第54話 風の簪
「何か用か?」
「いえ⋯⋯」
風が光って見えたのはこの辺りだったはず。
そう思って周囲を探ってみても、あるのは何の加工もしていない木材を組み合わせただけの粗末な台。
そして、その向こうに座る一人の男性だけ。
男性の身なりは決して良いとは言えず、けれども浮浪者というわけでも無さそう。
小汚い小綺麗さとでも言えばいいのか。
衣服は襤褸に近くとも、きちんと手入れされた清潔さがあるのだ。
「お前さん、天宮家の人間かい」
「そうですけど」
「今こんな往来で天宮家の紋羽織は止めときな。何処で誰が見てるか分かったもんじゃない」
男性から出た意外な一言。
天宮家の家紋を知っている事が意外だったわけじゃない。
男性は今、蒼纏内で何かが起きている事を知っている?
その日暮らしのような身なりにも関わらず、そう思わせる発言をした事が意外だったのだ。
「で、何の用だい?」
「いえ、あの⋯⋯この辺りで風が光ったような気がして」
「⋯⋯ほぉ」
瞬間、男性の雰囲気が変わる。
先程までの何処か捉え処の無い印象から一転、まるで何かを探るような目つき。
剣呑な雰囲気を孕んだその目つきを僕は良く知っている。
玄悠様や氏雅様、あやめ様が僕に向けてきた物と同じ。
それは――人が人を値踏みする時の物。
僕の発言が男性の琴線に触れたのは間違いない。
けれど、その眼差しで僕の何を値踏みしているのか。
あまり気分の良い物でも無いし、厄介な事にならなければ良いのだけれど。
そう思っていると男性は粗末な台に長方形の小さな箱を並べていく。
並べられた桐箱の数、12個。
「どれか1つ選んでみな」
「え?」
「いいから、早く!」
桐箱の見た目は12個全てが同じで、そのどれもが木目が狭くて美しい。
丁寧に鉋や鑢が掛けられているのか、表面には綺麗な光沢も浮かんでいる。
どこからどう見ても一級品。
こんな男性が小さいと言えども、どうしてこんな桐箱を12個も?
そして、この中に何が入っているのか。
中身について知らされないまま何となくで1つを選ぶ。
桐箱の美しさで選んだわけじゃない。
ただ何となく視線が吸い寄せられた1つを選んだだけ。
なのに選んだ瞬間、男性の口から出たやっぱりか――という言葉。
何がやっぱりなのか、僕の感情を余所に男性は何事かを呟き続け――。
「そいつを開けてみな」
これまた理由も言わないままに開けろ、とだけ。
内心腑に落ちないものを感じつつも選んだ桐箱の中身は気になるもの。
言われた通りに選んだ桐箱を手に取り、そして開く。
蓋を少し開けた瞬間、感じたのは周囲を埋め尽くす程の膨大な風。
まるで野分のような風が桐箱から吹き出し、僕を中心に渦巻いていく。
そのどれもが光っていて――。
「やっぱりな」
男性の一言で我に返る。
あれ程の風が吹き荒れていたのに目の前の男性も、並べられた他の桐箱も微動だにしていない。
それどころか往来の人々も何一つ変わらず歩き去っていく。
⋯⋯さっきのは何だったのか?
あやめ様が魅せるような、まやかしの類?
なら、それを生み出した存在は――。
「⋯⋯簪?」
桐箱を開けて風が吹き出したなら、その中身が僕にまやかしを見せた存在になる。
そう思って中を見れば、そこには思わず息を呑むほど綺麗な一本の簪。
「そいつは軸に100年風穴で風を浴び続けた鉱物。飾りには同じく100年雪に磨き抜かれた物を使ってる。銘は――風の簪」
不思議な色合いをした軸。
丹精込めて作られたと一目で分かる丁寧に施された綺麗な装飾。
決してごてごてと飾り付けられている訳じゃない。
むしろ簪としては簡素な作り。
それなのに、これほど綺麗な簪は見た事が無い。
一度見れば目を逸らせなくなるような、そんな不思議な存在感を放っている。
「こいつが誰かを選ぶとはねぇ。どうする、買うかい?」
買うかい⋯⋯これを、買う?
何となく手に取っただけの簪を?
簪は高くて気軽に買える物じゃない。
そんなたまたま手に取っただけで買うなんて、軽率極まりない行動。
なのに、その値段が気になって仕方が無い。
手持ちで足りるか⋯⋯その不安が心を掠める。
「そいつがお前さんを選んだんなら⋯⋯こんなもんでどうだ?」
男性から提示された値段。
それは先程の店と同程度の金額。
「その懐に忍ばせた金なら十分足りるだろ。それに、丁度いいんじゃねぇのか?」
男性が顎を杓って示した先。
そこには先程の店前で僕を探している小雪の姿。
「お前さんが欲したから、こいつは応えた。運命なんぞその程度のもんだ。後はお前さんの覚悟次第だな」
僕が欲した、別に僕が欲したわけじゃ。
⋯⋯いや、そんな事も無いか。
ここ最近、簪について意識するようになっていた。
無意識に良いと思えるような簪を探していたのかもしれない。
おそらく、此処で買わなければ二度とこの簪とは出逢えない。
そして間違い無く後悔する。
この簪は此処で買っておくべき。
そんな感情がどんどん大きくなっていく。
「まいどあり」
気が付けば僕はお金を支払っていた。
簪の入った桐箱毎受け取り、そして――。
「坊っちゃん、お待たせしましたー!」
「そら、お連れさんの到着だ。男見たけりゃ⋯⋯ってな。見せ場だぜ」
絶妙な時間差で僕を見つけて来た小雪。
買ったからといって、男である僕が女物の簪を挿す事は無い。
男性の言った、運命なんてその程度という言葉。
確かにその通りかもしれない。
いつかは⋯⋯そう思っていた。
そのいつかが僕の中では成人してからだっただけで。
けれど、いつかがいつ来るのかなんて誰にも分からない。
もしそれが今なのだとしたら――。
「坊っちゃん?」
「⋯⋯小雪!」




