幻の絵
その絵は――
18世紀初頭には、確かにフランス北部、現在のドイツとの国境近くの修道院に保管されていたと記録されていた。
今はもう、その修道院自体が消失していた。
もちろん絵の行方も知れたものではない。
ナチの略奪にあったのだ、ともっともらしく語る者もいれば、それ以前の戦乱で失われてしまったのだと、訳知り顔で語る者もいる。
どこにあるかわからなくなってしまったから、幻の絵――
――というわけではない。
その絵は、人の目に触れていた時からすでに幻だった。
なぜなら、それは当時“存在するはずがない”絵だったのだから。
描かれた時代には、なかったはずの“色”が、画面全体に使われていたからである。
絵のタイトルは「春のマドレッセン」
サインは、Hans、1611,12,25
修道院でその幻の絵を実際に見た、フィレンツェの美術評論家ヴァリーザは、その絵について著書の中でこう書き残している。
「取り立てて観るべきところのない平凡な風景。シュトゥットガルトから見渡せる黒い森は画面を重くしている。緊張感のない構図。城壁はただ白く、融和が見られない――」
この評論家はこう書き出し、その絵について批判を並べ立てることを至上の命題としているかのようだった。
だが、その先を読み進めていけば、ヴァリーザは実に古典的な手法で、この絵を賞賛しようとしていることがわかるだろう。
つまり、彼は最初に決定的にこの絵を批判することによって、この絵における最大の特徴を際だたせようと苦心していたのだ。
「――だが、見よ! その画面を支配する天上の色を! 明るく生き生きとしたその色が、画面の全てに躍動感を与え、暖かな光の中に我々を誘う」
ヴァリーザは尚も語り続け、その最後にこう記している。
「我はこの色をこう名付けよう。その色の名は――