2.休暇は何の為に
初夏に起きた不思議な事件、その名も「妖精事件」。
安直かつ文字通りである事件ネーミングだが、この事件解決に貢献したという理由で、ユリウスには休暇が与えられた。
元々休み返上で関わっていた事件だった為、代休も含めて長期の休みとなる――――が。
世の中――もとい、セクト家はそんなに甘くなかった。
事件の残務処理、その他手がけていた仕事等にキリをつけ休暇に入ったのは三日前。
ユリウスは三日前からセクト家執務室に籠っていた。
開封されずに溜まっていた書簡に目を通し、必要な事をする。
手紙ならば返事を書き、納品書ならサインをし、そして、請求書なら支払いを。
書簡を受け取った段階で、重要、又は、急ぎの案件はすぐに対処している。
よって、現在行っているのはあまり急ぎではないが、対処せねばならない案件だ。
「ユリウス様、午前中の書簡でございます」
マリーが新たな用事を運んできた。
ユリウスはうんざりとした様子で、書簡を受け取る。
まず差し出し人や印を確認し、急ぐものとそうでないものを分けた。
その中で見慣れぬ差し出し人で至急印があるものを見つけ、内容を確認する。
中身は請求書だった。
日付と納品した品名を確認し、確かに受け取ったものだと頷く。
支払いの期日と金額を確認して小箱に入れる。
「ユリウス様、休憩はいつごろされますか?」
マリーの問いにチラリと時計を見る。
時刻は十二時前だった。
「じゃあ、二時に軽く食事でもしようかな」
二時間あれば目処がつくだろうと思い、マリーに返事をする。
正直なところ、すぐにでも休憩したかったが、確認したい事があった。
マリーが部屋を後にしたのを見計らいユリウスは机をざっと片付ける。そして、先程の小箱をひっくり返した。
中身はまとめていた請求書で、支払予定が近いものばかりだ。
ユリウスはその一枚一枚を手に取り内容を確認する。
常に経費として上がってくる物には目もくれず、例外の物だけを見つけては机の脇へ避けてゆく。
一通り確認し終えてから、再度机の脇に避けた請求書の数字を追う。
そして最後に、先程届いた請求書にも目を通し……天井を仰いだ。
「……赤字だ」
簡潔かつ明瞭な一言。
その言葉以上に今の状況を示すものはなかった。
最初は、少し足りないぐらいか。と、そんな風に考えていたのだが。――どうやら甘かったようだ。
時間差で送られてくる請求書にじりじりと追い詰められ、遂に越えてはいけない限界――屋敷の運転資金と、自分の給金――を超えた。
ユリウスは机の上に避けた請求書を再度見る。
今度は品目だけに注目した。
目に飛び込むのはどれも同じで――――
『ドレス、宝飾品』
そう書かれていた。
「どう考えてもあれだよな……」
少し前の任務で夜会三昧だった日々。
初日のドレスは支給されたものの、残りはすべて自腹であった。
ドレスを用意したマリーが散財していない事もわかっている。
これは、掛かるべくして掛った経費だ。
「フィーに請求してやろうか」
請求すれば経費として落ちるだろう。
任務で使う為に用意したドレスなのだから。
しかし経費にするならば、何故ドレスを新調したのかを尋ねられる。
そう。ここである事実に突き当たった。
すぐにこれらを経費としてあげなかった理由。そして、それは通常の貴族ならばありえない理由が一つ。
それは、男爵令嬢の自分がドレスを持っていないという事。
フィリップは自分がドレスを持っていない事を知らない。
この間の任務は元々持っている自前の衣装だと思っているだろう。
しかし実際はマリーが頭を絞り、費用を最小限にして用意したものだった。
ユリウスがぼんやりと請求書を眺めていると、ふと、脳裏に浮かんだのは夢終盤のセリフ。
『このドレスは国のモンだからな。たっぷり使うぞ、ユウリィ』
ユリウスは首を振った。
悪戯を思いついた時のような笑みを浮かべるフィリップ。その顔を思い出せば、あながち間違いじゃない気がするから笑えない。
自分がドレスを持っていないという事がバレたくなくて、――からかわれそうだから――経費にするのを躊躇っていたが、そんなことよりも現実味を帯びた実害が目の前に現れた。
女装ドレス任務の増加。
女装だけでも面倒なのに、さらにドレスだなんて。
(……全力で避けたいに決まってるじゃないか)
この瞬間、ユリウスから完全に経費案が消えた。
時刻は二時過ぎ。
ユリウスは少し遅い昼食を取る為テーブルについていた。
テーブルの上に並ぶのはサラダにスープ、サンドイッチ。
