第19話 未来は決まらず、会議は踊る、されど進まず
「いつ、戻った?」
「昨日の夕刻に。既に庁舎が閉じていましたので、今日ご報告に上がった次第です」
「そうか⋯⋯。通告も無し、か」
お祖父様は僕と小雪を見た後、視線を虚空へと漂わせながらぽつりと呟く。
その表情や仕草から察するに、僕の帰国に対して不快なものを感じているよう。
何を考えているのかは分からないが、常に何かしらを考えている人物。
百数十年振りに『白龍』に選ばれ、龍眼を宿した天才。
ずば抜けた才知で大京国を支える、中京国王の王弟。
僕のお祖父様、天宮悠雲と面識のある人は皆、口を揃えてそう言う。
「どちらにせよ、よく戻った。幾つか聞かせてくれ」
帰国を労ってくれるあたり、僕が勝手に帰ってきた事を怒っているのでは無さそう。
そもそも、きちんと玄悠様に帰国の許可を貰って戻ってきている以上、勝手に帰国したわけでもない。
おそらくお祖父様は人質を帰国させるにあたって何の通告もしなかった、中京国の対応に不信感を抱いている。
同盟国の人質を帰国させるにあたっては、その理由を添えて通告を出すのが慣例。
人質の1人や2人といった話ではない。
人質に関しては歴とした国家間の外交であり、外交に含まれる事柄であれば締結された批准書に基づいた処理が行われなければならない。
今の大京国を取り巻く環境を考えれば、お祖父様が不信感を抱くのも仕方が無いというもの。
お祖父様が今知りたがっているのは、玄悠様を頂点とする中京国首脳陣の考えだろう。
「北陸で展開する5万と、国境に配されている近衛軍2万についてだが――」
広げられた地図には中京国で見たものと同様に、様々な記号や数字が書き込まれている。
それだけでなく各軍の予想進路も書き記されており、おそらくお祖父様の龍眼によって未来の情報を得たのだろう。
「北陸の中京軍は華国へ攻め込む軍勢です。竜臣様が率い、進軍を開始するのは今から3、4日後でしょう」
地図を見る限りでは、最低限必要となる大まかな情報は揃っている。
あと必要なのは、中京国の細かな内情といったところか。
僕と小雪は臨祠から尾張まで来るのに、6日を費やした。
そして、僕が玄悠様に帰国の許可を貰った日に竜臣様の北陸出陣が7日後に決まったと、あやめ様が教えてくれた。
つまり、竜臣様が王都から北陸に発つのが明日。
現地に到着してから軍制や指揮系統、部隊の再編などを行う事を考えれば――
「まぁ、そんなものだろう」
お祖父様の手で地図の北陸部分に、新しく赤文字で数字が書き加えられる。
あっさり頷いたところを見るに、こちらに関してはお祖父様にとっても妥当な線だったのだろう。
それに、この話の拘るべき核心はそこじゃない。
核心となるのは情報伝達における時差であり、そこにこそ中京国の狙いがある。
中京軍がこの時に華国に攻め込めば、怒った華国の矛先がどこへ向くか分からない。
はっきり言って今回の中京国の行いは、同盟国である大京国の利益をぶち壊す可能性がある。
そうなれば、国家としては体裁が悪い。
かといって正式な窓口から通達を行えば、大京国側が猛抗議するのは目に見えている。
国家間の正式外交では互いの面子が立つ落とし所を探さねばならず、非常に面倒くさい。
正式な外交では結果を得難い、そう玄悠様は考えたはず。
とはいえ、一方的な悪者にはなりたくない。
正式が難しいのであれば非正規、つまりは搦め手ならどうだろうか。
自国の国益を模索する上で、玄悠様がそう考えてもおかしくない。
今回で言えば人質である僕に情報を与えてから、帰国することを許可する。
そして国家として正式な通達は出さないまま、人質の口から大京国首脳部へ情報を共有させる。
たったこれだけの事で中京国は人質の無条件開放と、完全なる不意打ちでは無いという事実を得るのだ。
もちろん各国はそのように見ないだろうが、中京国にとっては情報を共有した事実があればそれでいい。
文句を言ってくる国があるようなら、力で黙らせればいいのだから⋯⋯。
「⋯⋯中京軍が華国に攻め込もうと、どうこう出来る力は我が国には無い。それよりも今は近衛軍の方が問題だ」
帰国を焦ったか⋯⋯その後悔が僕にはある。
それを読み取ったのか、言外に気にするべきでは無いとお祖父様は言ってくれた。
仮に完全な不意打ちだったとしても、大京国の国力ではどうする事も出来ない。
だから今、目を向けるべきはそこではないと――
「お祖父様の龍眼では、どのように?」
「未来が複雑すぎて見えん。だが、不味い事に尾張からも兵6千が抜かれている」
「6千も⋯⋯」
「北陸方面の備えに大都督が当たっていてな。指揮下の1万に中央から4千、尾張が6千を出して計2万で備える事になっているのだ」
