第13話 手合わせ
「小雪さん、ただいまー」
「あ、雅楽様!おかえりなさい」
「宿の人に聞いたら修練場だって言うから来たんだけど⋯⋯」
氷の微笑みを見せた、あやめ様からの物騒な提案。
南街道を抜けて帰国したいのであれば、あやめ様と手合わせをする。
一見、何の整合性も取れていない様にも見える提案。
けれど、あやめ様が望むのであれば断る事は避けた方がいい。
理由は例の如く後から説明してもらえるか、もしくは推測する事になるのだろう。
16歳で中京国宰相の属僚という英才っぷり、その頭の回転の速さに付いていくのは骨が折れる事この上ない。
手合わせをすると言っても、莫大な金がかかっていそうな部屋や庭で始めるわけにもいかないため、僕らは客室から修練場に場を移した。
普通の宿屋にはこんな物無いのだが、そこは政府高官御用達。
看板の名に恥じないよう、金を湯水の如く注ぎ込んで作ったのだろう。
天井は高く、床はどこまでも板張りで作られた立派な修練場が、この宿の財力を物語っている。
「雅楽様、颯様はどうされたのですか?」
「んー、まだ遊びたいって言い始めたから置いてきた。お父様の側近が付いてるから大丈夫よ」
「そうですか。⋯⋯では悠月殿、始めましょうか」
あやめ様の声掛けで、互いに距離を取る。
あやめ様の場合、ただ立っているだけでも相対すると気圧される感じがする。
玄悠様のような激しさは無いのに、身に纏う空気感とでも言うのか。
凛とした佇まいが、常に余裕を持った美しい挙措が、その存在感を際立たせている。
「条件は⋯⋯そうですね。屋内なので空蟬以外の霊術は無し。剣の技量だけで相手に参ったと言わせる、もしくは気絶させるでどうでしょう?」
条件設定自体はざっくりしているものの、必要な部分には言及している。
条件がざっくりなのは、そもそもこの手合わせにおいて僕があやめ様に勝てる筈が無いから。
とはいえ、空蟬以外の霊術の使用無しはとても助かる。
僕はまだ全快の状態では無いし、そこにきて霊術まで使われたら一瞬で片が付いてしまう。
あやめ様が使う霊術は、他に例を見ない特異なもの。
おそらく、3つの特殊属性の中でも飛び抜けて希少な【央】に適正を持っているのだろうが、その詳しい実体や特性などは不明瞭な点が多い。
一方で、僕は【火】【水】【土】【風】の基本属性4つのうち、適正があるのは【水】だけ。
【水】は粘りのある柔軟な特性を持っている反面、瞬間的な火力は基本属性の中でも最も低い。
加えて、僕は決して同年代と比べても霊力量が多くない。
つまりは、霊術を用いた戦闘の才能は無いに等しいという事。
そんな僕があやめ様相手に霊術を用いて手合わせするなんて、勝負として成り立つ筈が無い。
実はこの中で最も霊術の才に秀でている小雪、その才能の半分でも僕にあれば⋯⋯。
もっとも、これは勝ち負けを決める為の手合わせじゃない。
あくまでも、あやめ様から見て護衛対象である僕の力量を測る為のもの。
護衛する側にとって護衛対象が弱すぎては、何かにつけて苦労する事になる。
最低限の身のこなしを見る為の手合わせなのだから、それなりに頑張って良い線までいけば十分に及第点だろう。
「行きますよ――」
手にした木刀を軽く振り、感触に満足したのか、あやめ様が視界から消える。
(いきなり、か――)
視界から消えたその姿を目で追い、頭を下げながら上半身を深く沈める。
空気を切り裂く音を伴って、高速で振るわれた木刀が頭上を通過する。
あと1秒、頭を下げるのが遅ければ直撃していたな。
参ったと言わせるどころか、気絶させる気満々じゃないか⋯⋯。
まぁいい⋯⋯あやめ様の初撃を躱したのだから、今度はこっちの番。
僕は上半身を沈めたまま床に両手を付き、背後に向かって蹴りを繰り出す。
別にこんな中途半端な蹴りが、まともに当たるとは思っていない。
案の定、その胸部めがけて繰り出した蹴りはあっさりと、あやめ様に足を掴まれる事で防がれる。
でも、防がれる事は想定内。
むしろ、足首を掴むようにして防いでくれた結果は好都合だ。
その状態のまま両手で強く床を押し、上半身も空中へ浮かび上がらせる。
そして、掴まれたままの足を軸に体を捻り、弧を描くようにしてもう片方の足で側頭部へ蹴りを叩き込む。
「⋯⋯良い動きです」
今度の蹴りもあやめ様に当たることは無く、あやめ様が滑り込ませた木刀によって阻まれる。
別に、この蹴りも当たるとは最初から思っていない。
重要なのは、あやめ様の両手を塞ぐ事であり、それぞれの蹴りで目的は達成した。
両手が塞がっているという事は、その胴体はガラ空きという事だ。
僕の蹴りを防いだあやめ様の木刀へ足首を引っ掛け、空中で逆さになりながら腹部へと拳を捻じ込む。
空蟬以外の霊術を使用しないという条件下で両手が塞がっている状態では、これは防ぎようが無いだろう。
「くっ、ぅ⋯⋯」
僅かにあやめ様の表情が歪む。
まずは一撃を当て、もう一撃⋯⋯そう思っていると再びあやめ様の姿が消える。
