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神様から取り上げて  作者: 司弐紘
第一章 春 ~出会い~
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「ハンス!」

 僕の天使が、階段の上に姿を現した。

 そして、そのまま身を投げ出して、僕の腕の中に飛び込んでくる。

「フリュー!」

 僕は慌てて抱きとめながら、その名を呼んだ。

 フリューの身体は小さくて軽くて、僕でも簡単に受け止められる。

 けれども危ないことに変わりはないから、僕は怒った顔をして見せた。

 フリューはそんな僕の顔を見て小さく舌を出して笑うと、

「だって、待ちきれなかったんだもの」

 と僕の首に抱きつきながらそう言った。そして、そのままついばむような小さなキス。

 日曜ごとにこの場所で出会いを重ねるうちに、僕らは“恋人同士”になっていたのだ。

「そんなに遅れたつもりはないけど。急いできたんだよ」

「でも、私より遅かった」

 むくれた顔をしてみせるフリューに今度は僕の方からキス。

 そして、フリューの身体を抱きかかえたままで、あの小部屋に入る。

 あれから彼女の説明を聞き続けているうちに、どうやらこの部屋は何代か前のこの教会の神父様が作らせた展望室みたいなものだったらしいと言うことがわかった。

 確かに大きく開かれた窓から見える景色はとってもきれいだった。

 窓は街を取り囲む城壁よりも高い場所にあるみたいで、街の外に広がる小高い丘も見える。季節柄、緑が随分とまぶしく見える。

 けれど、それよりも僕が気に入っているのは空がとても大きく見えることで、きっとこの部屋を作らせた神父様も空を見るためにこの部屋を作ったんじゃないかと思う。

 僕はそんな空が見える窓枠に、フリューをそっと座らせる。

 そして僕は床の上に直に腰を下ろした。

「ハンス。今週は何か面白いことがあった?」

 いつもの通り、まずはフリューからのおねだり。

 フリューは職人街での出来事にとても興味を惹かれているみたいで、だから僕はここフリューに話をするために、もの凄く気を付けながら仕事をしている。

 そんな僕をゲオルグ親方は誉めてくれるので、僕にとってフリューはやっぱり幸運を呼ぶ天使だった。

 今週、僕が仕入れてきた話は服職人のヨアヒムさんのところで起こった、犬も食わない夫婦喧嘩の話と、ウチに修行に来ているレオナルドさんが話してくれたミラノという街の話だ。

 本当はマリーカの失敗話もあるんだけど、フリューには出来るだけ他の女の子の話はしないことにしている。

 僕が話したくないって言うより、フリューがあからさまに不機嫌になって手も付けられなくなるからだ。

「私はね、空に浮く薬を作ってみようって思ったのよ」

 僕の話が終わると、今度はフリューの番だ。大体はこんな風に目標を宣言することから始まる。

「うまくいきそう?」

「それがね。やっぱり難しいのよ。一応理論だけは組み立ててみたんだけど……」

 そうやって、フリューのいつもの説明が始まる。

 最初に会った、あの日のように幾つもの本を引っ張り出して、あれやこれやと説明してくれるが、残念なことにいつもほとんど何を言っているのかわからないのだ。

 ただ、有り難いことに目的がはっきりしている分、あの時ほど説明は長くない。

 それに、今回の話は少しばっかり理解できるところもあった。

 多分だけど、空気よりも軽い何かを飲み込めばいい、とフリューは言っているように思える。

 僕の勘だと、きっとこれは危険な思いつきだ。

 少しばかり嫌な汗が、背中に吹き出してくるのを感じた。

「つまり、この前のあだ名と同じで実行に移すまでもなく、頭の中だけで失敗が判明してしまったのよ。無駄な労力を使わずに済んだ分だけは幸運だったかもしれないわね」

 僕は心の中で、ほっと安堵の息を漏らした。

「残念だね。空を飛ぶっていうのは素敵な思いつきだと思うよ」

 落ち込んでいるかも知れないと思って、僕は慰めの言葉を口にする。

 そして何となく窓の外の景色を眺めながら、

「うまくいけば、もっと高いところから、あの空を見ることが出来たかもしれないのに」

 思いつきで言ってしまったけど、それは僕の本当に正直な気持ちだった。フリューの瞳の色に似た、あの空を僕はもっと大きく見てみたかった。

 そんな風に思いながら、窓枠に座るフリューに目を遣ると、その身体がフルフルと震えていた。もう春になってから随分立つし、夏ももうすぐそこまで来ているこの季節に寒いというはずもない。

