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神様から取り上げて  作者: 司弐紘
第三章 秋 ~立ち止まる世界~
11/20

10

 結局、神父様はやっぱり常識の人で、マリーカの非常識なお願いには応じてくれなかった。

 今回もマリーカの熱意は空回りして、手紙の内容を知ったのは夕食の時、親方が読み上げてくれた時だ。

 内容は無事に次の街に着いた、そしてその街がどんな様子なのか、というような知らせがほとんどだったらしい。

 それだけの内容にしては、たくさん書いてあったようにも思えたけど、僕は字がわからないから、そういうものなんだろう。

「どんな街なの?」

 ほとんどご飯を食べ終えたマリーカがそう尋ねると、ジョッキを片手に持った親方が遠い目をした。

「そうだな。俺も昔、修行に行ったことがあるけどここよりはずっと都会だ。人も多いし……」

「へぇ」

「やたらに学者がいてな。革の装丁の注文をたくさん頼まれた覚えがあるな」

 僕は何となく聞き流していたが、その時頭の中に閃くものがあった。

「親方、その街って医者はどれぐらいいるの?」

 突然の質問だったが、親方は少し考えてから、こう答えてくれた。

「ちゃんとした医者も、もちろんたくさんいる。あと医者の卵とか、病気のことを詳しく調べようとしている医者もいる。要するに医者の先生だな」

 それは僕が一番、期待していた言葉だった。

 ――何かできるかもしれない。

 僕は勢い込んで、さらに親方に尋ねる。

「親方、レオナルドのところに手紙を送ることは出来る?」

「あ、ああ。そりゃ出来るが……でも、お前字が……あ、俺が書けばいいのか」

「いや、今からでも覚えるよ。そんなに本格的に覚えなくても良いんだ。手紙が書ければ十分だし……」

 それにきっとヒルダさんは字が読める。

 

 次の日曜日、早速ヒルダさんに僕の考えを話した。

 簡単に言うと、マドレッセンよりも大きな街から、もっと偉いお医者さんを呼んだらどうだろうかということだ。

 そして、そういった街にもう知り合いが居て、今なら手を貸してくれるかも知れないというところまで話をした。

 教会の椅子に腰掛けて、最初は冷ややかに話を聞いていたヒルダさんも、最後には少し表情を動かしてくれた。

「……でも、姉様の病気は……」

「前に診てもらったときはダメでも、今は違うかもしれない」

「そ、それは……」

「それに、偉いお医者さんの先生も診に来てくれたわけではないんでしょう? イヤな言い方だけど、珍しい病気だと知ればこの街に来てくれるかもしれない。そうしたら意外にあっさり治す方法が見つかるのかもしれない」

 あまりにも都合のいいことばかり言っているとはわかっているけれど、こうなる可能性は全然ないわけじゃない。

「……わかりました。とにかく手紙を書いてみましょう。住所は?」

「うん。親方から手紙を借りてきた」

 僕の差し出した封筒を受け取ると、ヒルダさんは中から手紙を引っ張り出して、すばやく住所の書いてある部分に目を通した。

 そして、小さくうなずく。

 今、レオナルドがいる街はきっと親方が言うような街なんだろう。

「手紙の内容は、私に任せてもらえますね」

「うん。僕は字が書けないし……」

 そこまで言いかけて、ある心配が頭をよぎった。

「でもレオナルドにいきなりヒルダさんからの手紙が来たら驚くかもしれないな」

 ヒルダさんも、僕のその言葉には深くうなずいた。

「それも、そうですね。じゃあとにかく何か挨拶と、どうして欲しいのかを考えて文章にして下さい。私が書きますから。これも言付けになりますね」

 珍しくヒルダさんが笑みを見せた。

「わかった。今から考えてみます」

「それと、自分のお名前ぐらいは自分でお書きになった方がいいですよ。手紙の最後に書いて下さい」

「でも……」

「“ハンス”とは、こう書きます」

 そう言うとヒルダさんは僕の手のひらの上に、指で文字を書いていく。

 もちろんその後に字が残るわけではないけれど、その時初めて僕は自分の名前の書き方を知った。


 ――H、a、n、s


 その文字を頭の中に刻みつけながら、僕はレオナルドへの手紙の内容を考えた。

 ヒルダさんは、フムフムとうなずきながら僕の言葉を頭の中に収めていってくれている。それに時には助言もしてくれた。

 そして、それも済むとヒルダさんはいつもよりきびきびした動きで立ち上がった。

「では、また来週。来週までには何とかして手紙を用意してみます。姉様の身体の具合を詳しく書いたものを侍医に用意させましょう。レオナルドさんという方はそれを持って他の先生に尋ねてもらえれば済むように」

