16.勝負の行方と令嬢の企み
フィリップは急に倒れ込んだユリウスを抱きかかえた。
「大丈夫か!?」
声をかけたが返事はなく、焦って口元に耳を寄せ呼吸音を確認する。
聞こえるのは規則正しい音で苦しそうな感じもしない。その事実に安心するが、状況がわからず混乱する。
ルーイを追って屋敷の奥へと進んで、この部屋まで辿り着いた。
染みついた葉巻の香りと、物静かと表現すべき基調の部屋は内密に話をする場所といったイメージ。
いくつか置かれたテーブルとゆったりとしたソファー……その上に、少女が横たわっていた。
そのすぐ近くにルーイがおり、少女の耳元でワンワンと吠えている。
何かの薬を盛られた……と、いう事までは予想できるが、それだけでは何の気休めにもならず、抱きかかえた腕に力を込めた。
「貴方……人の屋敷に入って来て何をしているのですか」
静かに、しかし、怒りを含んだ声を聞き顔を上げた。
丁度目の前に腰かけた男が、仄暗い瞳をこちらに向けている。
面長の顔に眼鏡をかけ、上品そうな服装に身を包んだ男。そして、屋敷の奥であるこの部屋にいる事から、この男がクライン男爵だと確信する。
「ああ、申し訳ありません、男爵様。我が主の犬を追って来ましたら、この部屋に辿りついてしまいまして……」
フィリップはチラリとルーイに視線を向け、困った表情を浮かべて笑う。
すると男爵は「ならば、早くその犬を連れて帰りなさい」と、口にする。
馬鹿を言うな。
そんな事できるわけないだろう。
「すみません、男爵様。こちらのご令嬢達は、我が主の友人です。どうやら、御気分がすぐれないようなので、私が連れて帰りますね」
「なにを勝手な事を。この女性達は自身の意思でこちらにいるのだ。従者ごときが、勝手に連れ帰るなどと言うな。僭越にも程がある」
「ですが、気を失われているご令嬢達を置いて帰ったとなれば、私が主にお叱りを受けてしまいます。どうか、お許しを」
お互い一歩も譲らず、会話を繰り返す。
置いて行けという男爵に、連れ帰るという自分。
自分は引く気などないので、男爵が折れるしかないのだが。
しばらく不毛な会話を繰り返した後、 一向に引かない自分に痺れを切らしたのか男爵が陰湿そうな笑みを浮かべた。
「くっくっく……あなたが誰の使いかは知りませんが、その娘は私の物ですよ」
「…………?」
「私は今、ここで勝負します。賭けは私の勝ちでしょう? だから……その娘と、指輪を渡してもらいましょうか」
クライン男爵がそういいながら、テーブルの上にカードを出した。
カードは五枚。手札の内容を見て、ポーカーだと思われる。
どうやら男爵とユリウスはカードをしていたようだ。しかし、そこまでは分かってもフィリップには男爵が何を言いたいのかわからず、
(賭け。私の勝ち。ユウリィと指輪を渡せ?)
言葉を一語ずつ噛みしめ、ユリウスが自分と指輪を賭けていたのだと気付いた。
(…………っ!!)
自分を賭けるだなんてなんてバカなことを!
