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月花の君 ~月明かりに、君を待つ~  作者: suimya
第1章 月浮かぶ静寂に、始まりを告げる
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第15話 暗闇は優しさを持って、彼の少年を包み込む



「まもなく国境です。大人しくしていてください」



 手合わせから一夜明け、御者席に設けられた小窓から、あやめ様が顔を覗かせる。

 それを合図に、僕と小雪は幌がかけられた荷馬車の荷台へと紛れ込む。



 荷台の中には大小様々な木箱と、それに収められた商品の数々。

 所狭しと積まれたそれらの隙間に体を潜り込ませ、じっと動かず息を殺す。



 荷馬車とは商人が品物を大量運搬する際に使う、平坦な地形が続く南街道以外ではまず見かけない代物。

 あやめ様に従って南街道を東へ進む途中、僕らは一人の商人が路傍で途方に暮れている現場へ遭遇した。



 話を聞くに途中で馬が一頭倒れてしまい、かといって積載している重量では残りの一頭では運搬が難しいという。

 荷を捨てるか、替えの馬を待つか⋯⋯どちらにせよ、商人にとっては莫大な損失が発生する。



 気の毒に思いつつも、僕らにも商人を助けられるような余裕は無い。

 荷馬車は馬に荷車を牽かせるため、移動速度は騎馬よりも遥かに劣る。



 そのまま先へ進もうという意見でまとまりかけたが、この商人が氏雅様の所にも出入りしている事実が、話を難しくさせた。

 氏雅様の所に出入りしているという事は雅楽(うた)とも面識があり、そうなると少なからず情のようなものが出てくる。



 帰国を急ぎたい僕と小雪にとっては厄介事でしか無いとはいえ、僕らだって自前の馬を持っているわけじゃない。

 結局捨て置くことも出来ず、僕らは乗っていた馬を提供する代わりに荷馬車に同乗させてもらうことになったのだ。



 決して、その決断が僕と小雪にとって最善だったわけでは無い。

 けれど、今回の同行には商人にとっても僕らにとっても、思いもかけない利点があった。



 まず、商人側は2頭立ての荷馬車が4頭立てになり、しかも氏雅様の側近が左右を固める護衛付き。

 一口に馬と言っても、商業用の馬と軍事用の馬では脚力がまるで違う。


 

