第42話 愛し子の戦場
尾張での攻防が始まって数日――。
戦場は激しさを増し、両陣営から放たれる矢は日を追う毎に増えている。
尾張城壁上から放たれる矢は最早豪雨であり、自軍兵士の掲げる盾が矢を弾く音が本陣にまで聞こえてくる。
城壁にはずらりと梯がかけられているが、矢の豪雨の前に登る事すら出来ていない。
城門前では巨大な丸太で城門を破ろうとする自軍と、それを防ごうと他の戦場よりも更に激しく矢を集中させる反乱軍。
互いに一進一退の攻防を続けており、それでも時折、城門に丸太を打ち付ける鈍い音が戦場全体に響き渡る。
「野戦とは違い、城は手強いですな」
戦場全体を俯瞰する位置に設けられた本陣営所。
隣に立つ重臣の言葉を聞き流しながら、黙って戦場を眺める。
重臣が口にした野戦とは、岐阜南部で激突した反乱軍の事を指しているのだろう。
襲撃を受けて退避した後、反乱軍に奪われた尾張。
奪回を期して大都督指揮下2万から抜いた1万5千と途上で掻き集めた3千。
合計1万8千の兵力で立ち塞がった反乱軍2万を蹴散らし、尾張へと攻めかかった。
野戦と比べて城攻めの方が遥かに難しい。
そんな事は何度か戦場に立てば、年端も行かない兵ですら理解出来る事。
「尾張は巨大だ。無理に力で抜く必要は無い」
「殿の龍眼には何か見えましたか?」
「我々の目的は時間を稼ぐ事だ。⋯⋯まもなく、流れが転じる」
尾張を始め、東海地方の諸城は反乱軍の猛威に曝されている。
大小合わせて落ちた城は多く、今や東海地方の主導権は向こうにあると言っていい。
孤立無援に陥った城からは、再三にわたって蒼纏へ救援要請が出されている筈。
けれど、蒼纏に留まるのは凪の上軍だけであり、そこから先に4千を大都督の元へ送っている。
虎の子とも言うべき残りの上軍8千を出せば蒼纏に兵力は無く、国家の中心地である王都ががら空きになってしまう。
動かせる兵力が無い以上、諸城からの救援要請は黙殺するしか無い。
けれども、反乱軍勢力下の城邑で最大規模と言うべき尾張に1万を超える軍勢が取り付いた。
それが反乱軍の心情にどういった影響を与え、どのような結果を齎すのか。
龍眼を通して見た未来は間近まで迫っている。
後は反乱軍が其の未来を選ぶよう、尾張の攻囲を続けるだけだ。
「そうなると問題なのは⋯⋯」
「近衛は、分からぬ」
龍眼とは大まかな未来を見通す物。
それも様々な情報を元に、そこから指し示される未来を知れるだけ。
先の庁舎襲撃同様、情報が少なければ未来を見通す事すら出来ない。
ましてや未来を一方的に決定し、現実の物とするなど不可能。
けれど、兄の手元にある【天涯の書】。
未来を定めるとされるその書物は、それが出来る。
未来を見通すだけの眼と、未来を定める書物。
国境線上に留まり続ける中京国近衛軍、その今後の動きを探るにおいてどちらに軍配が上がるかは明白だろう。
未来など不確かで形を持たない、儚い幻影に等しい。
一歩踏み出しただけで千変万化し、一瞬の後にはあった筈の物が跡形も残らない。
未来は決断によって変わる、行動の結果を積み重ねた集積体。
全ては言い訳の余地など無い己の決断による物であり、それらは時と共に色褪せていく。
その時に感じた焼け付くような痛みも、心が壊れてしまう程の悲しみも、表現するに相応しい言葉見つからない喜びも、いつかは大事な何かが抜け落ちる。
そうして人は過去を忘れて歩いていくものだとしても、それでも――。
「兄上は、今でも儂を恨んでいるのだろうな」
かつて祖国を2つに割りかねない程に未熟だった自分。
時と共に兄の恨みが風化していなければ、この戦場で斃れる事も覚悟しなければ。
そうして覚悟の先に願う物は、ただ一つだけ。
長く生きた自分の事など、どうでもいい。
国が混迷を深める中でも、人の欲望には限りが無い。
蒼纏の宮廷では王子に王族共の息がかかり、先頃には王女の遊び相手として凪の娘が入った。
王子に取り入った王族共に対し、白峰家を中心とする勢力が牽制を始めたと言っていい。
次代をめぐる熾烈な権力闘争は水面下で静かに、けれども激しさをもって動き出している。
自分が此処で斃れれば付き従う自家の重臣達も皆戦死する事になり、悠月に残されるのは殫竭寸前で名ばかりの家格のみ。
権力闘争において物を言うのは腕力であり、力を持たない者は一方的に巻き込まれた挙げ句、土俵に立つ事すら出来ないままに屠られる。
血が流れかねない程に膨れ上がった欲望と闘争を前に、悠月はどうするのか。
無力に等しい悠月は、生き残っていけるのだろうか。
「悠月は、次代を託すに足る器か?」
「⋯⋯凡人が居るように、天才もまた居るもの。ご自身では気付いていないようですが、若もまた殿や悠星様と等しく天才でしょう」
「⋯⋯そうか」
悠月が天才なのは分かっている。
誰よりも天宮の血に愛された――そう言われた自分から見ても、悠月は愛されている。
だからこそ、その未来は不確かで懸念に溢れている。
かつての自分のように才気走って、全てを失いかねない程に。
こんな時、君が居てくれたのなら。
そんな事を願ったところで何も変わらない。
あの時の決断が、君の居ない今という未来を齎したのだから。
甲高く鳴きながら頭上を飛び去った一羽の鳥は、まるで――。
『私ね、生まれ変わるなら鳥になりたいわ』
懐かしい、でも決して忘れる事の無い声音。
弱気になるといつでも側に在って、強く励ましてくれた声を思い出す。
「心配して会いに来てくれたのか⋯⋯?」
飛び去っていく鳥の後ろ姿に問いかけながら、笑みが零れる。
あの時、2人で見上げた空も雲一つない青空だった。
そして、その青空には無数の白い鳥が飛んでいた。
まだ共に若く夢や希望に満ち溢れ、どこまでも二人で歩んでいく事を誓ったあの日。
最後まで添い遂げる、生まれ変わってもまた必ず君に会いに行く、その気持ちは今でも変わらない。
あと少ししたら自分もそこへ行くから、待っていて欲しい。
きっと君の事だから、いつまで待たせるのかと怒るのだろう?
君のその怒った表情も声も仕草も、君の全てをまた受け止めてみせるから。
そうして君の話を全て聞き終わったら、また2人でどこか遠く、君の行きたい所へ旅に出よう。
持っていく物は、そうだな⋯⋯この両手に納まるだけでいい。
そうしたら、君だけで一杯になってしまうな。
今度こそ余計な物は何も持たず、誰にも縛られない本当に自由な、君の望む旅へと2人だけで歩いていこう。
だから、もう少しだけ待っていて欲しい。
長く生きたこの命には何の未練も無い。
今はただ、君が残してくれた悠月の為に。
そのためには――。
「きゅ、急報です!!近衛軍が――」
どれだけ長い歳月を経ても、辿り着く結論が変わらないというのなら。
ここで終わりにしましょう、兄上。




