レクチャー
毎朝、鏡を見るたびに思っていた。
これは俺の顔じゃないって。
俺は十九世紀フランスの、ある船乗りだった。
マッチョで逞しい肉体と金髪碧眼。
北ヨーロッパ系の(自分で言うのもなんだが)イケメンだった。
髭を蓄え、胸毛すら生えていた。
群がる女は数知れず。
気を良くした俺は港々に女を作り、飽きたら平気で捨てたりしていた。
結構酷い奴だったと、我ながら思う。
しかし四十歳になったある日、唐突に人生は終わりを迎えた。
港で別れ話をしている時、女に刺されたんだ。
死んだ俺に天使は言った。
「貴方は、少し女性の気持ちを分かった方がいい」
その時の俺は、キリスト教の信者だった。
そして「オー、マイ、ゴット!!(なんてこったい!!)」
この前世の記憶を持ったまま、俺は二十一世紀の現代日本で女に生まれ変わってしまった。
今鏡の中に映っている俺は、綺麗な黒髪と茶色の瞳を持つ少年とも少女ともとれる可憐な女の子だ。
幼く捉えられる容姿ではあるが、既に結婚している。
だが俺にとって、一人の相手に縛られるというのは結構退屈だった。
生来浮気性な俺は、色んな女と知り合いたかった。
だからクラブ『アルマーレ』で男装をしホストの真似事をこっそり始めた。
女にちやほやされるのは嬉しかった。それが一年前の話だ。
それから半年程経つと、アルマーレには自然と足が遠のいていた。
主婦業が結構楽しくなってきたからだ。
そんなある日の事、久しぶりに会った短大時代の友人から合コンに誘われた。
既婚者だから行かないと断った。
だが人数合わせでどうしても来てほしいと言われやむなく参加する事となった。
その合コンパーティー会場の帰り道の事である。
会場で会った二十代の三人の男が少し離れた所から、おいでおいでと手招きをしているのが見えた。
「ひかりちゃん、行かないの」
「んー、いい。私、人数合わせだしねー」
ちらと左手薬指を見る。
そこには、ダイヤのファッションリングといたって普通のリングがある。
重ねて着けているからちょっとゴージャス。
黒のカクテルドレスと相まって派手すぎず、いい感じに似合っている。
髪はプリンセスラインでまとめて、お嬢様然としたイメージ。
「一応ゆきに操立てないと」
「あーっ、あついなぁ。さっそく、のろけ?」
「皆、行って話聞いてくれば? きっとナンパだよ」
3人の女友達をそっちに行かせて、
一人離れた所にぼんやりと立っていると友達三人組が返ってきてこう言った。
「あのさー。あいつら、ひかりちゃんに用があるって」
「……わかった。話聞いてみる」
四人でそこへ行くと、他の三人を差し置いてあからさまに容姿を褒めてきた。
マイナス三十点。
「へぇ。あんた、光っていうの。いいねー美人じゃん、そそるねぇ」
「あんたみたいな女がエッチにおぼれるんだぜ」
「エロい体してんねー、ひかりちゃん」
「……」
三人組は失礼極まりない言葉を吐く。
マイナス六十点。
「見ろよ、これ。俺の宝物」
リーダー格の男に見せられたのは放送禁止用語満載の過激でエッチな写真だった。
マイナス六十点。
「きゃーちょっとやだ。何これ」
ドン引きする女子三人の声が響く。
「用はそれだけ? 帰っていい?」
他の三人と目くばせして、その場を去ろうとすると
「ちょっと待て。お前、気に入った、俺の女になれよ」
と言ってグイッっと引っ張られ、後ろから抱き締められた。
なんとまあ。ひどいナンパもあったもんだ。
マイナス五十点。
「ちょっとぉー止めなさいよ、どんびきー。あのねぇこの子はねー」
「……皆帰っていいよ」