⋯⋯まぁ、そんなに甘くは無いか。
両手で着地の衝撃を殺しながら、ぐるりと一回転して立ち上がる。
「僕としては、かなり頑張った方だと思うのですが⋯⋯どうですかね?」
「まだまだ、これからかと」
⋯⋯あぁ、そうなりますか。
個人的には、あやめ様相手に一撃入れただけでも十分に凄いと思っている。
もうこれ、実力を見せるには十分過ぎる程に頑張ったんじゃないのか。
そう思ったのだが、まるで何事も無かったかのようなあやめ様の表情を見るに、大した事は無かったらしい。
「そうですか⋯⋯。なら、次はこちらからっ!」
空蟬で加速しながらあやめ様の背後に回り込み、右手で握った木刀を左下から斜め上に振り抜く。
あやめ様には当然のように僕の動きが見えていて、僕が振り抜いた木刀を防ぐように自身の木刀を構える。
これもまた、防がれる事は最初から分かっていた攻撃。
あやめ様に防ぐようにして動いてもらう事こそ僕の狙いであって、意表を突くためなら多少の汚い手も使う。
「――!?」
僕の攻撃に備えるあやめ様の前を、構えたその木刀の目の前を僕の右手が通りすぎる。
もちろん、その手には木刀は握られていない。
握られていた木刀が何処にあるのかと言えば、途中で手を離した事で空中に取り残されている。
その取り残された木刀を間髪入れずに左手で掴むと、そのまま思い切りあやめ様に叩き付ける。
「っ!やりますね!!」
木刀同士がぶつかる鈍い音が響き、僅かにあやめ様が後退る。
完全に不意突いたとはいえ、10歳児の片腕の力ではこんなもの。
音こそ派手ではあったものの、実際にはしっかり防がれている。
さっきの蹴りなどと一緒で、あやめ様に傷を与える程では無い。
体捌きにしても剣技にしても、ひとまず持ち得る手札は切った。
まともにやっても勝負にならないのだから不意を突く形になるのは仕方がないし、不意というのはいつまでも突けるものじゃない。
こちらの戦い方が分かれば、当然相手はそれに合わせて意識を廻らせるもの。
あやめ様の笑みを湛えた表情を見るに、まだまだ終わりそうに無いし⋯⋯
さて⋯⋯どうしよう。
******************
「⋯⋯すごい」
「長い戦いになってきましたね」
手札を晒しきった状態から、15分近くが経ったか。
空蟬を使っての手合わせのため、体感的には1時間近く戦っているような錯覚に陥る。
「くそっ!!」
長丁場になればなるほど、地力の差が出てくる。
懸命にあやめ様の攻撃を躱し、距離を取る。
けれども、必死の思いで取った距離も間髪入れず潰されていく。
空蟬による移動はあやめ様の方が速い上、練度そのものが桁違い。
そして、僕はまだ霊力が全快ではないのだ。
息つく間もない猛攻を前に頽勢をめぐらす余裕などなく、徐々に押し込まれていく。
これもう、単なる弱い者いじめなんじゃないのか。
いっそのこと参ったと言ってしまおうかとも思うが、この手合わせで僕は最低でも及第点を出さなくてはいけない。
そうなると、おいそれと参ったと言うわけにもいかないのが実情。
進むことも退くことも出来ないまま、ジリ貧としか言いようがない状況が続いていく。
「ねぇ、小雪さん。どうして悠月は空蟬を使えるの?私もまだ教わってないのに」
「私が教えたんです。本当は動体視力が成熟してからの方がいいんですけどね」
「なら、何で教えたの?」
「坊っちゃんですから!!」
「あー⋯⋯小雪さんって、悠月に対して基本過保護だよね」
「まぁ、その上もあるんですけど」
「⋯⋯え?」
必死の思いであやめ様からの攻撃を捌く視界の隅で小雪と、小雪に抱きかかえられた雅楽が楽しそうに会話しているのが見える。
ちょっともう、これ本当に無理だって。
「⋯⋯そろそろ終いにしましょうか」
これ以上やっても目新しいものは出てこないと、ようやく確信を持ったのか。
防戦一方の僕に対して、あやめ様が手合わせの終わりを示唆する。
それは僕にとっては願ったり叶ったりなわけだが、問題はどうやって終わらせるつもりなのか。
終わりを示唆しておきながら攻撃の手を休めないあたり、素直に参ったで終わらせてくれるとも思えない。
次の瞬間、超至近距離で顔面に向けて飛んできた刺突を最小限の動きで躱し、足払いを飛んで避ける。
そして、空中で逃げ場のないところに再びの突き。
辛うじて木刀で受けるも空中では踏ん張りが利かず、吹っ飛ばされた勢いを利用して空蟬で後方に逃げる。
けれどもすぐに追い付かれ、今度は防ぐ間もなく激しく肩を打ち据えられる。
その衝撃が骨に鈍い痛みとして伝わり、視界が点滅する。
せめてもの悪あがきに木刀を振るおうとしても、肩を打たれたことで完全に力が入らない。
「⋯⋯降参しても?」
「出来るのであれば」
「まいっ⋯⋯」
「坊っちゃん!!」
結局、最後まで参ったは言わせてもらえないまま。
薄れゆく意識の中で小雪の声が脳内に響き、僕はゆっくりと意識を手放した。