第3話 境遇 - 1
「しぃ!!」
高速で振られる木刀が交差し、広大な庭に甲高い音が鳴り響く。
振り抜かれた木刀の勢いが、衝撃となって骨にまで伝播している。
彼我の技量においても、また膂力においても差は歴然。
一度でも受け損なえば骨にまで達する衝撃で痺れ、木刀を握っていることすら出来ないだろう。
一瞬でも対応を間違えれば即終了の状況に、その重圧を前に無意識に息が上がる。
そんな状況で、いつまでも今のような至近距離での受け流しが出来るはずもない。
皺が刻まれた顔と風に靡く白髪、およそ初老とは思えない速さと正確さで繰り出される木刀を何とか捌き、一度距離を空ける。
中距離から無数の水球を空気中に浮かべ、それらを一斉に玄悠様に向け、無軌道に放つ。
霊術には、【火】・【土】・【水】・【風】の基本属性と【空】【地】【央】の特殊属性があり、そのうち僕が適正を持っているのは【水】だけ。
特殊属性など才能の無い僕に与えられるはずもなく、出来るのも目眩まし程度に水球を水弾として放つくらい。
これはあくまでも稽古であるため、玄悠様が力を使うことには制限が設けられている。
無数の水弾で弾幕を張り、それらを玄悠様が目にも止まらぬ速さで次々に叩き割り、その視界が遮断されている隙に再接近。
姿勢も低く落とし、地表すれすれを縫って、僕は反撃の隙を窺う。
そうして距離が詰まってきた瞬間、弾けて目隠しの帳を作り出していた水弾の残骸が、不意に消えて無くなる。
錯覚でも何でも無い。
弾け飛んで地面へ向けて落下していた水弾の残骸。
それらが一斉に動きを止め、凄まじい勢いで玄悠様が上向けた掌に収束したのだ。
まるで世界が一度停止し、逆再生されたかのような光景。
あたりを覆い尽くしていた水の帳が全て消え去り、視界がこれ以上無い程に明瞭となる。
(――っ!!大人気ないっ)
玄悠様の周囲を覆っていたはずの水弾。
僕の放った霊力が玄悠様の持つ力で一瞬で掻き消された事実に、思わず心のうちで怨嗟を吐く。
目の前には、口端に笑みを蓄えた玄悠様。
僕も勢いをつけて接近している以上、これはもう躱せない。
玉砕覚悟で遮二無二突っ込むしか無い。
超至近距離で繰り出される多彩な技に翻弄されながらも、やや大振りになった上段からの一撃を何とか躱す。
若干前のめりになった玄悠様が引き寄せた木刀を手繰るようにして、一気に相手の懐へと潜り込む。
「⋯⋯この程度の罠にかかるとは、まだまだ甘いな」
この稽古の勝利条件。
相手の胸に取り付けられた小皿めがけ、斜め下から袈裟懸けに木刀を振り上げる。
その瞬間、目の前にいたはずの玄悠様に距離を空けられ、逆にその木刀が鋭い突きとなって目前に迫ってくる。
間一髪、刀身の代わりに滑り込ませた柄の部分で何とかその先端を受け、苦しい体勢ながらも何とか受け流す。
だが、体勢が悪すぎることで全く踏ん張りが利かず、自身の木刀を体にめり込ませた状態で吹っ飛ばされ無様に転がされる。
「そこまで!! 悠月の小皿全ての破損を確認。よって、今回も玄悠様の勝利です」
審判役の颯が高らかに僕の敗北を宣言する。
荒い呼吸を整えながら上を向けば青い空と太陽が眩しく、背中から伝わる地面の温もりが心地良い。
汗が滲んだ肌にも、それが沁みた服にもべったりと庭の土が付いている。
これは、帰ったら小雪に怒られるんだろうな。
(⋯⋯どんなに必死になったところで、敵うわけもないんだ)
分かっている事実。
もっと、ずっと前から知っていた事実を前に、驚くほど何の感情も浮かばない。
負けはしたが、それが当たり前のこととして受け入れられるからこそ、気分は清々しかった。
「⋯⋯ありがとうございました」
「太刀筋・動きともに悪くは無かった。が、諦めが早い。天宮姓を持つのなら甘えは捨てろ」
玄悠様に手を貸してもらい、僕は立ち上がる。
嗄れた手は大きく、そして積み上げた年月の重みを伝えてくれた。
「お疲れ、悠月。今回は肘だったけど、玄悠様の皿を1枚割るって、お前やっぱすげーな」
「ありがとう。ほら、次は颯の番だよ」
「よっしゃあ。お前の仇は俺が取ってやる!」
颯と審判役を代わって開始の合図を出し、颯が勢いよく突っ込んでいきなり玄悠様に頭の皿を割られるのを眺めながら、僕はぼんやりと考える。
――ここに来てもう2年も経つのか、と。
2年前、8歳の時に僕は留学という名目でこの国、中京国の王都・臨祠に来た。
事情も良く分からないまま、詳しい説明も受けないままに、国元の大人達に送り出された形だ。
その時は留学という名目に疑いを持たなかったが、さすがに10歳ともなると自分の境遇も分かってくる。
留学というのは建前であり、実質的には人質としての身分⋯⋯だという事を。
僕の国は中京国より東にあり、西の国境線で中京国と接し、北では華国と国境を接している。
