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神様から取り上げて  作者: 司弐紘
第二章 夏 ~神様のとっておき~
6/20

 次の日曜日――

 雨が降ることもなく――雨が降ったらフリューのところに行こうと思っていた――ゲオルグ親方のところの職人全員は、ピクニックに出かけることとなった。

 とはいっても、親方、おかみさん、マリーカ、レオナルド、それに僕といった五人しかいない。

 朝のミサが終わって、昨日の晩から用意していたというお弁当を詰め込んだバスケットを抱えて城門から外に出る。

 どっちに行くのだろうと思っていたら、どうやらあの教会から見える辺りに行くみたいだった。

「あの辺りって、何かあるのか?」

 バスケットを全部僕に持たせて、ぶらぶらと横を歩いているマリーカに僕は尋ねた。

「小川があるんだって。父さんとレオナルドは釣りをするって言ってた」

 教会から何度もあの丘を見ているけれど、そんなものは見えなかったけど、教会からは影になっているのかもしれない。

「あと泉」

 マリーカは続けてそう言ったが、それはさすがに信じられない。

 そんなものがあれば、絶対に気付いているはずだ。

 何しろ泉が見えているのなら、そこはきっと青に塗るはずで、つまり僕の絵では白いまんま残されていることになる。けれどあの絵の白いところは、もう空の部分しか残っていない。

 僕は首を捻りながら、さらに尋ねる。

「そんな泉あったかなぁ?」

「私も知らない。でも母さんがあるって。泉自体はそんなに大きくなくて、周りが木で覆われているから、ちょっと隠されてるみたいになってるんだって。昔父さんと母さんがよくそこで遊んだんだって言ってたよ」

