第18話 龍眼の持ち主
閉じた目に、朝の光が眩しい。
昨日の夜には星空が綺麗に見えていた窓からは、室内いっぱいに朝の日差しが差し込んでいる。
「うーん⋯⋯」
今が何時か正確には分からないが、まだ人々が活動を始めるには少し早い時間だろう。
大通りからの喧騒は昨日同様にほとんど聞こえず、奥の部屋ということで宿屋で働く従業員や宿泊客の声なども聞こえない。
だが、毎日同じ時間に宮中に上がっていた僕の体内時計では、今暫く寝ていても問題ない時間だった。
そう思って再び眠ろうとするが⋯⋯やはり、日差しが眩しい。
(これは、何だろう⋯⋯)
そして、朝の日差し以外にも僕が眠りに落ちるのを妨げるものがある。
意識がうっすらと覚醒した時から感じる、心地いい柔らかな温もり。
このまま再度眠りに落ちるつもりならら、絶対に目を開けない方がいい。
そう思いつつも好奇心には勝てず、薄っすらと目を開けてしまう。
(えっ――)
思わず、声が出そうになった。
何故なら、僕は思いっきり小雪に抱きしめられながら寝ていたのだから。
(たしか昨日の夜は⋯⋯)
混乱する脳みそを叩き起こし、寝る前の状況を思い出す。
流れ星を見た後、それぞれの布団に入って寝たところまでは覚えている。
そうしてそのまま、何か起こるでも無く今に至っているはず。
いや⋯⋯たしか夜中に小雪が手洗いに行くと言って、一度出ていった気がするようなしないような⋯⋯。
そこまで思い至って僅かに上体を起こし、並べて敷かれている布団を見やる。
そこに小雪の姿はなく、主のいない乱雑に放置された布団があるだけ。
手洗いから戻ったあとに寝惚け、間違えて僕の布団に入ってしまったのか。
それにしたって、この状況というのは色々不味い。
まだ小雪は寝ているけれど、この状態のまま起きたらどうなるか。
寝相によるものだろうが浴衣の裾がめくれたりで、小雪は今色々と際どいことになっているのだ。
「うーん、坊っちゃ~ん」
小雪を起こさないよう気を付けながら、その腕の中から抜け出そうとした時。
不意に発せられた寝言と共に、更に強く抱き締められる。
「そんな⋯⋯坊っちゃん~」
一体、どんな夢を見てるんだ。
くそっ、何とかここから⋯⋯そう思って踠くも、びくともしない。
その華奢な細腕の一体どこに、こんな力があるのか。
不思議になるくらいに強い力で抱き締められたまま、僕が最も怖れていた時がやってくる。
「あれ⋯⋯坊っちゃん?」
寝ぼけ眼をこすりながら⋯⋯小雪が目を覚ました。
夢の続きだとでも思っているのか、まだ反応は鈍いが、それも時間の問題だろう。
現に眠そうにしていた小雪の目が徐々に開いていき、夢現から現実へと意識が傾いていく。
そして、これが夢ではないことを理解したと同時にはっきりと目が見開かれ――
「えっ!?えっ!?」
「お、おはよう。小雪」
顔を真っ赤にして取り乱す小雪に対して極力冷静に、気にしていない風を装う僕。
だが小雪の混乱は極限を迎えており、僕の声が聞こえているのか⋯⋯いや、これ聞こえてないな。
「うっ、うわわっ。す、すみません⋯⋯」
慌てた小雪が僕から離れようと、急いで起き上がる。
だが、それは今の状況下においては最もやってはいけない悪手だ。
もともと寝相によって小雪の浴衣は相当にはだけており、色々と際どかった。
その状況で慌てて動けばどうなるか。
「きゃ、きゃあああああ」
⋯⋯僕らの朝は、小雪の絶叫から始まりを迎えたのだった。
******************
「では、こちらで少々お待ちください。」
物腰の柔らかな中年の男性が会釈をして退室していく。
ここで待つように言われた僕らの前には茶と茶菓子が一組ずつ。
室内は立派な装飾品が置かれ、部屋としての品格の高さを窺わせる。
さすがは庁舎の応接間とでも言うべきか。
