9.リミット
その日、フィリップは謁見の間へと向かっていた。
実の息子と言えど、そう頻繁に会う事のない父親からの呼び出しは、実に数カ月ぶり。
それは別に珍しい事でもなく、日々、失態を犯していないという目安にもなっているので、特に不満に思う事はない。しかし今回に限っては、もっと早く呼ばれたかったと思う。
ユリウスが解任させられてから約一週間。
彼女の顔はおろか、声すらも聞いていない期間。
そして、それはいつまで続くのか分からない苦痛な日々。
その事実は、自分を日々不機嫌にしていくには十分過ぎる内容だった。
(……どうして、俺の騎士を勝手に)
普段、自身の人事について干渉される事はないのに、何故?
こればかりは推測しようにも見当がつかず、本人に尋ねるのが一番いいと結論付けていた。
早く解決する糸口を見つけたい。
しかし、この件だけを尋ねに行けば何を勘付かれるか分からない。
相反する事柄を解決するには、ただ待つ事しかできず、ずっとヤキモキしていたのだ。
「お久しぶりです、陛下。ご機嫌はいかがでしょうか」
フィリップは不機嫌を声に出さないよう努めつつ、王の正面に片膝を付き頭を垂れる。
それに対して王は「堅苦しい挨拶はいらないぞ、我が息子よ」と、優しい言葉をかけてきた。
誰のせいで機嫌が悪いと思っているんだ。
あなたが俺からユリウスを奪ったからだろ。
さすがにこんな事は言えず、「はい、父上」と作り笑顔で返事をする。
別に自分と父上との間柄は悪くはない。
ただ、今回に限っては本心を晒すわけにもいかず、こんな真似をしているだけ。
父王が自分を側に呼ぶので一礼し近寄ると、側にいた近衛を退室させた。
広い謁見の間で、図らずとも二人きりになり自分としては都合が良かったが、それと同時に、話の内容が私的な物か内密な物である事が予想された。
「フィリップ、お前の働きは聞き及んでいるぞ」
「はい、父上」
「ここ最近では妖精を説得し魔法を解かせ、ラフィーネ家にちょっかいを出す輩を排したらしいな。よくやった」
「ありがとうございます、しかし、その成果は皆の協力があっての事です」
「いい人材に恵まれたな」
「はい」
始めは最近の功績についてだった。
自分の役目としては、第一王子である兄上が事を手掛ける前に露払いをする事だ。
内容としては、問題処理や問題が発生する前にその芽を摘むなど、地味な仕事が多い。
それは以前兄上が請け負っていた事であり、自分が公務を担うようになってから引き継いだものだった。
このような日の当たりにくい仕事もきちんと見ていて下さり、そして評価をして下さる父上を本当に尊敬している。
しばらくの間、公務について話をし、それが落ち着いてくると「……して、フィリップよ。そろそろお前は誕生日を迎えるな」と、話題を変えて来た。
誕生日。
先日ユリウスと祝い年の話をした時、少し歳についても触れた。
しかし、誕生日自体はまだ先なので、「はい。…………ですが、まだ三カ月はありますよ」と、返事をする。しかし、父上は「そう、三カ月しかない」と、言い出した。
「どういう意味ですか?」
「言葉通りだフィリップ。たった三カ月しかない」
「…………?」
「分からぬか? お前は後、三カ月で二十歳になるのだぞ」
遠まわし過ぎる物言いに、返答を避けた。
頭には思い浮かぶ事が一つだけあったが、もし違った場合、墓穴になるので口にはしない。
すると父上は「フィリップ、お前は兄がいつ結婚したか覚えているか?」と言い出した。
「は……たしか、四年ほど前かと」
「そうだ。あれは十七の時に婚約し、十八で結婚した」
わざわざ兄を引き合いに出して、歳の話をする。
さすがにその意味に気付かないフリは、できる気がしなかった。
「……私に結婚しろとおっしゃるのですか? 父上」
父上はその通りだと頷いた。
「お前が、女性を苦手としている事は知っている。――だから、今回傍に置く騎士を例外的に女性にした」
そういう事か。
この話を聞くまでは予想していなかった展開だが、とりあえずこの件は、父上が良かれと思ってしてくれた結果だと理解した。
しかし、あの場所には最初から女性であるユリウスがいた。
だから、父上には悪いけれど、余計な事を。と、思ってしまう。
……ただ、父上はユリウスが男装騎士である事を知らない。
その事実を今ここで告げたとしても、ユリウスの立場が悪くなる可能性がある。
自分としては必ず側に戻す気でいるので、そんな危ない橋を渡る事はできなかった。
「エリザの性格は苛烈だが、男勝りとも言う。だから手始めには丁度良いのではないか?
