18.本当の気持ち
ユリウスは城内にある礼拝堂に来ていた。
光沢のある灰色の壁に、吹き抜けの高い天井。
温かい日の光を取り入れる大きな窓に、神々しさを感じさせる絵画たち。
この場所は基本的に祭事を行う場所であり、普段あまり立ち入る事はない。
よって、自分が訪れるのも騎士の任命式以来およそ三年ぶりだった。
「……ユリウス、待たせたな」
久しぶりに自分を呼ぶ低音に、少し緊張しつつ振り返る。すると、フィリップは靴を鳴らしながら、こちらに近づいて来た。
銀色と青色。
フィリップの色を前面に使用したその服装は騎士の任命式の時に見た、式典用の正装だった。
「ど、どうしたの? その格好……」
「ん? まあ、なんだ。願掛けみたいなもんだ」
願掛け??
一体、何を願ってるのだろう?
自分が言葉を返さなかったせいか、辺りがシンっと静まり返った。
その沈黙がかえって緊張を煽ったが、すでに時遅し。
今まで体験した事のない空気感に戸惑っていると、フィリップが何かを勘違いしたのか、急に「この間の事、ほんとに……」と、謝罪を始めそうになったので、慌てて首を振る。
「いいよ。って言ったじゃない」
「しかし……」
「大丈夫! ほんと、フィーは心配性だなあ」
そこまで言うとようやく「そっか。それなら、よかった」と、ホッとしたような表情を見せてくれたので、こちらも安心する。
厳かな雰囲気も相まって、自分がとても緊張しているのが分かる。
フィリップは『話がしたい』と手紙をくれた。
もちろんその申し出は自分も望んでいた事なので、すぐその求めに答え、この場所にやって来た。
ここへ来る時も緊張していたし、今はもっと緊張している。
でも、この緊張感は丁度良くて。
それにフィリップが選んでくれたこの場所も、自分にとって一番相応しいと思っていた。
ユリウスは手早く身なりを整え、その場で跪く。
「……私はセクト男爵家長男、ユリウス=セクト。
今一度、フィリップ=ヴァン=アスタシア殿下の騎士になる栄誉をお与えください」
任命式と同じようにそう言い切って目を瞑った。
波打つ心臓の音が耳の傍で聞こえる。
それは部屋中に響いているのではないかと思うぐらい大きな音だった。
フィリップの声は聞こえない。
緊張のあまり、手に汗がじわりと浮かんでくる。
時間にしてどれぐらい経っているのだろう?
それすらも分からず、ただひたすら彼の言葉を待つ。
「……セクト男爵家長男、ユリウス=セクト」
フィリップが名を呼んだ。
次に聞こえる言葉を一字一句聞き漏らさぬよう、全神経を集中させる。
「貴殿を我が騎士に――……」
目をギュっと瞑り、祈るように言葉を待った。そして――――
『認めない』
そう、聞こえた。
(――――……っ)
全身の力が抜けた。
そのまま座り込んでしまいそうになるところを、なんとか耐える。
今まで味わった事のない虚脱感と、激しく脈打つ鼓動が身体の中で不和を起こす。
それでも頭の中はどこか冷静に、フィリップの言葉を正しく受け取っていた。
『認めない』
とても分かりやすい言葉だった。
考えなくても拒否された事が分かる。
だから、ここから先を考えずに済んだ。
だから、崩れ落ちずに済んだ。
だから――――泣かずに、済んだ。
ユリウスは微動だにせず、フィリップが去るのを待った。
拝命できなかった騎士は、この姿勢で主を見送らねばならない。
それまでは、動く事も声を出す事も叶わなかった。
沈黙が場を支配する。
どれぐらい続いたのだろうか。
呼吸すら躊躇われるこの空気を、何かが、震わせた。
「…………騎士ユリウス」
それはフィリップの声。
沈黙を保っていたユリウスは「はっ」と、返事をする。
「……セクト男爵家長男ユリウス=セクトは我が騎士とは認めない」
フィリップが同じ言葉で拒否をした。
その言葉は思考を止めていても、するりと忍び寄り心を抉る。
――――ただし。
「ただし、セクト男爵家三女ユリウス=セクトには、我が騎士として栄誉を授けよう」
凛とした声が響いた。
思わず、垂れていた頭を上げフィリップを見上げる。
「立て、ユリウス」
心が震えていた。
震えは足にも伝わったのか、膝が笑っていてすぐに立ち上がれない。
するとフィリップが屈んで、目線を合わせてくれる。そして、髪を触った。
フィリップの大きな手が、髪を梳く。
そんな事をするものだから一つに束ねていたゴムが取れ、自分の姿は男性騎士の制服を着た残念な男装女へと変わる。しかし。
「これからもずっと……俺を支えてくれ」
そう発せられた言葉に、格好を残念にされた事など吹っ飛んで、嬉しさが込み上げた。
必要とされている。
その事実が嬉しくてつい笑みが零れる。
「私、もっと強くなるから」
「……これ以上強くなってどうするんだ」
「え? そりゃあ、フィリップを守るためだよ」
当然の事を答えたのに、フィリップは「……本来は喜ぶべきところなんだろうが、それじゃあ、俺との差が……」とかなんとか、ブツブツ言っていた。
差? それって技量の差の話?
