☆4.子爵令嬢ノア
子爵家に到着し、庭園へと案内された。
咲き誇るのは初夏にかけて花をつける一面の薔薇。
令嬢のお気に入りとの事だ。
いくつもの品種が計画的に植えられた庭園の一角に、常設のパラソルが用意されている。
パラソルの下にはテーブルがあり、これまたしつこいぐらいに薔薇が飾られていた。
ユリウスは彩られたテーブルについた。
令嬢はまだ来ていない。
なんだか息苦しいような、重苦しいような。
裁定を待つようなこの独特な雰囲気は落ち着かない。
(なんか、ほんとお見合いみたい)
断ってもらうのが目的だが、この緊張感はきっと同じ。
そう考え、今から現れる令嬢の姿絵を思い出す。
令嬢の姿は童話から出て来たお姫様のようだった。
あれは『魔女と時を奪われた姫』という童話だ。
金髪碧眼の完璧な姫に嫉妬した魔女が、時を奪う魔法をかける。
そこへ、翡翠色の瞳を持つ王子が現れ、赤子へと戻ってしまった姫の額にキスをする。
姫の魔法は解け、見目麗しい女性へと戻るのだ。
(――あの話、好きだった)
童話を思い出し、笑みがこぼれる。
『ユリウスは王子様だもんな』
『うん!』
一緒に思い出された記憶。
無邪気な自分が今は恨めしい。
物語の王子様は赤銅色の髪に翡翠色の瞳。自分と同じ色。
憧れて馬に乗り、剣術を習い始めた。彼は騎士の姿に変装していたから、当然騎士にもあこがれた。
(――って、憧れるなら姫だろう!)
幼い自分にそう突っ込みたい。
「お待たせいたしました。セクト様」
小ぶりの鈴が鳴ったような可愛らしい声がした。
湖を閉じ込めた碧色の瞳にバランス良く収まった目鼻立ち。
緩くウェーブがついた柔らかそうな金色の髪と、透き通るような白い肌。
レースをたくさん使用したピンク色のドレスは花びらのようで、まるで彼女自身が一輪の花に見える。
「初めまして、セクト様。ヴァーレイ子爵家長女、ノアと申します」
ノアがドレスの裾をつまみ、少し膝を折った。
ユリウスはハッとして、慌てて席を立つ。
「申し遅れました。セクト男爵家長男ユリウスと申します」
色男風を忘れず、笑みを浮かべ膝を折る。
挨拶の為、ノアの手を優しく両手で包み……躊躇った。
色男風なら、手に口づけを落とす。
正解はこれだ。
ただ、そうだとしても女の子にキスをするのは避けたい。
ユリウスはノアの手を額に近づける。
これで勘弁と、初対面の女性にする一般的な挨拶して。
(……?)
すぐに手を離し顔を上げると、ノアが微笑む。
「お会いできて光栄ですわ」
「……こちらこそ。あまりに美しいので一瞬我を忘れてしまいました」
お世辞は得意ではないが、これは本心でもあった。
無用な気使いをしなくても褒めるところが多い令嬢。
色男風を装いたくても、さすがに歯の浮く様なお世辞ばかり連発出来る自信はなかったから、ほんとによかった。
両者の挨拶が終わると、側に控えていた侍女たちが動き出す。
慣れた手つきで茶器が用意され、素早くお茶が注がれる。
ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「私の事はノアとお呼び下さい。セクト様」
「分かりましたノア嬢。それでは私の事もユリウスとお呼びください」
「はい、ユリウス様」
形式に沿った挨拶をし、話が始まる。
好きな花の話や、ダンスの話、趣味の話など。
およそ、初めて会った男女がお互いを知る為の話。
ノアは微笑みながら話をし、しっかりとユリウスにも話を振る。
一方的ではない配慮のある態度に好感がもてた。
(そうそう。これだよね、真の令嬢とは)
立ち振る舞いの優雅さ、相手を気使う配慮、男性を立てる奥ゆかしさ。
どれをとっても「さすが令嬢!」である。
とてもじゃないが、自分が同じ分類に入れるとは思えなかった。
「ユリウス様」
突然呼ばれ意識をノアへと戻す。
気がつけばいつの間にか人払いがされていて、二人きりになっていた。
彼女は恥ずかしそうに顔を伏せ、もじもじしている。
「いかがされましたか? ノア嬢」
多少の緊張を覚えつつも、相手に続きを促してみる。
「あ、あの、お顔の色が優れないようですが、どこか調子でも?」
ユリウスは眼を瞬いた。
聞かれた内容には思い当たる事が無い。
花は嫌いではないが、そんなに詳しくはない。
ダンスやドレスの話なども、右に同じ。
にこやかに話を聞いているつもりでも、気がつけば集中力が落ちているようで。
