第24話 戦姫の本気
「どうした、呆けていていいのか?」
右目に傷痕のある男。
尾張市中で足を踏んできた、僕らが寝ていた部屋から見えた、あいつ――。
平然と、淡々と守備兵を惨殺した狂人。
にも関わらず、こうして対峙しても男から狂ったものは感じられない。
感じるのは心が無いのかと思うほど冷え冷えとした眼差しと、血生臭さを一切感じさせない佇まいだけ。
人間を物だと考えているのではないかと思うほど、果たして僕は人間として映っているのかと思うほどに、男は冷淡な視線を向けてくる。
「動かないのであれば、終わらせよう」
「――っ!!」
真下から振り上げられた男の一刀を、上体を反らせて間一髪で躱す。
反射的に体が動いただけで、意図したわけじゃない。
⋯⋯どういう事だ?
男とは十分な距離があり、その霊刀が届くような距離では無かった。
空蝉を使ったのだとしたら、必ず空間に揺らぎが発生するから察知出来る。
なのに、男が目の前で霊刀を振るうまで察知出来なかった。
向こうが動いて距離を詰めてきた以上、何かしらからくりがあるのは間違いない。
けれど、それが何なのか――。
それが分からなければ、次も躱せるとは限らない。
死を察知した本能が警鐘を鳴らし、先程の決意が間違っていない事を伝えてくる。
実戦の凄まじさに怖気づく事は死への最短距離。
強者と遭遇してしまった以上、決意等は最早関係なくなった。
先程までの甘い考えは通用せず、乗り越える選択肢しか僕には用意されていない。
僅かに斬られた自分の前髪が空中に舞うのを見ながら、男の間合いから逃れて距離を取る。
「⋯⋯悪くない動きだ」
男は何かを確認するかのように、刀身を持ち上げ光へと翳す。
反射した光が眩しく映るけれど、その動向から目を離す事はしない。
男を収める視界の隅、そこには小雪がいて僕よりも僅かに前に出ている。
僕の視界を塞がず、けれども次に男が僕に向かって動いた時には側面から斬り込める位置。
男の一挙手一投足を見逃さないようにしているのは僕だけじゃない。
極限まで集中した小雪が纏う空気は、まるで張り詰めた糸のよう。
ぴんと張られたその糸に触れた物、そこに踏み込んだ者に小雪が容赦する事は無いのだろう。
断ち切ろうと踏み込んだ者には、剣姫と並んで戦姫と称される小雪の一刀が待っている。
「無駄な事をするな、女」
「ぐっ、ぅ」
小雪に隙は無く、その集中も途切れてはいなかった。
僕も男から視線を切る事無く、その全身を視界に収めていた。
にも関わらず、気付けば男が眼前に現れ、その刃が僕へと肉薄している。
やはりそのからくりは分からず、小雪も反応しきれていない。
そうなれば小雪の援護は間に合わず、しかも悪い事に先程と違って男が刀を2度振るう。
一太刀目を躱すも返す刀で放たれたニの太刀が、僕が着ている衣服を掠める。
「逃げてばかりでは、つまらんぞ」
再び距離を取ろうとするも今度は猶予を与えないつもりなのか、瞬く間に男が距離を詰めてくる。
逃げては追われ、追われては逃げを繰り返す度に男が放つ斬撃が増えていく。
その間にも小雪が阻止しようと奮戦しているが、どういうわけか小雪の攻撃は一太刀として男には届かない。
小雪の存在を居ないも同然とする男の技量⋯⋯いや、それだけじゃない。
廊下という狭い空間で、立ち塞がる小雪をまるで意に介さない。
気付けば小雪をすり抜けて目の前に迫る男の動き。
そこにからくりがあるのだから、現状を紐解く鍵は必ず見える範囲にあるはず。
けれど、男の猛攻は考える猶予を与えてはくれない。
「――つぅ!!」
何度目かの攻防。
ついに男の振るう刃が僕の頬を薄く切り裂き、焼けるような痛みと共に一筋の血が頬を流れる。
手の甲で血を拭い、無駄だと分かっていながら距離を取る。
けれど、今度は男は追ってこない。
刀身に付着した僕の血を眺め、その場に留まっている。
頻りに刀身を動かしては様々な角度から光を当て、何をそんなに見ているのか。
「これが天宮家の血か。天宮家の人間に流れる血も赤いのだな」