 その説明を聞いて、僕は納得がいった。

 そう言われてみれば、僕は絵の端の方に木をたくさん描いた覚えがある。

 きっとそこが、泉のある場所なんだろう。

「その辺りでお弁当食べるつもりみたい。ねぇ、午後からは何しようか?」

 マリーカは何だか嬉しそうに尋ねてくるが、僕は別のことで頭が一杯になっていた。

 つまり、教会にいるはずのフリューからはこちらのことが丸見えなんじゃないかってことに。

 でも、ピクニックに行くことは言ってあるし、フリューは青を作ることに熱中して外を見ないかもしれない。

 もしも見られていたとしても、どちらにしろ来週は不機嫌な事に変わりはないだろう。

 僕は諦めることに決めた。

「ハンス、聞いてるの?」

「僕はレオナルドに話があるんだ」

 何にしてもマリーカに付き合うという選択肢はなかったけれど、フリューの機嫌を取るためにも、ここはきっちりとレオナルドの話を聞いておかなければならない。

「ここ最近、ずっとレオナルドとはお話ししてるじゃない」

 それはマリーカの言う通りなんだけど、これが最後の機会かもしれないと思うと、やっぱり重要なのはレオナルドと話をすることだ。

「このピクニックは、レオナルドのお別れ会なんだろ。じゃあやっぱりレオナルドと一緒にいるのが大切だと思うけど」

 僕の言葉にマリーカは、

「う~~~~~~」

 と唸って、先に行ってしまった。

 バスケットを抱え直して、僕もその後に続く。


 風はすっかりと秋めいていた。

 それでいて日差しは未だ夏のまま。

 絶好のピクニック日和だ。

 僕たちは泉があるという木の茂った場所にたどり着くと、その木陰に腰を下ろした。

 泉は本当にあるのかと、僕がその奥に進んでいくと、いつものようにマリーカが後ろから付いてくる。

 マリーカもおかみさんから聞いただけみたいだったし、これは仕方ないだろう。

 泉は程なく見つかった。

 空の色を映したかのように真っ青で、澄んだ泉だった。

「本当にあったね」

 横に並ぶマリーカが感心したような声を上げる。

「ああ」

 と僕は短く答えて、来た道を引き返す。

「もう行くの?」

「すぐにお昼だろ?」

 そう言うと、マリーカは小さく頷いて、やっぱり僕のあとを付いてくる。

 木々の間を抜けて、バスケットを置いた場所に戻ると、やっぱりおかみさんはもうバスケットの中身を広げていた。

 朝焼いたパンに、塩漬けした豚肉。朝市で買ってきた野菜達。

 見れば親方は鍋まで背負っているから、ここでシチューでも作るつもりなのかもしれない。

「マリーカ手伝っておくれ」

 おかみさんが僕の後ろにいるマリーカに声をかける。マリーカはその声にうなずいておかみさんの側へと行った。

「おまえはこっちだ」

 親方が僕を呼んでいる。

 僕が親方の側に行くと、手頃な石を拾ってこいと言われた。やっぱり竈を作るつもりみたいだ。向こうではレオナルドが小枝を集めている。

 僕はいつもは板の上に描き出している緑の上で、灰色の石を探し回った。

 フリューは、そんな僕を見てどう思うだろう、とそんなことを考えながら。


 昼ごはんも終わって、帰るまでの自由時間。

 親方とレオナルドはマリーカが言った通り、釣りを始めるらしい。二人して丘の向こうに消えて行った。その先の小川があるのだろう。

 僕は男同士の話があるから、とマリーカをおかみさんに預けて、レオナルドの後を追う。

 この際、親方に話を聞かれるのは仕方ないだろう。

 別に仕事の手がおろそかになっているわけでもないし、絵の話を聞くぐらいで怒ったりはしないはずだ。

 問題は、それからマリーカに話が伝わった場合なんだけど……その時はその時に考えよう。

 そう思いながら丘を越えると、キラキラと輝く小川が見える。教会から見える景色にこの小川が無いことが残念に思えるほどに、綺麗な風景だった。

 ただそうすると、やっぱり青が必要だ。

 世の中にはこんなに青が溢れているのに、どうして絵に写すことは出来ないんだろう?

 小川の水は手に取ってしまうと色が無くなってしまう。そして、そもそも空には手が届かない。

 僕は空に向けて一つため息を吐くと、改めて親方とレオナルドの姿を探した。二人とも小川の周りの岩の上に腰掛けていたが、どうしたわけか離れた場所に座って釣り糸を垂らしていた。

 これは都合がいいと思いながら、僕はレオナルドに近付いてゆく。

「君か。絵の話かい? もう最後の機会だもんな」

 すると岩の上のレオナルドから先に声をかけてきた。

「親方と一緒に釣るんじゃないんだね」

 見上げながら僕がそう聞き返すと、レオナルドは笑みを浮かべながら、

「実は釣りは勝負なんだよ。たくさん釣った方が勝ちなんだ」

 なるほど、とうなずきかけたが当然次の疑問が浮かんでくる。つまり、

「勝ったらどうなるの?」

 そういうことだ。

「今晩、ただでお酒が飲める」

 そう言って、レオナルドは声を上げて笑った。見れば、向こう岸にいる親方がこっちを見て難しい顔をしていた。おかみさんには内緒の話なんだろう。

 僕はわかったというように、親方に向かってうなずいて見せた。

 そうすると、親方は安心したのか再び川面に目を向ける。そして、僕たちも親方につられるようにして何となく川面を眺めてしまう。

 丘を降ってきた風が、緩やかに川面を撫でて波紋を作り出していた。

「絵の話はいいのかい?」

 そうしている内に、もう一度レオナルドが尋ねてきてくれくれた。そこで僕は彼の隣に腰を下ろすと、頭を捻ってみる。

 けれど訊くべきことが思いつかない。

「まぁ、僕もこれ以上教えてあげられることはあんまりないんだけどね」

 僕が悩んでいると、レオナルドはあっさりとそう言った。僕は驚いて顎の尖ったレオナルドの横顔に目を向ける。

 その横顔には静かな笑みが浮かんでいた。

 僕は何だかもやもやしたものが心の中に浮かんでくるのを感じる。

「そうなの?」

「君が絵を見せてくれるなら、何か言えるかもしれないけど、それだって余計なことかもしれない」

 レオナルドは川面を見ながら、突き放したようなことを言う。

「絵はね、描き始めたらもう誰も口出ししてはいけないと僕は思ってる。それを描き終えたと思えるのが、描き始めた当人だけなら、その途中だって当人だけで決めるべきだよ」

 なるほど、と僕は感心してレオナルドと一緒に再び川面を見つめた。

「……釣れないね」

「そうだね」

 レオナルドは気楽に言うけれど、向こう岸では親方が時々声を上げていた。

 これはまずいんじゃないだろうか?