側に女性がいれば、苦手も克服できるだろう?」
「お言葉ですが父上、前任のユリウスは優秀で是非とも側に置きたいのですが」
「ああ、お前が騎士ユリウスを重用している事は知っている。だから、エリザの着任はお前の誕生日まで。その後は好きにすればよい」
誕生日。また、その言葉が出てくる。
その時点でもう何を言われるかすべて分かってしまった。
「今回の人事異動はお前の苦手克服の為。そして、後三カ月の間に王城で舞踏会を開催し、結婚相手を見つける事。そして誕生パーティーで婚約を発表、その後、人事は一任する。以上だ」
「ち、父上!! 私には……!!」
想い人がいます。
そう口にしようとして、出来なかった。
……もし、それを口にしたら父上は「召し上げろ」というだろう。
それこそ相手の気持ちも、自分自身の気持ちも飛び越えて。
ちゃんと、自分の言葉で伝えたい。
どれだけ自分が彼女の事を想っているのか、どれだけ自分が彼女を求めているのか。
それなのに、もし「召し上げて」しまったら。それらは全て伝わらない。それに。
(選択権を……奪いたく、ない)
王族が使う「召し上げる」という言葉に拒否権はない。
よって、彼女を絶対に手に入れられる言葉は彼女の全てを奪う。
それが分かっているからこそ、絶対欲しい彼女には絶対に使えない。
突然示されたタイムリミットに、フィリップは動揺と焦りを隠しきれず俯いた。
そんな自分に父王は追いうちをかける。
「第一回の舞踏会は二週間後とする。その間に少しは苦手克服しておくのだぞ、フィリップ」
もちろん返事は一つしかなかった。
*
ユリウスが屋敷で過ごす様になってから一週間以上が過ぎた。
初めのうちはぼんやりと時間を過ごし、エリザと勝負をするという、あまり実用的ではない時間の使い方をしていたが、流石に一週間ともなると、もうそんな生活はしていない。
今まで決められた時間に登城していたのだから、その時間から屋敷の仕事をしよう。
ユリウスは今までと同じ時刻に起床し、身支度をすませる。そして、セクト家執務室へと向かう。
見なれた書類棚に、壁掛け時計。そして、革張りの黒椅子と、執務用の机。
必要最低限の物しか置かれていないこの執務室で、一日の大半を過ごした。
元々溜まりがちだった仕事は、みるみるうちに片付いて行き、借金体質から脱出できるのも時間の問題であった。
ユリウスは本日手がけていた帳簿へと目を走らせる。
その結果、書き間違い、抜けている等のミスはなく、キチンを収支が合っている事を確認した。
(うん。これなら大丈夫)
自分にそう言ってから腕を伸ばし、凝り固まった肩を動かす。
ここ数日は身体を動かす事より、机にかじりついている方が長かったので、なんだが身体が鈍っている気がした。
後で鍛練所へ行こうかな。
そんな事を考えながら、机に広げた書類や帳簿を片づけていると、ふと書類止めに目が止まった。
(……フィーは元気かな?)