「えーっでも、ひかりちゃんも帰ろう。危ないよ」
「いいから。私、この人たちと話してから帰る」
「えっ……大丈夫かな。心配なんだけど」
「大丈夫、大丈夫。いいから」
身を案じてくれる彼女たちを、何とか納得させて先に帰した。
「まいったなー。こういう誘い方が好み?」
抱きしめてきた男は、未だその腕を離さずにいた。
抱きしめられたまま、身じろぎもせず言う。
「いい加減さぁ。手ェ放してくれると嬉しいんだけど」
男はギョッとして俺を見る。
オクターブ下がった声に、明らかに戸惑っているようだった。
その隙に素早く手を振りほどいて振り返り、そのままの至近距離で言ってやる。
「合計マイナス二百点。お前らがっつきすぎ、俺、前世男だったから。
気持ちは分かるけどこんなんじゃダメだよ、女の子が逃げるに決まってる」
顏に不敵な笑みを刷いて側に立つ男に言った。
「遊郭の花魁だって三回通って馴染みの客にならなきゃ、
抱かしてもらえなかったんだぜ? ちゃんと手順を踏めよ」
あっけにとられ、暫く黙る三人組。
「はあっ? へ、あんた何、前世の記憶あんの?」
「ある。前は船乗りだった。港の一つ一つに現地妻がいてモテモテだったんだぜ」
「へー。結構悪い奴じゃん」
「そ。悪い奴だったんだ。モテ方レクチャーしようか?」
俺はにやりと笑って言った。
「面白いね、乗った」と一人が言う。
「おい、マジか。お前酒回りすぎじゃねーの」
「この女の言ってることはうさんくせーけどよ。その『レクチャー』ってのに
興味沸いたぜ。一体何を教えてくれるんだろうなぁ」
「あー。確かに気になるな」
と三人で何やら話し込んでいたが、どうやら結論が出たらしい。
「いいぜ。やってやる」
「じゃ、明日。この時間に、ここで待ってな。カッコはそんな原色の
ドレスシャツじゃなくて、白のカッターと背広で。あっ、ネクタイ必須ね」
「ネクタイ? なんかたりィーなぁ」
「ネクタイ緩める仕草とか好きな娘いるよ。それからグラサンは要らねぇから」
「あんたら、名前は?」
「右から田辺、田森、田中だ」
「ふーん。俺、椚木光流。よろしく」
「ひかる? さっきの子たちはひかりちゃんって」
「あっそれ、女の子してる時の名だから」
相手は何が何だかわからない、といったような顔をしている。
「じゃ、また明日」
そう言うと、手を振って彼らと別れた。
翌日夜七時過ぎ。彼らと合流した。三人は、ヒカルの格好を見て驚いている。
ダブル仕立ての黒のスーツ上下。白いカッターを着てネクタイをしめ、
男物の靴を履いて髪は緩い三つ編みで右肩に流している。
「ヒュー。あんた、背広似合うね」
口笛を吹いて一人が言う。
「ありがと。じゃ、行こうか」
「えっ。どこに」
「クラブ、アルマーレ」
ビビる三人を促して店まで誘導し建物の中に入る。
店はビルの三階にあった。
洗練された室内、分厚い絨毯が敷き詰められた煌びやかな空間だ。
一歩中に入るとちいママが声をかけてきた。
「いらっしゃい。ヒカル君。随分、お久しぶりでしたわね」
「こんばんわ。ちょっと広めのボックスがいいんだけど」
「畏まりました。じゃ、三番で」
三番ボックスに収まる前に、俺が居ることに気が付いた店の女の子達が次々と声をかけてくる。
「ひかるくーンお久しぶり。もう、ご無沙汰、ほんと、いけずなんだから」
「マリンと雪がヒカル君とデートしたって自慢してたけどほんと?」
「えっ、そんな事あったかなぁ。ごめん、覚えてないや」
「やっぱり嘘なのね。ヒカル優しい、嘘なら噓って言えばいいのに」
「覚えてないだけだよ」ニコッと笑って言う。
