第12話 伏黒あやめは、微笑みの裏に真実を隠している
「それはそうと、さっきのは酷かったんじゃないかしら、小雪さん」
「だって、あやめちゃんが変なこと言うから」
「⋯⋯友達?」
「そうね、数少ない同い年ですもの」
「坊っちゃんが王宮に上がっている間に、何度かお茶してたんですよ!」
「そ、そうなんだ⋯⋯」
お茶してた友達相手に、容赦なく刀を振り抜くって⋯⋯
それだけ小雪にとっては僕が大事という結末なのかもしれないけれど、その躊躇いの無さは少し空恐ろしい。
ていうか、あやめ様相手にちゃん呼びって本当に大丈夫なのか?
少し冷や冷やするけれど、あやめ様も友達と言っているし、小雪の人懐っこさが為せる技という事にしておくか。
山中の街道で死闘を繰り広げた後、今はこうしてあやめ様が手配してくれた宿で過ごしている。
出来ればそのままお暇したかったのだけれど、馬に乗せてもらっておきながら理由も聞かず、そそくさと立ち去るのもどうなのか。
あやめ様は行き先も目的も同じと言っていた。
であれば、話くらいは聞いておいても損はないだろう。
どのみち、馬に乗せてもらった事で半日程の行程を短縮できているのだ。
今日泊まる事になったのも当初目指していた宿場町という事で、帰国するにあたって大きな問題はない。
もっとも、今泊まっているのが政府高官御用達の高級宿なのを除けばの話ではあるが⋯⋯。
そして、調度品である壺やら庭の景色やらに興奮しきっている小雪を除けばの話でもあるのだが⋯⋯。
政府高官御用達ということで何処を見ても、見るからに宿代は高そう。
開け放たれた襖の先には、広大な庭と朱塗りの橋が架けられた池が見える。
庭や池の周辺には松明用の台座が設置されている事から、きっと夜は幻想的な光景が広がるのだろう。
客室においても細部まで作り込まれ、更には壁・床・天井裏と隅々に至るまで盗聴対策も施されている模様。
使用人にしても厳しく躾られているらしく、先程からこの客室周辺には僕とあやめ様と小雪以外の人の気配を全く感じない。
だからこそ庭側の襖を堂々と開け放ち、こんなにも小雪が騒がしくしていても誰も何も言わない。
ちなみに雅楽と颯は宿場町に着いて早々、氏雅様の側近達と町へと繰り出して行った。
この流れに乗るしかない⋯⋯そう思って僕も町へ行こうとしたら、氷のような笑みを湛えたあやめ様に肩を掴まれた。
「そろそろ本題に入りましょうか」
興奮しっぱなしの小雪は放っておく事にしたのか。
一応座りはしたものの、そわそわし続けている小雪を無視してあやめ様が本題へと進む。
「私達は今、氏雅様からの指示で此処にいます」
「その内容をお伺いしても?」
「あなたの護衛ですよ、悠月殿」
僕の護衛⋯⋯。
僕を護衛するのが目的という事は、護衛をしなければいけない理由が存在するという事。
ということは当然、僕に不利益を齎そうとする何かがあるという事に他ならない。
それが一体何で、誰からの指示によるものなのか。
「悠月殿達は南街道から大京国へと入るつもりでしょう?いま、南街道は使えませんよ」
「南街道が使えない?」
「ええ、使えませんね」
南街道は古来より使われてきた主要街道の一つであり、海沿いで道幅が広く平坦でもあることから交通量が桁外れに多い。
他に北回りの北街道、中央を抜ける中央街道もあるが、北方での戦争が始まることから北街道はまず使えない。
岐阜を経由する中央街道もあるが、こちらは途中に聳える山々を迂回する形で街道が整備されているため、かなりの迂路を取らなければならない。
それらの理由から僕と小雪は東海地方を抜けて帰国する道を選んだわけだが、どうやら雲行きが怪しくなってきた。
列島の大動脈である南街道が使えないなんてこと俄には信じ難いが、政府高官に名を連ねるあやめ様に言われると説得力がある。
「南街道は今、近衛軍による検閲が為されているとか。確証はありませんが氏雅様にも竜臣様にも諮る事なく、近衛軍が動いているようです」
南街道は大京国から中京国へ繋がる街道でもあり、国境を越える際の検閲というのは珍しくない。
