06 エピローグ1・アカデミー
翌日、太陽が高くなった頃、私はアカデミーの一室を訪ねた。紙束といくつもの水時計、計測器の類、試験管とさまざまな種類の木片が乱雑に散らばったその部屋は、私の友人の研究室である。新鮮な木材の匂いが鼻をついた。
「やあ、フリッツ」
「ヘンゼル、どうした?」
眼鏡をかけたぼさぼさ頭の男性がのんきな顔をこちらに向ける。
この話のいちばん最初にした部分に訂正が必要なようだ。ルーディがどこでも私のことをヘンゼルと呼ぶせいで、それを聞いた古い友人までが私のことをヘンゼルと呼ぶようになりつつある。彼だって私がアカデミーにいた頃は「ハンス」と呼んでいたのに。
ちなみにフリッツの本名はフリードリヒ・ボーデンシャッツ。長いのでみんなフリッツと呼んでいる。私が幼い頃ドレスデーネに連れてこられて以来の同期の友人だ。何を隠そう例の摩擦力低下の魔法の使い手にして、あの魔法のステッキの製作者こそが彼である。
「ちょっと面白いものを手に入れたんで、調べてもらいたくてね。そのうち正式に上から話が回ってくるかもしれないけど……、私がそれまで待てそうにないから」
「なになに?」
身を乗り出すフリッツの前に、私は金属の球を見せてやった。彼は眼鏡に手をあてて目を細めた。
「君も似たものを作ったことがあったよね」
「う、うん、これって……」
「これと同じものが私の目の前で爆発したよ。それも二回もね。昨日の開会式での騒ぎは知ってる?」
きょとんと首を傾げるフリッツに私は苦笑した。この世間知らずの研究マニアめ。仕方なく昨日の事件についてかいつまんで説明する。
「以前君が作った試作品を見せてもらっていたおかげで、これが爆発する魔具だってことがすぐにわかったんだ。ある意味で君は私の命の恩人だね。ヴェスターの開発者も君たちと同じ発想に至ったというわけだ」
そう、彼は一年前にこれとよく似た魔具を作った。
爆発の魔法は制御が難しい。そもそも並みの魔法使いでは、自身からそう遠いところに魔法を発動させることができない。つまり、爆発の魔法の場合は魔法使い自身が爆発に巻き込まれてしまうのだ。さらに魔法の展開から発現までに時間がかかる。そのため、歴史を紐解いても爆発魔法の使い手として名を残した者は数少ない。それゆえほかの攻撃魔法に比べて魔具の開発も後回しにされてきたのだが、この魔法が非常に強力であることもまた間違いない。フリッツたちアカデミーの研究者は魔具の開発に着手した。
爆発魔法を実戦で使える魔具にするための最大の条件は、使用者が爆発に巻き込まれないことである。どのような形状、材質が最適なのか、フリッツたちはまずそこからとりかかった。
魔法と物質には相性とでも呼ぶべきものが存在し、相性のいい物質にしか魔法は「定着」しない。たとえば空を飛ぶ魔法であれば、今のところ竹と羊毛でしか「定着」実験は成功していない。だから空を飛ぶ道具は箒と絨毯ばかりなのだ。世界に無数に存在する物質とそれぞれの魔法との相性をひたすら実験を繰り返して調べていく。魔具はそんな気の遠くなるような作業の末に作り出される代物だ。まだまだこの分野は発展途上にある。
爆発魔法と相性がいいのは金属だというところまでは突き止められた。また片手で握って投げられる形状にすることで、使用者が爆発に巻き込まれることを防げると考えられた。しかし金属にもさまざまな種類がある。いくつかの材料で実験を繰り返したが、どれも「定着」効率がいまひとつだった。魔具の力を展開しても、もとの魔法の爆発力には数段及ばなかったのである。この実験の際には私も取材に来ており、そのときに魔具を見せてもらった。この魔具の開発がうまくいけば新しい戦術が確立されると思われていただけに、実験結果が振るわなかったなかったのは残念だった。
