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神様から取り上げて  作者: 司弐紘
第二章 夏 ~神様のとっておき~
9/20

 街に戻ると、まだ夕食までには時間があった。

 僕は親方に、少し出てきてもいいかと尋ねて、許しを貰うと急いで商人街へと向かった。

 マリーカが後を付けてこないかと配だったけど、あんな話をしたあとなのにマリーカは何故か大人しいもので、どういう心境の変化か僕が出かける時に「いってらっしゃい」とまで言ってきた。

 僕はそんなマリーカの様子に首を捻りながらも、いつもの橋を渡る。

 教会まではもうすぐそこだ。自然に早足になる。空はまだ朱に染まってはいない。まだフリューはあの部屋にいるはずだ。

 行けば行ったで、きっと物凄い勢いで文句を言われるに違いないが、今の僕はその文句を聞くことさえ楽しみだった。

 そんな、少しばかり浮かれ気味の僕の背後から女の人の声がする。

「すいません」

 僕は、その声が自分に掛けられたものだとは思わなかった。第一、フリュー以外に商人街に知り合いはいない。

「ちょっと、お待ち下さい」

 もう一度声がした。何となく気になって振り返る。

 すると、声を出していた女の人はまっすぐに僕のことを見つめていた。不思議なことに僕を呼んでいたようだ。僕は首を捻りながらも問い返す。

「僕ですか?」

「そうです、ハンスさんですよね」

 女の人は、間違いなく僕の名前を呼んだ。

 誰だろうと思って、よく見てみる。きれいに切りそろえられた黒髪。かなりの美人だけど、その灰色の瞳と同じように、どこか冷たそうな印象を感じる。

何よりも着ている服が真っ黒なドレスで、それだけでもとっても陰気だった。

 一度会ったら、まず忘れられない出で立ちだ。

 だから、僕はこの人には一度も会ったことがないはずだ。なにしろ、まったく覚えがない。

「金の髪、緑の瞳、職人街風の出で立ち、そして革職人が持つ独特の臭い。全てが姉様の言う特徴にあてはまります。あなたはハンスさんのはずです」

 ところが相手の女の人は、僕のことをよく知っているらしかった。しかも、その口調は誰かに――フリューによく似ていた。

「ぼ、僕は確かにハンスだけど、あなたは?」

「私はフリューリングの妹でヒルデガルド。姉様からの言付けを仰せつかっています」

「妹?」

 ヒルデガルドと名乗った女の人は、確かにそう言った。

 フリューの妹だって。

 けれど、どう考えてもこの人がフリューより年下とは思えない。

 目の前の女の人はどうかすると僕より年上にだって見える。

 僕は、その疑問をそのまま口にした。

「あなたがフリューの妹だって言うんですか? でも、あなたはフリューよりずっと年上に見えるんですけど。あのフリューのお姉さんじゃないんですか?」

 僕がそう尋ねると、ヒルデガルドさんの表情に初めて変化が現れた。

「……あなた、何も知らないんですか?」

 眉をひそめながら、ヒルデガルドさんが逆に聞き返してくる。

「え? え、何のことですか?」

 本当に何のことを言っているのか、わからない。そんな戸惑う僕の手をヒルデガルドさんが握った。

「ちょっと、来て下さい」

 そのまま僕を引きずっていく。

 向かう先は、フリューと待ち合わせに使っている、あの教会みたいだった。僕はますます混乱する。

 この人はどこまで知っているんだろう?

 そして、僕の知らない何を知っているのだろう?


 ヒルデガルドさんが僕を教会に連れて行ったのは、静かなところで話がしたかっただけみたいで、僕とフリューがここで会っていることは知らないみたいだった。

 あの部屋に連れて行かれることもなく、今は二人並んで椅子に腰掛けて、イエス様の像を見上げている。

「あの、ヒルデガルドさん」

 間が持たずに、僕の方から話しかける。

「ヒルダでいいです。姉様もフリュー……と呼んでいらっしゃるのでしょう」

「あ、はい。そう呼んでます」

「そう……」

 また、ヒルデガルドさん……ヒルダさんの眉が寄せられる。

 くっきりした眉は形もよくて、見とれてしまうほどにきれいだったけれど、あまりいい話ではなさそうなことは見当が付いた。

「あ、あのヒルダさん。本当にフリューの妹さんなんですか?」

 僕は思いきって、訊いてみる。

 そうすると、ヒルダさんは大きく息を吸い込んで、

「姉は病気なんです」

 僕の方を見ないままで、ヒルダさんは言った。

「もう、長くないって医者は言います。私がまだ幼い頃からです」

 まっすぐにイエス様を見ながらヒルダさんが何か言っている。

「姉は幼い頃から患っていました。だから人より成長がずっと遅れているんです。私の方が身体が大きいのはそのためです」

 ヒルダさんは、そこまで言い切ってしまうと、再び動かなくなった。

 僕の方は、何を言われたのかすぐには理解できなかった。

 頭の中で、何かがグルングルンと回っている。座っているはずなのに、身体が宙に浮いてしまっているような、自分の居場所がわからなくなってしまったような、そんな心持ち。

 いや、自分が生きているのかどうかも、良くわからなくなっていた。

 世界に何が起こって居るんだ?