 どこか身体の具合でも悪いのかと、僕が腰を上げようとしたところにフリューが飛びついてきた。

 そんな状態だったので、僕はバランスを崩して仰向けに寝っ転がって背中を打ってしまう。一瞬、気が遠くなる僕の上にフリューは乗っかって、

「私も!!」

 と、太陽みたいな笑顔でそう言った。

「え?」

「私も思ったの! 空に浮くことが出来れば、もっと空が見えるのにって!」

 そう言って、フリューは僕の顔にキスの雨を降らせる。

「好き! 好き! 好き!」

 嬉しい。

 嬉しいけれど意識が朦朧としている時に、正直これは堪える。とりあえず身体の上で激しく動き回られないように、僕はフリュー頭を抱え込んで胸に押しつける。

 それでもしばらくは、フリューは僕の腕の中でじたばたと動いていたが、やがて大人しくなった。

 そこで僕は、ふぅ、と一息吐いて改めてフリューの姿を確認する。

 するとフリューは顔だけを僕に向けてにっこりと微笑んでいた。そして何かをねだるようにして、その碧い瞳を閉じる。

 僕はフリューの上半身を起こし、同時に自分の身体も起こして、その唇にそっとキスをした。

 そしてどちからともなく唇を離し、お互いの瞳を見つめ合った。

 フリューの碧い瞳に映る僕の顔は、どうにも間抜けな顔をしていた。フリューが変に思わなければいいのだけれど。

 もっとも、フリューの顔は物凄く真っ赤になっていて、僕の顔が見えているかどうかも怪しい物だとは思う。今の内にもう一度フリューを抱きしめて腕の中にしまい込んでしまうことに決めた、

 フリューもそれに逆らうようなことはせずに、大人しく僕の腕の中に閉じこめられている。どうやら落ち着いてくれたらしい。

 いつからこういう関係――つまりは、恋人同士ということだけど――になったのかはっきり覚えていない。

 僕はフリューが大好きで、フリューも僕を好きでいてくれる。

 それで、毎週毎に会っているのだから二人が恋人同士になるのは、自然な話じゃないかと僕は思う。

 つまり大事なのは、今だと言うことで恋人になった日付のことまで細かく覚えるのは大事なことではないと思うのだ。

 そもそも教皇様が、今の位置にお就きになられてから何日目だとか、そんなこといちいち覚えてられない。商人街の人は随分と暇なものだ。

 が、そういう主張をフリューの前で行うこともこれまたややこしいことになる。

 教皇様の日付云々はきっと同じ意見だと思う。何しろ錬金術師を自認しているし。問題はフリューは僕と恋人同士になった日付がはっきりしていると思っていて、最近そんな話をよくするのだ。