外来に対する庁舎の顔とも言うべき、金のかけられた応接間に感心しながら小雪の様子を伺う。
その小雪は黙ったまま俯き、朝食の時も通りを歩いている時もこんな調子で、正直に言って気まずい⋯⋯
「大丈夫?」
「うぅ、消えたいです⋯⋯」
小雪はまだ朝の衝撃から立ち直っていないのだ。
何度か一緒の部屋で寝たとはいえ、僕だって今朝の出来事に対しては動揺したままだ。
「都督殿が来たら、ちゃんとしてね」
「は、はぃ⋯⋯」
⋯⋯ダメだな、これは。
何とか動揺を抑え込んで表に出さない僕と違って、小雪のそれは一目見て何かあったと分かってしまう。
僕らは宿屋を出ると尾張の中心部たる大通りから、北部区画へと向かった。
北部区画に何があるかといえば、そこには政治庁舎がある。
ほぼ全ての町において政治の中心は町の中心部ではなく、北側か東側にある。
実際、中京国の王都である臨祠においても北側に王城が聳えていた。
尾張も政治の中心となる庁舎は北側に設けられている。
その庁舎からは尾張だけでなく、東海地方一帯の政令が発せられる。
大京国の東海地方府とも言うべき庁舎を管理するのは、都督と呼ばれる官職に就く者。
都督には広範な権限が認められていて、地方行政を監督すると同時に東海地方の兵権をも握っている。
都督は大都督を含めて6人いて、僕らが訪ねたのは第6都督。
強力な権限を有する第6都督に帰国した事を伝え、道中の様々な事を調整してもらえるようお願いに来たのだ。
⋯⋯それにしても、遅いな。
先ほどの男性の話では在庁という事で、すぐに来てくれるとのことだったけれど。
暇を持て余し、改めて小雪の状態を窺う。
あぁ⋯⋯うん、いつまでダメなんだ、これ。
沈みきった小雪相手に話しかけられる雰囲気でもなく、無言のまま時間だけが過ぎていく。
いつ第6都督が来てもおかしくない以上、応接間を歩き回る行為は慎むべき。
つまりはこのまま待ち続けるしかないわけだが、これはさすがに辛い。
小雪から漂ってくる、重苦しい雰囲気に耐えきれなくなってきた時――
「待たせたな」
ゆっくりと部屋の扉が開かれる。
遅すぎる⋯⋯そんなことを一瞬考えるも、すぐにその考えを脳裏から消し去る。
考えたことは仕草や佇まいなどを通して態度に出る。
飽きるほど人を見てきた人物というのは、有り得ない鋭さで内面や考えている事を見抜いてくる。
僕らは多忙を極める第6都督を相手に、これからお願い事をしようとしている身。
第6都督とは初対面であるため、最初の印象が最悪では話にならない。
「この度はご多忙の折にも関わらずお時間を割いてくださり、ありがとうございます」
第6都督の入室に合わせて素早く立ち上がり、深く頭を下げる。
第6都督は切れ者として評判で、切れ者というのは色々と勝手に深読みをしてくるので非常に面倒くさい。
切れ者と呼ばれる人間の脳内というのは、常人とは根本的に作りが違うのだろう。
そういった人間には僅かな情報も与えないのが良く、深く頭を下げてしまえばこちらの表情は見えない。
「遠路、ご苦労」
そう思っていると、頭上から降ってきた声音に違和感を覚える。
声はその人の性格や志の高さなど、その内面を色濃く表す。
長い年月のなかで多くの経験を積んだ者の声には、経験に裏打ちされた自信と重みがある。
それは必ずしも生きた長さに比例するとは限らないが、おおよそは合致してくるもの。
そう考えると第6都督の声は聞いていた年齢に比べて重く、深みがありすぎる。
というより、この声は⋯⋯
暫く会っていなくとも、忘れるはずの無い声音。
まさか⋯⋯そう思ってゆっくりと顔を上げれば――
「お祖父様!?」
龍眼を持ち、龍の愛し子と呼ばれる人物。
北方に出陣している伯雷様の代わりに、中央にて国政全体を取り仕切るべき人物。
――目の前に現れたのは大京国の次卿たる、僕の祖父だった。