第40話 姉妹喧嘩
「⋯⋯何してるのよ」
目の前で起こっている事が理解出来ない。
おかしい⋯⋯絶対におかしい。
「へへ⋯⋯へへへへ⋯⋯⋯⋯あー、もう、どうしましょう」
目の前には大の字に寝転び、天井に向かって譫言を呟いている妹弟子。
虚ろな目は何処か遠くを見つめ、ぶつぶつ呟く口からは涎が垂れている。
こんな姿を世の男性が見れば幻滅するに違いない。
女性としてあまりに端なく、しかも妹弟子は時おり笑ってさえいる。
魂が抜けたような、発狂したようなその姿に衝撃を受けるも、それ以上に今の状況に衝撃を隠せない。
私が出仕してる間に、一体何が――。
悠月くんと喧嘩したと言って転がり込んできた妹弟子。
それを宥めて昨晩は泊めてあげた。
朝に天宮邸まで家臣に送り届けさせ、これで一件落着となる筈だった。
なのに⋯⋯なのに⋯⋯。
「あのねぇ、私は仲直りするように言ったのよ?それがどうして昨日の今日でこうなるの」
今日の仕事を終え自邸に戻ってくれば、待っていたのは今の状況。
なぜ天宮邸に帰った筈の妹弟子が一人で此処にいるのか。
何があったのか想像出来るだけに、内容を聞くべきか、それとも聞かざるべきか。
聞いてしまったら、多分――。
「⋯⋯何があったの?」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯凪姉さん?」
この反応、まさか私が見えてなかった?
その事実を知らされた瞬間、聞くべきでは無かったという後悔が体中を駆け巡る。
「姉さああああん!!」
「わっ、ちょっと!!分かった、分かったから!」
日頃から憖っか鍛えているせいで、無駄に動きが素早い。
涙と鼻水と涎で顔中ぐしゃぐしゃになった妹弟子に、あっという間に抱き着かれる。
普段なら何の問題も無く受け止めてあげるのだけれど、今は――。
まだ出仕用の服から着替えて無いのに⋯⋯あぁ⋯⋯⋯⋯。
「坊っちゃんが、坊っちゃんがぁぁぁぁ」
「分かったから!ちゃんと話して!」
「ぐすっ⋯⋯あのですね、一晩帰らなかったじゃないですか?だから、坊っちゃんが心配してくれてるかと思って。それで⋯⋯」
悠月くんの性格上、心配はしていただろう。
自分の方から謝れる子でもあり、仲直りするのに大きな支障は無かった筈。
あるとすれば、妹弟子が言葉を濁した先だけれど。
まさか、この子――。
「まだ怒ってる振りしたら坊っちゃんも怒っちゃって⋯⋯。小雪は追いかけてきて欲しかっただけなのに」
「悠月くんを、怒らせたの?」
「⋯⋯はい」
「何やってるのよ!!!!」
「だって、だって!」
何がだってなのか。
可愛らしく言ったところで、だってもへちまも無い。
普通に対処すれば良かった事を、どうして自らややこしくするのか。
どこまで下手を打てば気が済むのかという感情を下敷きに、心の内で怒りが膨らんでいく。
「普通は追いかけてきませんか!?追いかけてきますよね!?」
「なわけないでしょう!!頭の中お花畑なんじゃないの!?」
「いやいやいや、ふつーーーぅは追いかけてきますから!!え、なに?何なんですか?私が悪いんですか?」
「あのねぇ!!」
「何ですかっ!!」
年甲斐も無く妹弟子と大声で言い争った事で、騒ぎを聞き付けた家臣が顔を覗かせる。
それを手で制して下がらせ、大きく息を吸って出るのは本日最大級の溜息。
「あー、もうっ!!」
それでも、やり場の無い怒りは収まらない。
苛立ちが頂点に達し、思い切り自分の前髪をぐしゃぐしゃに掻き乱す。
「言っておくけど、今日は泊めませんからね!!」
昨日の事はまだ許せるとしても、今日の事は完全な妹弟子の自爆。
また泊めてもらえるなんて甘い考えを持っているとしたら、大きな間違いだ。
妹弟子を睨み据え、一切の反論を許さないと言わんばかりの圧力をかける。
