第16話 それぞれの舞台の幕は上がり、少年少女はそれぞれの道へと歩み始める
「ここから先は、お二人だけで。道中の無事を祈ります」
「あやめ様、ありがとうございました」
「あやめちゃああああん!!」
「ちょっと、小雪さん!皆の前なのだから、もう少し自重をしてもらわないと⋯⋯」
荷馬車は無事、国境での検閲を通過した。
当初の予想通り、あやめ様が同行している事で積み荷の検閲はされず、素通り状態で大京国側へと入る事が出来ている。
ここから先に続くのは、大京国王都を終着点とする道。
大地は途切れる事無く続いていても、そこには人の営みによる明確な境が存在する。
僕と小雪、あやめ様と雅楽の間には、所属という明確な違いがある。
あやめ様達とは、ここでお別れだ。
「真っ赤な目で出てきた時は、びっくりしたよー」
「うっ⋯⋯」
「小雪さんは小雪さんで、胸元びしょびしょだし」
「いやっ、あのっ、あれはですね⋯⋯」
雅楽相手にあたふたしている小雪を見て、少しばかりの寂寥感を覚える。
あのままずっと、人質として中京国に居たかったなど有り得ない話。
雅楽の事だから荷馬車の中で何があったのか、おおよその察しはついているはず。
その上で持ち前の茶目っ気を発揮しつつ、場の空気を和ませようとしているのだろう。
もうこのやり取りも見れなくなると思うと、少しばかり寂しい気もする。
次に雅楽達と会う時というのは、きっと――
「⋯⋯寂しくなりますね。特に、雅楽様は小雪さんとも仲が良かったですから」
「はい⋯⋯」
「他人事みたいな顔してるけど、私は悠月にも聞いてるんだからね!」
「えっ!?」
あやめ様と他人事のように話していると、雅楽にじと目で睨まれる。
そんな事を言われても、何があったかなんて恥ずかしくて話せるわけもない。
「⋯⋯ま、6歳差だもんね。大丈夫、負けない」
何事かを呟くと、そのまま雅楽はこの場を離れていく。
いざ別れとなると名残惜しい気持ちもあるが、僕には僕の、雅楽には雅楽の進むべき道がある。
その先は違えど、どこかでまた道が交わる時、きっと再会する事になるだろう。
雅楽は最後にこちらへ手を振ると、そのまま荷馬車の中へと消えた。
氏雅様の側近も荷馬車の周囲に集まり、出発への準備が始まる。
いよいよ、本当に別れる時がきたんだ。
「あやめ様、お世話になりました」
「⋯⋯この先に何が待っていようと、雅楽様との友誼は切らさぬよう、お願いします」
この先に待っているもの。
それは言葉にせずとも、互いにある程度の予見と覚悟を持っている。
もし本当にそうなるのであれば、雅楽との友誼なんて簡単に消し飛ぶ。
国同士が戦争を始めるというのは、そういう事だ。
あやめ様もそれが分かっているからこそ、敢えて言及したのだろう。
仮に今の時代で戦争が始まったとしても、次の世代である僕らの時には戦争が熄むように⋯⋯と。
僕が無言で頷いたのを確かめると、あやめ様はぼろぼろと泣き続けている小雪の方へ。
その肩に手を置き二言三言言葉を交わすと、あやめ様もこの場を離れていく。
それぞれが、それぞれにとって必要な別れは済ませた。
ここからはそれぞれが信じる道を進むだけであり、僕らもぼちぼち行くとしよう。
そう思っていると不意に肩を叩かれる。
振り返れば、そこには何とも言えない顔をした颯。
「なぁ、俺のこと忘れてない?」
「えっ、あぁ⋯⋯うん⋯⋯」
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「わあ、懐かしいですねー!」
「そうだね、懐かしい」
東海随一の大都市、尾張。
かつて2年前、僕が人質として中京国に赴く際に滞在した場所。
尾張は中京国との国境付近に位置する城邑で、対中京国の最前線。
あやめ様達と国境沿いで別れた後、数時間歩いて辿り着ける事からも、如何に尾張が国境警備において重きを成しているか分かろうというもの。
そしてもう一つ。
尾張は軍事における重要拠点だけでなく、東海地方の経済を支える一大交易都市の側面も持っている。
巨大な集積地である尾張には豪商達の本店・支店が軒を連ね、それらを目当てに貴族階級や富裕層がやってきては、日夜多くの金を落としていく。
彼らの落とす巨額の金は更なる雇用を生み出し、職を求めた労働者が近隣地域から多く集まってくる。
圧倒的な好循環で尾張には人・物・金が流入を続けており、近隣地域の富はそのほぼ全てが尾張へと集約されると言っていい。
莫大な経済力と膨大な労働力を武器に尾張は発展を続け、尾張は地方都市でありながら国内外に対して隠然たる力を有するまでになった。
だが、光あるところには必ず闇も生まれるもの。
大通りへと向かう途中で横目に捉えた路地では、多くの浮浪者が壁にもたれていた。
「職に就けなかった者の末路、か」
「嫌な光景ですね⋯⋯。ここは昔からこうです」
尾張に職を求めた全ての人間が、必ずしも定職に就けるわけではない。
相手にするのが貴族階級や富裕層ともなれば、器量や要領で劣る者は弾かれる。