そんなの私が騎士なんだから当たり前じゃない。
それでもきちんと認められている事が嬉しくて、顔はずっと笑ったまま。
嬉しいついでにフィリップの胸元を拳でこついた。
ポスッと軽い音がして、自分は顔を隠すように俯き、そして、そのままの姿勢で止まる。
「ねえ……私、足手まとい?」
主に怪我をさせるような騎士は、必要ない?
半分答えは分かっていたけど、そう訊ねた。すると、「何を言ってるんだ?」と、呆れた様な声が聞こえる。
ユリウスは下を向いたまま笑う。
「ねえ、私、必要ない?」
こっちも答えが分かってた。
きっとフィリップは「何言ってるんだ」とさらに呆れるだろう。
でも、それが聞きたくて訊ねたら。
「……すごく、必要だ」
そんな嬉しい事を言ってくれるので、思わず抱きついた。
「ユ、ユウリィ?」
驚いた声で名を呼ぶフィリップに「……フィーのバカ」と、ぽつりと呟く。そして、
「フィーのバカバカバカバカッ!!」
子供が我が儘を言うみたいに、フィリップにしがみついて八つ当たりをした。
「本当はフィーが『出て言ってくれ』って言ったから、すっごく不安だった! 怪我もさせたし、女性役いらなくなるし、だから、もう、私に出来る事はなくなったんだって……」
「でも、呼びとめてくれたから! だから、まだ……」
泣きそうになるのを我慢しながら、必死に訴える。
『必要だ』と言ってくれた時点で不安は解消されているはずなのに、言い始めたら止まらなかった。
「ユウリィ……そんなに、不安だった?」
「不安だった!!」
そう叫んだら、フィリップはギュっと抱きしめてくれた。
「……ごめんユウリィ、そんな風に思ってるだなんて、全然分からなかった」
フィリップの声が優しく、耳に届いた。それは、とても安心できる声で、堪えていた涙がぽろぽろと零れ出してしまう。
暖かくて、大きくて、すごく落ち着く。
フィリップの腕の中はすごく居心地がよくて、ここが自分の場所だったらどんなにいい事だろうと思ってしまう。
「フィーのバカ……」
半ば反射的にそう言ったけど、もちろん、そんな事を思っているわけでなくて、ただ甘えるようにすがりついた。
……が。しかし。
時間が経つにつれ、冷や汗が出て来た。
フィリップの腕の中は暖かくて居心地の良い事は変わりないが、冷静になってきた頭の中では自分の仕出かした事が恥ずかしくて死にそうだった。
(ど、ど、どうしたら……)
なんとか、自然な形でこの状況を脱出する方法はないだろうか。
そうは思うものの、身じろぎする事もできないほどがっちりと抱きしめられている現状では、下手に動けば、それは強引に動く事になり、自然もへったくれもない。
依然としてフィリップは何も言わず、自分を抱きしめたまま。
ただ、それは自分が甘えて抱きついたからで、彼はこちらの事を思ってそうしてくれているのだろう。
そんなフィリップからゆっくり離れれば、おのずと顔を見る事になり、そうなれば自分は恥ずかしくて死んでしまう。かといって、突き飛ばすなんてそんな酷い事はできず……。
(戻って!! 時間!!)
今ほど、切に願った事はなかった。
そんな状況の中、こちらの胸中に気付いていないフィリップは「……もう、そんな思いはさせない」と、何かに辿りついたようだった。
流石に意味が分からず、ほんのちょっとだけ顔を上げたら、彼は少し顔を赤らめる。
「俺の……俺のモノになれよ、ユウリィ。そ、そうしたらそんな心配しなくて済むだろう?」
何を言っているのか意味が分からなかった。
俺のモノになれ?
それって、つまり。
「……嫌よ」
気が付いたら、そう低い声で答えていた。
「役にも立たないのに、そうやって保護だけされるのは絶対にイヤ! 私が騎士として役に立たないなら、その場で切り捨ててくれた方がよっぽどいい!」
「……き、騎士としてじゃなくても、必要になる事だってあるだろ?」
「もし! フィーがそういう意味で言っているなら、軽蔑する!」
「ちがう!!」
「じゃあ、ヘンな事言わないで!」
フィリップが傷ついたような顔をした。でも、そんな情けをかけられたなら、よっぽど自分の方が傷ついたので、謝らない。それに。
「大体、お姫様探してる人が、どうしてそういう事言い出すかな!」
「……姫?」
「そう! 王子様の婚約者だから、お姫様でしょ!?」
そう言うと一瞬難しい顔をしたが、すぐに笑った。
そんな顔を見て、胸の奥がズキリと痛む。
「……もう、見つかった?」
あまり直視したくない現実。……でも。
私はもう、逃げない。
フィリップは優しい笑みを湛えたまま「ああ」と短く返事をした。
いつもお読みいただきましてありがとうございます!(*^_^*)




