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03 追跡

 かつて、魔法は「魔力」なるものを媒介としてこの世にもたらされる現象だと考えられてきた。始祖グローサー・ヒンメルの力によって祝福された者だけが使える特別な力が魔力であり、それを生まれながらにして持つ者が魔法使いだと。教会はそのように教え、人々を導いてきた。

 しかし今からおよそ七十年前、それまで魔法の研究といえば宗教学者のするものだったところに、実験的な研究をする学派がうまれた。もちろん最初は教会と対立したが、魔法、あるいは魔法使いとは国家にとっては軍事力に等しい。軍の一部は研究を奨励した。そのときの研究機関が現在のアカデミーの原型である。

 それからわずか二十年後、魔法を自然界の物質に「定着」させる技術が発明された。魔具の誕生である。これが転換点だった。全人口の七パーセントにすぎない魔法使いが独占していた魔法なる力を誰もが使えるようになったのだ(もちろん「定着」が困難な魔法も多く、すべての魔法がすぐに使われるようになったわけではないが)。魔法使い同士の力比べの相が強かった戦争の模様は変わり、人々の生活や価値観も徐々に変化した。

 「魔力」など存在しないのではないか。アカデミーの一室で、あるいは場末の居酒屋で、そんな説が囁かれるようになった。私自身、今のところその説を支持している。「魔力」の存在を主張しているのは教会だけで、根拠は『聖典』の記述以外にない。

 魔法や魔具を使えば、使用者は疲労する。それは「魔力」ではなく単に「体力」を消耗しているだけではないのか。魔法使いの特殊性とはイメージを具現化する能力であり、それは「魔力」の有無とは関係ないのではないか。それを裏付ける論文も、ここのところアカデミー研究員から何本も発表されている。

 私はそういった研究結果を踏まえた一般向けの解説書を執筆しようと考えていた。今は時代の変わり目だ。魔具をグローサー・ヒンメルの意思に反するものとして拒絶する者もいるし、単に新しいものに反発したがる層もいる。一方で新しい技術は新しい問題をも生む。たとえば絨毯や箒の暴走で、ドレスデーネだけでもほとんど毎日のように大小の事故が起こる。ハインツのように古くからある事業が縮小を迫られる場合もある。魔具の魔法学的原理だけではなく、そういった社会的な変化にまで踏み込んで解説できたら。きっとこの時代にとって必要な書となる。そう確信して執筆を続けていた。

 今日も出先で時間があれば続きを書こうと思い、原稿を一部持ち歩いている。それが水に浸かってしまったら困るな――

 意識を失う寸前に考えていたのはそんなことだった。

 気絶していたのはほんの数秒だっただろう。しかし箒に乗って船から逃げている最中にそれが起こったのが問題であった。

 気づけばルーディに片腕を掴まれ、川から絨毯の上に引き上げられて咳き込んでいた。すぐそばであの古びた船が燃えている。岸辺には人が集まりつつある。

「怪我は?」

 ルーディが短く尋ねた。

「少しめまいがするけどたぶん平気。マントの防御魔法が間に合った」

「原因がわかるか?」

「爆発魔法の魔具だと思う。アカデミーで見た試作品に似てた。誰かが船に投げ込んで……ルーディ、それ貸して」

 私は彼の額のゴーグルを奪い取ると、それを装備して箒――水に突っ込んだときも手から離さなかったようだ――に跨った。あの黒いマントの男。あいつが犯人だ。確信はないがそう直感した。

「飛べ!」

 水しぶきを撒き上げ、箒で一気に高度を上げる。あのマントには特徴的な刺繍があった。もう一度見ればそれとわかるはず。教会の尖塔よりも高いところまで来て、私は姿勢を安定させた。ここから探してみせる。

 下では騒ぎを聞いて駆けつけたらしいハインツとルーディが何やら揉めている。

 黒マントの男は旧市街の方へ飛んでいったはず。そちらに方向を絞り、ゴーグルにセットされた千里眼の魔法を展開した。宿屋の屋上。教会の裏路地。市場の屋台の影。いない。どこにいる?