妹弟子は戦姫なんて呼ばれているが、私だって剣姫と呼ばれる身。
師匠に比べれば劣るものの、この子相手に遅れは取らない。
案の定、感情剥き出しだった妹弟子も言葉に詰まっている。
「あの、凪姉さん。此処に泊めてくれないと行く場所が⋯⋯」
「悠月くんの所に帰りなさいよ」
「それは、だめ。坊っちゃんが迎えに来るまでは帰りたくない」
「なら、そこら辺の道端にでも寝るのね」
冷たく言い放つとそのまま横を向き、これ以上はこの話を受け付けないと態度で示す。
この子をこれ以上甘やかしたところで、良い事なんてこれっぽっちも無い。
悠月くんに甘い感情を持っていたとして妹弟子は天宮家に仕える身でもある以上、公私の区別は付けてもらわないと。
そんな事を考えていると、すぅーっという空気を吸う音が聞こえ出す。
不思議に思って顔を戻せば、そこには胸いっぱいに空気を吸い込んでいる妹弟子の姿。
猛烈に嫌な予感がして何をしているのか問い質そうとするも――。
「あーあー、凪姉さんが道端で寝ろって言うなら仕方無いかなー。それで私の純潔が穢されたらどうしよー」
「ちょっと!!」
「きっと悠雲様は怒るだろうなー。困った時は助け合うよう言った静様だって――」
「分かった、分かったから!泊めてあげるから!」
妹弟子の大声に再び家臣が顔を覗かせる。
それがこの子の狙いであり、変に誤解されて困るのは私。
実際に妹が居た事は無いけれど、もしも妹が居たらこんな感じなのだろうか。
我儘で、自分の意見を押し通す為なら人の迷惑も考えない。
好きなだけ感情をぶち撒けたと思いきや、一人で勝手にすっきりしている。
こんなの⋯⋯堪ったもんじゃない。
「ありがと!凪姉さん、大好き!」
にこやかに笑う妹弟子を見て、内心がっくりくる。
それと同時に私が面倒を見てあげなければという使命感や、妹弟子に対する愛着も湧いてくるから不思議だ。
(先生が帰ってくる迄には何とかしなくちゃ)
ただでさえ国政で忙しいのに、もしもこんな状況を先生に知られたら。
先生⋯⋯悠雲様の何をしているのかという表情を想像しただけ身震いがする。
うん、やっぱり何が何でも、さっさとこの問題は片付けよう。
私まで怒られるのは、絶対に御免。
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「感情に振り回されて望んだ事と真逆の結果を得る。怠惰で、浅はかで、そして利己的。人という生き物は、いつの世も変わらないね」
開いた頁に記された、悠月くんと小雪の予想外な動き。
小雪の提案を悠月くんが拒むとは思わなかっただけに、意外な結果になった。
それでも、小雪が凪の元に転がり込んだ現状。
それに対して悠月くんは何かしらの行動を起こすだろう。
悠月くんが凪と接触するのは時間の問題。
接触さえすればこの場に招くのは難しく無い。
もっとも、それが想定よりも先延ばしになりそうではあるけれど。
直接の働きかけが出来ない以上、仕方が無い事として推移を見守るとしよう。
「他もそろそろ良い頃合いかな」
一度、悠月くんの事は置いておくとして。
悠雲は先頃離反した勢力と一戦を交え、東海地方における戦端を開いた。
こうなれば、臨祠で状況を眺めている玄悠が動き出すのも時間の問題。
そして何より――。
翔鶴姫と瑞鶴姫に愛された伯凰と伯鳳の末裔にして、2人が興した染雪家の現当主。
雷公と渾名される彼の方も決着が付くらしい。
大京国内では最も古く、王族の頂点に位置する名門。
それであるが故に愛憎が渦巻き、複雑に絡み、縺れ合う染雪家。
最終的な結論は変わらない。
だからこそ、そこに至る順序というのは柔軟に変えるべき。
当初の予定に戻せるのであれば、それが最良なのは言うまでも無い事。
悠月くんの方で大きな動きが起こる迄、彼の今を確認しておくとしよう。




