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変態シリーズ

変態プラトニック

作者: 独楽

 始めに。


 これから私が語ることは、女性には少々痴劣に思えるかもしれない内容であり、また、女性にとっては非常に理解に苦しむ内容になることが大いに予想される。

 なので――何を思ってこのページを開いたのか定かではないが――清楚可憐な女性諸君が読む内容では間違いなくないので、さっさとブラウザバックして立ち去ることを強くお勧めする。


 というか、帰りやがれください。

 ここは女子禁制の男子の園なんだよ。男汁にまみれた話なんて聞きたくねーだろ?












 ……よろしいだろうか?


 では、始めよう。



 今回のテーマは『童貞』だ。



 男は皆須く童貞として生まれ落ち、成長し、思春期を迎える。

 これについて異論はないだろう?


 いきなりの私事で恐縮だが……、私が十代の頃は、常にセックスのことを考えていた。

 頭の中でいったい何度女性との性交を夢に見、描いたか――恐らくは数千では効かないほどの妄想に妄想を重ねたことだろうし、もちろんのこと自慰行為も猿のように毎日欠かさず行ってきた。

 今思い返すと、我ながら羞恥極まることこの上ないが……友人と『一日に何回抜けたか』を競い合い、そして圧勝して見せる程度には私は猿だった。お猿さんだったのだ。(ちなみに自己最高記録は十八回。身内じゃ最強だ)


 世の男性すべてを虜にする――青春の渇望、不満を補う自慰行為。


 そう。

 つまり、『オナニー』だ。


 男性諸君なら周知のことだろう?

 抜くには最低限用意するものが二つある。


 一つは言わずもがな青春の相棒――スコッティ。鼻セレブも可。

 もう一つは無論、オカズだ。


 私が高校の頃はまだネットの普及が乏しい時代だったため、今のようにスマホから、PCからスケベ画像や映像を見ることは出来なかった。(ホント良い時代になったよね)

 そして私の時代のオカズと言えば、もっぱらエロ本だ。


 しかし、これの調達が思いのほか難しい。

 安直に「買いに行けばいいだろう」だなんて言わないでほしい。仮にネット世代以外でそんな無慈悲なことを言う奴は、きっと幼少の頃に継母から性的虐待を受けたか、極度に性格のひん曲がったアスペ野郎に違いない。

 エロ本を買うというのは、信じられないほどに高度難解――フェルマーの最終定理ですらミジンコに思えるほどの――凄まじき労力精神力を費やす、難攻不落の壁なのだ。そうだろう? そうであるはずだ。エロ本を買おうとして、店員が女性だったら……私はそんな想像をするだけで、膝が震え、立っていることさえままならなくなる。ダッシュで自室に逃げ込み、枕を濡らすことだって想像するに難くない。


 そんな私がコンビニや書店でエロ本を買う度胸なんてあるはずもなく――ならば学生時代、どうやってオカズを調達していたのかと言えば、友人からエロ本を借りたり、一緒になって河川敷やゴミに出される古本回収などをして調達していたのだ。(ちなみにこれは経験談だが、友人とエロ本の貸し借りをすると、たまに恥ずかしいシミが付いていて萎えたりするのでオススメはしない)


 そうやって苦労に苦労を重ね、自室で一人念入りに家族の様子をうかがった後に、調達したオカズを左手に持つ。相棒のスコッティを手の届く所に置き、全身全霊を込めて右手に集中する。

 男なら誰しも一度は構えるであろう――聖なる型。

 もとい、性の構え。

 全ての不平不満――不条理不備に鉄槌を打ちおろし――迎える賢者タイム。



 至福の瞬間である。



 だが、慣れとは怖いもので、より良いオナニーライフのために思考錯誤を繰り返した者も数多くいるだろう。かくいう私もその一人だ。これは思春期の命題とも言えよう。

 当時の私は苦悩した。



 どうすれば……、

 どうすればもっと……気持ちの良いオナニーが出来るのだろうか……?



 愛すべき同胞諸君も、奇抜なオナニー方法を考えたことがあるだろう。

 床ニー、角ニー、チクニー、穴ニー……マイナーなところを挙げれば、トコロテンやこんにゃく、カップ麺を使ったり、それこそオーソドックスにオナホールを使う者だっているはずだ。

 未知の快楽のため思考苦悩し、道なき道を開拓する高揚感。

 後に迎える快感エクスタシーに魅了され――悲しいかな男は、探求心、好奇心の奴隷へとなり下がる。

 私もオナニーのために扇風機を改造し、羽の部分を取り払いオナホールを設置して風速『強』でプレイしてみたが、オナホが飛んでいってオナニーどころじゃなくなって、「ならばこれならどうだ!」と、ペットボトルを半分に切り、その容器内にオナホを固定、そして同じように扇風機の回転部に固定したりして前人未到の快楽を模索したものだ。


