11.犬侯爵様
「……結果、殿下のおっしゃる通りでした」
「やはりな」
ミラーから報告を受けたフィリップは驚く事なく返事をする。
侯爵から提案書が届いていない――
その事実に気がついたのは数日前。
普段なら最低でも月に一度は届く提案書がここ三カ月届いていない。
提案書という形をとっている為、必ず――ましてや、定期的に――届く物ではない。しかしながら、侯爵からの提案書がこれほど長い期間、届かないという事はなかった。
それと同時に最近増えた犬関連の事件。
これは恥ずかしい事だが、原因はこちら側にある。
普段であれば侯爵からの提案書に目を通し、それを全て又は一部を実行する事により、数多く未然に防ぐ事ができていたのだろう。
しかし、ここ三カ月はそれを実行していない。
もう少しこちらで情報収集なりをして、事件が起こる前に対策すべきだった。
つまり、義務でもない、しかし、まめに提案書を送ってくる侯爵に知らず知らずに甘えていた結果、犬関連の事件増加を招いた――そういうことだ。
この件に関しては原因に気付くことができたので対処可能である。
しかし、問題はここからだ。
「……侯爵家からは、何度書簡が出されているかわかるか?」
フィリップの問いに「五度程はあったと証言が得られています」と、ミラー。
その回数を聞いて短く息をついた。
王城宛の書簡には専用封筒が用いられる。
理由は配達速度を速めるなどの様々な事があげられるが、問題はそこではない。
ミラーが言った「五度ほど」と、いう証言は、集荷をした人物からその回数分専用封筒を見たという事だ。
つまり、この五回分の書簡すべてが自分の元に届いていない事になる。
「……紛失にしても、多すぎるな」
「ええ」
配達の工程、及び、王城に届いてから自分の手元に届くまでを考えると、一つの書簡で複数の人間が関わる。そのいずれかの場所で、意図的に抜き取られている可能性が出てきた。
ならばその経路を辿れば良い。
しかし具体的にいつ書簡が出されたか分からない挙句、最長三か月も遡って関連部署に聴取をしたところで、決定的な証言が得られるとは到底思えない。
手っ取り早いのは、もう一度侯爵に書簡を出してもらう。という方法だ。
しかし書簡を出すよう依頼するといっても、犯人がどこで見ているか分からない以上、城の者は侯爵家に向かう事ができない。
かといって、次に事を起こすまで待っているというのも不確定であり、時間がかかり過ぎる。
「……その他、最近の様子としましては、納入する食材、および犬の餌が増えたそうです」
フィリップは考えを巡らせつつも、引き続き報告を受ける。
「食材の増加に対して、来訪者の目撃情報はここ数日間上がっていないです。
しかし、七日程前にヴァーレイ家の馬車が入っていたとか」
「ヴァーレイ家。か」
ヴァーレイ家といったら、たしか当代に代わってから侯爵家と親交があったはず。
フィリップはヴァーレイ子爵を思い出そうとして、そして、後悔した。
子爵とは頻繁に会う訳でもないので印象をおぼろげだが、その息子であるセシルの印象は強烈だ。
(思い出したくないな……)
妖精事件で――不可抗力とはいえ――女装したセシルの額に口づけをしたのは記憶に新しい。
まあ、そのおかげでユリウスと……
と、そこまで考えて、心の中で首を振る。
今はそんな事を思い出している時ではない。
「後は……先日、侯爵家の馬車が城下に訪れた時、珍しく侍女一人しか乗っていなかったとか」
「……どの家の馬車から誰が降りてきたまでを見張っている奴がいると思うと、ゾッとするな」
貴重な情報源とはいえ、貴族というのはどこで見られているかわからない。
公式の場所以外は変装が欠かせないのも頷ける。
「その侍女は亜麻色の髪に紫の瞳を持った女性との事でした」
(亜麻色に紫……?)
フィリップは首を傾げた。
そんな女性に知り合いはいない。
しかしなんだ? この既視感は。
「……たしか、名前はユリーとか」
ガタンッ!