 金色の太陽とか、若葉の緑色とか、良くわからない言葉も一緒に言い出してくるから益々混乱する。

「そうだ、ハンス!」

 彼女を腕の中に収めながら、不満に苛まれていると突然にその主が声を上げた。僕は咄嗟に彼女を抱きしめる。

「こら、ハンス。痛いでしょ!」

 そう言いながら、フリューはまたもぞもぞと身体を動かし始めた。

「じゃあ、何を言い出すつもりなのか教えてくれ」

「え……ああ、大丈夫よ。“例の日付”の事じゃないから」

 そう言ってフリューはクスリと笑みを浮かべた。

「実はね、ハンスが来るまでに新しい本を読んでいたら面白い話を見つけてね」

 言うが早いが、フリューは僕の腕の中から飛び出した。そして積まれた本の山に近づいたゆく。有り難いことに、本の数は初めて会った時から増えていない。

 もっともフリューはもう、僕が字を読めないのは知っているから、それを気遣ってくれているのだろう。

 そんな本の山の市場上に置かれてある、赤い表紙の薄い本を手に取った。

「そう、この本よ」

 言いながら、フリューはその本を手に僕の元に戻ってくる。そして、当たり前のような顔をして僕の上に再びまたがった。

 ――僕は椅子じゃないんだけどな。

「この本はね、私の蔵書の中では珍しく神様のことについて書かれてるんだけどね」

「ゾウショって何だい?」

「ああ……えっと、つまり私の持っている本ってことよ」

 わかりやすい説明に、僕は黙って頷いた。ただ、持っている本の中で神様の事について書かれている本が珍しいっていうのが良くわからなかった。

 何しろ僕は本と言えば聖書しか知らない。そして聖書の中には神様の話しか載っていない……のだと思う。

「この本に書かれているのは、そうね童話みたいなものかしら。それがちょっと小難しくなったり、神様とか天使とかがついて回る話になったりしているの」

「はぁ」

 だんだん、いつもと同じ状態になってきた。こうなると僕は、ただ相づちを打つしかできなくなってしまう。

 フリューは僕の上に座ったままで、気分良くその童話のようなものを語り始めた。何が何だか良くわからない話だったけど、フリューの最後の言葉が物語の全部を言い表しているように思える。

 ――つまりこうだ

「だから、男の人に愛されないままで天に召された女の人は、天使になるんだって。そういう風に書いてあるの」

 本を胸に抱えたままフリューはそう言った。

 僕はフリューが言った意味をよく考えてみた。

 それと一緒に、今フリューが抱えている本にどんな話が載っているのかを思い出してみる。

 “男の人に愛されない”というのはつまり……

 童話が小難しくなったというのはつまりそういうことなんじゃないろうか?

 僕はじっとフリューの目が開くのを待った。フリューは今、うっとりと目を閉じて何となく上を向いている。こういうフリューの状態を表す良い言葉があったと思う。

 なんだたっけ……ええと……

 そうやって考えている内に、フリューの目が開いた。

 しばらく二人でじっと目を合わせあった後、僕はゆっくりと聞き返した。

「それがどんな意味かわかっているのかい、フリュー?」

 こう切り出すことに、随分と勇気がいった。

 するとフリューは目を何度も瞬かせた後に、少し胸を反らしながら答えた。

「ちゃんとわかってるわよ。つまり、私はもう天使になれないって事でしょう。ハンスがこんなに愛してくれるんだから」

 そう言ってくれるのは嬉しいけれど、フリューはきっと勘違いしている。それに天使になれなくて、嬉しく思えるなんてやっぱりフリュー変わっている。普通はやっぱり少しばかりは残念に思うものじゃないだろうか。