「そうか。その方がいいですね。さすがにヒルダさんは頭がいいなぁ」

「ハンスさんもそれまでには名前を書けるように、練習しておいて下さい」

「う、うん」

「それで、姉様への言付けは?」

「そうですね。『がんばれ。僕もがんばる』と伝えて下さい」

 それを聞いて、ヒルダさんは少し表情を動かしてこう言った。

「嘘をつかなくていいって、いいことですね」

 僕はその言葉に力強くうなずいた。


 それから何回かの日曜日が過ぎて、レオナルドが協力してくれるという返事が届いた。

 後はもう、都合よく事が運ぶのを信じて待ち続けるしかない。

 そう思っていた僕に、ある日親方からこんな話を持ち出された。

「ハンス、俺は春にでもお前を修行に出そうと思ってたんだ」

「修行に……」

 僕たち見習い職人は一人の親方のところである程度修行をしたら、他の街の親方のところに修行に出ることになる。これはもう昔からの決まりで、職人になると決めたときからいつかはやってくることだとわかっていた。

「ああ、お前はもうそれだけの腕は持ってる。ただ、最近字を覚え始めただろう。それなら後一年ぐらい遅くしてもいいかとも、思い直してるところなんだが、字なら別に他の街でも習えるしな」

 お前が決めろ、と親方は言ってきた。

 僕の答えは決まっていた。

「行きます、修行」

 この街にいても、これ以上フリューのために出来ることはありそうにない。

 それなら街の外に出て、レオナルドみたいにお医者さんを探してみた方がいい。

 修行は、街から街へと渡り歩く。

 一つの街がダメでも、次から次へと街をあたっていけばその内……

 フリューの側から離れてしまうのは寂しいけれど、字を覚えることが出来れば、フリューに手紙を書くことだって出来る。もしフリューから返事が来ればそれを読むことだって出来るだろう。

 なら、僕は絶対街の外――修行に出るべきだ。

 何も出来ることがないと、落ち込んでいた日々を思い出すと恥ずかしくなる。

 まだ僕には出来ることがこんなにあるじゃないか。

「そうか……じゃあこれからは今まで以上にビシビシ行くからな。それから字ももう少し覚えていけ」

「はい!」

 僕は勢いよく返事をした。

 次の日曜日には、ヒルダさんにこのことを言って、そして一目でもいいからフリューに会わせて貰おう。

 話なんか出来なくてもいい。

 ただ、街を出る前に一目だけでいいから、あの天使のような姿を目に焼き付けて起きたい……


 けれど、その日曜日が来る前に僕の前には嵐が訪れていた。

 マリーカだ。

 夕食の時に、僕が修行に行くって話を聞いたマリーカは突然大荒れして、散々わめきちらした挙げ句に、ほとんどご飯を食べないで部屋の隅に座り込むと、物凄い目つきで親方を睨んでいた。

 それで収まってくれれば良かったんだけど、夜になると僕が寝ていた屋根裏部屋にいきなり飛び込んできた。

「な、何だ? 何だ!」

「あたし聞いてない!」

 眠り端をいきなり起こされたので、僕はぶっきらぼうに答える。

 何についてなのかは考えるまでもない。

 僕の修行のことだろう。

「おまえに関係ないだろ」

「関係あるもん!」

 マリーカの話に理屈を求めることは無駄だとわかっていたので、僕は頭を振り振り、別の方向から言い返した。

「いつかは修行に出なくちゃいけないこと、マリーカだって知ってるだろう?」

 知らないはずはない。

 なんせ、マリーカは親方の娘なんだから。

「そ、それは……」

 狙い通り、マリーカの勢いが減ったいった。

「革職人としての修行だけなら、親方のところにずっと居てもいいのかもしれない。でも僕は他にやりたいことがあるんだ。だから街を出る」

 なんと言われようとも、僕の決意に変わりはない。

 それを伝えるために、僕は語気を強めて宣言した。

 さすがにマリーカも黙り込む。

 そして、唇を噛み締める。

「は、ハンスは……日曜日に……」

「え?」

 意外な言葉を聞いて、僕は声をあげた。

 日曜日がなんだって?

 そして、この前の手紙を持ってうろうろしていたマリーカの姿を思い出す。

 マリーカは日曜日に僕が何をしているのか知ってるんじゃ……?

 そんな疑問が思い浮かぶけれど、ぼくはすぐにそれを否定した。

 マリーカは商人街には入って来れないんだ。

「……何でもない」

 そんな僕の考えを後押しするように、マリーカの言葉は続かなかった。

 僕はホッと胸をなで下ろす。

 別にやましい事をしていた覚えはないのに、マリーカに知られることを僕は怖がっていたのだろうか。

「帰ってくるよね……?」

 やがて紡ぎ出された、マリーカにしては珍しく小さなか細い声。

 僕はその言葉で、改めて街を出て行った先のことに思いを馳せた。

 フリューの身体のことはヒルダさんや、フリューの両親だって手を尽くしているだろう。 これは、という手応えを感じるまでどのぐらい時間がかかるのかも見当がつかない。

 きっとそれは“青”を探すような旅になる。

 でも、きっと“青”はあるはずだ。

それまで僕はこの街には帰ってこないつもりだ。

 もしかしたら、いや、帰ってこられない可能性も随分高い――

「きっと帰ってくる」

 それでも僕は帰ってこなければならない。この街を――いや、それどころか商人街から出たこともないフリューのためにも。

 そしていつかフリューと一緒に街を出て、あの青い空の下であの笑顔を見たい。

 そう決意を込めて言った言葉に、マリーカは結局、何も言い返さず屋根裏部屋を去っていった。

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