プロローグ
壇之浦で平氏は滅んだ。平氏討伐の立役者・源義経とその家臣たちは、捕らえた平氏の有力者・平宗盛父子を源頼朝に引き渡すべく鎌倉に向かっていた。その道中、三日月のわずかな光しかない夜のこと。
浜辺で二人の男が、海に映るか細い月を眺めていた。
「何のために生きているんだろうな、俺は?」
呟いた男の名は静御前。男物の装束を纏っているが、長い髪は女のように結っており、体つきは華奢なため、どこから見ても女にしか見えない。美姫とはこの人のことかというような美しい顔立ちをしているからなおさらだ。だが、その美しい顔に浮かんでいる表情はとても暗かった。
「さぁな」
もう一人の男、喜一郎が無愛想に答えた。京の都で野党をしていたごろつきであったが、義経の家臣となって平家討伐に同行し今に至る。
「あいつは生きる意味も目的も、何もかもちゃんと持っていた! それなのに……」
静は顔をしかめた。
「終わったことを嘆いて何になる?」
「でも! でも、あいつは……」
静は反論しようとしたが、それを制すように喜一郎が言った。
「何にせよ、俺はこの好機を逃すつもりはない」
「お前、まさか……」
静は喜一郎の方を向き、目を見開いた。喜一郎は自分を見つめる静をちらりと見、視線を海に戻した。
沈黙が続く。
「静様!」
静を呼ぶ声が長く続いた静寂を破った。静と喜一郎が振り向くと、二人のもとに近づいてくる男が一人。武蔵坊弁慶である。背が高くがっしりした体をした鬼のような男で、顔の右半分にはひどい火傷の痕がある。男は静の傍で膝をついた。
「静様、夜風はお体に障ります。お戻りを」
静は腕を組み、はぁとため息をついた。
「ンなにヤワじゃねぇよ」
「ですが、万が一お風邪を召されたらいけません」
静はさらに大きなため息をついた。
「もう少しいたっていいだろ」
「また昨晩のようなことがあるかもしれませんし……」
「……チッ」
不安げに自分を見つめる弁慶に根負けしたのか、静は大きく舌打ちをし、宿所に戻ろうと海に背を向け歩き出した。弁慶がその後に従う。その時━
「なあ、静、弁慶……」
未だに海を見続けている喜一郎が二人を呼んだ。静と弁慶が振り返った。二人の方を向いた喜一郎。その背には海が広がる。わずかな月の光だけでも、喜一郎の顔に強い意志が宿っているのがわかった。
喜一郎は言った。
「俺は義経になる━」