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「と、年増のくせ。にぃぃぃぃぃ! 年増のくせに若いエディに色目を使うなんて……!」
「恋の駆け引きもできない子供が見苦しいわね。恋をするなら襁褓外してヒールで一晩中踊れるようになってから出直しなさいな」
幼い子供が地団駄を踏む姿そっくりに声を荒げたマウラ嬢の声を、冷徹な声が遮りました。
いかにも大人の魅力を匂わせる。恋多き女・フランチェスカの登場に、マウラ嬢も口籠ってしまいます。……彼女、私と同い年なのですけどね……。
錆びて軋んだ蝶番を鳴らすようなマウラ嬢の声を遮り、私の親友であるフランチェスカは水に浮かぶ水連のようにゆるりと歩を進めます。
いつもは婀娜めいて孤を描く眉を不快な形に顰め、指先で摘まんでいた黄色い花びらをひらりと落としました。
「私、いろいろな方にお話を聞いたのよ。誰がカリーナのよくない噂を言っていたのかって。人から人にどなたが品のない口なのかを訪ねれば、みなさん最終的には「ファビアナ嬢が言っていた」と告げる“あなた”から聞いたと仰るのよ、マウラ嬢? ――変だわ。私も私の親しい友人たちも、ファビアナ嬢からは、一切そのようなお話を聞かなかったのだけれど? 出所を突き詰めれば、噂のすべてはマウラ嬢、あなたに行き着くのよね」
甘やかな吐息交じりの声がマウラ嬢を震えさせました。
艶冶に微笑んでいるはずが、まるで獲物を追い詰める肉食獣に見えるのは私だけでしょうか……。
「そ、それは……本当にフォビアナ、が……」
「今日のこともファビアナ嬢の差し金と仰るつもり?」
「……え、ええ。ええ! その通りだわ! 私はなにもしてないもの!」
蕩けるような声に押されたか、顔を上げたマウラ嬢が何度も首肯しますが……この場でそれを信じる人はいないでしょう。
フォビアナ嬢の真っ直ぐな性格は広く知られるところですし、連れていかれた不逞の輩が着ていた服の刺繍は、男爵家クラスのものでしたから。
周囲の冷ややかな空気にも気づかない姿に感じたのは、憤りなのか憐みなのか私にもわかりません。
親友の裏切りに堪え切れず泣き出したフォビアナ嬢の顔を隠すようにジュリオが体を使って盾となり、ファビアナ嬢の名誉を守ろうとします。私は弟の細やかな気配りに感心しました。
マウラ嬢は泣き出した親友の姿を見て心が痛まないの? 淑女でありながら、女性の名誉を傷つける姦計を恥じないの?
私は鉄扇を握りしめました。
騒ぎを聞きつけて集まった人々の視線を前に、私は身の潔白と純潔の証明を見せつけるように堂々と胸を張らねばなりません。
「何もしていないと仰るけれど……私、あの言伝の手紙を持っているの。筆跡を調べればどなたの字か解るのでは? それにあの下郎が来ていた服。仕立てぶりや刺繍を見れば、どこの家に収めた品なのか、仕立屋に聞けばすぐに判明するでしょうね」
「ここに誰が誰を伴ってきたかも、少し調べればわかることだしね。招待客が誰を伴ったか、ホスト側が把握しているはずだから」
私の言葉にエディの声が続きます。
身の潔白のために背筋を伸ばしていましたが、その声がひどく私の心に安心感を与えてくれました。
「……なんでよ、なんでなの! なんで私をいじめるの!? エディまで! どうしてよ!? あなたは私の初恋なのに! 初恋の人だったのに、どうして睨むのよぉっ!」
――ああ。
初恋、だったのですね。
初恋ゆえに気持ちが暴走したのでしょう。私も初恋に関しては、人の事はとやかく言えません。
泣き叫ぶ少女の声にほんの少しだけ同情心が芽生えましたが、それだけ。情けが実を結ぶには、彼女はあまりにやり過ぎたのです。
結局、マウラ嬢の行いは、少女の暴走にしてはあまりに悪辣すぎる――下郎を貴族の家に招いて不祥事を起こさせようとしたことは弁護の余地がない――そう判断され、貴族でも便宜が図れない、規律の厳しい修道院に送られる事になりました。
聞いた話によると、処罰は貴族籍を抜いて市井に生きるか、修道院かの二択だったようです。
市井なら自由があるけれど生活は保障されず、修道院であれば生活は保障されても自由はない。どちらも本人は決めかねて、最終的に憔悴しきった父親のジベッリ男爵が決めたとのこと。
慎ましくとも衣住食が保証された修道院の方が、親の情けとして良かったのでしょう。
この苦渋の決断と私たち、そしてパーティのホストであった侯爵家にも詫びに来られた姿は痛々しいほどでした。
格上の伯爵家、侯爵家に泥を塗ってしまったのですから、心労はいかほどだったのか想像に難くありません。
マウラ嬢はエディが初恋で、その初恋ゆえに正気をなくしたことの顛末に、私はなんとも言えない気分になりました。
もしかしたら、初恋を拗らせていた私も、どこかで道を間違える可能性があったのです。
フランチェスカは「恋は幾つでもするものよ。その中で見る目を磨くの。でもたった一つの恋を決めたら、自分にも相手にも、そして周囲にも目を曇らせてはいけないわ。恋なんてものは、幸せと不幸せの双子みたいなものよ」と、たった一つの恋を曇らせてしまったマウラ嬢の姿に嘆息していました。
確かにマウラ嬢の恋は不幸だったかもしれません。修道院送りになった彼女も、後始末のために領地の半分を手放すことになったジベッリ男爵家も。
ですが。
「改めて言わせてほしい、カリーナ。僕は、――私は、ずっと君が好きだった。子供のころからずっとだ。だから生涯君の傍で、君を愛していると言わせて欲しい」
私の恋には、裏側で不幸になった方がいるのでしょう。
ですが、私は差し出されたエディの手を取ることに躊躇いはありませんでした。
恋は幸せと不幸の双子。
マウラ嬢は不幸に、私は幸福に。それを恥ずかしいとも浅ましいとも思いません。マウラ嬢にも恋に破れても幸福になる道はあったはずなのです。恋に破れても、幸福に繋がる道はきっとあったはず。
「エディ。あなた以外から愛の言葉はいりません。ですから、生涯その言葉を私のみに囁いてくださいませ」
私は、拗れた初恋がやっと真っ直ぐな糸になって繋がった恋を大切にしたいのです。