「え?」

 何か、とてつもなく不公平なものを感じて、誰かにその理由を尋ねたくて、思わずイエス様に訊いてしまった。だが、彫像は何も答えてはくれない。

 僕は何でも良いから返事が聞きたくて、横に居るはずのヒルダさんへと目を向ける。

 けれどヒルダさんも、何か言いたそうな表情で、イエス様を見ていた。

「……フリューは知っているんですか?」

 そんなヒルダさんの横顔に向かって僕はそう尋ねたけれど、その答えはもうわかっていた。フリューのことなら、僕にわからないはずがない。

「ハンスさん、わかっているんですよね?」

 僕の心を見透かしたかのように、ヒルダさんが逆に尋ねてくる。

 今までのフリューの言葉、ちょっとした仕草。

 そう、わからないはずがない。

 フリューは自分の時間が余りないことを知っているのだ。

 それがどんなに恐ろしいことなのか――

 僕には想像することも出来ない。

 いや、想像することから逃げていただけなのかも知れない。

 そして、フリューのそういった事情と向き合ってみれば、今日ヒルダさんが現れた理由も思いついてしまう。

 それがどんなに嫌なことだったとしても。

「そ、それじゃ、今日ヒルダさんが僕に会いに来たのは……」

「姉はベッドから起きあがれなくなりました。何かしなければならないことがあるって、もの凄くごねましたけど、家から出すわけにはいきません」

 感情のない声で、ヒルダさんは説明する。ヒルダさんもきっと怖いんだろう。

 フリューがずっと起きあがれないんじゃないかって。

「あんまり言うことを聞かないので、一つだけ姉の願いを聞くことにしました。それがあなたへの言付けです。あなたの名前を聞き出すのも一苦労でしたが……私があなたに会いに来ているのは、家の者も知りません」

 その言葉は、誰かへの言い訳のように聞こえた。

「それで、フリューはなんて?」

「『今日は都合が悪くて行けなくなった。必ず用意するから待っていて』……身体のことは、あなたには隠すつもりみたいだったようですけど……」

「僕は馬鹿だから」

 泣きそうになるのをこらえて、僕は言う。

「馬鹿だから、ヒルダさんが言ってくれなければ、ずっと気付かなかったかもしれない。フリューは僕の前では、すごく元気で、明るくて……」

 それもきっと無理をしていたんだろう。

「……だから、ありがとうヒルダさん」

 その言葉に、ヒルダさんの灰色の瞳に涙があふれそうになる。

 僕もきっと同じような目をしているに違いない。

 それをごまかすように僕は上を向くと、こう尋ねた。

「ぼ、僕は何をすれば……?」

 できる事が……できることがあって欲しい。僕は切実にそう願っていた。

「あなたと姉様はどこかで何かをしていたんでしょう」

 僕の言葉に、ヒルダさんがそう尋ねてきた。

 どこかとは、この教会なのだけれどフリューがそれを言っていない以上、僕からそれを言うわけにはいかない。

 そして“何か”も……

「それが何かは、言わなくてもいいです」

 先回りするかのように、ヒルダさんはそう言った。

「ただ、あなたはそれを続けて下さい。そうすれば私はあなたが待っていると伝えることが出来る。今の姉様には、それが一番の薬です」

 その言葉に、僕はうなずくしかなかった。

「じゃあ、僕からも言付けをお願いしてもいいですか」

 ヒルダさんがうなずくのを確認して、僕はこう言った。

「『僕はフリューならきっと出来ると信じている。ずっと待っているよ』」

 その言葉を、目を閉じて聞いていたヒルダさんは、刻みつけるように胸を押さえ、そして初めて笑顔を見せてくれた。

「ありがとう。なによりの薬になります」

 そして、いつもの別れの鐘が鳴った。


 僕はその日からも欠かさず毎週日曜日には、教会に行った。

 けれどもフリューは来ない。

 ヒルダさんを通じて言葉のやりとりはあったけれど、あの天使のような姿を見ることは出来なかった。

 そして夏が終わり秋が来て、僕たちの絵は白い部分を多く残したまま、一歩も先に進めなくなってしまった。


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