 思い返せば馬鹿らしい。

 ……だが、輝かしくもある。


 うん。

 なんというか……、このままだと私が変態だと勘違いされてしまいそうなので、ここでマトモでピュアピュアな青春エピソードを挟んでおこうと思う。


 思春期の時間の大部分を占めるのは学校という空間だ。

 ご存じの通り、そこには異性が数多くいる。それが世の床か――同級生ないし先輩後輩に恋心を抱いた人も、それは相当数いるだろう。

 青春とは薔薇色だ。

 薔薇は恋の色をしている。

 燃えるように赤く――萌えるように淡く――仄かに、それでいて熱い恋心を抱き、好意を寄せる女の子を頭の中で裸に剥いた数なら、きっと私はギネスに乗るかもしれない。その自信は十分にある。


 ……いや、違う。

 こんな話をしたかったんじゃない。これじゃあただの変態じゃないか。


 私には好きな人がいた。

 飛びっきり可愛い、ちょっと大人しい感じの子だった。風になびく長い黒髪に、一見して押せば壊れてしまいそうな可憐さを持ちつつも、活発で笑顔の絶えない女の子。

 惚れやすいタチなのか、私は年に一人くらいのペースで好意を寄せる相手が変わっていた。その度に、聖なる行為の妄想の相手も変わっていたのだが――しかし、その子相手にだけは、妄想が出来なかった。衣服を脱がすことすら出来なかったのだ。



 自分の妄想で――あの子を汚すことなんて出来ない――。



 根幹にあったのはそんな想いだったのだろう。

 これにはきっと同意を示してくれる同胞もいるのではないだろうか?

 かくして私はその瞬間、本当の意味で『恋』を知った。

 そして彼女に好かれたい――彼女の愛が欲しい――と心の奥底から願った。彼女を女神のように崇拝し、彼女を中心に振舞いを決めるようになって、彼女と共感を持ちたい一心で同じ趣味を持ち、興味もない恋愛小説買ったり、女バスのマネージャーになりたいって先生に言って怒られたり、とにかく思いつく限り見苦しいまでに色々なアクションを取った。


 長くなりそうなので結論から言うと、努力が実を結んだ。

 私の女神は――私から『童貞』を奪っていった。

 ……これは浄化してくれたと言ったほうが適当か? 


 まあいい。

 そんな一見輝かしくも思える青春エピソードだったが、私は『童貞』と一緒に、イカ臭いスコッティと一緒に、『大切な何か』を失った気がした。

 いや、否。

 間違いなく失ったのだ。

 他の友人にない経験を得たことにより優越感に浸ることもあったが、それ以前の未知に対する好奇心が潰えた。どこかで『童貞』を見下すようになり、『童貞』を捨てることにやっきになっている連中が哀れに見え、「童貞を捨てても現実そこまで変化なんかねーよ」と、心中で嘲笑っていた。

 自分が夢見たセックスと同じく、それはたしかに愛おしいものだったが――しかし、期待以上のそれではなかった。私は経験を得て現実を知ったのだ。

 幻滅した。

 恋い焦がれ崇めていた女神も、自分と同様に口とかアレとかが臭かったのだ。私はびっくりした。いやマジで。百年の恋から目が覚めた気分――というと、少しロマンチックが過ぎるかもしれないが、しかし好きで、欲しくて、追い求めたものだからといっても、実際に手に入れてみて嬉しいのか――それはまた別の話になるのだろう。現実が受け入れられるとは限らない、真実が輝かしいとは決して限らないのだ。

 けれど、おっぱいは想像以上のやわらかさだった。夢とロマンが詰まってた。今も大好きだもん。すごいよね。



 前置きはこの辺にして、そろそろ本題に移ろう。


 最近じゃ『草食系男子』や『絶食系男子』という造語がメディアでよく取り上げられ、昨今の若者(というと、まるで私がオッサンのようだが)の性への関心が希薄になっている印象を受ける。加えて、価値観の多様化だろうか、童貞を恥とは思わない者も増加しているように感じる。


 先に言っておくが、私は童貞であることを肯定する。


 しかし、学生時代の私に、「童貞は逸早く捨てるべきものだ」という認識があったのは否定できない事実だ。こう思わせたのは脅迫概念じみた社会的風潮のようなものだが……昨今の若者はきっとこの範疇にいないのだろう。これは少数派が――つまり童貞喪失意識の低い若者が多くなり、それが社会に認められるまでの規模になった、と言い換えることも出来る。

 なぜか処女が男性に崇められるように、童貞も女性から望まれ――世の若者の中で、「童貞はステータスである」という認識、感慨もそう遠くない未来に集団的に起こり得る――と、私は密かに思っていたりする。

 それはそれで面白い。

 なるほど望むところである。

 社会的風潮なんぞに捉われて、どうやって人生を謳歌できようか? 周りがどうあれ、童貞が童貞らしく振舞う必要など皆無だし、変態が変態らしく振舞う必要だって絶無だ。面白いからもっとやれって思う。