フィリップはユリウスの顔を見る。
しかし、意識はなくその瞳は重そうな瞼によって隠されている。
クライン男爵が「さあ、早く」と、ユリウスの手を乱暴に掴もうとし、フィリップは反射的にユリウスの身体を守るように動かす。
すると、カサリと何かが落ちた。
落ちたのは複数のカード。
床にはユリウスの手札が散らばっていた。
フィリップはユリウスを抱き込んだまましゃがみ、カードを見る。
一枚一枚確認し、裏を向いている物もきちんと上に向けて。
そして、五枚全てを見て――――……笑った。
「何がおかしい!」
癇癪を起したように怒鳴るクライン男爵に、顎を動かしカードを見るように促す。
「…………!!」
フィリップは立ち上がり、ユリウスを運びやすいように抱き直した。
されるがままの顔を見て、頭を撫でてやりたい気持ちになりながら。
「ま……」
「これ以上の役はないだろう?」
フィリップはニヤリと意地悪い笑みを浮かべ男爵を見る。すると男爵はぷるぷると震え、叫ぶように声を上げた。
「貴様何者だ! 人の屋敷に勝手に入り、私の邪魔をしようなどとは!!」
「私が誰でも関係のない事だろう? この令嬢達は私が連れ帰る。ただ、それだけだ」
「小癪な!!」
男爵がこちらに掴みかかろうとし、その手から逃れるように身をかわす。
するとユリウスのドレスがふわりと舞った。
揺れるドレスの裾に気を使いながら、フィリップは踊るように拳を避ける。
幸いしたのは、男爵に体術の心得がなかった事。
ユリウスを抱いたままでも十分にかわす事ができ、傍から見れば男爵を弄んでいるようにも見える。
その様子は相手もそう思ったのか、黒い瞳に怒りを映し胸元からナイフを取り出した。
さすがにそれはマズイと思いフィリップもユリウスをソファーに降ろそうとして、ハタと気がついた。
(……賢い、犬だな)
それだけを思った時、突然扉が開いた。
扉を開けた人物はつかつかと室内へと入りソファーへと近づく。そして、膝をつき少女の髪を撫でた。
「な、なんだお前は……!!」
「うるさい」
「な……!!」
侵入者の纏う雰囲気で圧倒され、男爵は口をパクパクさせた。
その侵入者はというと、男爵と自分の目の前に立ち――――
「いいかげんにしたら? もう、全部分かってるから」
そう言い放った。
目の前の侵入者は淡い緑色の髪に細められた茶色の瞳。背丈はそんなに高くはないが、低いという程でもない。
顔立ちは中性的で、仕立ての良いベストとズボンを見て男だと判別した。
「クライン男爵、貴方がうちの書簡を抜き取ってるって聞いた。さっさと観念して、王城に出頭した方がいいと思うよ」
おい! ちょっと待て!
あまりの空気の読めなさ具合に思わず叫びそうになる。
今目の前にいるこの男は恐らくラフィーネ家の人間だろう。男が言った情報を流したのは自分だが、今それを話してどうするというのだ。
黒と分かっていてもまだ証拠がない。
そもそも、その証拠を探しに来た事ぐらい知っているハズだろう?
そう思っていたら、ラフィーネの男がこちらを振り返り、「それ」と、指差した。
指し示された物は、先程ユリウスから受け取った包み。
包みは白いレースのハンカチに丁寧に包まれており、手渡された状況を考えれば大事なものだとわかった。
ラフィーネの男はこの包みを見ろと言ってくる。
状況は読めないが、男の言うとり包みを開こうとしてカサリと音がした。
中身は紙か?
そう考えながらも託された物を確認すべく、ハンカチを取り去った。
中から出てきたのは王城専用の封筒。
少し厚みがあり、封筒だけではない事はわかる。
まさかと思い、裏を向けて――――ニヤリと笑みが零れた。
「……王城に届くはずの意見書の強奪、及び、開封。これらが重罪と知ってのことかな、クライン男爵?」
フィリップは手に持っていた封筒の裏を見せつけるように前へと突き出す。
その封筒の裏にはラフィーネの家紋。その封緘は見事に破られていた。
「言い逃れは出来まい。大人しくするんだな」
ユリウスを抱きかかえたままそう言い切ると、クライン男爵はうめき声を上げ、膝をついた。
さすがにもう観念したようで面を上げる事はなく、ラフィーネの男がナイフを蹴飛ばし男爵の手をねじり上げる。