「ヒカルがあんまり来ないからボトル飲んじゃったわよ」
「ひどいなぁ。うん、いいよ。新しいの入れて」
実に半年ぶりの来店だった。
ほんとなら、いつまでもキープしてあるはずのボトルが空になっているらしい。
ヒカルが優しいので甘えるホステスが多いのだ。
ヒカル自身は全く飲まない。いつもウーロン茶だった。
「水割りでいいよね」
三人に確認を取り適当にオーダーを入れる。
「ミックスナッツ、ミックスピザ、野菜スティックと、あとソーセージの盛り合わせ。それとチーズ」
「あんた慣れてんだな」と田辺が言う。
クスッと笑う。
「それから、ちいママも相手してくれるように言って」
「あらぁ、指名は高いわよ。ヒカル」
「いいじゃん、たまには」
そういうとヒカルは一人、カウンターの方に移動した。
さっきから、一人で飲みながら、ヒカルをじっとぬすみ見ている女性がいた。
こちらも意識はしていたが、あまりにもガン見しているので声をかけた。
「こんばんは、姫」
「えっあっ、こんばんわぁ。驚いた~。話しかけられるとは思わなかったわ。
あなた、アルマーレの『伝説のナンバーワンホスト・椚木ヒカル』でしょう?」
「ナンバーワンだなんて大げさな。それに俺はここで働いてないよ」
「ええーっうそーっ。だってツイッターにはヒカルと話してて楽しいーってよく流れてたよ」
「半年前の事なのによく覚えてるね、うれしいな」
彼女はポッと頬を染めた。
「だって、私も会いたかった口なの」
「ありがとう。接客は俺なんかでいいの?」
「ヒカルだからいいんでしょ」
「香水、夜想曲?、いい匂い、ミステリアスな君にぴったりだね」
「私、村江幸子よ」
「では幸子姫、もう一人若い燕を侍らせる気はない?」
意味深に微笑んで見せる。
「呼んで来るね。俺のツレなんだけど、さっきから貴女の事気にしてるみたいで」
びっくりして、顔を赤らめる幸子。
会釈してそばを離れボックス席に戻り田森を呼ぶ。
「カウンターの彼女どう? 好み?」
「うん、さっきから気になってる」
「やっぱりね、視線がこっちくるもんね」
頷く田森。
「俺からのアドバイスは3つ。
一つ、何でもいいから誉める。
二つ、彼女の話はちゃんと聞く。うなづく。
三つ、ちゃんとお礼を言って隣に座れたことを素直に喜んで見せる。
それとエロ話は禁止。間違っても昨日みたいな誘い方はしないこと」
「あの、俺。自信ない」
「大丈夫、ここはクラブだよ。ホストになったつもりで、
お姫様と話しているつもりで接客してみなよ。うまくいくから」
ヒカルは幸子姫と田森を引き合わせてから席に戻ってきた。
「ヒカル君、やーねー。また悪い事教えてるの?」
指名で3番席に来ていた、ちいママがブランデー飲みながら言う。
「人聞きの悪い。良い事の間違いでしょう? 美咲さん」
ちいママと乾杯してから、ウーロン茶を口に運ぶ。
「あっと。俺、呼ばれてるみたい、ちょっと行ってくる」
別の客の方へ消えるヒカルを見ながら、ちいママは言う。
「椚木ヒカル復活かしらね。一年前から金曜限定で通ってきて、
ああやって接客して、店の売り上げ伸ばして帰ってくの」
「一年前から?」
「ええ、そう。あんまり接客がうまいから店のホストだと思われてるのよ」
「ええっ。あいつ、ホストじゃないんですか」
「んなわけないでしょ。うちは女の子しかいないのよ。あと男性はバーテンダーが一人」
カウンターの中でカクテルを作っている男性を指さして言う。
「ヒカルの右耳に、ドロップ型のワインレッドのイヤリングが見えるでしょ。
あれしてる時は、『接客します』って言う合図よ」