 多様化が進むこの時代において、過去の理に則り童貞が女性を――初体験を――渇望する時代は幕を下ろした。その好奇心を向けるべき対象があるならば、そこに誠心誠意全身全霊を以って望むべきなのだ。


 そうだ。

 私はその姿勢を肯定する。

 だがしかし、経験を積まないことを肯定することは、私には出来ない。


 私の知る『童貞』とは、性への異常な渇望を示し、それに対して愚直なまでの努力を積む若者であって――全てを達観し、傍観し、未知の経験を投げ捨てるような者のことを差しているのでは決してない。

 無気力は害悪だ。

 向上心を持たないことは弊害だ。

 夢を持てなんて古臭いことは言わないが――しかし、夢想することすらしないのであれば、それは人として致命的だと言わざるを得ない。残念ながら。

 人間の行動理念の根幹には想像がある。見据える結果も相応にあるが、それも想像であり、道程過程を考えれば推測という想像に行きつく。想像力の欠落は人間からすべての動機を奪い、七大罪の一つにある『怠惰』に貶める危険な状態といっても過言ではないだろう。

 なんであれ、その状態に慣れるということは、停滞を意味する。

 進む足を止めれば、目的地にたどり着けないと同じく、慣れは人間の成長を著しく阻害する。

 真に求むるべきは未知への好奇心であり――想像力であり――つまり、私が言いたいことを簡潔に表すなら『想像力の欠落』と『好奇心の喪失』だ。


 この二つは昨今の若者に多く見受けられる。

 もちろん、それには私の偏見もあり、全部がそうとは言えないが……一途であるとは到底言い難い。私がなぜこの場で『童貞』をモチーフにしたのかを考えれば、答えは自ずと見えてくるだろう。

 加えて、なぜ大人たちが声を揃えてかつての自分――学生時代を異常なまでに讃美するのか。

 それはまだ経験を積んでおらず、多くの可能性を想像出来た自分があったからだろうと私は考える。すべてが新鮮で、どんな小さなことでもキラキラとして見えた。忘れてしまったあの頃の初々しい気持ちを――そして後悔を――いまもきっと引き摺っているのだろう。


 思い出は優しく、恥ずかしくも綺麗なものだが……しかし、それに依存することは馬鹿馬鹿しいと思わないだろうか?

 その思い出は所詮過去であり、現実はいまにあることを重く考えるべきだ。




 統括しよう。


 ここまで、こんな駄文(痴文)を読んでくれたあなた。


 社会人なら――あの輝かしい青春時代に想いを回帰させて欲しい。

 社会というシステムに組み込まれ、ルーチン化した毎日に疲れ、持っていたはずの想いを忘れてしまってはいないだろうか?

 たまには馬鹿をやってみるのも、それは一興だと私は思う。何もかもが新鮮で、何も知らなかった故に何よりも純粋だったあの頃のように――想像して欲しい。あなたにもまだ捨ててない『童貞』があるだろう?

 自分の色が染まったと決めつけるには、少し早いのではないだろうか。



 そして、今がバラ色の学生のあなた。

 学業や人との付き合い方、クラスメイトに馴染むのに疲れてはいないだろうか?

 こんな言葉が、今のあなたに届くとは思えないが……まだ届くとは思ってもいないが……それでも聞いてほしい。

 私も少なからずイジメを受け、孤独感に苛まれる苦い灰色の青春を噛みしめた経験があるが……それでも、こうして昔を思い返してみると、はからずも吊り上がる口角を禁じ得ない。ああ、馬鹿だったなーって笑顔になっちゃう。

 嫌なことも月日が流れれば消え失せる。そして後に残るのは輝かしい思い出だけだ。

 それは苦境に立った時の大きな励みになる。

 だから思いっきり楽しんでほしい。家庭を持つとオナニーもやりにくくなるから、だから今のうちに思う存分やっておくべきだと助言をしておく。



 最後にエールを送ろう。



 想像してみてくれ。

 いま君たちがいる場所は、まっさらな雪原だ。


 これから君たちは歩き出し――足跡を残して、色々な『童貞』を捨てていくことになる。


 現実を知って、幻滅したりするかもしれない。

 世の中がインチキだって嫌になるかもしれない。

 けれど、思うように物事がいかなくても、投げ出すことだけはしないでほしい。

 愚直に一途に純粋だからこそ、何色にでも染まれることを忘れないでほしい。

 そう、私は切に思う。


 皮被ってチンカス溜めてても仕様がない。

 オナニーするには、勃起させて皮を剥かなければいけない。

 あとは一心不乱にシゴくだけ。


 つまりはそういうことだ。

 異論はないな?






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[良い点] 素晴らしい考察であり、提言であり、懺悔でした。 人は皆、不平等を負って誕生し、老いてゆきます。 障害を通じて平等なことを見つけるとするならば、それは、やがて訪れる死であり、子を残そうという…
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