まもなくコンクレンツ開会式の始まる闘技場に目を向ける。会期中、闘技場の周辺上空を飛び回ることは禁止されている。事故や不正を防ぐためだ。今も箒に乗った警備員が巡回しているだけで、上空にはほかに誰も――

 いや、いた。高度は低いが、闘技場へと向かう道を飛んでいる。千里眼の魔法精度をさらに上げる。あの赤い花の刺繍を確認すると同時に、私の箒は急降下に入った。見つけた。ここで捕える。

 濡れたかばんを探り、中から小さな筒を取り出す。レビュー用に支給された軍用品だ。白い煙を出すだけの魔法がセットされている。そんな魔法など普段は何の役にも立たないのだが、敵の追跡時には便利なのではないかと開発されたものだ。こういうときにこそ使うべきだ。

「ルーディ、気づいて」

 そう呟いて魔法を展開する。ぷしゅう、とまぬけな音がして筒から煙が噴きだした。筒を手に握りこみ両手で箒を支えなおし、スピードをさらに上げた。視界が狭まり呼吸が苦しくなる。混雑した旧市街であまり飛ばすのは危険だ。人々の頭上より高い位置を保って飛ばなくてはならないが、その分こちらへの負担は増す。目指すは闘技場だ。追いついてみせる。

 黒いマントが視界に入った。乾いた唇を舐め、距離を詰める。

 男が不意にこちらを振り返った。ずぶぬれの私に気づいて驚愕の表情になる。爆発に巻き込まれて死んだと思ったか? 甘いな。

 私の笑みに男が気づいたかどうかはわからない。ともかく彼は高度と速度を上げ、方向転換した。闘技場に向かうのはやめたようだ。しかし次の瞬間、こちらめがけて火の弾が飛んできた。慌てて体をひねって避ける。頬を熱気が撫でていった。男は短剣を抜いていた。あれは炎の魔法剣か。

 このまま街中で追いかけっこはしたくない。ルーディがいれば応戦できるのだが。そう思ったとき、背後から耳慣れた声がした。

「ヘンゼル、その男か?」

 振り返ってその姿を確認する。ルーディだ。煙を見て追いかけてきたのだ。一流の絨毯に一流の乗り手が合わされば、私の箒でも追いつかれるというわけか。

「そうだ。奴を止める。そっちに乗せてくれ」

「わかった、来い!」

 速度を緩めることなく箒を絨毯と並走させ、彼ののばした手を握る。そのまま箒の魔法を解くと、ルーディの腕に受け止められた。通行人たちが何事かとこちらを見上げている。

 花屋の軒先を掠め、黒いマントの男は急角度でターンした。ルーディも直前で減速し、同じようにターンする。二人の起こした旋風が花屋の花を数本吹き飛ばした。私も振り落とされそうになり、慌てて絨毯のベルトにしがみつく。どうやら河畔に戻りつつあるようだ。

 また炎の弾が飛んでくるのを見るなり、ルーディは剣を抜いて炎を斬り払った。彼の愛剣ヘーレンブラントは、炎を呑み込むように輝きを増す。

「操縦と応戦は俺に任せて、お前は魔法に集中しろ」

「うん」

 私は胸ポケットからペンを抜いた。イメージを描きあげながら黒いマントに向けてペンを突きつける。耳元で吹きすさぶ風の音も、雑踏から湧きあがる声も、一瞬で私には届かなくなる。

 これは魔法のペンでも何でもない、原稿執筆用のペンである。魔法使いが魔法を使うとき、焦点を視覚的に認識しやすくするために杖のようなものを使うことがある。イメージをまとめるための補助線としての役割を果たすものだ。私にとっては愛用のペンが杖がわりというわけだ。