たしかに地図上では、尾張からも岐阜北部へ向けて矢印が引かれている。
⋯⋯なるほど、第6都督は最初から在庁ではなかったのか。
それにしても、龍眼の未来視でも見えない未来というのは警戒すべきだ。
近衛軍の動向にばかり注視しているが、第6都督の出陣や今後の政府中央の動きが未来を複雑にしている可能性もある。
「お祖父様は後詰めですか?」
「正式にでは無いがな。中央の事は凪に任せてある。凪であれば判断を間違う事はあるまい」
有事の際に最も怖いのは、現場から離れた中央が間違った命令を出す事。
刻々と状況が変化していく現場と違い、中央は数字でしか物事を判断できない。
損耗率や達成率だけを見て現場指揮が乱されるような事があれば、現場の将兵は戦いどころではなくなる。
それは、実際に武器を手にして立ち向かってくる敵よりも遥かに恐ろしい。
だが凪様ならば、そういった心配はしなくていいだろう。
凪様が政権中枢に入ったのならば、余程の事が無い限り中央が状況を読み誤ることはない。
となれば、事が起こるとすれば中央ではなく現場からという事になる。
今の尾張には軍事・行政両面の最高責任者がいない。
お祖父様も正式な後詰めではないらしく、そうなれば全権を掌握しているわけではないだろう。
今の尾張には、虚を衝かれるに十分な間隙がある。
「6千を呼び戻せないのでしょうか?」
最悪、兵6千は無理でも第6都督を呼び戻せるだけでもいい。
そうすれば未来における不確定要素が減り、お祖父様は自由に動けるようになる。
それだけでなく、龍眼による未来視で起こる事を知れる可能性も高まるだろう。
だが、お祖父様はゆっくりと首を振る。
「無理だな。王族共は国の事など、これっぽっちも考えていない」
⋯⋯どうやら今回の件には王族が一枚噛んでいるらしい。
伯雷様が出陣している事で、六卿以下の王族共が権柄に触れ始めたという事か。
次卿とはいえ、所詮天宮家は外臣の家柄。
中京国王の王弟であるお祖父様を、中京国の利益を図る者としてこき下ろし、王族共が好き勝手し始めたのかもしれない。
「話を聞けば、何か分かるかとも思ったのだが⋯⋯これ以上は時間の無駄か」
「有益な情報が無く、申し訳ございません」
「いや、十分だ。近衛軍が我が国に対する備えなのは間違いない。改めて近衛軍を探らせてみよう」
近衛軍が問題だというお祖父様の発言に対し、話の内容は国内情勢に終始している。
僕も近衛軍に関する有益な情報は持っていないし、国内の事柄においても手詰まりに近い。
お祖父様の言う通り、これ以上話を続けても結論が出る事は無いだろう。
結論が出なければ、龍眼による未来視も今までと何ら変わらない結果しか齎さない。
脅威である近衛軍を改めて探る事が、現状における手立てとしては最も有効。
お祖父様のその考えに異を唱えるつもりは毛頭無い。
けれど、本当にそれが最善なのか。
何かもっと、足元の重要な事を見落としているのではないか。
答えに指先が引っかかっていそうなのに、それを言葉に出来ない気持ち悪い感覚。
釈然としない、もどかしさを感じずにはいられない。
「何が起こるか分からん。来賓用の一室が空いている。宿は引き払い、今夜は庁舎に泊まるように」
喉元まで出てきていたとしても、それを明確な言葉に出来なければ、龍眼を持つお祖父様相手に説明する事は出来ない。
結局この場では、お祖父様の言い付けに従うしかなかった――。
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「⋯⋯戻ったのですね、銀閣」
仄暗い、日の光が届かない部屋の中。
銀閣と呼ばれた男が、音も無く暗闇の中から姿を現す。
その姿には一度見れば忘れられない、大きな特徴があった。
それは、右目を切り裂くようにつけられた大きな傷跡。
「どうでしたか、かの御曹司は?」
「⋯⋯あんなのを本気で殺るってのかよ、金閣」
「あの方⋯⋯あぁ、あの方のご命令です」
今回の仕事に不満がある事を伝え、金閣から返ってきた答えに銀閣の顔が僅かに曇る。
その意中の全ては分からなくとも、表情には嫌悪感が滲んでいる。
「ったく、おひい様の考える事は分からねぇな」
「あなた⋯⋯あなた、あなた、あなたが⋯⋯あの方の考えを知る必要はありませんよぉ」
興奮しているのか、金閣の喋り方が常軌を逸し始める。
それを眺める銀閣の表情には嫌悪感が貼り付いたまま。
けれど、仕事として割り切ったのか、その表情から先程までの曇りは感じられない。
どのみち実行する事に変わり無く、であればと覚悟を決めたのだろう。
「ま、ちょっとは楽しませてくれよ⋯⋯天宮悠月」