「あいつ、女の子なんだよね」
「そうね。でも、客の中には女だと思ってない人は多いわ」
「へぇー」
「それでたまに困った客も来るけどね」
「困った客って?」
「ヒカルに本気になって入れ込む客がいるのよ。
ヒカルに会わせろって煩くて。
ヒカルは金曜日しか来ないのに、毎日毎日通ってくるのよ。
まあここ半年ヒカルが顔出さなかったものだから、その娘も来なくなったけどね」
「田辺、田中。どんな娘が好み?」
いきなり、その話を聞いてなかった風な顔でヒカルが質問してきた。
「あー、俺はあっちのボックスの右の娘」
「さっき来店した二人組だね。初めて見るな。で、田中は?」
「俺も、その席の左端に座ってる娘」
「へぇ。あの娘たちが好みなんだ、俺と全然違うじゃん」
納得したように頷いて、ちいママに言う。
「美咲さん、あそこの席にフルーツ盛り一つ作って、
持っていって、勘定はこっちにつけてね」
「オッケー、ヒカル、ちょっと待ってね」
席を立つちいママ、今度は何となくその席を気にしてチラ見するヒカル。
計算ずくでやっているのか、天然なのか……相手もこっちを気にして見ている。
ちいママがフルーツ盛りを持って行った所を見計らって、
三人で席を立ち、彼女たちのボックスに行き軽く会釈して話しかけた。
「こんばんは、椚木ヒカルです。お嬢様方、本日はようこそアルマーレへ。
そのフルーツ盛り合わせは俺の奢りです、他の人には内緒ね」
ウインクして笑って見せる。
「えーっきゃーっ! やっぱりー! ヒカル写真よか、よっぽどいいね、イケメン!」
「そう? どうもありがとう、でも俺、もう人のものだから」
「えーっ、何それ幻滅ー」
「ふふっ、ごめんねー。今日は彼らが接客するから、初めてなんでお手柔らかに」
「いいわよーヒカルがそういうなら」
「無礼なこと言ったら叩き出していいからね」
「じゃ、二人とも。俺が田森に言ったこと覚えてるだろ」
慌てて頷く二人「基本はあれだからね。がんばって」
謎の微笑を残して去ってゆくヒカル。
ずるいとは思ったが、ここまでお膳立てしてもらったんだから文句は言えない。
二人で腹をくくって接客するしかない。
その時だった。店内にヒステリックな声が響いた。
「ヒカルはどこ! ヒカルが来てるんですって、ヒカルに合わせてよ」
「困りますお客様、店内でもめ事は」
「椚木ヒカル様は当店のお客様でございます。
ホストではございません。もめ事はご遠慮願います。どうぞ本日はお帰り下さい」
カウンターに座って接客していたヒカルはこの騒ぎに気が付いて、店内入り口の方にやってきた。
ヒカルはママに耳打ちしてから、彼女の横に立った。
「久しぶりですね。川野美幸さん」
「ヒカ……ル。どうして。どうして今まで会えなかったの?」
「言わなかったかな? 俺、ここの店員じゃないって」
「嘘よ」
「嘘じゃないよ」
「ヒカルはあたしのものでしょ。そばにいてよ」
「んー、ごめんね。俺、今人のものだから」
パンと頬を叩かれた。周りがざわめく。
「ほんとにごめん、ちょっと話そう。ボックスとってあるから」
泣いてる美幸を促してボックス席に移動する。
「ヒカルはどうして、皆にやさしいの?」
「どうしてって」
「私だけを見てよ、私だけのものになってよ」
ズキッと胸が痛む。なんだろう。
どこかで聞いた、似たようなセリフだ。
「どうして俺に執着すんの? 俺、そうやって束縛されたくないんだけど。しつこい女は嫌われるよ」
言ったとたん、心臓がびくりとはねた。
何? なんだ……このセリフ。前にも言った?そう言ったんだ。誰に?