一体何に感心しているのか、むしろ男の方にこそ赤い血が流れていないのではないか。
男が刀に付着した僕の血を指で掬い舐め取った瞬間、全身の皮膚がさざ波立つ感覚に襲われる。
それは男に対してではなく、その向こうにいる者に対する恐怖。
決意も覚悟も呆気なく押し流してしまう、恐ろしいまでに次元が異なる存在に対する、潜在的な恐怖と言うべきもの。
視界が揺らぎ、廊下の床が陥没したような錯覚。
床が破砕するような、罅割れる音が響き渡るような幻聴。
それらを生み出す、圧倒的なまでの存在感。
それは全身に炎を纏ったと勘違いさせるほどに濃密な霊力を溢れされる、戦姫。
「無駄な事はするなと言ったが⋯⋯。なるほど、それがお前の本気か」
「坊っちゃんに傷を負わせた事、死んで後悔してください!!」
怒りを爆発させた小雪の霊力が僕らの周囲を埋めつくし、空気が震えている。
まるで押し潰されるような重々しい空気に、息が出来ない。
才ある者にだけ与えられる、霊力の特殊属性。
【空】【地】【央】の3つのうち1つでも適正があれば天才と言われるなか、有り得ない事に【空】と【地】に適正を持つ小雪。
押し潰される感覚というのは、比喩でも無ければ錯覚でも無い。
重力と圧縮・拡張を司る小雪には、それを現実のものとするだけの実力がある。
その証拠に小雪を中心とする狭い範囲では廊下の床がひび割れ、陥没し始める。
霊力の消耗などお構いなし、後先の事を考えるのを止めた小雪の本気。
「来い、女。少し遊んでやる」
ぷつん、そんな音が聞こえた気がした。
小雪の姿が完全に消失し、次の瞬間には男の頭上から愛刀である『白狼』を叩きつける。
小雪が消えてから現れるまで、男の時と同様に空間の揺らぎは感じられなかった。
小雪もまた空蟬ではない、僕も一度だけ見せてもらった技を使ったという事。
空蟬を遥かに凌ぐ速度と隠密性を備えた、小雪が編み出した技。
その奇襲に対し男は焦るでもなく、自らの霊刀をかざして小雪の攻撃を防ぐ。
「お前も『刻』持ち⋯⋯いや、それに通ずる力か?どちらにせよ、面白い」
「よく喋るその口から切り落としてあげましょうか!」
「それも良いが場所を変えよう。足手まといが居ては、お互い楽しめないだろう」
頭上で小雪の刀を受ける男の足元、その地面が陥没する。
その陥没は徐々に広がっていき、やがて男を中心に床が抜け落ちる。
「小雪!」
「⋯⋯すみません、すぐ戻ります」
刀を交えているため離脱は難しいと見たのか、微かに笑みを残して小雪は男と共に階下へ落ちていく。
慌てて穴の側に駆け寄って下を覗き見れば、そこでは早くも小雪と男が縦横無尽に激しい戦いを展開している。
⋯⋯先程、男が口にした『刻』という単語。
そして、廊下に空いた穴。
穴の周囲に残った床材や内部に隠されていた梁など。
手に取ったり触れてみたそれらは⋯⋯腐っていた。
そう都合よく、この部分だけ腐っていた事なんてあるものなのか?
それに、この腐り方は腐敗したというよりも、経年劣化による老朽化に近い。
⋯⋯確証を得るためには僕も下の階に行くしか無いが、僕は邪魔になるだけじゃないのか。
男の言う通り、本気になった小雪にとって僕は足手まといじゃないのか。
「おや?おや、おや、おや、おや?まさか、いえまさか。御曹司がこのようなところに一人で??」
行くか行かないか迷っている間に、事態は次なる変化を見せる。
声がした方を見れば、そこには3人の男。
「⋯⋯誰だ?」
念のため確認すると、真ん中の男が一歩前に進み出る。
真ん中の男が他2人の頭目というわけか。
「これは!これは、これは、これは!わたくしとしたことが。大変、大変、大変、大変、失礼を致しました。わたくし、金閣と申します。以後、どうぞ、どうぞ、どうぞ、どうぞ!お見知りおきを!」
金閣と名乗った男は、戦場に似つかわしくない優雅な挙措で頭を下げる。
上げたその顔は抑揚の強い言葉遣いとは対照的。
能面でも貼り付けたような、不気味な程に何の感情も感じさせないものだった。




