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第32話 密談の終わりに、時代は回帰する



「それで殿、如何しましたか?」



 重臣からの質問に、無言で手渡した一枚の紙。

 三つ折りにされた紙の表書きには、自分の名である悠雲の文字が記されている。



 開いて中身を確認する重臣の目が文字を追って動き、次第にその表情が青褪めていく。

 内容からすれば妥当な反応だろう。



「政務室がある階を探索していた兵から齎されたものだ」



 先の襲撃で政務室は主だった被害を受けていない。

 陣頭指揮を取るべき自分が居室で襲撃を受け、政務室が常に無人の状態だった事が幸いした。



 けれども、探索した兵の話では物的損壊こそ見受けられないものの、戸棚等の書類関係は荒らされていたとの事。

 直接的な被害は無くとも、襲撃の間に何者かが立ち入ったのは明白だろう。



「悪質な悪戯であって欲しいところだがな」


「残念ながら、その可能性は低いかと」



 重臣がそう返事するであろう事は予想していた。

 自分もこれが悪戯等では無い事は分かっている。



 火事場泥棒とて、炎が燃え盛る間は盗みを働かない。

 盗みを働くのは炎に巻かれる危険が下がってからだ。



 阿鼻叫喚の地獄絵図と化した、炎に巻かれたような昨晩の庁舎内。

 そんな命の危険がある場所に、悪戯目的で乗り込んで来る阿呆はいないだろう。



「⋯⋯尾張は棄てねばなりませんか。守備隊長には既に?」



 その質問も同じように予想の範疇。

 守備兵からの報告は直通で齎されるようにしているが、彼らを直接掌握しているのは守備隊長。



 今のところまとまった戦力というのは庁舎守備隊と、尾張市中の守備隊だけ。

 庁舎守備隊は勿論、市中守備隊に話を通す上でも外部の人間が折衝するより、守備隊長に橋渡しをしてもらった方が話が早い。



 そういった意味合いから、この話は真っ先に守備隊長の耳に入れるべき。

 それは分かっている、分かってはいるが⋯⋯



 守備隊長とは着任時に言葉を交わしており、その人柄は温厚そのもの。

 けれど説明は適切で、有事における対処の想定は剴切だった。



 実際、昨夜の襲撃においても守備兵の動き出しは早く、内通者の切り崩しが無ければ賊徒の庁舎侵入はもっと遅れただろう。

 勇猛さを知謀で包んだ守備隊長は、猛将にも知将にもなれるだけの資質を秘めていた。



 それほどの人物でも、死は意外なほど呆気なくやってくる。

 きっと王都で顛末書を受け取るだけであれば、その死もあっさりと流せた事だろう。



 氏名と職位は文字の羅列でしかなく、戦死者数は全体に対する損耗率に置き換えられる。

 政府中枢の人間からすれば、残酷であっても国政全体にどの程度の影響を齎すかの指標でしか無い。



 だが、守備隊長とは面識を得て言葉を交わしている。

 幾千の血の大河を渡ろうと、幾万の屍の山を踏破しようと、面識を得た存在が単なる文字の羅列に変わる事など有りはしない。



 あるのは自身の心を守るため、感情を鈍くする技術。

 仕方が無い事として、見て見ぬ振りをする器用さだけだ。



「厳しい決断だが、やむを得まい」



 死者に与えられるのは終息した過去のみで、そこから先は今を生きる者が足掻かねばならない。

 それが今へ繋がる礎となった者への礼儀であり、その上を生きる者の責務でもある。



「浜松は目と鼻の先だ。我々に余力は無く、籠城は難しい」



 先程重臣に見せた紙の内容、それが本当であれば、今頃は浜松の城邑が陥落している頃合い。

 それを調べに諜報員を走らせてはいるが、その結果を待つ前に備えだけはしておく必要がある。



 ⋯⋯虎口を逃れた先で待っていたのは安息の地では無く、口を開け涎を垂らした狼だった。

 虎から逃げるのに力を使い果たした所を、今度は飢えた狼の牙に晒された。



 被害を考えなければ幾らでも戦えるが、尾張は巨大な市場を有する一大集積地。

 そこを灰燼に帰すわけにはいかない。



「動ける者を至急洗い出してくれ」


「動けない者は如何しますか?」


「⋯⋯捨てて行くしかあるまい」



 戦場は常に決断を求められる、厳しい世界だ。

 誰もが一度は憧れる英雄譚のように、全てを助けられるなど幻想もいいところ。



 助けられない命は厳然として存在し、そこを見誤ると助けられた命まで失う事になる。

 人の両手は小さく、そこから零れ落ちた物は捨てて行くしかない。



 決して振り返ってはいけない。

 振り返れば、惜しむ気持ちが生まれてしまう。



 そして惜しいと思えば、零れ落ちた物を拾いたくなる。

 結果、零れ落ちた物を拾うために、それ以上の物を失う。



 生きる為には戦う必要があり、戦う為には決断が必要。

 決断したのであれば、そこから先は迷ってはいけない。



 ただひたすらに前を向いて、みっとも無くても走り続けるしかない。

 それが、小さな掌しか持たない人という生き物に与えられた、宿命なのだから。



 それが出来なければ、必ず何処かで自らの死を拾う事になる。

 戦争が人の手に余る代物であったとしても、黙って死へと沈む人間はいないだろう。



 重臣の向こう、そこに見えるのは悠月の小さい背中。

 生きるためには老いも若さも関係無く、決意と覚悟が必要なのだ。



 遠からず、そういった時代が再びやってくる。

 悠月⋯⋯お前も、いずれは――










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