17.眠り姫の甘い誘惑
二人は部屋から出て行った。
と、いうよりセシルが心配しているヘラを引きずるようにして連れて行ってしまった。
ぱたんと扉の閉まる音を聞き、そして訪れた静寂――――
二人きりで部屋に残されたフィリップは口元を押さえた。
(セシルのやつ……)
一体あいつは何を考えているんだ。
散々こき使ったから仕返しのつもりだろうか。
(……お膳立てして俺をからかうつもりか?)
いい度胸をしている。
そんな事をするつもりでいるなら、覚悟しておけ。
フィリップは視線を落とし、横たわるユリウスを見る。
当の本人は、我関せずといったように、すやすやと眠っていた。
(まったく……)
呑気な奴だ。
こっちがどれだけ肝を冷やしたと思っているんだろうな。
そんなユリウスに少し腹を立てつつも、頬をツンっと押してみる。
すると頬は指の形にふにっとへこみ、ちょっとマヌケな顔になった。
「…………起きないと、キスするぞ」
試しに声をかけた。
でも本当に起こす気なんてないから、呟く様な小さな声で。
フィリップはベッドに片肘をつき、ユリウスの寝顔を眺める。
眠りが深いのか先程から変わらず、ずっと……。
(無防備、すぎるよな……)
ユリウスの寝顔は穏やかで、そして、可愛かった。
いつも傍に居ても、寝顔なんて拝める事はないだろう。
だからこのままずっと眺めているのも……悪くはない。
そんな事を思っていると、ふと、ベッドに放り出された手に気がついた。
手のひらを上に向け、軽く握っている。
フィリップはそっと、ユリウスの手を開かせ自分の手と重ねた。
剣を握るせいか、柔らかさは少ない。
でも、細い指と自分より小さい手のひらは愛おしかった。
こんな華奢な手で、騎士になったユリウス。
その実力と才能は令嬢にしておくには惜しい。
自分にとってユリウスは守るべき存在だが、彼女の立場は自分を守る騎士。
逆だったらどんなによかったか。
誰の目も気にする事なく、彼女を守る事が出来る。
姿だって偽らずに済むのだ。
自分がもっと自由に動けたら。
今の立場を捨て、彼女だけの傍にいられたら。
そんな考えても仕方のない事を、ふとした瞬間に思い起こしてしまう。
「まだですかー?」
扉の向こうから無粋な声が聞こえた。
どうやら、すぐ近くにセシル達が控えているようだ。
(ちっ……)
――お膳立てするなら、邪魔をするな。
フィリップは空いている方の手で薬を煽る。
苦い薬の味が、じわりと口の中に広がり不快だった。
(ユウリィ……がまんしろよ)
ユリウスに被さるようにして顔の横へと手をついた。
重ねた手に少しだけ力を込めると、キュッと手を握り返してくる。
その仕草も可愛くて、思わず笑みが零れた。
フィリップはゆっくりと顔を近づける。
閉じられた瞼と長い睫毛。
薬のせいか少し上気した頬。
規則正しく呼吸する………唇。
今から彼女の唇を奪うのだと思うと、鼓動が速くなる。
三度目のキス。
そう思って、苦笑した。
一度目は解術の為、二度目は不意打ち、三度目は……解毒。
一度だって、合意でした事なんてない。
そう思うと心配になった。
嫌ではないだろうか?
前の時は、俺が嫌がっていないかだけを気にしていたようだったが。
俺はちっとも嫌じゃない。
むしろ、どんな状況でもお前に口づけできるなら願ったり叶ったりだ。
――でも。
肝心のお前はどうなんだ。
こういった事を気にするのは女の方だろう?
(ごめん、な……)
いつも、こんなんで。
ゆっくりと顔を近づけ、口づけをする。
薬が口の中に流れるよう、舌で少しユリウスの口を開かせる。
苦い薬の味が、甘美な味に変わった。
呼吸すら忘れて、夢中で口づけをした。
ちゃんと薬が飲めるように、舌も絡ませる。
しばらくして、ユリウスの喉元がコクリと動く。
それでも離れるのが惜しくて、もう少しだけと一人言い訳をしながらその柔らかさを味わった。
名残惜しい気持ちの中ゆっくりと顔を離した。
夢の中を漂う様な感覚で、短く息をつく。
今までと違って深くキスをしたせいか、頭が少しぼんやりする。
でもそれは心地の良いもので、出来るならこのまま浸っていたかった。
離れてしまったユリウスに視線を落とす。
自然と口元に目が行き……濡れている唇を見て、顔が熱くなった。
まだ足りない。
全然足りない。
本当はもっとキスしたい。
でも、今はダメだ。
(いつか)
いつか、合意が得られるその時まで。
ふと、首にかかる飾りに気がついた。
青い石のネックレス。
自然と顔が緩むのが分かる。
自分が贈ったネックレスをしてくれているなんて、思っていなかった。
贈った時だって、「使わないよー」って、言ってたくせに。
「なあユウリィ」
フィリップは眠るユリウスに声をかける。
――お前は、気付いているか?
