6.殿下の憂鬱
フィリップは自分自身の采配をかなり後悔し始めていた。
決して間違っている事をしたわけじゃない。
しかしながら、もっと別の方法があったと思う。
ただ、その時には思いつかなかった。というか、こんなに後悔するだなんて思いもしなかったのだ。
フィリップは一向に減らない書類に視線を向け、溜息をつく。
手に握っていたペンも置き、背もたれに体重を預ける。
……後悔しているのは書類の決済の話ではない。
そう、これはもっと私的な理由から来る後悔だった。
今日でユリウスが休暇に入ってから八日目。
それはイコール自分がユリウスに会っていない日にちでもあった。
(まだ八日目だぞ?)
自分に言い聞かせるように心の中で呟く。
以前はもっと長い間会わなかったり、声を聞かなかったことだってある。
なのに今はたったの八日間、顔も見られず声も聞けないと、こんなに落ち着かない。
気がつけば、ぼんやりとあの日の事を思い出している。
夕陽を背に微笑むユリウス。
あの日の服装、――彼女はいつまで経っても女装と言い張るが――もよく似合っていた。
でも正直なところ、本当の色――赤銅色に翡翠色の瞳――だったら、もっとよく似合っていたんじゃないだろうか。なんて。
……明らかに仕事の効率が落ちている。
フィリップは自分の想像を振り払うように頭を振った。
ひょっとして頭のネジがどっかに吹っ飛んだのかもしれない。
そう、ふっとんだとすれば、アレだ。
ユリウスと出かけた時、あんまりにも可愛い事を言うので思わず抱き寄せキスをした。
勢いに任せ過ぎだろう。と、思う。でも、ネジが吹っ飛んでいるなら仕方ない……?
(……何を考えてるんだ俺は)
想像しては振り払い、他の事を考えようとしてもまた、想像に至る。
本当にネジを落としたのなら、早急に見つけて元に戻さないとおかしくなりそうだ。
扉をノックする音が聞こえた。
その音のおかげで迷路に迷い込みそうな想像を中断でき、ホッとする。
部屋に入ってきたのはミラーだった。その片手には、また書類が見え、つい顔を顰める。
「煮詰まってますね、殿下」
「……暑いからな」
ミラーが机にうず高く積まれている書類を見て苦笑した。そして、部屋の窓際まで歩みを進め、窓を開ける。
夏の湿気を含む風は心地よいとは言い難い。しかし、淀んだ室内の空気よりは幾分マシだった。
「少しは気分転換されてはどうですか?」
「……気分転換……か」
ミラーに促され、それも悪くないと思う。
と、同時にいい事を思いついた。
城にユリウスがいない。
ならば。
(こっちから、会いに行けばいいじゃないか)
至極単純な事に気がついたフィリップはニッと笑った。
「久しぶりにきたな」
フィリップはひっそりと佇む屋敷を見た。
セクト男爵家の屋敷は城から遠い場所にある。
いや、正確に言えば馬車を使って行こうとすれば遠いだけで、裏道を使えばそれほどかからない。
現に今、実践してみたら思ったほど離れていなかった。
子供の頃にこっそりきた時よりも早く到着して拍子抜けしたぐらいだ。
ただ、そうはいっても近い所へも馬車を使用する貴族から見れば、ここは城から遠い僻地という事になるのだろうが。
(それにしても……)
フィリップは周りを見て「なるほど」と、一人納得する。
雨風に晒され続けた外壁は大分くたびれていた。
恐らく最初は白かったであろう色は灰色っぽくなり、稲妻でも奔ったようなひび割れが数ヶ所。
不躾ながら覗き込んだ屋敷の庭先は、草と花で覆われていた。
……が、不規則に咲き誇る草花が主の意図したものでない事はわかる。
(これが『野草園』というやつか)
ユリウスの言っていた事を思い出し、ククッと笑いが漏れる。
(多分これを自分で刈るつもりなんだろうな。あの様子だと)
そう考えると、今にも草むらからひょこっりと顔を出すのではないかと思った。
『あれ、フィー? どおしたの?』とか、言いながら。
本当にそうなれば手伝ってもいいとさえ思った。
一緒に話をしながら草を刈るのなら、この暑さも気にならないだろう。
そんな事を考えながら、思わず野草園をじっくり眺めていると「……あの、当屋敷に何か御用ですか?」と、声がかかった。
振り返ると、明るい茶色の髪を持つ女性がカゴを手に小首を傾げている。
微かに残る面影と、数年前の記憶を総動員して、女性がセクト家の侍女である事を思い出した。
「ああ、これは失礼。……君は、マリーだね?」
そう声をかけるとマリーは驚いた顔をした。
「…………申し訳ありません。侍女である私の事などを覚えて下さっているのに……」
そう絞り出す様に紡いだ言葉に、慌てて「変装しているからしかたない」と、伝えた。
マリーの顔色が変わった。
「も、もしかして……」
マリーが全てを言い終わる前に、首からさげている鎖を引っ張り、王家の指輪をチラリと見せた。