違法品や犯罪者が紛れていないかといった理由で、日頃からも行われている事。
でも、それは国境警備を担う部隊の仕事であって、どんな理屈をこねようとも近衛軍を動かす理由にはならない。
近衛軍というのは、国王である玄悠様に直属する精鋭部隊。
国内最強と呼ばれる強兵のみで構成され、王都を中心とした王都圏を守護する存在。
有事においては中京国における最終防衛線を担う存在であり、基本的に表舞台に出てくる事は無い。
「玄悠様のお心は、やはり――」
「⋯⋯分かりかねますが、国境に展開する近衛軍は2万近いとか」
「2万!?」
小雪が驚くのも無理はない。
決して表舞台に出る事の無い近衛軍を、2万も国境に配してきた。
理由は分からなくとも、その事実が何よりも雄弁に物語っている。
列島西部での覇権を打ち立てた中京国はやはり、大京国との同盟を軽視し始めたのだ。
偉誉国・華国という今後の不確定要素はあるものの、両国ともに国力を損耗している今の段階で中京国は抑え込みにかかっている。
玄悠様はその先、これからの事も考えたに違いない。
玄悠様は、今後の大京国では自国の盾とならないと言った。
それはつまり、同盟に頼らない国の在り方を模索し始めたということ。
「あやめちゃんは大丈夫なの?」
「えぇ、そうね。悠月殿と小雪さんだけの為に2万も動かす事はないわ。ただ、不確定要素も多すぎるから⋯⋯」
小雪とあやめ様の会話を聞き流しながら、微かに脳内で引っかかっている何かを意識を向ける。
あやめ様の発言から、南街道が使えない事と近衛軍が2万も国境線で展開している事に焦点が当たっている。
けれど、これは本来の話から逸れた話だ。
あやめ様が僕達に伝えたかった事は護衛として派遣された事であり、それ以外は付随する内容でしかない。
なぜ、それをここまで大きく膨らますのか。
なぜ、本来の目的を語らずに付随する目的だけを語るのか。
目的を最初に言っている以上、理由を言えないのではなく、あやめ様は意図的に理由を言わないのだ。
そして、それが指し示すところというのは――
「あやめ様、お願いがあります」
「⋯⋯何かしら?」
話の焦点をずらされた今、小雪があやめ様を心配する気持ちは分からないでもない。
だが、それはあくまでも誘導であって、あやめ様が本来伝えたかった事は別にある。
さっきあやめ様は、玄悠様の考えを分かりかねると言っていた。
玄悠様が何を考え、どうして近衛軍を動かしたかは、玄悠様しか分からないという事。
それはつまり、あやめ様にしろ氏雅様にしろ、玄悠様の考えとは違った動きをしているという事。
あくまで可能性の話ではあるが、もしもそうであれば僕らよりもよっぽど身の危険はある。
そしてそんな危ない橋を渡るにおいて、氏雅様は雅楽を同行させている。
これが意味するところは、もう一つしか無いだろう。
「僕達は、南街道から大京国へ入ります」
「⋯⋯はぁ。さっき、南街道は使えないと――」
「それは、僕達だけなら⋯⋯ですよね」
近衛軍が僕達を相手にするしないに関わらず、大京国に入るには南街道からが最も早い事は変わらない。
そして、護衛名目であやめ様と雅楽⋯⋯あと、颯もいたのか。
気付かなければ気付かないまま終わってしまうような事でも、気付けば話は違ってくる。
これが氏雅様なりの僕に対する最大限の好意、ひいては中京国と大京国の未来に対する先行投資ということだろう。
「多少仄めかしはしましたが気付くとは思いませんでした。説明は必要ですか?」
「いえ、大丈夫です」
「話が早くて助かります」
急に話が変わった事で小雪が置いてけぼりになっているが、これで南街道を抜けていく事は決まった。
あとは堂々と抜けていくのか、それとも別のやり方を取るのか、その方法を考えるだけ。
「悠月殿が正しい答えに至った場合、一つお願いしないといけない事があります」
明日からの事を考えていると、ふっとあやめ様が微笑む。
それは氷のような冷たい微笑みで、無意識にこちらは顔をしかめる。
「私と手合わせしてください、悠月殿」