「どうして俺が『青』を贈っていると思う?」
ユリウスの髪を梳き、耳元で囁く。
――俺の色に染めたいって思っているからだぞ。
自分の瞳と同じ色を贈る――
ユリウスが青を好むという事を隠れ蓑にした、想い。
気付いてほしいような、気付いてほしくないような。
ユリウスがこういった事柄に対して鈍感だと知っているので、気付いていない事は分かっている。
そう分かっていても、それがもどかしくもあり、安心できたりと、自分でもどうなって欲しいのか分からない。
それでも単純に贈った物を身につけてくれている事が嬉しかった。
少しの間、ネックレスを弄ぶように触っていたらその周りにも目がいった。
白い肌に浮かぶ鎖骨。
なめらかな肌の上をすべるように視線を動かすと、緩やかな膨らみを見る。
思わず目を逸らした。
普段は季節に変わりなく騎士の格好をしている為、見る事はない。
しかし、今日は女性の姿。
夏という事もあり、いつもより露出が多かった。
(俺の知らないところで、こんな格好……)
ユリウスが着ているのは夏用のドレス。
胸元がしっかり見えるほど大胆な作りではないが、それでもいつもよりは布が少ない気がする。
フリルと花をあしらったデザインは可愛らしく、思わず抱きしめたくなるほどだ。
自分と出かける時にこのドレスを着ていたら、幸せな気持ちで愛でていただろう。
でも、今回は違う。
それは酷く落ち着かなくて…………嫌だった。
この休暇中、仕事をしていたと聞いている。しかも、セシルと一緒に。
そう思うと腹が立った。
セシルは女性の姿でいるユリウスをずっと見ていたのだ。
自分の知らないところで。
(大体、騎士は副業禁止だぞ)
休みだからといって、別の仕事はしてはいけない。
罰則規定は謹慎、減俸、地位剥奪……。
地位剥奪や謹慎にする気はない。
じゃあ、手っ取り早く減俸か。
(ダメだ)
そんな事をしたら、また隠れて仕事をするかもしれない。
ユリウスが仕事をするなら、必ず女性の格好をするだろう。
面が割れるような可能性のある、男装でするとは思えない。
ならば。
仄暗い案が脳裏に浮かんだ。
フィリップは再び視線をユリウスに戻した。
もう一度白い肌を見て、そのまま視線を下へと向ける。
柔らかそうな膨らみを見つけ、生唾を飲み込んだ。
派手に波打つ心臓の音を聞きながら、同時に、プチンと何かが切れた音を遠くで聞いた。
手をユリウスに伸ばし、少し胸元の布を寄せる。
そのまま吸い寄せられるように顔を寄せ、口づけを落とす。
柔らかい感触に酔い、頭の中が真っ白になった。
啄ばむように口づけを続け、最初は優しく、でも次の瞬間には強く。
「……んっ」
声と同時にユリウスが身をよじった。
慌てて顔を離し、ユリウスの顔を見る。
……気付かれてない。
眠ったままでいるユリウスを見て胸を撫で下ろし、視線を元の場所に戻す。そして。
(…………っ!)
息が、詰まった。
視線の先で起こっている事態に目が釘付けになり、慌てて布を元に戻した。
しかし、その印が布の下に隠れても何の意味はなく。
自分の熱っぽい身体が冷や水をかけられた様に、急激に冷えていくのがわかる。
(俺は、なんて事……!)
自分の目が届かないところで、女性の姿になって欲しくない。
そう思った後に、脳裏に浮かんだ案。
一瞬でも支配された仄暗い案に身を強張らせる。
女性の姿になれないようにすればいい。
肌の露出ができないように。
自分のものだと印をつけてしまえばいい。
そんな事を考えていた自分が怖ろしかった。
キスの合意も得られてないのに、それ以上の事を眠っている相手にしようだなんて。
「まだですかー?」
無遠慮な声が聞こえ慌ててベッドから離れた。
少しでも心を落ち着けようと深呼吸をする。
そして、もう一度ユリウスを見た。
穏やかな寝顔を見て、名残惜しい気持ちがあるのを自覚する。
しかしそれ以上に、このまま二人きりでいたら、自分が何をするかわからなくて怖かった。
「……薬を飲ませた。入ってもいいぞ」
平静を装い、フィリップは入室の許可をした。
いつもありがとうございます!(*^_^*)