意図せず思い浮かべた幼馴染みは困り顔をしていた。
それは、目の前のわんこクリップが困り顔だったからかもしれないし、自分の願望かもしれない。
自分が一人いなくても、仕事に支障が出ない事はわかっている。
でも。少しでも、「ユリウスがいたらな」と思っていてくれたら。
ただそんな風に思っているくせに、自分はといえば、エリザに勝つ事が出来ず毎日屋敷で燻ったまま。
焦る気持ちはある。
でも、焦っていてもエリザに勝てる訳でもないので、もっとよく考えてから。
自分はフィリップを守りたい。
だから、その方法を考える。
一体どうすれば、フィリップにとって最善なのか。
(足手まといにだけは……なりたく、ないんだ)
もし自分が足手まといだとしても、あの優しい幼馴染みは絶対に教えてくれない。
それどころか、逆にもっと過保護になるに違いなかった。
だからこそ、ユリウスは時間をかけて状況を分析し、策を練る。
――――例えその最善策が自分にとって辛い事実であったとしても。
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ユリウスが執務室から出ると、エリザに出会った。
「あら、ユリウス」
「おかえり、姉上」
丁度城から戻って来たらしい姉は騎士の正装をしており、髪は結い上げたままだった。
「今日は早かったね。夕食、一緒に食べられそうだね」
思ったままを口にすると、エリザは眉間にしわを寄せて「……今日も、勝負はしないの?」と、言ってきた。
最後にエリザと勝負してから今日で五日が過ぎている。
たしかに毎日勝負していた事を考えると、そう訊ねられてもおかしくはない。
しかし、ユリウスには全く勝負をする気はなかった。
「今日はいいよ」
「『今日もいいよ』でしょ?」
そう上げ足を取るエリザに苦笑し、「うん、そうだね」と返事をする。
するとエリザは「また、逃げてる」と言った。
そう、かもしれない。
今のままフィリップの傍に戻ったとしても、彼を確実に守れる気がしなかった。
それこそまた怪我をさせてしまうかもしれない。
エリザは機転も利くし、剣の腕もある。だから、自分が傍にいるより……。
「……最終的にはフィリップが安全ならそれでいいんだよ」
「守るのが自分じゃなくても?」
尋ねられた事に、返事はできなかった。
立ち話が少し長くなってきたので、エリザが自室へと呼んでくれた。
相変わらず高級感の漂う部屋は落ち着かないが、大人しく椅子へと腰かけ話をする。
「ねえ、ユリウス。あんたは知ってるの?」
突然そう振られ「何を?」と返すと、「今度、アスタシア城で舞踏会が開催されるの」とエリザは言う。
へえ。そりゃあ、また大変だ。
基本、仮面護衛騎士は公の舞踏会には出席しないので、こういった場合に大変なのはミラー達護衛騎士である。
「今回は誰が来るの?」
つい、癖でそう訊ねてしまったが、この質問にエリザは答えられないとすぐ気が付く。
しかし、姉は「誰も来ないわよ」と、迷う事なく言ってのけた。
「姉上……外部の人間にそういう事は」
「『外部』って。あんたは、殿下の騎士でしょ?」
「……元。だけど」
エリザは「……なんか、今日のユリウスは湿っぽい」と、言うが、そうだろうか?
「今回はそういうパーティじゃないの。と、なれば……わかるでしょ?」
「わかんないよ、姉上」
「……あんたって、ほんとに……」
『ほんとに……』って、なに?
なんだかそういう言い回しの後に続く言葉はロクな事じゃない気がして、自然に不貞腐れた表情になる。
そんな自分の顔を見て、エリザはクスリと笑い「今回の舞踏会はフィリップ殿下の為に開かれるの」と言った。
フィリップの為?
それって、何の為?
そう思った事が顔に出たようでエリザが「そんなの、結婚相手を探す為に決まってるじゃない」と言った。
「結婚相手…………?」
オウム返しのように言葉を発し、そして、その意味を理解した。
そうだ。フィリップは今年二十歳になるのだ。
王族の男子としては婚約もしていない状態なんて確かに遅すぎる歳。
この間、祝い年の話をした時「フィーが結婚したらその年は祝い年になるね」なんて軽々しく言っていたけど。いざ、そうなると。
フィリップの隣に居たい。頼れる片腕でありたい。
そう思っているけれど、『足手まとい』かもしれない自分が、女性役としても必要なくなったら。
自分にはもう……。
「ユリウス、あんたは参加しないの?」
思いもよらない質問に一瞬、戸惑った。
だってこれはお姫様を探す舞踏会で。一方自分は、ただの幼馴染みで弟分なのに。
たしかにフィリップの傍にはいたいけど、そんな理由で参加していい物じゃない。
そうエリザに言ったら、一言「脳筋」って、言われてしまった。
いつもお読みいただきましてありがとうございます!(*^_^*)




