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月花の君 ~月明かりに、君を待つ~  作者: suimya
第1章 月浮かぶ静寂に、始まりを告げる
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第22話 思いは遠く、現実は厳しく、心は悲しく



 しまったな⋯⋯

 完全にやらかした⋯⋯



 首筋目掛けて迫る刃が視界に映っている。

 1秒が引き延ばされるような感覚の中、その動きは緩やか。



 軌道上に刃の残像が映し出され、ゆっくりと死の気配が迫ってくる。

 けれどもそれを防ぐ事は出来ず、1秒が何倍に引き延ばされようとも2秒後には終わりがやってくる。



 緩やかになった世界の中では僕の動きも緩慢で、防御が間に合わない。

 抜いた刀も、今からでは滑り込ませるには遅すぎる。



 水蒸気の向こうに見えた、僕に刃を振るった敵の顔。

 その見覚えのある顔に愕然とし、一瞬でも動きを止めてしまったのがいけなかった。



 ⋯⋯そろそろ時間か。

 覚悟を決め、目を閉じる。



 暗闇の中で、刃が作り出す風切り音だけが聞こえる。

 ゆっくりと、でもはっきりと――



(諦めるのは早いんじゃないかな?)


「止まれ――」



 ⋯⋯今のは、僕の声だったのか?

 脳内で霞の声が聞こえたのと同時に、口から零れ出た言葉。



 一瞬、霞の声のような気もしたが、今のは間違いなく僕が発した声だ。

 そしてその一言で、僕の首筋に迫った刃がぴたりと止まっている。



 あと少しで僕の首筋を切り裂くその距離で、何かにぶつかったかのように動かない。

 その様はまるで手合わせの時に玄悠様が見せる、あの力と同じ。



 それを、僕が⋯⋯?

 想像すらしなかった現実を前に、意外過ぎるその事実を前に呆けてしまう。



 けれど、それも長くは続かない。

 霊刀による斬撃を諦めたのか、至近距離で敵の掌に炎が生み出される。



「止まれ⋯⋯止まれ、止まれ⋯⋯止まれっ!」



 敵の掌から放たれた無数の炎弾に対し、先程と同じ言葉を繰り返す。

 たったそれだけで、炎弾は空中に縫い付けられたように動かなくなる。



「おのれ⋯⋯小癪なっ!!」



 理解不能な謎の力で攻撃を悉く防がれた事による焦りなのか、敵の表情が怒りに染まり、その瞳は激しい殺意を顕にし始める。

 手を伸ばせば届く距離で見せつけられる、悪鬼の如き表情。



 思わず気圧され怯めば、敵の攻撃を留めていた力も緩んでしまうものなのか。

 それとも、留めていた力は元々制限があるものだったのか。



 止まっていたその刃が、無数の炎弾が、一斉に襲いかかってくる。

 けれど――



「さようなら」



 その攻撃が、僕に届く事は無かった。

 いつの間にか敵の背後へと回り込んでいた小雪が放った一刀、その鮮やかな太刀筋で敵の首が切り落とされる。



 そのあまりの早業に、敵は自分が死んだ事に気付いていないのか。

 その悪鬼の如き表情は変わらず、ずるりと前に落ちた首が、僕の目の前に落ちてくる。



 見なければ良かったと思っても、もう遅い。

 落下してくるその表情は網膜へと焼き付き、足元に鮮血を撒き散らす。



 首が切り離された胴体からは血の噴水が起こり、僕の髪や顔を激しく汚す。

 鉄臭さと、血に塗れた気持ち悪さが、否応なく僕に現実を突き付ける。



 ――これが、実戦。

 ――これが、人を殺すという事。



 首が落とされ、時間の差を埋めるようにして床に転がる体。

 その向こうに見えた、頬と暗めの茶髪に返り血を浴びた小雪の姿。



 そこにはいつもの柔らかく優しい笑みは無く、美しいまでに澄み切った殺意だけがある。

 鋭い眼差しと殺意の残滓を漂わせる、戦姫としての小雪がいた。

 


 実戦の凄まじさと死への恐怖。

 嫌悪、嫌忌、厭悪、不快、憔悴、憤怒⋯⋯ありとあらゆる負の感情が腹の底から湧き上がってくる。



 そして敵の死体から漂ってくる強烈な血の臭いと、排泄物の汚臭が更にそれを助長する。

 誰かの両手で胃を揉まれまくった挙げ句、握り締められるような感覚に堪えられず――



「うっ⋯⋯おえっ」



 僕は吐いた⋯⋯吐き続けた。

 吐瀉物は何も出てこないが、とにかくこの気持ち悪さを吐き出したかった。



 ⋯⋯僕は、何も分かっていなかったんだ。

 僕以外はみんな倒れている敵のように、いつ死ぬか分からない死線を潜り抜けて今日に辿り着いていた。



 その事実から目を逸らし、あたかも悲劇の主人公のように振る舞った。

 何もせず、何も出来ず、何をすべきかも分からないくせに、懸命な努力をしていると思っていた自分。



 他人の優しさを担保に、狭い視野で一人前ぶった自分。

 知らない事実を知ろうともせず、小雪に全てを任せっきりだった自分。



 それすらも正しく認識せず、狭い世界で満足しきっていた自分。

 実際には安全な場所で、安全な範囲で、安全を気遣われ、安全に遊ばれていたというのに――。



 恥ずかしいくらいに道化だった自分と、どうしようもないくらい屑だった自分。

 何でもいいから、どこへでもいいから、そんな自分を捨ててしまいたかった。



 でも、どんなに吐き続けようが何も出て来ないし、何も捨てられはしない。

 それが分かっていて尚、僕は必死に、何かに縋るように吐き続ける。



 こんな時でも、そんな事無いと誰かに言って欲しいと願っている浅ましさ⋯⋯そんな考えしか出来ない僕が⋯⋯僕は嫌いだ。

 間近で見た実戦の酷烈さを前に思考は崩壊し、早くも僕の心は折れかかっていた――






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