 けれど、レオナルドは慌てない。

「……ねぇ君。ずっと気になっていたんだけど、青はどうしてるんだい? それとも青がなくても大丈夫な絵なのかな?」

「え……?」

 どうして、僕たちが悩んでいることがわかるのだろうと思って、再びレオナルドの方を見ると、彼は僕の方を見てニヤリと笑っていた。

「不思議でも何でもない。絵描きはね、いっつも青色のことについて悩んでるんだ。だってそんな絵の具は簡単に手に入らないんだからね」

 そうなのか、と僕はうなずきかけて、そこでレオナルドの物言いに引っ掛かった。

「簡単じゃなければ、手に入るの?」

 レオナルドは、川面に視線を戻しながら、

「ああ」

 とうなずいた。

「藍鉱石というものがあってね、それは青色なんだ。それを砕いて絵の具にする」

「それじゃ……」

「けれど、その石はすごく高い。値段が張るんだ。その石から作られる青色をなんて言うか知っているかい?」

 もちろんわかるはずがない。

 僕は首を横に振った。

 するとレオナルドは、釣り竿を引き上げて、餌のミミズを付け替えるために岩から降りた。そして適当な棒っきれを拾うと地面にこう描いた。


 Ultra Marine Blue


 もちろん僕は字が読めないのだけれど、何となく字の並び方がおかしいように思えた。

「これは英語でね」

 その疑問に答えるようにレオナルドが説明してくれた。

「意味は“海を越えてきた青”。読み方はウルトラマリンブルー」

「ウルトラマリンブルー」

 僕はその言葉を繰り返して呟いた。

 レオナルドはそれに構わず、釣り竿を片手に再び岩の上に登る。そして釣り針を小川に投げ込んだ。そして何かを暗唱するように、空を見上げながら説明を続けた。

「つまり、この辺りじゃ採れないんだよ――この辺りって言うのは君が想像している範囲よりも随分と大きいと思うよ。実はヨーロッパには無いんだその石は。だから船に乗って海を越えて運んでくるのさ。ものすごく高くなるのはわかるだろう」

 そんな意地悪を神様はしていたのか、と僕は愕然となる。

 けれどその時思い出したのは、フリューの青い瞳。

 いや、高くても何でも青い絵の具がこの世界にあるのなら、きっとフリューは青を作り出すに違いない。

 僕はそう思い直した。

 そして、青い絵の具があることをフリューに早く教えたくてムズムズしてくる。

「ちなみに聞くけど――」

 相変わらずののんびりした口調で、岩の上のレオナルドは尋ねてくる。

「青色は君の絵でどのぐらい使うことになるんだい?」

 その質問に僕は言葉につまる。けれどここで嘘を言っても仕方がない。僕は正直に答えることにした。

「絵の半分か、それ以上……」

 それを聞いたレオナルドの目が、岩の下から見ていてもはっきりとわかる程にまん丸になる。そして、次の瞬間には顔一面に笑みを浮かべていた。

「それはすごい。僕はそんな絵を今まで見たことがない。普通の絵描きはそんな絵を描こうだなんて、きっと思いもしないだろうからね。君が素人だから出来ることだ」

「馬鹿にしてる?」

「いやいや、純粋に感心してるのさ。完成したら、きっとそれはすごい絵になるよ」

 誉めてくれているのだと気付いて、僕の頬は熱くなる。

 レオナルドはそんな僕を見ながら、片方の手でその尖った顎を撫でていた。

「それじゃあ、僕もその絵の完成に向けて手伝わせて貰うよ。他の街に落ち着いたら、いいものを贈らせてもらう」

 青色の絵の具だろうかと思って、僕は期待に満ちた目をレオナルドに向けた。

 そんな僕に、レオナルドは笑ったままで首を振ってみせる。

「青の絵の具は無理だよ。僕だって修行中の職人なんだよ。でもそれはきっと役に立つ。それを君にあげよう。ただし、その前にお願いがある」

「な、なに?」

 一体何を言われるのかと、僕は少しばかりあとずさる。

「そんなに構えなくても良いよ。簡単なことだ。この後、マリーカちゃんと遊んでやってくれないか? このまま彼女の機嫌が悪いと、今晩の素敵な計画が台無しになってしまうかもしれない」

「で、でも……」

 現に釣れていないじゃないか、と言いそうになった僕の前でレオナルドが竿を引き上げた。すると糸の先では魚がピチピチとはね回っている。

 向こう岸で、親方が悲しみの声を上げていた。


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