懸命に、記憶を手繰ろうとするが思い出せない。
現世いまの記憶でないことは理解できる。
心のもっと奥深い所で、引っかかる思い出したくない記憶。
記憶の手がかりを求め、さらに潜在意識を探ろうとすると……一つの映像に行き当たった。
霧のかかる桟橋で誰かが話しかけてくる。
その記憶は酷く不確かで、あやふやで、ともすれば、夢の様に消え去ってしまえる映像だった。
夜中、霧のかかる桟橋で差し向いに話をする。そこには、俺と彼女と二人きり。
前世の俺は、ティレニア海、クレタ海、イオニア海、地中海をまたにかける水夫だった。
アテネ、ナポリ、ニコシア、パルレモ、アルジュ、アレクサンドリア、トリポリ。
それぞれの港町に現地妻がいた。
ハンナはその中の一人、ナポリで声をかけた女だった。
付き合って一年経った頃、彼女は言った。
「ヨハン。お願いだから、水夫から足を洗ってちょうだい。
私と一緒になって、地についた生活をしてほしいの」
「なんで? 俺は今の生活が気に入ってる。
水夫が陸にあがっちゃあ、おしまいだ。それは死んだも同然じゃないか」
「私、子供が出来たの。一緒に暮らしてほしいのよ」
俺は同じ港に一週間といたことは無かった。
それでも、女って奴は妊娠するもんらしい。
そしてその時、俺は彼女に言ってはいけない言葉を吐いた。
「ふーん、子供が出来たの? それ、ほんとに俺の種?
俺、ほとんど君といないよね。誰の子か判んないじゃないの」
その言葉に驚いて目を見開くハンナ。
「どうして、俺に執着すんの?
俺、そうやって束縛されたくないんだけど。しつこい女は嫌われるよ」
俺は酷い奴だった、さらに彼女に追い打ちをかける言葉を吐く。
「そんな。ひどい。私にはあなただけなのに」
泣き出すハンナ。彼女は敬虔なクリスチャンだ。
二股なんてするはずなかったのだ。
そんな彼女を尻目に、荷物をまとめ彼女の家を出ていこうとする俺。
「待って。どこいくの」
「宿屋にいく。お前とはもう終わりだ」
「待ってヨハン。行かないで」
追いすがるハンナを足蹴に、家を出ていく。
その日は宿屋に泊まった。俺の乗る船は明日、港を出港する予定だ。
次の日、旅支度を終え、桟橋に来た俺は船の浮かぶ波間に水死体をみつけた。
引き上げられた遺体はハンナだった。
ガタンとボックス席から立ちあがった。
気分が悪い。口元を押え、足早にトイレに向かう。
あの天使、とんでもない記憶を俺の頭の中に残して行ったらしい。
記憶は余りに鮮明で生々しかった。
ヨハンに手を振り払われた感触も、足蹴にされた時の感覚も残っている。
そして冷たい海に身を投げた瞬間も、俺はポロポロ涙を流しながら吐いた。
「なんで、今頃、なんで、俺……」
前世の記憶なんて、これから生きていくのに必要ない。
まして、他人の記憶なんか……。
……これが女性から見た俺のビジョンか。最低だ。俺は……。
偉そうに、モテ方のレクチャーだなんて。
涙を拭いながら急いで、ボックスに戻る。
「美幸さん、一緒にいられない理由教えるから。もう、泣かないで」
彼女に囁いて席を立った。
そしてすぐそばを通りがかった、ちいママを捕まえてお願いする。
「美咲さん、店の衣装ケースに予備のドレスある?」
「あるけど……どうするの?」
「俺が着る」
「えっヒカルが? 止めなさいよ、似合わないわよ」
「随分な言い草だな。もともと女の子なんだから似合うハズでしょ」
「えーっなになに。ヒカルがドレス着るの? 面白そうじゃん。私、手伝ってあげる」
立ち聞きしていた雪とエミが首を突っ込む。
「もう。仕方ないわね。貸してあげるわ」
ちいママはそう言うと、衣装ケースの鍵を渡してくれた。
三人で店員専用の部屋へ入り、俺は急いで着替えを始めた。
「ちいママ、胸大きい。ヒカルと差がありすぎ」
雪はフォックを止めながらぼやく。
「うるさいなぁ。これでもBカップなんだけど」
「ダブった分タックとって、安全ピンでとめればいいよ。なんとかなるわ」
そう言いながら、エミは髪をくしで梳かして、つけ毛を足し頭の上に盛っている。
