「破邪の太刀」湖畔より来る
行きたくないと思っていた日がとうとうやって来た。生憎その日は3日続いた雨が止んでしまっていた。明日くらいまで雨が降っていれば天候を理由に会が流れないものかと考えて、止めた。考えてみたところで今日の外出は決定事項だ。それに雨が降っていたところで外で遊ぶか建物の中で遊ぶかの違いにしかならない。
行きの車の中、お姉様と二人。お姉さまも渋々といった様子であまり乗り気ではなさそうだ。いつもは私はお姉さまを見送るだけなのだけれど、今回は一緒に参加することになっている。不安と緊張で足が震えていた。そんな様子を見かねてか、お姉さまは眉を寄せて苦言を呈す。
「私はあなたの面倒は見ないから。恥は晒さないでよ。」
お姉様は、私が小さい頃はよく一緒にいた。一緒に遊んだりはしなかった。むしろ私が一方的にくっついてそれを拒まなかっただけで、本心はあまりいい気はしていなかっただろう。なにせ私を妹だと認めていない。当たり前のようにそう言われたとき、そっけない態度に私の方が折れてしまって今では顔を会わせる時間は極端に少ない。
忠幸お兄様も、本心では私を兄妹と認めていないのを知っている。ただあの人にとって家族は道具の一つという認識でしかないので、今回のように都合のいいときだけ声はかかる。
車から降りた先は植物園の入り口で、忠幸お兄様が待っていた。
陸軍に所属しているだけあってお兄様は鍛えている。作太郎お兄様のような虚弱さや儚い美しさとは無縁ながっしりとした体格で、実は横から見ると下顎が出ている。
鼻や口の大きさに比べると小さく見える鋭い眼光は車から降りた私たちを頭から爪先まで一瞥する。
「ちゃんと送ったものは着けてきたようだな。まあいい。さっさと行くぞ。」
連れてこられた先は藤棚の下に設けられたベンチだ。そこには身なりのいい男性が四、五人ほど待っていた。お兄様のお友達……ご学友、もしくは軍部の知り合いが殆どで、当然ながら女性や同じくらいの年の人は居ない。顔には意地でも出さないが辟易する。
「やあ、待たせたね。花見にはやはり多少なりとも華がある方がいいだろう?僕の……妹たちだ。」
「ああ、この前送っていたリボンの子か。まあ、その、似合ってるんじゃないか。」
「そっちが貞香だ。まだ若いだけあって将来がある。浦島、お前の弟辺りなら合うと思うぞ?」
「よせ、勝手に決めるなよ。弟にだって選ぶ権利は……」
「はは、冗句だよ、ジョーク。」
「妹ちゃん、今言ったことは気にしないでね。」
お兄様はジョークと言ったが、半分は本気で言っている。周りも本気にしてはいないだろうが、それでも一瞬本音が見える。
隣に立つお姉様と私の顔を見比べて少し落胆したような表情になるのを見て、一種の達観と諦観を覚えた。
私はやはり社交界の華であるお姉様と比べると地味だ。比べなくても別段美しいとか言われる事はない。言われても精々「可愛らしいお嬢ちゃん」くらいなもので、お世辞である。容姿に関してはもう悲しいけれどある程度心構えはついている。お姉様がいる限り比較されることは止まらないだろう。少し複雑ではあるが。
「妹ちゃん、あっちで舟に乗ってみるか?」
「舟!いいのですか?ねえお兄様、行っていいですか?」
「いいぞ、乗ってこい乗ってこい。」
お兄様は若干雑に送り出した。本題である美幸お姉様の方に集中したいから、渡りに舟の提案だったに違いなかった。舟だけに、とは言わないが。私も居たたまれない空気に混ざるのは気が引けるので、提案してくれた浦島さんには悪いけれど利用させてもらうことにした。
浦島さんはお兄様の高校時代からのご学友だ。当時は遠巻きに見ていただけだったが家に何度も来ていた。家柄も三門とそんなに変わらない。話すのはこれが最初になる。
この植物園は湖に手漕ぎの貸しボートが何隻かあり、その一隻を借りて乗り込んだ。
このような小さな舟に乗るのは初めてで、少しワクワクした。
水面が近く、覗きこんだら緑に濁った水や浮き藻の隙間から観賞用の魚が游いでいるのが見えた。
「そんなに覗きこんで、落ちたら危ないよ。」
「え、そんなに落ちそうでした?」
「まあね。転覆したら、君のお兄さんに怒られてしまう。」
浦島さんはある程度沖に着いたら漕ぐ手を止める。視線の先には残してきた人。
「あそこで煙草吸ってるのが尾崎、お兄さんたちと話してる大きいのが加賀、お姉さんの隣に居るのが薔薇の一橋。」
その光景を見て、初めて違和感に気付いた。
「あれ、もう一人いる?」
お兄様の奥に居たから見えにくいけれど、確かにあれは。
「浦島さんが二人?」
前回含めた解説
忠幸は父親似、作太郎(と美幸)は母親(先妻)似なのでこの二人も顔面格差があります。ただ忠幸は貞香みたいに気にしてません。貞香はどちらかといえば父親似ですが細かい部分は母親(後妻)似です。なので先妻の子である忠幸や美幸から嫌われる要因の一つでもあります。作太郎は普段から死にかけたり忙しいので慕っている限りは別に嫌いはしません。
5/15 0時よりもう一話投稿します。