その完成形がここにある。
「……じゃあ、ヴェスターにはもうこの技術があるってこと?」
フリッツがおそるおそる魔具をつまみあげる。
この魔具は私が現場から勝手に持ち出したものだ。三番目の男――摩擦力の低下によって階段を滑り落ちていったあの不幸な彼――がばらまいた持ち物の中にこれがあった。すぐに「それ」だとわかった私はこっそりかばんにしまったのだ。憲兵に知られればまずいことになるかもしれない。
「そういうことだろうね。威力は少し離れれば防御魔法で防げる程度だけれど、戦争で一方的にこの技術を使われたらまずい。向こうもこれから改良を加えてくるのだろうしね。急いだ方がいいだろうと思って、コンクレンツ一回戦の取材をルーディに任せてまでこっちに来たんだ」
いささか恩着せがましい言い方になったのは、一回戦への未練のためだ。だがこの新型魔具への興味ももちろん大きい。
「うん、ありがと。君から見て、この魔具に改良すべき点はある?」
フリッツは眼鏡の奥から私を見つめ、尋ねた。彼はレビュアーとしての私の観点をずいぶん買ってくれているらしい。
「そうだね……、魔法の展開から発動までに時間がかかりすぎるかな。おかげで私は爆発前に距離をとることができたのだけどね。もう少し短縮できないと、逆に使用者に投げ返されて危険だ」
「難しいな。そもそも爆発魔法は発動までに時間がかかるものだよ」
「知ってる。でもそこをクリアできないと実戦では使えないと私は考えるね」
これは正直な感想だった。今回は敵の技術の未熟さに救われたようなものだ。
「ともかく、できるだけ早く仕組みを調べてエルデでも作れるようになってほしい」
「わかった、ありがとう。手に入ったサンプルはこれだけ?」
「ほかに捕まった奴も持っているとしたら、今は憲兵が押収していると思う。その場合は結局アカデミーに調査依頼が入るだろうけれど、時間がかかりそうだから」
「なるほどね」
眼鏡の位置をなおし、フリッツはわくわくした表情になった。彼にまかせておけば間違いない。すでに理論はほぼ組みあがっているはず。材質さえ特定できればここでも量産が可能だろう。
「また実験をするときは呼んでよ。それまでに爆発魔具の理論について書けるように勉強しておくから」
「わかった。まだあの『オフィス』に住んでるの?」
「当分引っ越す予定はないよ」
「ふふ、賑やかそうだね」
笑いながら言ったフリッツはルーディのことを思い浮かべているのだろう。彼は賑やかというよりはうるさいのだが。
「じゃ、来て早々だけどもう帰るよ。君は早くそれを調べたいだろうし」
「うん。またね」
そう言ったときにはフリッツの視線はもう魔具に注がれている。彼が見ていないことはわかっていつつも手を振って、研究室から出た。アカデミーを出るまでに数人の知人に声をかけられる。ここは私にとって古巣であり、現在も定期的に通う場所でもある。
しかしアカデミーを出たところでさらにもう一人に声をかけられたのは予想外だった。
「やあ、マイフェルトさん、だったっけ」
見覚えのある憲兵だった。そう、階段を滑り落ちた男を取り押さえにきたあの小柄な憲兵だ。有能そうな男だった。ひょっとすると私はここまで尾行されていただろうか。さらに言えばここへ来た目的すらも把握されているかもしれない。
内心少々焦りつつ、私はにこやかに握手を求めた。
「ええ。ハンス・マイフェルトと言います。昨日の憲兵さんですよね」
「オリヴァー・フンメル。オリヴァーって呼んでよ」
彼も人懐っこい口調で名乗る。友好的な態度ではあるが、昨日私は彼の前で名乗った覚えはない。どこかで調べてきたということか。彼をまじまじと観察する。小柄で童顔だからかなり若く見えるが、私とそこまで年はかわらないだろう。茶色の大きな瞳がくるくるとよく動く。