髪飾りをいくつかつけてキャバ嬢独特のメイク。
「わーっ、そんなメイクまでしなくても」
「うるさいわね。私に任せたのが運のつきはじめよ」
化粧の説明をしながらすばやく念入りに化粧している。
「化粧下地の後、まずはお人形さんのような陶器色の肌を目指して、
少しマット感のあるファンデーションを塗るの」
「目元は薄いブラウン系のアイシャドウをアイホール全体に塗って
キワを黒のリキッドアイライナーで埋める。
アイラインを引いて完成。つけまつげでボリュームアップ」
「リップラインを丁寧に取ること。口角を少し上げ目にラインをとって、
そのラインの内側を筆に取った口紅で埋めることで綺麗な口元が完成するのよ!」
俺には全然縁のない化粧法だから、これは聞かなくてもいいと思う。
二人がかりだったので意外と早くドレスに着替えることができた。
網タイツにハイヒールをはき、白のマーメイドドレス。
両サイドをエミと雪がエスコートしてくれて店の中に入った。
履き慣れないヒールに足元が危ない。
店内がざわめいた。
見慣れないニューフェイスが入場したと思われたらしい。
男性陣のあの子を指名みたいな声がそこ、ここから聞こえてくる。
そんな声を無視して、3番ボックスに座り川野美幸に声をかける。
「お待たせしました。美幸さん、ひかりです」
「……誰?」
「あっ、俺だよ、ヒカル」
「ええっ? ヒカル?」
「そうだよ。今まで騙しててごめん、俺、女の子だったの」
「うそーっやだ、ひかり。かわいい」
「あっ、ありがとう……」
なんだか雲行きが怪しい。
「あの、ほら」
と言いながら、ファッションリングを外して見せ左手の結婚指輪の方だけ見せる。
「結婚してるからね。もう人の物なの」
と説明したが川野美幸は聞いていなかった。
「もういいわ、もういいの。ヒカルが誰のものでも」
「えっ?」
「だって、ヒカルのボックス席に座って私は話をしてるんだもの」
得意げにSNSにアップした二人の2ショット写真を見せてくれる。
「ヒカルが女の子だって、ぜんぜん平気。ますます好きになったわ」
「あらひかりちゃん、良かったわね。ファンが出来て」
皮肉たっぷりにちいママが言う。
「美咲さん」
「このまま、毎日勤務してくれてもいいのよ」
「それは勘弁してください」
伏し目がちになってウーロン茶を口にする。
終始、ハート目な美幸に今は何を言っても通じないだろうと思うと、ため息が出てくる。
「美咲さん、今日はそろそろお暇するよ」
「えーもうちょっと一緒にいてよ。ひかりちゃん」
不満そうに美幸が言う。
「あらっ、もう帰るの?」
「うん、連れの三人によろしく言っておいて」
遠目に田森、田辺、田中を見る。
三人とも楽しそうに女性と話をしている。うまくいってるみたいだ。
清算して店を出る。着てきた服は紙袋の手提げに入れてあり、店を出る前に雪が持たしてくれた。
家に帰る道すがら近所の公園によってブランコを漕いでいると、俺のそばに光の塊が降りてきた。
案の定、天使だった。
「女性の気持ち、少しはお分かりになりましたか」
「ああ。少しね」
「なら、あなたに残しておいた前世の記憶引き取ります」
「いや、いいよ。この記憶も込みで今の私でしょ」
「よろしいのですか? 貴女には必要のない記憶でしょう」
「そうだね。でも、戒めのために必要かな」
「……左様でございますか。ではこのままで。それから、美幸さんですが」
「何?」
「ハンナさんの生まれ変わりです」
「そう……俺、謝った方がいい?」
「ご随意に」
天使は老獪な感じの笑みを浮かべて一礼すると、すっと闇に解けて消えた。
次の日、携帯が鳴った。クラブ『アルマーレ』からだった。
「ひかりちゃん、あれから大変だったのよ。
常連客からご指名がたくさん入って。でも、貴女帰った後だったしね」
「へぇ。あの、私の連れはあの後どうなって」
「三人とも女性客と仲良くなってペアになって帰っていったわ」
それはよかった。モテ方レクチャーはうまくいったらしい。
「ねぇ、ひかりちゃん。正式にうちのホステスになって務めない?