 イメージはまとまった。あとは世界に発現するのみ。そのトリガーとして、私は言葉を用いることにしている。

緩徐魔法(ラングザム)!」

 発言と同時に効果が発現する。黒いマントの男の乗った箒が突然速度を緩めた。

「いいぞ、ヘンゼル」

 ルーディが叫び、今度は男の箒と絨毯を並走させた。今や奴の箒は歩くのと変わらないスピードになっている。捕まえるのは容易だ。

 私が使えるのは緩徐魔法。対象の感じている相対時間を遅らせる効果を持つ。今、あの男からは我々がものすごい速さで動いているように見えるだろう。私の能力の欠点は効果範囲が狭い点と、魔法を使っている間はそれに集中するしかなく、移動すらままならない点だ(多くの魔法使いがこの欠点を持つのだが)。

 ルーディが男の腕を捕まえ、こちらに引き寄せた。そのまま絨毯の速度を落とし、川の岸辺に降り立つ。男がなすすべなくルーディに組み敷かれるのを見てから、私は魔法を解いた。深々と息を吸い、呼吸を整える。

 男は驚愕の表情のまま私たちを見比べた。ルーディは男を押さえつけ、落ち着いた声で尋ねる。

「目的は何だ。取材の妨害にしては大げさすぎる。魔法使いの暗殺か? ハインツのライバルか? それとも……」

 無言でその言葉を聞いていた男が笑いだした。ルーディの表情が険しくなる。

「何がおかし……」

 問い詰めようとしたルーディの言葉は、男の声によって遮られた。しかし男の言葉はエルデの民のものではなかった。私ははっとして耳をすます。ルーディがちらりとこちらを見た。

「何を言ってるかわからんな。俺たちにもわかるように言ってくれ!」

 わざと粗野な調子で、重ねてルーディが問い詰める。もちろん彼の演技だ。私はじっと彼の言葉に耳を傾け、それを聞き取った。これは異教徒ヴェスターの言葉だ。若い頃に少し学んだことがある。

 男は次第に興奮してわめきだし、最後には笑いだした。そして笑いの途中で身をひきつらせ、数度痙攣した後に動かなくなった。

「おい……、おい!」

 ルーディは男の体を揺さぶったが、すぐに無駄だと悟った。

「自害したようだ。歯に毒でも仕込んでいたか」

 膝についた土を払い、ルーディが立ち上がる。一方私は目を見開いて男の言葉を頭の中で繰り返した。

「どうした、ヘンゼル。こいつは何を言った?」

 ルーディの問いに私は顔を上げる。

「我々には言葉がわからないと思ったのだろうね。実際私にも断片的にしかわからなかったけど……」

 立ち上がり、濡れた髪を絞って水滴を振り払う。

「『この国は終わりだ』、『ハインツ』、『皇帝と七選帝侯はまもなく死ぬ』、『異教徒に災いあれ』、そこだけは聞き取れたよ」

「……」

 みるみるうちにルーディの顔が険しくなった。

「『もうすぐ死ぬ』とはどういうことだ?」

「わからない。具体的なことは何も言わなかった。でも今、皇帝と七選帝侯がいるのは」

「コンクレンツ会場か……!」

 さまざまな可能性が頭に浮かぶ。コンクレンツ会場に皇帝と七選帝侯がそろったところで襲撃を受けたら。少なくとも大混乱は避けられないし死者もたくさん出るだろう。

「ほかにも仲間がいるのかもしれない。なんとかして止めよう」

「でも、どうやって? 手段もわからないのに」

「憲兵に知らせるか」

 周囲に人だかりができつつあった。憲兵がやってくるのも時間の問題だろう。だが待てない。

「ハインツのところに戻ろう。あっちにはもう憲兵が来ているはず。それにこいつがハインツの名を呼んだのも気になる」

 私の思いつきにルーディは頷き、野次馬の一人をつかまえた。

「憲兵を呼んでくれ。俺たちはハインツの船着場にいると伝えろ」

 そう言い残すと絨毯に乗り、あっというまに飛び去る。

「今日はいろんな道具のレビュー記事が書けそうだ」

 私もそう呟くとすぐに箒に跨り、彼のあとを追った。

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