19.翡翠のダンス
クーウェルの指示通り、黒牛の攻撃を避け続ける。
太く丈夫そうな蹄で地面を叩くように蹴りあげ、突進を繰り返す。
黒牛の攻撃は比較的単調だった。
一頭ずつ交代で繰り返す突撃は、動きをしっかり見ていればなんとか避けられる。身体に力が入りすぎないよう、ひらりひらり身かわしてゆく。
ユリウスは何度目かわからない突進を避ける。
直前まで走っていた事もあり、少し息が上がっているのがわかった。
「クー! まだ!?」
「もう少し!」
基本的に狙われているのはユリウスだけ。
誰かを守る必要が無い為、集中しやすいといえばそうなのだが。それでも疲れは溜まるのだ。
一方黒牛は疲れを知らず、最初と変わらないスピードで突進してくる。
その数、五頭。
避け続けるには限界があった。
ユリウスは自分の動きに再度集中しなおそうとして。
一瞬、集中を切らしてしまった。
(しまっ……!)
その一瞬で、足元をとられ転倒する。
牛はその隙を見逃さなかった。
一頭が、頭を下げ突進してくる。
ユリウスも素早く体勢を起こそうとするが、地面を這う蔦に足を引っ掛けてしまい動けない。
マズイ。
そう、直感が訴える。
全てがゆっくりと動いた。
突進してくる牛。
蔦を引きちぎろうとする自分。
もっと早く早く早く。
しかし、自分も同じようにゆっくりしか動けない。
その時。
フワリと身体が浮いた。
ひざの裏に腕が差し込まれ、背中から腕にかけてギュっと抱かれる。
さらりと流れる髪が頬を撫でた。
その色は青。
見上げれば、凛とした茶色の瞳。
その姿は色が違っても、見間違える事はない。
時が、戻る。
「フィー!」
自分を抱えている、幼馴染みに声を上げた。
フィリップは軽々とユリウスを抱きかかえ、牛の突進を避ける。
そしてすぐさまユリウスを地面に降ろす。
「立てるか? ユウリィ?」
頷きで答え、すぐに立ち上がる。
「待たせた! ユリス! フィル!」
振り返ると、クーウェルの透き通った美しい羽から僅かに翡翠を含む銀色の粉が舞い始めた。
舞った粉達はヴェールのように波打ち、牛たちに纏わりつく。
クーウェルが腕を振り上げた。
まるで糸でもついている様にヴェールが彼の動きをまねる。
クーウェルは続け様にステップを踏む。
その姿はダンスを踊るかのように、軽やかにそして、しなやかに。
いつの間にか、殺気が消えていた。
牛たちに視線を向けると、眠るようにその場に崩れている。
翡翠を纏った銀の粉がブランケットのように牛たちの上にかかっていた。
「ユリス、魔法を解いた。もう大丈夫」
クーウェルが拳を突き出してきた。
ユリウスもニッと笑い、拳の代わりに指を出して答える。
森がザワリと鳴いた。
「クーウェル……どうして?」
聞こえた声は憂いを含んでいた。
どの方角から聞こえたかはわからない。
ユリウスはあたりを見回した。
そして。
目線の先に、深い緑のローブを引きずった魔女の姿を見つける。
「リリア!」
クーウェルが弾かれたように飛び出した。
しかしリリアの前には青みがかった銀のヴェール。
彼もおいそれと近づけないのか、途中で止まってしまった。
「クーウェル、どうして邪魔をするの?」
憂いを帯びた声が批難するように語りかけてくる。
「リリアこそ、もう止めろ!」
「いやよ」
「リリア!」
「あと、一人。あと一人なんだから」
リリアはそう言うとユリウスに視線を向けた。
怪しく光る瞳は細められ、赤く引かれた唇の端を上げる。
自分を狙っている危険な笑み。
ユリウスは背中が粟立つのを感じた。
クーウェルが目の前に飛んできて、両手を広げる。
守るように立ちはだかってくれた彼のその向こうで、リリアの表情がフッと消えた。
「クーウェル……今度は人間なの?」
「なにがだ!」
「その人間、大事?」
「ああ! ユリスはいい奴だ!」
「そう……あなたはいつも移り気なのね」
リリスは目を伏せた。
その瞬間、彼女の背後から黒い何かが飛び出してくる。
空中を舞うその姿は一瞬、コウモリを思わせた。
だけどよく見れば、それは黒い蝶。
蝶の大群が、まるで一つの生き物のように舞い、怒涛の勢いで去る。
その後にはキラキラと光る何かが舞っていた。
「ユリス! フィル! 口元を覆え!」
クーウェルが叫ぶ。
「黒蝶の鱗粉はしびれを起こすぞ!」
その声にユリウスはすぐ口元を覆う。
だが、空気中を舞う鱗粉をすべて防げず、膝を折った。
次第にその姿勢にも耐えられなくなり、その場に座り込む。
(まずい、な……)
ユリウスは力が入らなくなってきた身体を見る。
小刻みに震える身体からは力が抜け、座っているのも億劫だ。
このまま地面に倒れこみそうになるまで時間はかからなかった。
不意に、倒れこむユリウスは地面から離される。
肩越しの伸ばされた腕に力がこもり、引き寄せられた。
背中に暖かいものを感じる。
目線を動かし、後ろで抱えてくれているのがフィリップだとわかった。
(フィーは、しびれの進みが遅い……?)
身体の大きさの違いか、はたまた、王族が受ける毒耐性訓練のお陰か。
フィリップ自身も座り込んでいるが、まだ力が入るようだ。
ユリウスは抱きかかえられている状態でリリアを見る。
「さあ、準備は出来たわ」
リリアが、ニタァァと笑う。
「リリア……なにをする気だ?」
クーウェルの問いに返事はなく、リリアは笑みを浮かべたまま、腕を手前に振った。
青みがかった銀粉が舞う。
細長く伸びた銀粉は森の奥まで続いており、ゆらりゆらりと揺れ動く。
風に煽られているわけでもなく、ゆらりゆらりゆらり………
揺れ動く銀粉の先が見えた時、何かが一緒についてくるのが見える。
「…………!」
ユリウスは目を見開いた。
銀粉を纏っているのは金糸のような髪を持つ女性。
その瞳は水底を閉じ込めたような碧。
美しく着飾ったドレスが銀粉と共にふわりと揺れる。
(ノア嬢!)
口元を覆っている為、声は出せない。
ノアは操り人形のように、ゆらりゆらりと一直線にこちらへと向かってくる。
その瞳にはなんの景色も映していないように見えた。
「さあ、王子様。続きを始めましょう」
ヒヤリと首筋が撫でられた。
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