すると、ゴクリと息を飲むのが聞こえるほど驚いた表情を浮かべる。
「突然の訪問ですまない、ユウリィ……いやユリウスはいるか?」
やっと会える。
そう思っていたのに、返ってきた言葉はユリウスの不在を伝えるものだった。
落胆した。
まさか、不在だなんて思っていなかったから余計に。
屋敷前で長く話すのは良くないと思ったのか、マリーがお茶を用意してくれると言いだした。
ひょっとしたらその間に帰ってくるかも……と、淡い期待を抱いてその言葉に甘える事にする。
通されたのは客間。
見せびらかすような調度品などは一切置かれておらず、見栄っ張りとは無縁の慎ましやかな生活が見て取れた。
マリーが手早く茶器を用意し、準備を進める。
その間こちらの好みなども確認し、それに合わせた茶とお茶受けを用意してくれた。
選んだのはユリウスが好きな紅茶。
セクト家領地で取れる茶葉は、湯を注いだ時にふわりと香る甘さが特徴だ。
「やはり良い香りだな」
フィリップはささやかな甘い香りを堪能した。
この香りに鎮静効果はないはず。
だが、自然と心が落ち着くのは、いつもユリウスから香っているからかもしれない。
「……マリー、少し話をしないか?」
そう話しかけたら、恐縮したように「はい」と、返事があった。
カチカチになっているマリーを見たら何だか気の毒な気もするが、少しでも自分に慣れてほしいと思う。
……自然体になれば、普段見られないユリウスの事が聞けるんじゃないかな。なんて、下心がバレバレかもしれないが。
フィリップは世間話も交え、ユリウスの休暇の過ごし方などをさりげなく聞いた。
最初は硬かったマリーも少し馴染んできたのか、表情が柔らかくなっている。しかし、ユリウスの詳細になると口は堅い。
問いにはきちんと答えてくれるものの、その回答をつきつめて考えれば不明瞭。問いに答えないなどという不敬を働かず、主の情報は漏らさない。なかなか出来た侍女だ。
問い詰めれば話すしかないマリーを捕まえて、ユリウスの私生活を暴こうなどとは思っていない。
結局、現在進行形の情報はユリウスが朝から不在である事と、まだ帰ってこないというこの二点。
「では、そろそろお暇するよ」
注いでもらった紅茶を飲み切り、フィリップは席を立つ。
マリーが「今日は折角お越しいただいたのに……」と、申し訳なさそうに言うので、気にする事はなにもないと伝える。そして、図々しいとは思ったが紅茶を少し分けてほしいと頼んだ。
マリーが嬉しそうな顔をして用意をする。
その表情を見てマリーがセクト家をとても誇りに思っている事が窺えた。なんだか、自然に笑みが浮かぶ。
今度来る時は菓子屋にでもよって、手土産を持参しようと思う。もちろん、皆で食べてもらえるよう多めに用意しようと決めた。
見送ると言ったマリーに、少しラッシュと遊んで行くからと伝え、一人野草園に繰り出した。
犬小屋までの小道は丁寧に野草が刈られており、この道が門扉から屋敷までの小道の次に重要なのだとわかって苦笑する。
ユリウスの愛犬ラッシュは犬小屋の前で丸まっていた。
明るい茶色と白い毛並みの大型犬は、フィリップが近づいても鼻をひくっと動かしただけで、全く動かない。
匂いで主じゃないとわかったからだろうなと、思ったが、数年前に遊んだ事があるじゃないかと考えるとその態度は寂しい。
「ラッシュ、俺を忘れたのか?」
そっと手を伸ばせば身体を撫でさせてくれる。
覚えてくれている……か、どうかは正直わからないが、嫌がらないのでそのまま撫でた。
「お前のご主人様はどこへいったんだろうな?」
彼女を求めてきたものの、結局会えず仕舞い。
ちゃんと約束をして来ればよかったかもしれないが、どうやって約束を取り付けたらよいか、もうわからない。
昔なら……口実なんて作らなくても、遊ぼうの一言でおしまいだったから。
(お前は毎日会えるんだよな。羨ましいな……)
フィリップはラッシュの横に腰を降ろし、顔の辺りを撫でる。
すると、ラッシュがむっくり起き上がりフィリップの足の上にドンと乗っかってきた。
「なんだ、もっと撫でてほしいのか?」
フィリップはラッシュを優しく撫でる。
普段ユリウスがしているだろうと思われるように、優しく。
するとラッシュはもぞもぞと身体の向きを変えて、まるで甘えるかのように抱きついてきた。
そんなに撫でてほしいのか、それとも寂しいのか。
答えはわからないが、フィリップはギュっとラッシュを抱きしめた。
子供のように高めの体温がじんわりと伝わってくる。夏になろうという時期なのに、不思議と不快にはならない温かさ。
「……どこに居るんだ、ユウリィ……」
くぅんと鳴いたラッシュも自分と同じ気持ちなのかなと考え、フィリップはしばらくラッシュを撫で続けた。
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