12.すれ違う二人
ちゃんと笑えているだろうか?
最後まで頼りにならない弟分ではいけない。
私は一人でも大丈夫だよ。
フィリップの傍はとても居心地が良くて。
まるで自分がずっとこの場所に居ても良いんじゃないかと錯覚してしまうぐらいで。
幼馴染みとしても、騎士としても、そして、女性としても、すごく安心できる――――。
……でも。
フィリップにとって自分はどうだろう?
主に怪我をさせてしまう騎士なんて力不足だろうし、結婚相手を探すなら、女性役もいらなくなる。
そうしたら?
あとは、幼馴染みという事だけしか残らない。
……わかってる。
それだけじゃあもう、王子様であるフィリップの傍には居られない事を。
ユリウスはくるりと反転し、フィリップに背を向ける。
そして気付かれないようにスッと息を吸い込み深呼吸した。
「やっぱり、一番の理解者としては遠乗りが好きな子をお勧めしたいな」
フィーは乗馬も好きだから。
例え一人で馬に乗れなくても、一緒に遠乗り出来ると楽しいだろう。
後はどおかな?
ダンス……は皆大丈夫だろうし、刺繍もできるだろう。
フィーは優しいから、あんまり難しい事言わないだろうし。
気に入る子がいればきっと……
いろいろ考えれば考えるほど目の奥が熱い。
心臓が慌しく動いているのに、手の先は冷たくてなんだか痺れている様に感じる。
(意味、わかんない)
これはフィリップにとって、良い話。
だから、喜ばなきゃいけない事なのに。
どうして、どうしてこんなに……苦しいのだろう?
「……何が、一番の理解者なんだ」
低い声が無音の部屋に響いた。
怒鳴られている訳でもないのに身がすくむようなそんな声。
振り返ると、フィリップがすぐ傍まで来ていて、いきなり抱きしめられた。
ビックリして顔を上げると何のためらいもなく、唇を重ねられる。
強引で力強いキス。
あまりに突然すぎて、何が起きているのか分からなかった。
抵抗らしい抵抗もできず、されるがままでいると、舌も絡めてきた。
「……っん」
空気が吸えず息苦しくなる。
そんな事もお構いなしにフィリップは時折唇の角度を変えながらずっとキスを止めなかった。
でもあんまりにも苦しくて、その拘束をほどこうと暴れるとやっと唇を離してくれる。
どうして?
そう言いたかったけど、フィリップの寂しそうな瞳を見たら何も、言えなくなった。
「ユウリィは……俺をなんだと思ってるんだ?」
苦しげにそう言ったフィリップに答えようとしたら、唇を人差し指で封じられてしまう。
『何も言うな』
フィリップはそう言いたいのだと思い、もやもやした気持ちのまま言葉を飲み込む。
しかし変わらず彼はこちらを見ており、何かを言いたそうな表情を向けられたままお互い見つめ合った。
フィリップの視線がスッと自分の顔から外れて落ちて行くのが分かり、そして、視線は胸元にあるネックレスに向けられた。
直感的に「返せ」と言われるのかと思った。
フィリップは与えたものを返せなんて言う人間じゃない。でも、なんだかこのネックレスをしている事が悪い事のようで、取り上げられるのではないかと恐怖した。
「……お前はずっと俺の事、護衛対象の幼馴染みっていう分類で見ていたんだな」
「分類……?」
「だってそうだろ? だから、平気で婚約者探しを頑張れだなんて言うんだ」
「だ、だって……」
だって、仕方ないじゃない。
ずっと隣に居たいから、弱い自分のままでも騎士にしてと言うの?
寂しいから結婚しないでっていうの?
そんな事、ダメだよ。言えるわけがない。
自分が何も言葉にできず押し黙っていると、フィリップが少しだけ腕の力を緩めた。
密着していた身体が少し離れる。
するとフィリップは片手をその隙間に差し入れ、ワンピースの胸元に手を置いた。そして。
「えっ……?」
された事の意味が分からず、声が漏れる。
不意に寄せられた胸元の布。
そこから覗く自身の肌には、うっすらと蚊に刺された跡が残っている。
「ちょっ……!」
いくらなんでも!