かといって、弾かれた者の全てが再び元いた場所に帰れるとも限らない。
中には厄介払いや口減らしに遭って、居場所を失って尾張まで出てきた者もいるのだ。
あの路傍で転がっていた人間達、その全てが不適合者では無いだろう。
客商売に向かなかっただけで、中には政治や軍事に才能を発揮する人間もいるはず。
とはいえ、今の僕では埋もれた才能を拾い上げる事は出来ない。
国にとって損失だったとしても、子供である僕には何の力も権限もありはしないのだ。
「ここも変わらないですねー!」
そうこうするうちに、大通りへと辿り着く。
そこは2年前と変わらず多くの人が行き交い、彼らを呼び込もうと店の売り子達が懸命に呼び込みをしている。
尾張の光と闇、まさにその眩しいくらいに輝く光の部分。
大通りには商店に宿屋、奥には娼館などありとあらゆる店が軒を連ねている。
商業の中心部とも言うべき大通りは人々でごった返し、とてもではないが真っ直ぐ歩く事など出来ない。
子供なんて連れてきた日には10歩も歩かないうちに迷子になり、新品の衣類は1日も歩けば襤褸になると言われる程の活況ぶり。
日暮れの迫る今の時間だと、宿屋の呼び込みが最も活発になる時間か。
大通りの活況に感心してばかりいては、今日の宿を取り損ねる。
「小雪、お金は大丈夫そう?」
「はい!一緒にいる間はあやめ様が全て支払ってくださったので、だいぶ余裕はありますね⋯⋯ただ」
「ただ?」
「尾張の宿は高いですからねぇ⋯⋯」
たしかに、尾張の宿というのは他の宿場町と比べて遥かに高い。
金持ち相手に商売をしているのだから宿側は安くする必要が無いし、値切るような客もいない。
それに尾張の宿は値が張るものの、きちんとそれに見合った品質が保証・提供されている。
路地に入れば格安の宿は沢山あるが、出来ればそういった所は遠慮したい。
先ほど見た浮浪者もそうだが、尾張の夜は何かと物騒。
多少値が張ってでも、尾張で宿を取るなら大通りの宿屋だろう。
「あのですね、なので⋯⋯その⋯⋯小雪も坊っちゃんと同じ部屋でいいですか?」
「いいよ?」
もじもじしだしたかと思えば、そんなことか。
別に同じ部屋で寝泊まりするくらい、今更な話だろう。
そう思って二つ返事で快諾したのだけれど⋯⋯
目に見えて小雪の表情が曇ったのを見るに、答えを間違ったかもしれない。
「そうですよね、ダメですよね⋯⋯」
「?小雪が一人で寝たいなら別の部屋でもいいけど」
「坊っちゃんも一人で寝たいですよね。⋯⋯え?」
「僕は小雪と一緒でもいいよ?」
「ほんとですかっ!嬉しい!!」
どうやら断られると思っていたのか、小雪の表情が途端に、ぱあっと明るくなる。
中京国の宿屋でも、あやめ様が手配してくれた宿屋でも部屋は小雪と同じだった。
ここ数日間、小雪と同じ部屋で寝るのが当たり前になってしまっていて、感覚が麻痺している。
それ以前に2年も同じ屋根の下で暮らしていれば、今更気恥ずかしさも何もあったものではない。
それに王都へ帰れば、屋敷には多くの家臣や使用人がいる。
彼らを前にして今までのような気楽な生活など出来るわけも無く、屋敷へ戻れば僕と小雪もそれぞれの生活が始まるのだ。
こうして融通を利かせて、自由に振る舞えるのも2人だけで過ごす今のうちだけ。
にこにこ笑っている小雪を見て、改めて小雪には笑顔が似合うと思った。
「坊っちゃん、早く行きましょー!」
笑顔で駆け出していく小雪。
そんなに走ったら転ばないか心配になるが、楽しそうに走る小雪は転ぶどころかごった返す人々とぶつかる気配すら無い。
その身軽さに感心する一方で、このままだと小雪の姿を見失う。
そうならないように小雪の後を追いかけようとした、その時――
不意に横から出てきた男に足を踏まれる。
人の足を踏んでおいて、男は慌てた素振りも無ければ謝る気配も無い。
⋯⋯明らかに故意だろう。
不快感を露にしながら男を見上げ、そのまま互いの視線が交錯する。
時間にして数秒。
男の顔には右目を切り裂くようにつけられた大きな傷跡があり、意味深な視線を僕に送るとそのまま人通りへと紛れていった。
「坊っちゃん、どうしました?」
僕が追いかけてこないことに気付いた小雪が駆け足で戻ってくる。
これだけの人通りの中での出来事だったせいか、小雪に男の存在は見えていなかったらしい。
「いや⋯⋯何でもない。行こうか」
「はい!」
小雪に変な心配をさせまいと男のことは言わなかったが、どうにも気になる。
子供相手に横柄な態度を取る大人というのは、その実多い。
誤って足を踏んでしまったからといって、謝るような大人ばかりでは無いのだ。
それに、先程の男は誤って僕の足を踏んでしまったとも言い切れない。
僕を見つめていた、あの男の目。
あの視線、あれは僕が誰だかを知っている人間の視線だったのではないのか。
(考えすぎか?いや⋯⋯)
人混みに紛れてしまった男を探すも、立ち去った後では見つけることは出来ない。
けれど、僕は予感めいたものを感じ取っていた。