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月花の君 ~月明かりに、君を待つ~  作者: suimya
第1章 月浮かぶ静寂に、始まりを告げる
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第17話 願いが叶う事はなく、然れども優しき夜は希望を齎す



「ふぅ⋯⋯」



 行儀悪く寝転びながら、見上げた天井へ溜め息を一つ。

 火照った体に伝わる床の冷たさが心地良い。



 一人でぼんやり過ごしていると、今までの出来事が自然と脳内で溢れ、様々な光景が思い出される。

 窮屈で不自由だった人質生活も、最後に玄悠様に言われた一言でさえも、過去の事として振り返れば心が波立つ事も無い。



 ただ目の前を記憶の映像が流れるようにして、通り過ぎるそれを眺めているだけ。

 そうやって2年間の出来事を再生しきって、ようやく帰ってきた事を実感する。



 僅かに眠気を催した微睡みに、本当の意味で心が安らいでいるのを感じる。

 そうやって抗う事もせず、重くなった瞼を閉じれば――



「⋯⋯」



 自分の血管が、流れる血液が、本来の色を失ってどす黒くなっていくのが見えるよう。

 確実に、少しずつ、僕の体は侵食されて何かが馴染んでいる。



 荷馬車の中で気付かされた小雪の存在と気持ちに、僕は孤独を紛らわす事が出来た。

 けれど、体内を這いずり回っては怨毒を撒き散らすこいつは消えない。



 最初の頃は、意識を集中しなければ感じ取れない程の微かな気配。

 それが僅か半日程度で、こうしてぼーっと過ごしている時ですら感じる程になっている。



 ⋯⋯こいつは一体、何なのか。

 この先で、僕に一体何を齎そうというのか。



 その答えは未来という名の闇が抱え、時が来るまで黙して語る事は無い。

 もしくは、別れ際に茶会へ招くと言った霞と再び見えた時に、その意味を知る事になるのだろう。



 今分からない事は、今考えても仕方が無い事。

 今はただその不気味さを感じ取りながら、何のしがらみも無いこの一時を享受する事に専念しよう。



 煩雑な日常からの解放感と安堵感、そして体の奥から沸き上がる、ぞくぞくするような何とも言えない感情。

 それらの感情を持て余しながら、僕は客室で一人ごろごろし続ける。



「戻りましたー。あっ、やっぱり坊っちゃんの方が先でしたか!」



 いよいよ眠気に抗い難くなってきた時、小雪が浴場から戻ってきた。

 その姿は普段と異なり、淡い色の浴衣と茶を基調とした羽織を纏い、髪はお団子にまとめられている。



「ちょっとだけ男湯の前で待ってたんですよー?はい、坊っちゃん」



 小雪が両手に持っていた牛乳瓶のうち、その片方を受け取る。

 大浴場の入り口で別れ際、待たずに戻っていいと言われたから戻っていたのだけれど⋯⋯



 どうやら小雪は僕がまだ入っているかもしれないと思い、待ってくれていたよう。

 たしかに大浴場の入り口外では相手待ちの宿泊客も多く、僕も待っていた方が良かったか。



「待ってた方が良かった?」


「いいえ?小雪が待ってみたかっただけですから」



 あっけらかんと言うその姿からは、先に部屋へ戻った事を気にしている素振りは見られない。

 小雪なら待っていて欲しければ待っていて欲しいと言うだろうし、そこまで気にする事でも無かったか。



 その後、僕らは牛乳瓶を片手に暫くの間、他愛ないことを話した。

 女湯の露天風呂が綺麗だった、男湯にはこんな風呂があった、宿で出された夕食のこれが美味しかった、など。



 国がどうとか、政治がどうとか、珍しくそういった話は一切しなかった。

 どちらからも明日以降の話をする事もなく、きっと考えている事は同じだったのだろう。



 僕らの素性を知らない周囲から見れば、僕らは単なる宿泊客に過ぎない。

 天宮家の後嗣と従者という立ち位置を気にしないでいい時に、わざわざ自分達で会話内に雑音を撒き散らすのは無粋というもの。

 

 