そう思ってフィリップに声を上げようとすると、彼の顔が歪んだ。
「……ユウリィ、この跡、俺がつけたって言ったら、どうする?」
何を言われているか分からなかった。しかし、それを理解する前にフィリップは蚊に刺された後をゆっくりと指でなぞり、
「眠っているお前に、俺が、つけたんだ」
――そう、こんな風に。
小さな声で呟いたかと思うと、顔を胸元に落とした。
「!!!!」
口づけを落とされている場所に熱が走った。
痛いとは違って、熱い。唇から伝わる熱だけではない熱さに息を飲む。
どうしてこんな事が起きているのか分からず立ち尽くしていると、顔を胸元から離したフィリップが再び腕に力を込め、自分を抱き寄せた。
「……お前は俺を見ていない。でも、俺はずっと…………」
フィリップの言葉はこれ以上続かなかった。
どれぐらい時が経ったのか分からないうちに、きつく抱きしめられていた力は失われていった。
ゆっくりと解かれた拘束と徐々に失われてゆく暖かさ。
言葉にできない喪失感を覚え、何も考えられなかった。
フィリップは自分に背を向け離れてゆく。
一歩一歩離れてゆくその歩みは、まるで自分達の距離を示しているようで。
何か、何か声をかけねばと思っているうちに、「出て行ってくれ」と、掠れた声が聞こえた。
「あ、あの……」
「……出て行ってくれ。ユリウス」
急に愛称で呼ばれなくなり、心が締めつけられた。
「フィー、あの」
「……その愛称で呼ばないでくれ」
言われている言葉が理解できなかった。
たしかに聞こえたハズなのに、聞こえた事を拒否するように頭の中が揺さぶられる。
まるで鈍器で殴られたような感覚だった。
「……部屋から出て行ってくれユリウス。これ以上、惨めな思いをさせないでくれ」
もう、どうしたらよいのか分からなかった。
・
・
・
翌朝、鏡の中の自分は酷い顔だった。
昨夜の事は途中から記憶がなく、どうやって屋敷まで帰ってきたのかさえ思い出せない。
その上、どうしてこんな腫れぼったい顔をしているのだろうと思ったが、無意識にその先を考える事を拒否する。
ぼんやりとしたまま、湯浴みを済ませ、階段を下りる。
途中エリザに会い、顔の事を聞かれたが、「分かんない」とだけ返してその場を立ち去る。
食事を取る為に訪れたダイニングには、湯気の立ち上るスープと軽い食事が用意されていた。
身体が満たされていないのは分かっているのに、全く食欲が沸かない。
仕方がないので、マリーに「また後で食べにくる」とだけ伝え、ダイニングを後にした。
なんとなく部屋に戻るのも嫌だったので、そのまま一階の鍛練所へと向かう。
窓から差す陽の光は温かく、身体も僅かに温まる。しかし、何かが満たされていない。
ただその空白が何であるか考えるのは怖くて、霞がかった脳内をそのままにして歩く。
すると、再びエリザを見かけたので呼びとめた。
「姉上、勝負しましょう」
返事は「嫌よ」だった。
「……なんで? いつでも勝負してくれるって言ったじゃない」
「私は結果の見えてる勝負はしないの」
「なにそれ。そんなの分かんないじゃないか」
こちらの反論など気にも留めずにエリザが「分かるわ」と言い切った。
「この間言ったでしょ? 『弱い』ユリウスには負けないって」
「……今日は、勝てる気がするんだ」
エリザは溜息をつき「気のせいよ」と言う。
「そんな気の抜けた顔して私に勝てると思うなんて、判断能力まで弱くなった?」
「失礼だよ、それ」
「事実よ、事実」
「やってみないと分からないだろ?」
語気を強めて言えば、「……そんなに言うなら、勝負してあげる」と、ようやく言ってくれたので、すぐに木剣を取りに行こうとしたら、先に朝食を取るように指示された。
食事の後、エリザと勝負した。
結果は今までにない惨敗で、どうして負けてしまったのかも分からない。
エリザは何も言わずに鍛練所を去った。
でもそれが今までで一番堪えたのが自分でもわかる。
(……こんな勝負を挑むなんて)
現実から目を逸らす為にエリザを使った。
何も考えたくないし、思い出したくもない。
しかし、そんな浅はかな考えで挑む勝負なんて姉が怒るのも当然だった。
(……こんなんじゃあ、フィリップを守れない)
そう思って、傍から離れる決意をしたのに。
なのに、あんなに寂しそうな顔をさせてしまった。
『……お前は俺を見ていない。でも、俺はずっと…………』
私はフィリップを見ていなかったのだろうか?
いや、そんな事ない。
でも……。
ユリウスはその場でコロンと寝転がり、そっと胸元の布をずらした。
そこには赤い花弁が一枚。
昨日の出来事が夢じゃないと見せつける印。
思い出せばすごくドキドキして、なんだか身体も熱い。
マリーの持っている小説ではこういう事は恋人にするものだと書いてあった。
たしかに昨日の設定は恋人。
でも?
フィリップの考えが分からない。
それは即ち『見ていない』という事なのだろうか?
「あーもう……どうしたらいいんだよー……」
フィリップの考えは分からず、エリザには勝てない。
自分はただ、フィリップを守りたいだけなのに。
そんなささやかな願いすらも叶えられない無力さに、ユリウスは大きな溜息をついた。
いつもお読みいただきましてありがとうございます!(*^_^*)