 それはとにかく僕はもう一度勇気を振り絞る必要がある。

「それは……ちょっと違うかも、フリュー」

 そういった知識は、あけすけな職人街に住んでいる僕の方が豊富だった。だからこの場合の“愛される”っていうのがどんな意味なのかは、おおよそ正確に理解できている。

 つまりキスしかしていない僕たちは、フリューが抱えている本のいうような状態にはなっていないということだ。

 フリューとそういう状態に……なりたくないとは言わないけれど、フリューはちょっと小さすぎると思う。

 フリューの身体がもっと大きくなってからの方がいいんじゃないかと僕は考えていた。

 だが、それをどうしたってフリューに説明しづらいのが僕の辛いところだ。

 そうやって二の句を告げないでいると、見る見るうちにフリューの青い瞳に涙が浮かび始めていた。 

「どうして? ハンスは私のこと好きじゃないの?」

 泣きそうなフリューに、僕はあれこれと言葉を探してみたが、そんな簡単に見つかるはずもない。結局一番大事なことを言うことにした。

「僕はフリューが大好きだよ。それは信じてくれるだろう?」

「うん……それは……そうだけど」

 僕は上半身を起こすと、フリューの脇の下に腕を入れて持ち上げる。そして丁寧にフリューの身体を傍らに降ろした。

 そして、その青い瞳をじっと見つめ、その間にもう一度言葉を探す。

 あれこれと考えていく内に、言葉よりもフリューの気をそらせる方法を思いついた。

「あのね、フリュー。とっても痛いんだ。僕はそう聞いてる」

 順序だって色んな説明をすることあきらめて、僕は肝心――だと思われる部分だけを口にした。そうすれば、兎にも角にもフリューは怖じ気づくに違いない。

「な、何が?」

 狙い通り明らかに怯えた表情で、フリューは聞き返してきた。

「その本に書いてある通りのことをすると、フリューはとっても痛い思いをしなくちゃいけなくなるらしいんだ。だから僕はそんなことしたくない」

「で、でも……」

 複雑な表情を浮かべる、フリュー。

「大丈夫だよ。僕たちはとっても好き合っているんだ。ゆっくりといこうよ」

 そう言って僕は、フリューにゆっくりとしたキスを贈った。

 ゴーーーーーーン……

 その途中、教会の鐘が鳴った。 


 それから僕たちはたわいもない話をして時を過ごした。そして何の気なしに窓の外を見れば、もう街は赤く染まり始めている。

 身体を預けるようにして、僕の側に座っているフリューの表情はとても寂しそうだった。

 けれど、僕は告げなければならなかった。

「フリュー、時間だよ」

「うん……」

 本当はもっとフリューと一緒にいたい。

 けれど、そんな一時のわがままで親方を怒らせて、日曜日ごとのこの時間が無くなってしまうことの方が僕にはイヤだった。

「あんな赤い空は嫌い」

 窓から見える空は、フリューの言う通り赤い。それは僕たちにとって別れを告げる色だった。

「空がずっと青ければいいのに。それもハンスと出会った頃のような春の空の色がいい」

 もう夏はそこまで来ていて、空の青もずいぶんと濃さを増していた。

 でも、僕は易々と春の青を思い浮かべることが出来る。

 ――なぜならそれは、フリューの瞳の青だったから。


「フリュー、絵を描いてみようか」


 そんな言葉が僕の口からあふれたのは、きっとフリューの“青”に酔ってしまったせいだ。

 確かにレオナルドが絵を描くことが出来るという話を聞いたことがある。

 けれど、それと同時にとってもお金がかかって、絵の具を用意するのも難しいって話も聞いていたはずだ。

 振り返ったフリューもやっぱり驚いた表情で、僕を見つめている。

「あ、ご、ごめん。考えなしに言っちゃった。今のナシ、忘れ……」

「それって春の絵を描こうって話よね。私達が会った頃の!」

 フリューは、火がついたみたいに勢い込んで僕に訊いてくる。そうなると、僕も答えないわけにはいかない。

「そ、そう思ったよ。だけど、フリュー……」

「凄くいい考えだわ。素敵よ、さすが私のハンス! とっても好き!!」

「あ、あ、でもねフリュー、無理なんだよ。絵の具がね……」

「色なら私が作ってあげるわ! 私をなんだと思ってるの?」

 錬金術師。

 ……に憧れる女の子。

 でもまぁ、フリューなら色を作るぐらいはできるかもしれない。

 僕はここ最近、めっきり使われなくなった散乱した実験器具を改めて見渡した。

「ハンスはレオナルドって人に絵の描き方を教えて貰ってきてね。次の日曜日から始めましょう。私が色を作って、あなたが絵を描きながら職人街の話をして、それから……」

 フリューは僕の唇に飛びついてキスをする。

 そして、階段を駆け下りていった。

「きっとよ~~~!」

 僕はそんなフリューの後ろ姿を見つめることしかできなかった。


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