改めて思うのは、自分がそういった話に興味がない事実。
(さすがにそれは言えないよ……)
本当の色男ならもっと話を膨らませるのであろう。
だけど、自分はそのような話術を持っていない。
誰かを真似るにも身近にそんな人物はおらず、せいぜい出来るのは色男風の笑顔ぐらい。
頭に失策の二文字がよぎる。
お互いを知る為に用意された場で、雰囲気だけ変える事の危険性に今気がついてしまった。
ユリウスは「お気遣いありがとうございます」と、二コリ微笑む。
普段より愛想よく、色男風を装う自分がアホに見えたが、今更これをやめる訳にはいかない。
「……恥ずかしながら、女性とこうやってお話しする事が無くて。緊張、しているからでしょうか?」
一連の流れを見ても、ノアに落ち度はない。
せめて彼女が傷つかない言葉で、色男風を続ける。
ノアは頬をピンク色に染めてうつむいた。
女の子っていう感じがして、とても可愛い反応だった。
「ユリウス様」
ノアが顔を上げ、また名前を呼んだ。
「はい。ノア嬢」
ユリウスは笑みを浮かべて返事をする。
ノアは口を開きかけ、そして俯き、また口を開きかけ……と、しばらくこんな事を繰り返した。
ここで急かしてはダメ。
それぐらいは分かるユリウスは辛抱強く、ノアの言葉を待つ。
ゆっくりと時が流れる。
そよぐ風に乗って薔薇の香りが一層濃くなり、甘ったるい空気が辺りに漂う。
そして突然、何の前触れもなく。
彼女が立ち上がった。
「私! 男性恐怖症なんですの!」
叫ばれた言葉に唖然とする。
瞳を潤ませ、拳を握りしめる彼女を。ただ見つめ返すしかできなくて。きっと顔はおどろいたまま。
ノアは「今回の縁談、私の事を憂いた父が申し込んだのです」と、か細い声で続け、イスに座りなおした。
(そうか。だから挨拶の時……)
僅かに震えた気がした。
その後が普通だったので、気のせいかと思っていたけれど。
俯いたままのノアと、疑問が解けたユリウス。
両者に流れる空気には温度差があり、傍から見れば微妙な雰囲気になっていたが、それに気付く者はいない。
「黙っていてごめんなさい」と、ノアが呟く。
本当に申し訳なさそうに言うので、却って気の毒になる。
ただこれは、ユリウスにとって願ってもない話。
だって令嬢が男性恐怖症。つまり、お付き合いする事はできないじゃないか。と。
「そうでしたか……。ならば、仕方ありませんね」
ユリウスは微笑んだ。
自分の中で極上かもしれない、色男風に。
ノアが目を伏せる。
あともう一息。
頭の中から終わりの言葉を探し。ポンっと浮かんだのは、侍女から借りた小説のセリフ。
「――姫の様なあなたとご縁がないのは残念ですが、これもまた運命。諦めま……」
「いいえ!!」
意味が分からなかった。
頭の中は小説を思い出すのに手一杯だったので、聞き間違いかと思った。
「ユリウス様。私、貴方とならこの症状を克服できると思うのです!」
脳内に嵐が起こった。
言葉という言葉を強風で吹き飛ばされたかのように、頭の中が空っぽになる。
(この症状を、克服、できる?)
貴方となら。それは、つまり。
「ええ!?」
ち、ちょっと待った!!
ようやく理解したその意味にユリウスは青ざめる。
発した言葉は完全に素であった。
こんな時、色男風ならどうする?
……と、いうか。色男なら喜ぶんじゃないか?
いやいやいや。それじゃあ意味がない。
断られてナンボの芝居なのに、そこまで色男風にする必要はない。
「その、私では、お役に立てないと……」
ユリウスは色男風を捨て去った。
役に立たなさそうな弱々しい声色。
ある意味、言葉以上に説得力があると思われたその声を聞いたにも拘わらず、ノアは興奮したように「いいえ! ユリウス様ならきっと……!」と、キラキラと瞳を輝かせて言い放った。
さすがに血の気が引いた。
侍女に借りた小説では、こうなった時の乙女は周りが見えないらしい。
目の前には配慮ある令嬢は成りを潜め、恋する猪突猛進の乙女――侍女の小説参考――がいた。
その後の事はあんまり覚えていない。
ただ自分が「……わかりました」と言ってしまった事と、「ユリウス様の笑顔とても素敵でした」とノアが言ったぐらいで。
色男風だといって、無駄に笑顔を振りまいていた事が、アホを大きく通り越していた……という、学んだともいえない様な散々な結果だけが残されて。お茶会は幕を閉じたのだった。
今回もお読みいただきましてありがとうございました!(*^_^*)