手早く男爵を拘束しているところを見つつ、ユリウスを抱きしめる力を少しだけ強くした。
終わったという思いと、心配させやがってという思いと。そして。
フィリップはユリウスの耳元に口を近づける。
そして、触れるか触れないかの位置で、そっと囁く。――――「よくやった」と。
その後僅かに唇を寄せ、誰にも見られないよう静かにキスをする。
柔らかい耳の感触を一瞬だけ味わってから顔を離すと、ユリウスはニコッと笑っている様に見えた。
フィリップはヴァーレイ家の客間に居た。
ユリウスをこのままセクト家に連れ帰れば家人に心配をさせてしまうし、ましてやこの姿で城に連れ帰るわけにもいかない。
そこでセシルが自分の屋敷にと、提案してくれたのだ。
ちなみに不本意ながら自分がヴァーレイ家の従者という設定はまだ生きているようで、セシルの指示に従っている。
ユリウスを客間のベッドに横たえると、おひさま色の髪をした少女が慌しく入ってきた。
「わーん!! ユリーさーん!! ごめんなさい!!」
名前はヘラ。
ユリウスと同じ部屋で倒れていた令嬢で、ラフィーネ家のルークによって助け出された。
あの空気の読めない……と、思っていた男はラフィーネ侯爵の子息だったという、驚きの事実。
ラフィーネ侯爵の子息は病弱であまり夜会にも姿を現さず、自分も十年以上前に会ったきりだったので、全く気がつかなかった。
それにしても子息自らが乗り込んで来るという事は、このヘラという少女は大切な人なのだろうと予想がつく。
じゃあ、最初っからユリウスを使わず自分で助けに行けよと思うが、まあ、事情があるんだろうなと。そう考えつけば、わざわざ言及する事もないかと、言葉を収めた。
ちなみにヘラの話によれば、「自分が賭けに負けたせいでユリウスが代わりに賭けをする事になった」と、言っていた。
そして、その前に出された食事に薬が仕込まれていて……
「じゃあ、今は薬で眠っているだけと……」
「そういう事です!!」
ヘラは力一杯頷き、両手を差し出してきた。
「これ、解毒剤です!!」
鼻が利くラフィーネ家の犬を使い、使用された毒を特定したとの事。
そのあとすぐに解毒剤を用意し確認も含めヘラ自身が先に飲んだらしい。彼女のピンピンした様子を見ると、効果は十分のようだ。
ヘラから手渡された薬を見ていると、受け取ったセシルは何故か思案顔になり、そして、次の瞬間には何か閃いたような顔付きになった。
まるで百面相のように表情を変えるな。などと思っていたらその百面相はこちらを見てニヤッと笑った。
こいつ、何か企んでやがる。
そう考えた瞬間、「飲ませてあげて」と、令嬢スマイルで命令してきた。
やっぱりか。
しかしそうは思っても、一応従者という事になっているので断れなかった。
フィリップは小さく溜息をつき、ユリウスの顔にそっと触れる。
全く動かないその姿を見て、急に倒れた時の、あの冷や汗の伝う感触が生々しくよみがえり、嫌な汗をかきそうだった。
そのままゆっくりと、頬から口元へと手を動かしそっと唇に触れてみる。
柔らかい唇に触れ体温が少し上がった気がした。
預かった薬の前に少しだけ口を濡らそうと水を流してみる。
しかし、水は喉を通らず口元から流れてしまった。
「やはり口移しじゃないとだめかしら」
セシルの言葉に心臓が高く鳴った。
思わずセシルに視線を向けるとニヤリと意地の悪い笑みを浮かべている。
「私がしましょうか。女同士ですからね」
「だめだ!」
しまったと思った。
ニヤニヤ笑うセシルを見て、完全に嵌められたのだとわかる。
しかし、止めなければセシルが……と、思うとそれだけは許せなかった。
「あら、ダメですの? なら、貴方が代わりにして下さるの?」
ああ。
こいつはわかっているんだな。
そう思うと、顔が赤くなりそうなので必死に意識を逸らす。
ただそれがうまくいっているかは確認するすべもなく、なるべく顔を見られない様にそっぽをむいた。
少しだけ時間を稼ぎ、心を落ち着かせてセシルを見る。
設定上断れない……というのは、立て前で。
最初から譲る気なんて、ない。
「……仰せの通りに」
フィリップはセシルの浮かべる笑顔を恨めしそうに見ながら、返事をした。
いつもありがとうございます!(*^_^*)