「昨日は大変だったよね。怪我は大丈夫?」
「ええ、大した怪我ではありませんでした。あのあとすぐに手当てしてもらえましたし」
事情聴取やらで大層時間をとられたが、担当の憲兵の絨毯で医者のところまで搬送してもらえたのは助かった。怪我よりも魔法の使いすぎでへとへとだったのだ。
「それはよかった。それで、今日はどういった用件でここに?」
早速本題か。私は唾を飲みこみ、あたりさわりのない言葉を選んだ。
「友人に会いに来たんです」
「友人にね。何かお土産を持参しなかった?」
いけない。完全に見破られているようだ。
「ちょっとしたお菓子の差し入れはしましたが……まずかったですか?」
お菓子はお菓子でも爆発する危険性のある「お菓子」だ。フリッツ、すまない。少々面倒をかけることになるかもしれない。
内心で謝って首を竦める。
「お菓子の差し入れくらいなら、僕たちは咎めたりしないよ。まあ、何にしろ今回は君が咎められることはないと思うけど」
うん? 今のはどういう意味だ。
オリヴァーが意味ありげにこちらに視線を寄越す。
「今回の事件、真の首謀者は誰かっていうことだよ。君はそれがわかったから今日、諸々の事情を呑み込んでここに来た。違う?」
私はようやく彼の意図を理解した。要は答え合わせと自己紹介がしたかったのか。それならそれで、私ものってやることに吝かではない。
「首謀者と言うと聞こえが悪いですけれども、まあ、なんとなくは。ヴェスターはエルデがまだ開発できてない新技術を先に獲得した。過激派が少数でそれを持ち込んで、首都で事件を起こそうとした。結果として被害はほとんどないまま事件は解決し、エルデは新技術のサンプルを手に入れた――こうまとめるのはやや恣意的に過ぎるでしょうか」
おそらく軍の諜報部とアカデミー上層部あたりが絡んでいるのだろう。フリッツは本当に何も知らなかったようだし。
「いや……」
オリヴァーは上目遣いで私を見つめ、満足そうに頷いた。
「僕もそういうことじゃないかと思ってる。どこまでが意図されたものかはともかく、ね。だからここに来たんだ。君に一度、挨拶をしておきたくてね」
「なぜ?」
わかってはいるがあえて尋ねる。
「正確には、君が今日ここに現れるような人だったら挨拶しようと思ってたんだ。憲兵の仕事はね、有能な情報源がいるとうんと捗るんだ。わかるでしょ? 君みたいな人が協力してくれたら僕、助かっちゃうんだけどなあ。それに」
一度言葉を切り、私の反応をじっと見つめながら続きを口にする。
「今の君の仕事はジャーナリストでしょ? 僕みたいな知り合いがいたら、君の仕事の方も助かるんじゃない?」
私は苦笑して目をそらした。持ちつ持たれつの関係に持ち込みたいわけか。
「わかりました。『挨拶』くらいはしておきましょうか。改めまして、ジャーナリストのハンス・マイフェルトです。軍での所属は第二予備魔法分隊。執筆依頼なら承りますよ」
「皇国軍第一機動旅団、第一大隊のオリヴァー・フンメル。よろしくね。実は僕、『一般魔法新報』の愛読者だからさ、君の連載も毎回読んでるんだ。著者に会えるなんて嬉しいな。クラールさんの方にも君からよろしく伝えておいて」
うわあ、と声が出かけた。ルーディのことも把握されているのか。しかもまさかこんな形で読者に会うなんて。
「じゃあ、僕はこのあとも仕事だから。また会おうね!」
そう言うと、彼は丸めてあった真っ赤な絨毯(しかも白いストライプが二本入っている)を広げて飛び乗った。ああ、これはルーディと話が合うかもしれない。ひらひらと手を振って飛び去るオリヴァーを見送り、私も箒に跨った。
ラスト1話は明日の同じ時間に投稿予定です。