第55話 凪が行く、小雪を連れて
「⋯⋯そろそろかしらね」
日が暮れかかってきた頃合い。
昼に出掛けて行った2人が戻ってくるならそろそろ。
そう思っていると俄に玄関先が騒がしくなる。
そしてすぐに玄関扉が開かれる音がし、廊下を渡ってくる足音が。
「凪姉さん、ただいまです!」
「おかえりなさい。悠月君は?」
「荷物置いて、そのままお風呂行くそうです」
「あら、そう。⋯⋯ま、そこまで馬鹿じゃないわよね」
小雪ちゃんの様子を見るに、出掛けている最中には何事も無かったよう。
天宮家の後嗣が気軽に外出しているからといって、さすがに白昼堂々行動を起こすほど馬鹿では無い⋯⋯わよね。
不思議そうな表情を見せる小雪ちゃんに笑って返し、こっちの話としてその疑問を受け流す。
小雪ちゃんに知られたら面倒な事になるし、何も無ければその方が良いのだから。
「それより、随分と上機嫌じゃない」
「ふっふっふ、新しくなった小雪を見て下さい!!」
新しくなった小雪ちゃん?
本人は謎の素振りで意気込んでいるけれど⋯⋯何が新しくなったのかしら。
着物は私が着付けてあげた時と何も変わってない。
せっかくの外出なら普段の動きやすさ重視の格好では無く、女の子らしい格好を。
そう思って着せたわけだけれど、着崩れや皺は見られない。
髪型も編み込んでお団子にしてあげて――。
「あら⋯⋯簪?」
「気付いちゃいました?これで小雪も大人の女性です!」
「綺麗ね。どこで買っ――」
「気になります?気になりますよね??」
こっちの質問に食い気味で返してきたこの感じ。
両手を強く握り締めて前のめりになったその格好。
喜色を前面に押し出したその笑顔も可愛いと思う。
でもこれは多分、聞いてはいけなかった内容。
別に聞いていけない事も無いのだろうけれど、間違いなく聞かない方が良かった。
だって、簪でこの上機嫌振りは⋯⋯。
「貰ったんです、それも坊っちゃんに!まぁ、物は風水庵って露店のでしたけど」
⋯⋯ほら、ね。
うっかり答えを引き出してしまった、数秒前の私が恨めしい。
何で「綺麗ね」で止めなかったのよ。
聞いてしまった以上、今更知らんぷりも出来ない⋯⋯わよね。
まぁ、可愛い妹弟子である小雪ちゃんの為になると思えば。
それに、そんな事より。
「風水庵って、あの風水庵?」
「どの風水庵か分かりませんけど、店主さん曰く貴重な素材を使った1点物だそうです!」
1点物、貴重な素材、これほどの仕上げ技術。
小雪ちゃんが挿しているのは一般的に1本挿しと呼ばれる簪。
不思議な色の軸に付けられた、透き通って鮮やかな赤を宿した蜻蛉玉。
先端部分から金具で吊るされた小さい赤と透明な飾り玉。
蜻蛉玉の大きさから吊り下げられた無数の飾り玉の配置など、細部まで手が尽くされているのが良く分かる。
そして、赤を基調とした装飾の中に感じる、雪原に立った時のような清冽な澄んだ空気。
簪としては控えめな装飾でありながら、ここまで存在感を放つ簪など滅多に見られるものじゃない。
けれど、それも風水庵の簪だと言われれば納得がいく。
それに⋯⋯どことなく似ている。
私が昔悠星に買ってもらった、風水庵のあの簪に。
小雪ちゃんが挿しているのは風水庵の簪で間違いない。
物としてはこれ以上無く、ならば後は――。
「それで、誓紙は貰ったの?」
「誓紙?」
「誓紙を貰うのは当たり前でしょう。悠月君は成人前なんだから特によ。風水庵の物であれば桐箱の中に誓紙が入っていたはずだわ」
簪を受け取ったのならば当然、誓紙の交換もしたはず。
そう思ったのだけれど、小雪ちゃんの様子を見るに心当たりは無さそう。
簪だけ受け取って誓紙を貰わないだなんて。
そう思ってよくよく問い質すと、どうやら桐箱は悠月君が持っているらしい。
なら、誓紙もその中に入ったままという事になる。
単に気付いていないだけか、もしくは⋯⋯。
「立会人は?」
「風水庵の店主さんは見てましたけど」
⋯⋯駄目だわ。
風水庵の店主は立会人には成り得ない。
一流を超えた技術を持つのに極度の面倒臭がり。
店も構えず、着の身着のまま。
気が向いたらそこで適当に台を出して店として、気が乗らなくなったら人知れず何処かに消える。
右に出る者が居ない程の放蕩者、それが風水庵の店主。
もっとも、それが故にその簪は希少価値が高く女性にとっては垂涎の的。
ただでさえ入手困難な上に運良く出会しても、店主が気に入らない相手には絶対に売らないときている。
その風水庵の簪を挿し、更にはそれが贈り物となれば条件としては破格。
けれど、居所が掴めない風水庵の店主が立会人では証明のしようが無い。
「悠月君は何て?」
「まだちゃんとじゃないけど、って」
「それを信じたの?」
「坊っちゃんなら大丈夫です。ちゃんと守ってくれます」
簪を贈っておいて、ちゃんとじゃないって⋯⋯。
そんな事が許されると本気で思っているのかしら。
大体、小雪ちゃんもそんな口約束だけで信じるなんてどうかしてる。
これが女性としての一生を決めかねないという認識が低すぎる。
「⋯⋯駄目よ」
「凪姉さん?」
「こんなの駄目。きちんとするべきだわ」
「どうするの?」
どうするもこうするも、方法は1つしかない。
あの子が誓紙の入った桐箱を持っているのなら。
「決まってるでしょう。行くわよ、悠月君のところに!」