軽めと伝えておいたので、小腹を満たすには丁度良い量が用意されていた。
ユリウスはスープを自分の方に引き寄せる。
ほくほくと湯気を上げるのはしっかりと煮込まれたオニオンスープだ。
「……やっぱ売るしかないよね」
経費案を削除した後、行き着いた答えであった。
掛かった費用を経費として上げない以上、手持ちを増やすしかない。
カラン……と、乾いた音が部屋に響いた。
音の聞こえた方へ視線を向けると、トレイが床に転がっているではないか。
「ユ、ユリウス様!」
音を立てた主は眉をひそめてこちらを見ていた。
「な、なによ、マリー?」
「う、売るだなんて……どうかお考え直しを!!」
切羽詰まったように懇願するマリー。
どうやら独り言を聞かれていたようだ。
「……そんな事言っても仕方ないでしょ」
ユリウスは『暑い時に熱いものを食べるのもまた良い』と、誰かが言った事をぼんやり思い出しながら、スープに口をつける。その間にもマリーが「でも……!! どうかお考え直しを!」と、懇願してきた。
「マリー」
ユリウスは諭すよう呼び掛ける。しかし、マリーは首を横に振って、胸の前で拳を握り叫んだ。
「売るなんてダメです!! 折角、殿下から頂いたドレスなのに!!」
鼻息荒く言い放った言葉に、ユリウスは目が点になった。
一体どこを聞きかじったら、ドレスを売る話になるのだろうか? と。
「えっと? マリー?」
「『えっと? マリー?』じゃありません!! ユリウス様の持ち物で売れるもんなんて殿下から頂いたドレスぐらいですっ!!」
「…………結構言うよね、マリー」
失礼な話だ! と、言いたいところだが、それは事実だったりするので言い返せない。
ただそれは思いもつかない案だった。
最初に支給された青いドレスは、生地も良かったし、飾りも良い物がついていたので、売ればそれなりの値段がつく可能性はある。
どうして自分は思いつかなかったんだろうか。
「とにかく! あのドレスを売るなんてお考え直しくださいませ!」
「……今、マリーに言われて、それも一つだなって思ったんだけど」
口ではそう返しながら、ユリウスはドレスを思い浮かべた。
――あのマリンブルーのドレスは綺麗だったな。
――誰が選んだのだろう?
――まさか、フィリップが選んだのだろうか??
――だとしたら、売りにくいな……。
幼馴染みが選んだ品を換金するなんて、申し訳なさすぎた。
『……贈り物を使わないと切って捨てられて機嫌がいい奴がいるのか?』
先日贈り物について『使う機会ないよ』と言ったら、不機嫌な顔をされたばかりなのに。
(……嬉しくなかった訳じゃないんだけど)
ただ、使う機会がないな。って、正直に思っただけで。ほんとにそれだけ。
ユリウスはふと考えた。
フィリップは自分の贈った、わんこクリップを使ってくれているだろうか? と。
もし、仮にフィリップがわんこクリップを売却してたら――もちろん、王子が物を売るなんてありえないとは思うけど――……
想像したら悲しかった。
一生懸命選んだのもだから余計に。
もしフィリップがドレスを選んでくれていたなら、きっとわざわざ青系にしたのだ。私の好きな色だから。
自分の事を考えてくれたのは……わかる。
そう思うとなんだか、ドキドキしてきた。
(時間差がありすぎ……)
あの日から大分日にちが経っているというのに。
でも、時間差で良かったと思う。
深い意味などないのに、自分がヘンな反応を示したらフィリップも困るに決まってる。
だから、ちょうどよかったのだ。
「……ユリウス様! 聞いてらっしゃいます!?」
「え? ああ、えっと」
「もう、聞いてないですね、その返事は!」
「すまない……でも、青いドレスは売らないよ」
「まあ! それはよかったです!」
「元々、考えていなかったからね」
「……え?」
マリーがユリウスの回答に疑問符を浮かべた。
「じゃあ、売るって……」
「ああ、それは…………」
途中まで言いかけて、すぐマリーが悲鳴を上げた。
「いやあああ!! まさか、食いぶちを減らす為に私を売るんですか!?」
「はあ?」
「だってぇ!! ユリウス様に侍女いらないじゃないですか!!
着替えも自分でしますし、殆どお城勤務ですし、私の存在意義って!!」
「……まあ、たしかに」
ユリウスはマリーの言葉に賛同した。
たしかに、家の財政を考えると自分の世話を焼いてくれる侍女なんて贅沢かもしれない。
「いやああ!! こんな良い働き口ないんです!! だから、お考え直しくださいませ!!