思わず席を立ってしまった自分を不思議そうに見上げるミラー。
そんなミラーに「なんでもない」と、いいつつ、頭の中にはある姿が浮かんでいた。
亜麻色の髪に紫の瞳。
それはあの日の変装と同じ色。そして……疑わしきその本人は長期休暇中。
(ヴァーレイ家の馬車、亜麻色と紫の女性「ユリー」、そしてその女性が仕える家は)
ラフィーネ侯爵家。通称『犬侯爵様』。
「ミラー。すぐに視察の準備を。……経路を追えるかもしれない」
・
・
・
「…………ミラー殿がいらっしゃったと聞いてきたのに……?」
自分が待つ部屋に入るなりセシルはそう言った。
ミラーに視察の準備をさせヴァーレイ家を訪れたのは同じ日の午後。
先の妖精事件の定期調査という名目でセシルに時間を取らせ、自分はというと髪や瞳の色を変え、さらに騎士の姿で訪問した。
そもそもこの調査自体が少数の人間にしか知られていない為、騎士の紋章とミラーという名前で屋敷に案内されるように予め手配が成されていた。
ただそれは合言葉のようなもので、訪れた人物がミラーでなくても案内してもらえる。と、いうのは警備上の難点と言わざるを得ない。
「しばらくぶりだな、セシル。私がわかるか?」
以前会った時も変装していて、今も変装している。だから、わからなければ王家の指輪をみせるだけ。そう考えて名乗る事は控える。自分が動いているという事は、他者に知られない方が良いからだ。
「……さあ、どなたさまでしたっけ? 私、キスの下手な殿方は覚えていませんの」
「お前……折角、女装については触れずにいてやったのに……」
セシルは何故か女装のままだった。
理由については……考えたくないので、深追いしないことにする。
それにしても、こちらの正体を解っている状態でこんな事をいうなんて不敬もいいところだ。
……が、自分が人目を忍んで会いに来ている理由も理解しているから、こんなふざけた事を言うのだろう。
「……セシル、お前最近ユリウスと会ったか?」
「ユリウス嬢とですか? ……さあどうだったでしょうか」
白々しい。
フィリップはセシルの飄々とした態度に、眉を顰める。
しかしまあ、さすがに嘘をつくわけにはいかないからこの解答なんだろうと予想がつく。
ユリウス個人とラフィーネ家に親交はない。
コレだけを考えれば、亜麻色の女性「ユリー」がユリウスであるとは結びつかない。
しかし、『ヴァーレイ家が間に入り』『屋敷にいないユリウスが』『亜麻色の女性に変装して』『犬侯爵様のところへ行く』と、情報を組み合わせれば、ラフィーネ家の侍女「ユリー」が、ユリウスである可能性が出てくる。
カマをかけるつもりでセシルに問えば、曖昧な答えが出た。
それは言質こそ取れないが、ユリウスに会ったと言っているようなものだ。
「秘密にしろと言われているのか? まあ、いい」
セシルが目を丸くした。
どうやら、ユリウスと会った事を問い詰めに来たと思われていたのかもしれない。
フィリップは会話を切り替えた。
「どうだ、あれから調子の方は?」
「は、はい。おかげ様で……」
本当に定期調査の真似ごとを始めた自分に戸惑いながらも返答をするセシル。
そんな戸惑うセシルを無視してフィリップは会話を進める。
雑談を交えつつ進める会話に少しずつセシルの戸惑いが消えてゆくのを確認して、「今後も調査を続けるから、体調など崩さぬようにな」と、締めくくると、セシルも返事をし「ありがとうございます」と、言ってきた。
「……体調といえば、遠乗り用の馬が夏バテ気味でな。
大事にしているのだが、やはり暑さはどうにもならないみたいで」
「そういえばうちの馬もバテ気味と聞いてますね」
「ははは、どこも一緒だな」
「ええ、でも俺の馬なんて年中ぬぼーってしてるんですよね。
主人である俺が顔を出しても「あ、来たの?」って顔して」
セシルが笑いながら馬の顔真似をする。
綺麗な顔の令嬢がそんな事をするので、思わず吹き出してしまった。
それに機嫌を良くしたのかセシルは饒舌に話を続ける。
その話を聞きながら「動物が好きなんだな」と、言葉を挟むと「はい。好きですよ」と、当然ですと言わんばかりの回答が得られる。
「そうか、王都では触れあえる動物も限られてしまうからセシルには物足りないかもな」
「たしかに……田舎まで行けば、いろんな動物と触れあい放題でしょうけど、王都ではどうしても小型動物になりますね」
セシルが「猫や犬、せいぜい馬でしょうね」と、語る。そこへ、フィリップはすかさず「俺は犬が好きでな」と、楔を打つ。
セシルの表情がピクリと動いた。
「犬、といえばラフィーネ。ラフィーネといえば犬侯爵様だよな」
「……ええ。ラフィーネ侯爵家の者は皆、無類の犬好きと言われてますものね」
「そうだろう、そうだろう。ああ、そういえばヴァーレイとラフィーネは親交があるんだったな」
「はい……両親は仲がいいですよ」
「両親だけなのか? セシルも動物好きなんだったら、よく行くのではないか?」
「よく……ではありませんが、遊びには行きますよ」
先程までの饒舌が嘘のように、躊躇いを見せつつ質問に答えるセシル。
ただそれは、もう意味を成さない。
「羨ましいな。俺には気軽な友人があまりいないから」
「そんな事は……」
「いや、事実だ。両親も仲が良くて、自分自身も仲がいい。そういう関係なら――――」
相手が困っていたら助けたいよな。
最後の言葉を聞き、自分が何を問われているのか完全に理解したらしくセシルは目を逸らした。
それが決め手とわかっていても、こちらを直視できないのだろう。
フィリップの瞳は寒々しい青を放ち、そして。
「……何の断りもなく、俺の騎士を使うとはな」
低い声で言うと、セシルはビクッと怯えたように身を震わせる。
フィリップは「ああ、そういえば」と、ワザとらしく思い出したような言葉を言った。
「俺は今、気になっている案件があってな。
それは、お前と仲が良いラフィーネ家の事なんだが……」
ここまで言うと、セシルがおずおずと顔を上げた。
その瞳は怯えの色を含んでおり、「俺に何をさせるつもりですか」と、問うてきた。
フィリップはニヤリと笑う。
「なに、簡単さ。ラフィーネ侯爵に『提案書を提出してほしい』と、言ってくれるだけでいい」
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