 中京国が保有する頑強な馬を使う事で輸送速度は上がり、且つ国に仕えるあやめ様が一緒にいることで検閲は無いも同然。

 道中の心配も無くなり、商人にとっては正に棚ぼた状態だと言っていい。



 そして、僕ら側の利点――。

 忘れてはいけないのは、僕と小雪は二人だけでは南街道を進めないという事。



 手合わせによって辛うじてあやめ様から及第点をもらったとはいえ、あやめ様の同行が無ければ道を変えなければならない。

 そして、あやめ様の同行は玄悠様に話を通していない、氏雅様の独断専行。



 氏雅様の側近や雅楽(うた)だけなら西ノ宮家中の問題であり、氏雅様の考え一つで何とでもなる。

 けれども国に仕えるあやめ様の派遣、それは直属の部下と言えども判断が分かれる微妙な部分だろう。



 一国の宰相ともなれば、当然の事ながら政敵は多い。

 今後どのように状況が動いていくかは分からないが、瑕疵として追求するくらいには使える可能性もある。



「⋯⋯」



 真っ暗闇の中、様々な考えが脳内を駆け巡る。

 そして、一点を見つめていれば、あの瞳を思い出す。



 闇を纏った、宝石のように輝く双眸。

 絶世の美女、その言葉に恥じない霞の容貌。



「変化は受け入れるものであって、恐れる事ではないよ」



 彼女は、そう言った。

 そして、その変化はもう起き始めている。



 体の中を、血管内を這いずるようにして、何かが蠢いている。

 体の奥底から湧き上がり続ける悍しい何かが、喝采を上げながら体内を侵食していく。



 ⋯⋯それを止める術は、知らない。

 それに身を任せれば僕は僕でなくなる事、それが分かっていながら、僕は心のどこかで受け入れようとしている。



 ⋯⋯理由は、分かっている。

 だから、頻りに囁きかけてくるそれに抗う事が出来ない。



「――っ!!」



 暗闇は嫌いだ。

 嫌な事、忘れたい事を思い出させる。



 あの日、僕は為す術も無いままに多くのものを失った。

 きっと実力があろうと無かろうと関係なく、幼かった僕は指を咥えて見ている事しか出来なかっただろう。



 それでも⋯⋯それでももし、僕に少しでも才能があれば。

 少しでも僕が役に立つような、価値ある人間であれば。



 お祖母様も、父様も⋯⋯母様だって。

 僕を愛してくれた人達は、僕の前から居なくならなかったかもしれない。



 僕は⋯⋯僕自身が何の役にも立てなかったから、全てを失った。

 僕を愛してくれた、溢れるくらいに愛情を注いでくれた存在を。



 だから僕は、拒めない。

 憎めと、恨めと、頻りに囁やきながら体内を這いずり回るこいつを――。



 世界にたった一人だけ残されてしまった、皆先へ行き自分だけが取り残されたような感覚。

 このままこいつに身も心も任せてしまえば、きっとこの感覚から解放される。



 そうしたら現実に思い悩む事も、必死になって自分の弱さに抗う事もしなくてよくなる。

 もう、僕は⋯⋯



「⋯⋯坊っちゃん」



 小雪の呟きが聞こえると同時に、不意に抱き寄せられる。

 すぐ隣に居るはずなのに表情は見えず、その声と体温だけが存在を伝えてくれる。



「⋯⋯小雪?」


「小雪がいますから」


「急に、なに⋯⋯?」


「小雪にとって、坊っちゃんは大切な人です。ずっとずっと、小雪は坊っちゃんと一緒です」



 強く抱き締められた腕は、決して解けない。

 暗闇から響く声が、柔らかく熱を伝えてくる小雪の体が、微かに震えている。



 それは、荷馬車の揺れなんかじゃない。

 暫くそのままでいると、頬に冷たい雫が降ってくる。



 ――それだけじゃない。

 気が付けば、僕の両目からも涙が溢れ出ていて、既に小雪の涙で濡れた頬を伝っていく。

 


 ⋯⋯だから、暗闇は嫌いなんだ。

 今まで必死に隠していた、圧し殺してきた物を、簡単に溢れさせる。



 どんなに辛くても人質としての立場では弱みを見せないよう、泣くような真似はしなかった。

 辛くても、苦しくても、惨めでも、常に平静を装う事を自分に義務付けた。



 そうして、知らず知らずのうちに自分の心を守るように感覚を麻痺させ、本音を圧し殺し、上辺を笑顔で取り繕うようになった。

 何でも無い振りをしながら、その裏では全部分かっていた。



 雅楽(うた)が楽しそうに、氏雅様と会話しているのを見たとき。

 颯が嬉しそうに、竜臣(たつおみ)様の武勇伝を語るとき。



 ⋯⋯雅楽(うた)や颯と違って、僕にはもう何もないんだ、と。

 ⋯⋯本来あるはずの物を失って、どうして僕はここにいるのだろう、と。



「大丈夫。僕はずっと小雪の側にいるよ」



 小雪を安心させようと口にした言葉。

 その言葉を僕自身が認識した途端、取り繕っていた物に罅が入った気がした。



 僕は小雪が望んでくれるのであれば、ずっと小雪の側にいる。

 それは裏を返せば、僕が望めば小雪もまた僕の側に居てくれるという事。



「坊っちゃん、嬉しいです⋯⋯」



 ⋯⋯小雪だけじゃない。

 そんな当たり前の事が、どうしようもなく普通の事が、僕にとっても嬉しかったんだ。



 ――あの日から、ずっとずっと辛かった。



 ――あの時から、ずっとずっと寂しかった。



 ――どうして僕だけが、こんな思いをしなければいけないのか。



 ――僕だってもっと純粋に、誰かに愛してほしかった。



 分かっていたのに、知っていたのに、自分を強く保つために懸命に気付かない振りをした。

 でも、気付いてしまった。



 まだ僕を必要としてくれる、まだ僕を愛してくれる人がいた事が。

 それが他でもない小雪で、これからもずっと一緒にいれる事が。




 ただ、それだけの事が、どうしようもなく嬉しかったんだ。











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