ええっと、……そう! 私懺悔します!!」
懺悔ってなに? と、訊ねる前にマリーは「先日、内緒でパティスリーモモのプリン食べました!!」と、高らかに宣言する。
「……プリン?」
「そうです!! 城下へ買い出しに行ってユリウス様の分と二つ買ったんです!
でも、ユリウス様のお帰りが遅かったんで……」
両方食べました!!
そう、胸を張って言い切るマリー。
まるで、「すいやせんでしたっ!!!」と、入隊したての少年が、舌っ足らずな感じで謝る時のような。そんな感じで。
(……と、いうかこれは懺悔?)
どっちかって言うと、宣誓みたいに聞こえるのだけど。
ユリウスは「……じゃあ、モモのプリンまた買ってくれればいいから」と伝え、マリーは「……私を売るの止めてくださいます?」と聞き返す。
だーかーら!
「元々そんな気ないって」
「じゃあ、売るって……」
「ああ、それは自分……」
の時間。
と、言いかけて、「だ、だ、誰に売るんですか!?」と、またしても遮られる。
……少しは私の話を聞こうよ、マリー。
「今それを考えているところなんだよね」
自分の時間を買ってくれる人。
できる事といえば護衛……が一番手っ取り早いけど。
「そ、そんなあ……殿下はどおするんですか?」
「……ねえ、マリー。多分勘違いしてるよ」
何と勘違いしているかまではわからないが、フィリップが出てくる時点できっと彼女は間違ってる。
「でも、ユリウス様を買って下さるのってフィリップ殿下だと思うのですけど……」
「いや、それはないでしょ」
「ええ!? 絶対買ってくれますよ!」
「いや無理無理。 フィーに新たな護衛は必要ないし」
「え? 護衛?」
「そうだよ、護衛。 私が売る時間で稼げるのは護衛ぐらいでしょ?」
そういうとマリーはキョトンとしたかと思うと、すぐに眉間にしわを寄せた。
「ユリウス様、それってまさかバイ……」
「わーわーわー!!」
ユリウスは慌ててマリーの言葉を遮る。
はっきり言われると困るので、今までなんとなくぼかしておいた言葉を懸命に。
「……騎士の副業は禁止だったと思いますが」
「……赤字なんだよ今月」
やっと正しい事情を察知したらしいマリーは、すすすっと顔を近づけて言った。
「ひょっとしてアレですか?」
「そうアレ」
「事情を説明したら経費にしてもらえるのではないですか?」
「とは思うけど、いろいろ考えた結果、自分で支払った方がいいと判断した」
「……ユリウス様、国からドレスを支給されたら面倒とか思ってらっしゃるでしょ?」
図星をさされた。
ひとたび核心に近づくと、良い読みをしてくるマリー。
なら最初っから人の話を聞いてくれればいいのに。と、思うがマリーの脳内まではどうにもできない。
「たしかに殿下の事ですから、夜会へのお誘いは増えるでしょうね」
「……だよね」
「ええ」
マリーの読みも自分の予想と同じだ。
そう思うとますます、経費という選択はない。
「でも、いいじゃないですか」
「は?」
「ドレスを着て夜会に出席。女性なら憧れですもん」
「いやいや……」
まるでお花畑に駆け出しそうな蕩けた笑みを浮かべるマリー。
たぶん脳内にはドレスを着て踊る姿が再生されているのだろう。
しかし、肝心な事を忘れてはいけない。
ドレスを着るのはマリーではなくユリウスで、ユリウスはドレスもダンスも嫌いだから男装しているのだという事を。
「殿下にリードしていただいたら、ユリウス様のダンスも上達しますよ!」
「いや、女性パートが上達しても……」
「そして、恋が芽生えて」
「だから、なんでそうなる」
「そういうもんです」
「小説の読み過ぎだよマリー」
マリーはまだお花畑から帰ってこない。
うちのマリーはいつもこんなんだ。
鋭い時とふわふわな時と。一体彼女の脳内はどうなっているのか覗いてみたい。
そう思ったが、ユリウスはすぐに首を振る。
脳内お花畑を直視できる自信がない。
目をキラキラさせながら語るマリーには、幼馴染みと王子のフィルターがかかっている。
世の中の読み物にこういった話が多い事は知っているが、それらを自分達に例えられるのは耐えられそうにない。
「……とにかく、経費にはしない。ドレスも売らない。だとしたら、……もう選べないだろ?」
妄想を打ち破るように低い声で言うと、マリーはしゅんとしてしまい少し可哀そうだった。
今回もお読みいただきましてありがとうございます(*^_^*)
この話のサブタイトルは侍女暴走(笑)




