18.三下ともやし
軽めの戦闘シーンがあります。
苦手な方はご注意ください。
一拍置いてユリウスはその男について思い出していた。
ガタイが良いだけのひったくり犯。
覚えているのはそれと、『もやし』と、言われた事だけ。
それ以上でも以下でもない。
男はユリウスの反応が気に入らなかったのか、青筋を浮かべて声を張り上げた。
「お前のせいで! 俺の評判は……」
「あーはいはい」
ユリウスは男のセリフを遮る。
そして、後ろに控えているゴロツキを一瞥した。
「俺、急いでるから。今なら見逃してやる。――うせな」
低い声で冷たく言い放つ。
自分が今優先すべき事はゴロツキの相手ではない。
(早くノア嬢を追いかけなければ)
森の方へ駆けて行ったノア。
リリアが危害を加えるとは考えていないが、それは何の保障にもならない。
時間がもったいなかった。
しかし、この手の輩は空気が読めない。
「やっちまえ!!」と、三下しか言わなさそうなセリフを吐き、襲いかかってきた。
ユリウスは短く溜息をつき、突っ込んできた男その一をひらりとかわす。
単調な動きに先日の捕りものを思い出した。
前回と変わり映えしない攻撃方法。
体格を生かした突進のつもりだろう。しかし、そんなものはちょっと訓練した者ならすぐに避ける事ができる。
その上、避けた後にできる相手の隙を突いて戦闘は終了だ。
(そ、こんな感じに)
ユリウスはかわしたゴロツキのかかとを蹴り飛ばす。
今日のブーツは万が一に備えての戦闘用に強化されたブーツ。
硬さはただの靴の比ではない。
男その一は痛みに悶え、地面に転がった。
(……全く)
なんでも突っ込めばいいというものではない。
ユリウスが男その一を見降ろしていると背後から殺気がした。
振り返れば、男その二は物騒にも斧を振りまわしている。
そう、振りまわしている。
でたらめに振りまわす斧は空を切るだけで、何の意味も成していなかった。
もはや、攻撃のつもりなのか自暴自棄なのかわからない。
ユリウスは軽い足取りで後ろに跳び、避ける。
それはダンスのステップを踏むかのよう。
武器を振りまわしている相手にも、ユリウスは剣を抜こうとは思わない。
こんなの相手に獲物を使う必要など微塵にも感じなからだ。
万が一にも剣を抜いて鍔迫り合いにでもなったら。
(刃零れしたら、そうするんだ、ってーの)
そんな事を考えつつ、ひらりとかわす。
男その二は斧を振りまわし過ぎて疲れたのか、腕の上がる角度が落ちてきている。
(無駄な動きが多すぎるんだよ)
基礎体力は自分より多いだろうに、使い方が間違っている。
次第に足がもつれ始めたところを、軽く足払いをかけてやった。
ドスンッと音がして男その二が受け身も取れず転んだのが目の端に映る。
ユリウスは残った一人に目を向けた。
やるなら早く済ませたい。
そう思い睨みを利かせる。
男その三は賢明だった。
敵わないとわかったのか、慌てて森とは逆方向に逃げて行く。
(……はじめっからそうしてくれたらいいのに)
全てが終わり、地面に転がるのは二人のゴロツキ。
このまま捨て置くわけにもいかないが、自分は先に行かねばならない。
「後始末お願い!」
姿を見せないフィリップに叫び、ユリウスは走る。
ユリウスが走って森へ辿り着くと、ちょうど入り口あたりでノアが座り込んでいた。
散策用のドレスとはいえ地面に直接座り込むなど、よほど疲れたのだろう。
「大丈夫でしたか?」
そう声をかけると、ノアはユリウスに抱きついてきた。
「ユリウス、さま、心配、しました」
切れ切れに、言葉を口にするノア。
「怖い思いをさせてしまって、すみません」
ユリウスも自然とそんな言葉が出る。
令嬢がゴロツキに襲われるなど、恐怖以外何物でもないだろう。
自分の胸に顔を埋めるノアにそっと触れる。
子供をあやすようにポンと背中に。
すると、ビクッと身体が震えたのがわかった。
「すみません!」
ユリウスは慌てて手を離す。
ノアが『男性恐怖症』なのを思い出した。
散策中はそういった様子を見せないので、完全に失念していたのだ。
しかし何故か、ノアはユリウスから離れようとしなかった。
それどころか潤んだ瞳で見つめてくる。
ユリウスはどうしたら良いかわからない。
ノアは何を求めている?