 話しは概ね小雪が良く喋り、僕はそれを聞いていた。

 立場ある人間にとっては、こうした時間は滅多にあるものじゃない。



 滅多に無いこの時間は、きっと貴重な思い出となるだろう。

 それこそ、何年も先で笑いながら話せる程に⋯⋯。



「そういえば、お布団はどこですかね?」


「奥の部屋に敷いてくれてるみたいだよ」



 一通り会話を楽しんだ後、僕らは奥の部屋へと向かう。

 僕らが泊まることになった客室は二間で構成されており、出入りする側が食事等をする部屋、奥が布団を敷く部屋になっているよう。



 また、奥の部屋には椅子と掃き出し窓が設置された広縁があり、景色を楽しみながらのんびりすることも出来る。

 僕も最初戻ってきた時は広縁で寛ごうかとも考えたが、奥の部屋を覗いて止めた。



「わぁ⋯⋯!!」



 尾張には娼館なども多くある事で常に煌々と明かりが灯され、夜であっても大通りが眠りに就く事は無い。

 朝も、昼も、夜も、活気に満ちた騒がしさが続くのが尾張の日常。



 そして、僕らが泊まる宿屋も大通り沿いにあって喧騒の渦中にある。

 そんな騒がしい場所にあって、奥の部屋は別世界。



 宿の裏手側に設けられたそこには大通りからの明かりは届かず、喧騒もほとんど聞こえない。

 全6階建ての瀟洒な建物の5階ということもあってか、外では星々が綺麗に瞬き、大きな満月が静かに輝いている。



 おそらく、宿の人が開けたのだろう。

 僅かに開けられた窓からは涼しい夜風が吹き込み、その涼しさに体の芯からくすぐったくなる。



「すごい!すごいですよ、坊っちゃん!!」



 あやめ様が手配してくれた宿屋でもそうだったが、どうやら小雪はこういった非日常の景色に弱いらしい。

 興奮している小雪と目が合い、僕らは僕ら以外の誰も存在しない世界で優しく笑いあう。



「やっぱり、この宿にして正解でしたね!」


「そうだね。拘っただけの事はあったかもね」



 この宿に決めるまでに何軒も回った時には、一晩泊まる程度の宿なんてどこでもいいと内心思ったりもした。

 けれど小雪の熱意を前にして口にすることは出来ず、今思えば小雪の言う通りにして正解だったと思う。



「って、小雪、危なっ――!!」



 興奮していて気付かなかったのか、ふらふらと広縁へ近付く小雪が掛け布団の縁に足を引っ掛ける。

 そして、そのまま盛大に顔面から布団へ――。



「だ、大丈夫?」


「⋯⋯」



 小雪はぴくりとも動かない。



「こ、小雪⋯⋯?」


「⋯⋯ふかふかですぅ」



 布団に顔を埋めながら何を言い出すかと思えば⋯⋯。

 打ち所が悪かったのかと心配して損した。



「むー⋯⋯いま、呆れましたね?」


「えっ!?」


「坊っちゃんも、ほら!」



 半ば呆れていると、心を見透かした小雪に腕を引っ張られる。

 そうして、こゆきと同じように顔面から布団へ――



「ねっ?ほら!」



 たしかに、これはなかなか⋯⋯

 嬉しそうにしている小雪に苦笑しながら、僕も小雪の横で宿屋の布団というものを堪能する。



「ふふ、坊っちゃんもまだまだ子供ですねー!」



 思う存分、ふかふかを蹂躙する僕を見て今度は小雪に笑われてしまう。

 先ほどまで小雪の行動に呆れていた身としては、恥ずかしい事この上ない⋯⋯。



「⋯⋯このままずっと、こうしていたいなぁ」



 気付けば、思わず本音が口を突いて出ていた。

 夜が明ければ、再び日常が始まる。



 そこにはきっと、こんな安らげる時間は存在しないだろう。

 きっとまた、気を張って神経を磨り減らす日常が僕を待っている。



 貴族階級の成人年齢は12歳。

 あと1年ちょっとで、僕は名実共に天宮家の次期当主としての振舞いが求められるようになる。



 そうなれば今以上に辛い事も、苦しい事も、面倒で逃げ出したくなる事だって出てくるに違いない。

 でも、大人となれば行動には責任が付いて回る以上、逃げ出す事は許されない。



 普通の10歳というのは雅楽や颯のように親の庇護下で、同年代と思春期を共有しながら生きている。

 にも関わらず、僕は8歳で中京国に預けられ、大人達の間で生きてきた。



 はっきり言って、もう十分に疲れたんだ。

 不条理にも、不公平にも、不自由にも、僕を否定する全てに⋯⋯



「あっ、流れ星!」



 子供である今のうちに逃げ出してしまおうか⋯⋯。

 そんな考えが頭を掠めた瞬間、聞こえたのは嬉しそうな小雪の声。



「あっ、また!ほら!!」



 小雪が次々に見つける流れ星も、僕の目には映らない。

 きっと、見ている場所が良くないのだろう。



 それか今を見ている小雪と違って、明日以降の事を考え始めたせいか。

 どちらにせよ、気分的には熱心に流れ星を探すような気にはなれなかった。



 小雪の上げる嬉しそうな声を聞きながら、暫くした後。

 そろそろ飽きてくる頃合いか、そう思った矢先で――



「あっ!!!」



 今度は僕の目にもはっきりと見えるくらい、星空の中央を一際大きな流れ星が通過する。

 初めて一緒に見た流れ星は強い輝きを放ち、長く光の尾を引きながら静かに闇へと姿を消す。



 小雪の方を見れば、手を組んで何事かを熱心に呟いている。

 たしか、流れ星が消えるまでに3回願い事を唱えると願いが叶うんだったか。



 でも、気付いた時には過ぎ去っていく流れ星に、そんなことが出来るわけがない。

 出来ないことだから、叶わないことだから、人はそこに人智を超えた何かを感じ、夢を託すのかもしれない。



「⋯⋯何を願ったの?」



 出来ないと分かっていながら、それでも祈りを捧げる小雪。

 僕の問いかけにゆっくりと目を開き、そして答える。



「坊っちゃんが、ちゃんと天宮家を継げますように。坊っちゃんと一緒にいられますように、って」


「⋯⋯そっか」



 少し複雑な気持ちになる。

 小雪の願い通りそこに到ったとき、僕は何を考え何を感じるのだろうか。



 むしろ、そこまで辿り着くことができるのか。

 それよりも、今ならまだ他の道を選ぶことも出来るはずで⋯⋯



 でも、小雪がそう願ったのであれば、無駄にはしたくない。

 この先が地獄だったとしても、小雪の願いであれば逃げるわけにはいかないだろう。



「⋯⋯頑張るよ」


「小雪がお供しますね!」



 辛くて、苦しくて、どうしようもならなくなった時は、小雪の願いを思い出そう。

 この先も僕と小雪が共にあることを信じながら、僕らの夜は更けていく――。






 



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