第10話 遭遇
「うっ⋯⋯」
「大丈夫ですか?お水飲みます?」
小雪が差し出してきた水筒を受け取り、中の水を一気に干す。
霊術による高速移動術、空蟬。
空蟬は自らの霊力で空気中に磁場を発生させることで、通常有り得ない速さでの移動を可能にする。
一般的には10代後半で習得する者が多い、高等技術。
高等技術なのだから当然、霊力の消耗というのは激しくなる。
僕はまだ10歳で保有する霊力量も多くないし、練度も抜群に低い。
霊力適性も【水】と、控えめに言っても平凡も平凡。
そんな僕が、霊力における特殊属性を2つも持つ小雪と一緒に空蟬を使ったらどうなるか。
「うっ⋯⋯気持ち悪い」
「坊っちゃん!ちょっ⋯⋯えぇー⋯⋯」
あっという間に霊力を使い果たし、こうして体内に収めた水を逆噴射する事になる。
それでも何とか街道脇の身を隠すのに丁度良い場所を見つけ、そこに隠れる事には成功した。
街道の多くは樹木からの侵食を避けるため、道の両端を大きく開いて見晴らしを良くしている。
だが、所々では樹木の侵食を防ぎきれていない場所もある。
僕らが身を隠したのは、そんな樹木が鬱蒼と生い茂った場所。
ここなら街道から離れすぎないため騎馬を見逃す事も無く、且つ見つかる心配も少ない。
「⋯⋯そろそろですかね」
小雪の呟きを合図に、彼方で地響きが聞こえ始める。
この統一されながらも雑多に鳴らされる地響きは、間違いなく騎馬集団によるものだろう。
空蟬は瞬間速度は騎馬よりも早いものの、持久力では劣る。
一時凌ぎで距離を空けたとしても、時間軸を長く取れば逃げ遂せるのは難しい。
あくまでも、無防備な状態での接触を避けるための時間稼ぎ。
相手の目的を知るに相応しい状況が整うまでの先延ばし。
逃げ切れない以上、躱すしか無い。
いや、もしかすると僕にもう少し持久力があれば話は違ったのか。
「坊っちゃん!」
小雪一人であれば、軽々と逃げ遂せたのかもしれない。
そんな事を考えている間に、眼下を騎馬が通過していく。
「7⋯⋯いや、5騎か」
砂塵を上げながら眼下を通過し、少し先の下り坂へと姿を消した騎馬集団。
馬の数は7頭だったが、実際に騎乗していた人数は5人。
最後尾の2頭は、おそらく不測の事態に備えた替え馬だろう。
馬と人間の数に差がある事には何ら疑問は無いし、気にもならない。
それよりも気になったのが――
「あやめ様⋯⋯でしたね」
「うん⋯⋯。でも、それだけじゃない」
騎馬集団の先頭にいた人物。
そして、その後ろを進む面々。
⋯⋯そのどれもが、僕の知る人達。
あやめ様を筆頭に、最後尾を走っていたのは氏雅様の家臣。
どちらも王宮内で見かけた事があり、つまりはそういうこと。
そして、そんな一筋縄ではいかない実力者達に守られる形で――
「どう思う?」
「雅楽様と颯様ですか⋯⋯。ちょっと、掴み辛くなってきましたね」
小雪が困惑するのも無理は無い。
聞いた僕自身もまた、目の前を通り過ぎた出来事に対して答えを決めかねている。
あの騎馬集団は氏雅様の息がかかったもの、それは間違いない。
そして、宰相である氏雅様の息がかかっているのであれば、その目的が汚れ仕事の可能性もある。
目的とするところ、それは⋯⋯人質の抹殺。
別に何ら驚くことでも、珍しい話でもない。
他国から預かった人質が行方不明になるなど、日常茶飯事。
その理由の大半が脱走を試みて行方不明になった、帰国途中に賊に襲われたなど。
とはいえ、そんな事を馬鹿正直に信じる人間などいない。
差し出した国が切り捨てない限り、預かる国にとって人質というのは有用なのだから。
事を起こす場合において王宮や城内など、人目があるところでは足がつきやすい。
こういった山中の人目が少ない場所であれば、自国にとって不都合もしくは不要となった人質は消しやすいだろう。
それが、小雪と僕が少しでも早く大京国内へ入ろうと、急ごうとしていた理由。
僕が山中での野宿を嫌がった理由。
考えすぎという者がいれば、笑えばいい。
僕の価値は、僕が一番良く分かっている。
踏み潰したところで、どこからも苦情は上がらない。
大京国の大人達も取り返しがつかないのであれば、不幸な出来事として閉口せざるを得ない。
そんな僕だからこそ、万が一は起こり得る。
そして、万が一は起こってからでは防ぎようも無い⋯⋯起こる前でしか、手は打てない。
「雅楽様と颯様が一緒だったのが引っかかりますね」
「⋯⋯どのみち、関わらない方がいい」
雅楽にしろ颯にしろ、まだ成人前。
そんな人間を引き連れて、何をしようというのか。
成人前ということは当然任官もしておらず、そんな人間が外交や政治の場に出ることは無い。
氏雅様は成人前の、それも自分の娘を、汚れ仕事の現場に立ち会わせるつもりなのか。
⋯⋯向こうにどんな事情があるにせよ、このままここに隠れているわけにもいかない。
それこそ、本当にここで野宿することになってしまう。
「山向こうに出たら、道を変えて南下しよう」
どのみち、山中を越えるまでは街道は一本道。
その間に再度遭遇しそうになったら、上手くやり過ごす他ない。
上手くやり過ごしつつ、最短で山向こうへ出る。
山を越えれば幾つかの街道が合わさる合流地点があり、そこから複数の選択肢を得られる。
最初に目指した宿場町に行くのは避けた方がいいだろう。
そこ以外にも、中規模や小規模な宿場町はあるのだから。
「行こうか」
暫く動かずにいたが、あやめ様達が戻ってくる気配は無い。
仮に朝一から僕らが全力で⋯⋯それこそ小雪が僕をおんぶしながら空蟬で移動していた場合、僕らと遭遇するのはもっとずっと先。
こんなところに隠れているなど、思いもしなかったのだろう。
まぁ、もっとも、その方が僕らにとっては都合が良い。
「暫くは様子を見ながら進むとして、索敵の方法だけど――」
「⋯⋯お二人とも、お話は終わりましたか?」