恐怖で震える令嬢。
彼女は側をはなれない。
そして、令嬢を追いかけてきた男。
(これは、ひょっとして……)
物語的に考えれば、キスをするあたりであろうか?
冷静に分析し、想像した自分の背筋が冷えた。
(いやいやいや。実際はしなくてもいいんだし!)
そう、雰囲気を作るだけ。
それだけで、もう――――
そこまで考え、背中を撫でる冷たい感触にゾクリとした。
『王子様、魔法を解いて』
寒い想像を現実に願う、声。
その声は切実さを帯びていた。
ユリウスはノアを自分から引き離し、辺りを見回す。
声は頭の中に直接響いたように感じたが、背中を撫でる冷たい感触は現実。
近くにリリアがいる。
そう思うには十分だった。
ふと、目の端に薄黒い塊を捕える。
ユリウスは弾かれたように走り出した。
後ろでノアの声が聞こえたが、振り返らずに走る。
伸び放題になっている雑草を踏み貫き、垂れ下がる木の葉を手で払う。
ユリウスの走っている場所は辛うじて道らしきものがある。
直感的に誘われているように感じた。
いきなり走りだし、フィリップがついてこられるか心配になる。
ただ、それでも見失うわけにはいかない。
リリアの影を追い続けていると、弱い気配を感じた。
最近そばにいる気配。
「クー! いる!?」
「いるぞ、ユリス!」
「見つけた!」
「ああ、リリスだ!」
短い会話をし、ユリウスはさらに森の奥へと走り続ける。
クーウェルに先導してもらい、ユリウスは走る。
リリアの姿はもう見えない。
だけどクーウェルにはリリアのいる方角がわかっているようだった。
「リリアは!?」
「近い! そばだ!」
その声が聞こえた瞬間――
側面から何かが飛び出してきた。
ズシャッと地面を踏みつけた音をさせ、目の前に立ちふさがる。
黒いしなやかな肢体。
その身体には重量感があり、頭頂部には角が二本。
前足で地面を叩き、こちらを凝視したまま突進してくる。
「黒牛!?」
「魔法がかかっている! 気を付けろ!」
ユリウスは突進を寸でのところでかわす。
思った以上に黒牛の反応速度は速い。
黒牛は興奮していた。
鼻息は荒く、目はギラついている。
その目は射殺さんばかりにこちらを睨む。
獲物を狙った獣の瞳。
それが、元々なのか魔法のせいなのかは分からない。
ガサガサッと音がし、また脇から黒牛が出てきた。
一頭だけではない。
森の奥から、一頭、また一頭と続く。
表情は突進してきた牛と同じ。
ギラついた目は、攻撃の瞬間を図っている。
もはや、当て身を食らわせるとか足払いをかけるとか、そういった次元にない。
ユリウスは剣を抜こうとした。
「ユリス! だめだ!」
制止したのはクーウェル。
「たとえ斬ったとしても、魔法が解けない限り、止められない!」
その言葉にユリウスは恐怖を覚える。
魔法というのは屍をも操れるのかと。
「ユリス! 時間を稼げ! 俺が、魔法を解く!」
クーウェルの言葉に一瞬思考が止まる。
失念していたが、クーウェルも妖精。
魔法が使えても何の不思議もない。
「わかった!」
ユリウスの返事を合図に、黒牛が地を蹴った。
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