言では無かったこと、そして、あまりにも的外れな見解では無かったようで良かった。
無能だと思われるだけでも、今の僕にとっては困る。
才能の無さは常々自覚しているけれど、聞かれた事にくらい答えられないようでは本当に只の厄介者となってしまう。
それにあまりにも的外れな事を言えば、それは僕個人だけの問題では済まない。
僕は大京国からの人質であり、その背後にはお祖父様を始めとする大京国の大人達がいるのだ。
あまりに的外れな事を言えば、僕を人質として出した大人達の顔に泥を塗る事になる。
今はこの場にいなくとも、お祖父様の面白く無さそうな表情を想像しただけで恐ろしい。
何よりも父様の死すら冷笑して侮蔑した王族。
彼らの不興を買っては、生きていけない。
大京国内にあって天宮家は余所者である以上、失敗は許されない。
「では、悠月よ。これから我が国はどうすると思う?」
「偉誉の連中は引き込もって出てこないし、どうしたものか」
「えぇ。西京国を無力化したとはいえ、偉誉国と直接国境を接することになりましたからね。今後の方針を決める上で無視は出来ないでしょう」
一安心を得て、なお中京国の大人達は逃してはくれないようだ。
国王である玄悠様達の元に軍と行政の長がいて、今後の方針が定まっていない筈がない。
これは、試されていると考えるべきか⋯⋯。
先程の質問よりも、余程言葉を選ばなければいけないだろう。
今後の中京国の動きがどうなっていくのか。
穴が空く程に地図を見つめ、状況を改めて整理していく。
その過程で脳内で立ち上がってくる考えや着想を徹底的に検証し、その可能性と有効性を見極める。
⋯⋯この質問における核は、軍ではなく国の動きという点だろうか。
「で、どう思うのだ?」
「⋯⋯華国の動きに依るものかと」
中京国の国土は四国や中国地方だけでは無い。
質問は国としての今後の動きであり、であれば北陸などの領土も考慮するべき。
偉誉軍を撃滅するという目的を達していない以上、その作戦は今後も継続されるだろう。
となれば、それは短期から長期的作戦に切り替えられる事となる。
中京国は、列島西部における覇権をほぼ掌中に収めた。
今後懸念すべきは列島西部で軍を展開し続けた際に手薄となる、列島東部の領土。
更に言えば、仮想敵国である華国と接する北陸の防衛が重要になってくる。
今はまだ大京国との戦争が継続されているが、それが終わる時期次第で展望は大きく変わってくるだろう。
「大京国との戦争が早期に終了するようであれば、偉誉国を相手にしている場合ではないでしょう。華国が勝利を得た場合、その軍を阻むものはありません」
「万が一にも、我が国を窺うと?」
「北陸が手薄であればの話です。華国が大京国を締め上げた場合にも、中京国は盟約に則り援軍を送らなければなりません。そうなれば列島西部の覇権も揺らぎかねないのではないでしょうか?」
全てが、あくまでの話。
でも、国を治める人間にとっては戦争で勝つよりも、まずは治安と国土を維持する事が求められる。
国民の生命を守れない為政者というのは、どの国においても国民からの信頼を得られない。
仮に国王だとしてもそれは変わらず、王室への信用を失墜させる事となる。
ましてや内乱ともなれば国力は大きく損耗し、国が傾く事態に発展しかねない。
国力の大きい中京国が多少の内乱程度で傾くことは無いだろうが、それでも時期を鑑みれば痛手とはなるだろう。
大京国と華国の戦争は、大京国の方へと形勢が傾きつつあるとの話は聞いている。
このままいけば今回の戦争は大京国の勝利で終わるはず。
けれど何事においても絶対は無く、万が一は存在する。
そうなった時に中京国が列島西部に掛かり切りでは、大京国は圧死してしまう。
⋯⋯玄悠様ならば、きっと見抜かれたことだろう。
僕が質問に真摯に答える素振りをしながら、話の推移から不穏な匂いを感じ取った事を。
そして、それが何を意味し、どんな結果を引き起こす事となるのか。
それが生国である大京国にとって不利に働かないよう、密かにその利益を図ろうとした事を。
「我が国の東部は安定しているし、現地には優秀な者を派遣している。偉誉国との事には何ら関係ない」
そう言うと、玄悠様は人差し指で地図の端を叩き始める。
それは玄悠様の癖であり、相手の回答に満足していな証拠。
つまり、玄悠様は僕の受け答えに不快感を示している。
人質の身でありながら巧妙に自国の利益を主張した僕に対して、猾悪なものを感じたとしても無理はない。
「⋯⋯偉誉国とは、講和を結ばれるのが宜しいかと」
それでも、今の大京国には中京国の助けが要る。
中京国首脳部の意識が列島西部に傾きすぎるのは避けたい。
このまま中京国の大人達が偉誉軍撃滅へ傾倒していくようであれば、大京国にとって同盟は意味を成さなくなる。
大京国は中京国にとっての単なる使い捨ての道具として扱われ、不要となれば切り捨てられるだけになる。
「中京軍が動いた2年間、偉誉国は兵の大部分を休ませることが出来ました。そして、西四国地方は占領したばかりです」
偉誉軍が出てこないのあれば、こちらから攻め込むしかない。
けれど、そのためには渡海せねばならず、海を渡っての軍事活動というのは非常に難しい。
軍事行動において重要な兵員や物資の輸送経路、海や川はそれらを物理的に遮断してしまう。
更には費用も危険度も桁違いに跳ね上がる。
戦闘に関しても地の利が相手にある以上、上陸地点などは簡単に割り出され先回りされると考えた方がいい。
中京兵は上陸すると同時に、待ち構えた偉誉軍に撃殺されてしまうに違いない。
多くの兵が帰らぬ骸として海に沈み、そうなればせっかく手に入れた西四国地方は大混乱に陥る。
最悪の場合、反転攻勢に出た偉誉国に奪われる可能性も想定しておくべきだ。
いくら偉誉国が事を構えたくないとはいえ、侵略されて黙っているほどお人好しではないだろう。
そして一度でもまともに戦端を開けば、偉誉国もあらゆる手段を講じてくるに違いない。
「ですのでここは一度、講和という名目で偉誉国の警戒を和らげるのが宜しいかと。その間に西四国地方の支配を進め、沿岸部に複数の城を築いて兵を常駐させれば⋯⋯」
「もうよい」
口中に溜まった苦さを吐き捨てるかのように口を開いた玄悠様の表情は険しく、その視線は鋭い。
⋯⋯僕は何も、中京国に全く利益の無い提案をしたわけではない。
けれども、やはりそれは玄悠様の意に沿わなかった。
最後まで話をさせずに打ち切り、不愉快そうな、呆れたような表情と視線を向けてきている事からも明らかだろう。
「お前の考えというのは⋯⋯重々分かった。所詮、お前は悠雲と同じ大京国の人間だ」
「浅慮な発言で玄悠様の耳目を汚し⋯⋯」
「そのような事、どうでもよい。お前の考えが分かった上で改めて問おう」
「⋯⋯悠月、これをどう見る?」