密談・希望の天使教会(後)
「騒々しい。一旦黙れ。」
白鶴さんが一喝すると、二人は口論をやめて睨み合うだけになった。長椅子から立ちあがり、エスさんに向かう。
「エス、お前はもう少し人の立場の違いを考えろ。冷静に考えてみろ、人の子、しかも誰かに常に庇護されるような立場の人間が庇護する側の目の前でおいそれとよく知りもしない怪しい場所に立ち入らせられそうになって、安心して見ていられると思うか?」
それは、……まあそうだけど、とエスさんは口ごもる。そして、そのまま今度は黒江の方を見る。
「あんたもあんただ。雇い主が不安なのはわかるがだからと言って他者を不必要に貶めてまで行かせまいとするな。見苦しい。それに行くか行かないかはその子供に決定権はある。仮に無理矢理閉じ込めたところで脱け出されてしまうのが関の山だな。」
黒江は下唇を噛んで俯く。そんな様子を見ていると、私の目の前に白鶴さんは立った。
「お前はどうする?今ここで決めろ。行くか行かないか。」
「はっきり言っておくよ、行っても行かなくてもここで人が妖魔に対処できる最低限度の知識だけは教えてあげるけど、根本的な解決にはならないから行っても望む知識は得られないかもしれない。例え望む結果が得られても、精々ちょっとした時間稼ぎにしかならない。ああ、多分許しちゃくれないだろうけど、ここで今人として死ぬってのもありだよ。白鶴さんなら傷もなく痛みもなく安らかに死なせてくれるからね。」
この場にいる全員が白鶴さんに注目する。
白鶴さんは表情を変えることもなく、ただじっと私を見ていた。
朱に交われば朱になる。妖魔に関われば妖魔に近付く。
もう私は普通の女の子ですらないことも、放っておけばそのうち妖魔になってしまうことも、ある程度は覚悟していたつもりだった。でも、それは表面上だけで、結局のところは覚悟なんてできていなかったのだろう。
人間として死ぬことはできないと断言されて、動揺した。
次に、家族の顔が思い浮かんだ。
お父様もお母様も妖魔とは全く関係のない社交界で生きている。お姉様はどれだけ馬鹿にされてもやりたいようにやろうと頑張っている。作太郎お兄様はずっと病気と戦ってきた。忠幸お兄様も軍人として日々戦っている。弘毅だって今は幼くとも、毎日成長している。私以外皆強い。お咲だって、黒江だって、みんな家族として好きだ。あの家は決していい家ではなかったとしても、そこは私の居場所だ。
私が人間でなくなって、家族に認識されなくなったとしても、それでも、きっと私は家族としてあの家に帰りたいから。
腹を括ろう。人間として死ぬことはできなくても、家族に顔向けできなくとも。守られてばかりで、弱いまま妖魔になるのは嫌だ。
「私は、行きます。」
そうか、と白鶴さんは踵をかえし、講壇の奥まで帰っていく。
「今晩22時、家の外まで出てこい。誰にも見つかるな。」
黒江はじっと私を見て、そして曖昧に笑った。その微笑んだ姿を、昔私はどこかで見たような気がした。
「じゃあ、相互助成組合の最低限二大ルールを教えてあげんね。」
そう言ってエスさんは一枚の面を出した。紙製で、中央にお札が貼ってあった。
「これは絶対外しちゃ駄目だよ。あそこに来るのは人間、半妖魔、そして妖魔だ。人間には顔を知られたくない後ろめたい事情を持ってるやつも多い。君はそこそこ進行度が高いから臭いまではそこまで誤魔化さなくていいと思う。」
「次に名前や所属は聞かないことだ。聞いてもはぐらかされると思うけど。名前は相手を縛るものさ。妖魔に名前を知られたらまず死ぬと思ってくれていい。名乗っても偽名ね。俺や白鶴さんみたいに人の姿をしているかもしれないから、絶対外で名前を聞かれても答えちゃ駄目だよ。後は、現地で白鶴さんが教えてくれる。」
黒江と私は席を立ち、エスさんの先導でドアまで行く。
エスさんはドアの前で立ち止まって振り向いた。黒江は少しエスさんを警戒しているようで、握る手には力が籠る。
「じゃあ、また来てね。できたらイリヤと一緒に。あいつ、俺をここに閉じ込めるだけ閉じこめておいて全く来やしない。」
ちょっとだけ遠くをみながら、エスさんは笑った。入谷先生とはどんな関係なのかは全くわからないが、私にここを紹介するくらいだからきっと友達ではあるのだろう。
「ここであった事は、誰にも言わないでね。俺たちのなーいーしょ。」
茶目っ気のある笑顔、人差し指を立てて口元に当て、もう反対の手でドアは開けられた。またね、と手を振って、私たちは家路を急ぐ。