ひかりちゃんなら、すぐにナンバーワンになるわよ」
「冗談。美咲さん、お客だから楽しいんですよ。それに、浮気しないって決めたんです」
「何、それ、椚木ヒカルらしくないんじゃない」
「あーっそれ、黒歴史。二度と言わないでください」
あははって笑いながらちいママが言う。
「そう。残念ね、どっちでも稼ぎ頭だったのに」
「天使と約束したんです。女性をないがしろにしないって」
「へぇ。まっ、ヒカルってほんとに男の人みたいだったものね」
「椚木ヒカルはもういません。今日から光に戻ります」
「一つ、聞きたいのだけどあなたの本当の名はなんていうの?
椚木ヒカルなんていかにも源氏名でしょ」
「菊留光っていいます」
「うふ、珍しい苗字ね。ひかりちゃん」
「はい。ドレス、クリーニングに出してから返しますね」
「そう。じゃまたお店に来るの待ってるわ、それじゃまたね」
「はい、美咲さん。さようなら」
携帯を切って、時計を見る。
夕方の五時に近いのだから、そろそろクリーニングも出来上がってる頃だろう。
引き取ってアルマーレまで持っていくことにした。
アルマーレの店先でストーカーまがいの怪しい人影を見つけた。
やたらに店の方を伺っている三人組。帽子を目深にかぶり人目を気にしている。
その反対側でグラサンかけたお金持ちのお嬢様が、
高級車ジャガーを背に腕を組んで店先を睨んでいる。
どうにも見覚えがある。
「……田森、田中、田辺。何やってんの?」
後ろから声をかけた途端、くるっと振り向かれて土下座をされた。
「師匠ーっ! 師匠と呼ばせて下さい」
「はあっ?……」
「俺ら、昨日うまくいって彼女ゲットしたんですよ~」
「そっ、そう。よかったね」
「だから次はデートのレクチャーを」
「ばっ、ばかやろう! そんぐらい自分でやってよー」
店先でそんな馬鹿なやり取りをしていると、
お嬢様は気が付いたらしく、グラサンをずらしていきなり私を指さして叫ぶ。
「ひかり、ひかりお姉様よね。そうでしょう?」
「み……美幸さん?」
「美幸、お姉様が男でも女でも関係ありませんわ。お姉様の事を、お慕い申し上げております」
「イヤ、えーと。私は構うんですけど。
それはラブじゃなくって恋に恋してるというかただの憧れというか」
「さすが師匠! 女になってもモテるんですね」
「ちがう! これは」
美幸に抱きつかれてもがくけど、前世の様に力がでない。
男から女に生まれ変わったんだから当たり前だ。
自業自得だった。
アルマーレに通って半年間、客に愛想振りまいた結果がこれだった。
「貴方は少し、女性の気持ちが分かった方がいい」
耳朶に蘇る天使の声。
あいつはそうとうな策士だ。
俺は何重の意味で反省した。おそらく天使の思惑通りに。
蒔いた種は自分で刈り取るしかない。
俺は大人しく美幸に拉致られる事にした。