そして、僕の国と華国は非常に仲が悪い。
常に緊張状態にあるなか、4年前に華国と領土問題を巡る外交が決裂。
強硬的な意見が高まっていた中での外交決裂は、そのまま戦争への引き金を引いた。
⋯⋯そして、僕の国は大国である華国の物量戦を前に、呆気なく敗北。
出撃した将の大半は戦死し、10万規模と呼ばれた遠征軍も帰還時には1万にも満たないという、歴史的な大惨敗だったらしい。
当時の僕は6歳で詳しいことはあまり教えてもらえなかったが、その大戦で父様とお祖母様が死んだということだけは覚えている。
一族からも多くの戦死者が出たことで家中は悲しみに沈み、僕も家を出ていく時の父の後ろ姿を思い出しては泣いた。
――それから2年、僕が8歳になった年。
辛くも国力を立て直した僕の国は、汚名を雪ぐために華国への報復戦を敢行。
立て直したとはいえ、当時の国力を鑑みれば二重戦線を展開する余裕などは無いに等しい。
結果、僕の国の大人達は苦肉の策として、中京国に背後を衝かれないよう、国王である玄悠様の元へと僕を人質に出したのだ。
人質生活が続いているこの2年間、僕の国は厳しい戦いを続けている。
戦況は偶にしか知らされないが、それでも要所要所で勝利を収めているらしい。
ちなみに、玄悠様は僕にとっては祖父の兄、つまりは大伯父にあたる方。
薄いながらも血縁関係があるからか、人質といっても粗略な扱いを受けることはなく、生活の大部分は中京国が保障してくれている。
また、玄悠様の配慮で颯のような同年代の学友も出来た。
そして、学友といえばもう一人⋯⋯
「ぼぉーっとしてどうしたの?」
少女が僕の隣に来て腰かける。
彼女の名前は西ノ宮雅楽。
僕や颯と同じ10歳で、この国の王族の一人。
やがてはこの国の行政を取り締まるであろう一人で、こうして横に座っていても僕とは違う世界に住んでいると言っていい。
ちなみに、颯の名字は北ノ宮といい、彼も王族の一人だ。
「別に。何でもないよ」
雅楽は日本人形のような艶のある長い黒髪にパッチリとした目が特徴的な美少女で、目を見て話すと少し恥ずかしい。
たまに見せる悪戯っ気のある顔も愛嬌があり、見ていて思わずはっとさせられる。
「ふ~ん、悠月は私に隠し事するんだ~。私、悲しいな~」
「あ、いや、そんなんじゃなくて⋯⋯」
少し唇を尖らせて覗き込んでくる雅楽から目を逸しつつ、僕はこの場を逃れる物がないか周囲を見回す。
と、そこへ丁度良く玄悠様に打ち倒された颯が転がっているのが目に入った。
「そ、そこまで!!颯の全小皿の破損を確認。玄悠様の勝利!」
僕は審判役だったことを思い出し、終了を宣言する。
そうして、そのままさっさと雅楽から遠ざかる。
「颯、大丈夫?」
「くっそー、今回も悠月と二人がかりで1枚しか割れなかったかー」
大の字に寝転がったまま悔しがる颯は、割と大丈夫そうだ。
颯や雅楽には悪いが、仲の良い姿を玄悠様に見せるのも僕にとっては重要な事。
⋯⋯本当に仲が良くなったとしても、決して忘れてはいけない。
僕と2人は立っている場所も、世界も違うことを。
「二人がかりで1枚って、今回も颯は1枚も割れなかったわけね。そんなんじゃ竜臣様のようになるなんて夢のまた夢ね」
「うっせー、雅楽。俺は父ちゃんなんか目じゃないほどの名将になるって言ってんだろーが」
「はいはい。100年後くらいになれればいいわね」
満面の悪戯顔で雅楽が颯をからかうのも、この2年で見慣れた光景になった。
二人と知り合ったばかりの頃は仲が悪いのかと思っておろおろしたものだが、2年も一緒にいると仲が良いからこそのものだと分かる。
ちなみに、雅楽の言った竜臣様は颯の父で、この国きっての名将と謳われる方だ。
今は玄悠様の代わりに軍を率いて西へ遠征中、王都である臨祠にはいない。
「三人共。じゃれるのはいいが、そろそろ座学の時間だろう。早く行かないと氏雅に叱られるぞ」
延々と続く颯と雅楽のやり取りを、いつの間にか側に立った玄悠様が止めに入る。
まったく気配も物音もさせず、気づけば側に立っている。
さっきの稽古でもそうだったが、僕の霊力を一瞬で掻き消すほどの特異な力を持っている玄悠様。
そんな玄悠様に、勝てる日はくるのだろうか。
⋯⋯分かっている、そんな日が来るはずもない。
僕はただこうして、大人達の都合という名の鳥籠の中で生きていくだけだ。
「いっけない。お父様に言われて悠月達を呼びに来たんだった」
「げっ、座学って苦手なんだよな⋯⋯」
「優れた将になるためには教養も必要だ。竜臣のようになりたければ精進せよ」
「⋯⋯努力します」
「ほら、悠月。ぼーっとしてないで行くわよ!」
「「「玄悠様、ありがとうございました」」」
雅楽に急かされ、玄悠様に見送られながら、僕は物思いに耽るのを止めて氏雅様の元へと急ぐのだった。