第59話 東海戦線 - 3
鎧の下から汗が吹き出す程の熱気。
焼き焦がされる猛火にちらりと上空を仰ぎ見れば、そこには。
既に中天を過ぎた太陽。
地上に在る物全てを焼き尽くす程の熱量で、今が盛りと言わんばかりに戦場を睥睨している。
その元で響くのは鼓膜を介して脳天を突き抜ける程の大喊声に悲鳴、そして断末魔。
本来ならば疾うに決着が付いている筈の頃合い。
にも関わらず壊滅して尚、潰走しない敵本陣。
敵の左右両翼に対しても優勢なのはこちら側。
敵左翼は潰乱し、その機能を完全に消失。
唯一生きているのは敵右翼だが、こちらも左翼ががっちりと噛み合って身動きを取らせないようにしている。
これからどれ程粘ったとしても敵本陣が息を吹き返す事は無い。
最早、頽勢を廻らす事も叶わない程に傾いているのに何故――。
3陣全てが傾いている上に、依然として眼前に迫り来る敵兵の猛攻。
逃げなければ確実に死ぬ――それも死神の鎌に刈り取られるようにして、あっさりと。
この状況に怯えない兵など居ない。
勝機があるうちは意志によって抑え込めたとしても、目の前に広がる景色が敗色一色となれば恐怖は易易と意志の蓋を破壊する。
そうなれば国家存亡等の状況でも無い限り、どこからか潰走が始まってやがては総崩れになるもの。
状況的に見れば一度退いて近衛軍の到着を待った方が得策でもあるのに、無駄に兵力を浪費し続ける反乱軍。
その姿には何処か不気味なものを感じる。
その不気味さに輪を掛けるようにして横たわる、龍眼で見通した筈の未来が実現しない現実。
考え得る事としては、兄上による未来の書き換え。
もしくは――。
「⋯⋯居るのか。静と同じ存在が」
もし兄上が未来を書き換えたのでは無いのなら。
反乱軍内部に未来を歪める程の不確かな存在が居る事に。
あっさりと、易易と、息を吸うようにして此の世の理から外れる。
別段何でも無いような顔をして、およそ信じられない程の事柄をやってのける。
それほどの存在が、そうそう居るはずが無い。
限に60年近く生きてきて静以外の存在に出会った事も無い。
けれど、静がそうであったように。
そういった存在は確実にこの世に存在している。
霊力も魔力も持たず、霊刀・天告一振りだけで剣聖とまで呼ばれた静。
その静と同様の存在が居るのであれば――。
この決着、少しでも急いだ方が良い。
このまま敵本陣を完膚無きまでに叩き潰してしまえば、どれほど未来を歪めようとも意味は無いだろう。
それに――。
うかうかしていると近衛軍がやって来る。
もしこんな状況で反乱軍諸共狙い討たれればどうなるか。
自軍は確実に全滅し、東海地方は根こそぎ中京国に持っていかれる。
「第2波を下げよ。第3波、突撃用意!」
第3波は総大将の周囲を固め本陣中堅を成す精兵中の精兵、つまりは自軍における最強部隊。
疲れが見え始めた第2波の代わりに、待ち草臥れた感すらある最強部隊をぶつける。
これで転覆しない敵陣など存在するものか。
この一撃で、確実にその息の根を止めてみせる。
「ゆくぞ!」
総大将を伴った突撃に兵が奮起しない筈が無い。
弛れた気分は一掃され、天を衝く程に高まる士気。
鞘から抜き放たれた白龍。
その刀身が陽光を反射して白く輝き、そして――。
「と、殿!」
一歩、踏み出したその足が止まる。
大声で宣う先にいる者を見れば、そこには後軍を指揮している筈の重臣。
そして一人では歩けないのか、重臣に寄り掛かるようにして歩く兵。
重臣が肩を貸す兵は一目見て重傷だと分かる程に血塗れ。
「天宮⋯⋯将軍。こちらを⋯⋯」
息も絶え絶えの兵から手渡された書簡。
強く握り締めてきたのか、ぐしゃぐしゃな上に血が滲んでいる。
この急使はどこから発せられた者なのか。
瀕死の重傷を負った姿に嫌な予感を覚えながら書簡を披展すれば。
「⋯⋯夜のうちに動くとは」
急使を発した元、それは別働隊を率いる将。
記された内容は、既に近衛軍と戦闘に入ったというもの。
まともに計算すれば近衛軍と別働隊が遭遇するのは今日の夕刻。
どんなに早かったとしても今の時点での接触は有り得ない。
夕刻付近での接触となれば開戦は翌日以降に持ち越される。
だからこそ今日で反乱軍を片付け、明日に近衛軍へ向かうとしたのだ。
けれど、別働隊と近衛軍は既に接触し開戦した。
想定される時間差を埋めた絡繰りは何なのか。
偵騎の目を掻い潜る為には無灯火行軍しか無い。
2万の軍勢で成すには困難を極めるはずだが、それでも夜のうちに動いた⋯⋯という事だろう。
既に別働隊が開戦したのであれば、ますます以て反乱軍壊滅に全力を上げなければならない。
近衛軍2万に対して別働隊は5千。
更に近衛軍は、列島最強と呼び声高い中京軍にあって最強と目される部隊。
とてもではないが、まともな勝負になどならない。
別働隊に与えられた使命は勝負をする事ではなく、如何にしてその足を止めるか。
それを忠実に守ったとしても、その防衛線が抜かれるのは時間の問題。
今すぐ合流する事は不可能であり、増援も出せる状況ではない。
出来る事といえば、一刻も早く反乱軍を潰走させる事だけ。
「右翼に伝令を走らせよ」
本陣からの第3波に加え、余力が生まれているであろう右翼からも兵を回させる。
正面と右側面から一気に圧力を強め、夕刻までには押し潰す。
⋯⋯そこまで別働隊が耐えてくれるかどうか。
どんなに策を弄しようと、どんなに準備を入念に整えようと、最後に勝負を決めるのは時の運。
兄上と儂、天運が微笑むのはどちらなのか。
奪い合う1枚の札、その表を儂が引くためには。
そう遠くない所まで来ている筈だ。
あとは、間に合うかどうかだが――。




