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女子高生、坂東蛍子

坂東蛍子、親友の面影を見る

作者: 神西亜樹

 坂東家は元々は華族の血を引く一族だったが、大正の初めに本家と離れてからは徐々に財産をすり減らし、今では「普通よりは金持ち」程度の心許ない称号を戴くのみとなっていた。当然自宅も「普通よりは豪邸」であったが、漫画の世界のように使用人とセキュリティーで陶芸窯の中さながらのごった返しになっているわけでも無く、「普通よりは考慮された」最低限の監視カメラとやや小型の柴犬を庭に備えるだけである。

 だからといって二階の窓から潜入されるほど甘くは無いはずなのだが、とロレーヌは当然のような顔で今晩も訪れた侵入者を見やった。(みちる)は靴を脱いで窓の縁に揃えて置くと、部屋の中に足音を立てないようにそっと降り、いつものようにロレーヌを抱き上げ――今後のためにも簡単な注釈を入れておこう。ロレーヌとは坂東蛍子のお気に入りの黒兎のぬいぐるみである。子爵の称号を持つ由緒正しいアンティークで、ぬいぐるみなので当然意思を持っている――挨拶をした。

「こんばんは、ロレーヌ」

「こんばんは、呑気な怪盗さん」

 結城満は坂東蛍子の幼馴染である。満という名前は「円満な人間になって欲しい」という思いから、両親が満が早産により誕生した満月の夜に徹夜で捻り出したものだったが、男みたいな名前なので本人はあまり気に入っていない。趣味は散策と、蛍子の生活状況の確認、それとコンビニで新発売のお菓子を物色する事。特技はアイリッシュダンスだ。

 満は蛍子にとっての初めての友達であり、唯一の友達だった。満は物心ついた頃からその事実に密かに頭を悩ませていた。蛍子は幼い時から我が強く、意地を張ってばかりだったために、同年代の人間を一切寄せ付けずに過ごしていた(そもそも周囲の人間も、彼女の家柄や才能や美しさに気後れしてしまっており、気丈な彼女に憧れる者はあっても積極的に近づこうとする者は先ずいなかった)。蛍子自身そのことについて悩まなかったわけではないようだったが、深く気に留めているわけでもないようだった。彼女が孤独な日々を過ごしているのではないか、と積もりに積もった心配がピークに達した満は、ある日我慢できずに蛍子に「寂しくないのか」と質問した。すると蛍子は気の強そうな相貌を崩し、満ににっこり笑いかけたのだった。

「だって私には満がいるじゃない」

 満はその言葉がたまらなく嬉しかった。しかし同時にとても申し訳無く思った。蛍子が友達を積極的に作らない原因が自分の存在にあるということに気付いたからだ。私が蛍子を守ってしまう限り、蛍子は私に守られてしまう。満は一人懊悩と煩悶の夜を繰り返した果てに、一つの苦渋の決断をした。蛍子と絶交したのである。それが去年、高校一年の初夏のことであった。

 ロレーヌは双方からその時のことを聞かされていたので彼女たちの事情は深く承知していた。満との絶交後、蛍子は満を失った孤独感を抱えながらも満の絶縁の言葉を重く受け止め、昔ほど意地を通さないよう少しずつ意識して努めるようになった。気が強く見栄っ張りだったというだけで、元々根は素直で優しく愛情深い子であった蛍子は、物腰が柔らかくなったことでゆっくりとだが周囲との距離を縮め、友人を作り始め、人並みの学校生活を送るに至っている。蛍子を最も身近で見てきた一人(一体)であるロレーヌはそういった蛍子の変化を肌で(布で)感じ取り、満に深く感謝した。

「また蛍子は放りっぱなしで、これじゃ皺になっちゃうじゃない・・・」

 しかし、と部屋の散らかった服をハンガーにかけて回っている満を見てロレーヌは嘆息した。

 満は自分の辛い決断が結実したことを知った時、ようやくある事実に気付いたのだった。

(どうやって蛍子の元に帰ればいいんだろう?)

 自分から拒絶し絶交を切り出した手前、満は蛍子と仲直りするきっかけを失っていた。謝るのはおかしいし、許してやる、などと言うのも偉そうだ。そもそも高校が違うので接触する機会がない。蛍子は蛍子で、親友との絶縁をとても大切な喪失と決意として自分の中に重く抱え込んでいたため、満との関係を無理に修復しようとは思っていないようである。ロレーヌの所見だと、蛍子は満に認めてもらえるような人間になって、いつか満の方から許してもらえるのを待つという腹積もりのようだった。互いを大切に思いつつも顔を合わせようとしない二人にロレーヌはもう一年近くもヤキモキさせられていた。

 しかし自分にはどうしようもないことだ。ぬいぐるみには何も出来ないのだ。可愛がられることしか出来ない。

 それに、とロレーヌは思った。これは二人の絆の問題だ。無二の親友同士の大切な絆の問題なのだ。そこに自分が割って入るのは無粋というものだ。


「あー、またこんなカロリーの高いもの選んで・・・」

 満が蛍子の机の二段目の抽斗を開け、スナック菓子を取り出すと、自分が持ってきた同種のスナック菓子の低カロリー版と取り替えた。満は蛍子のことなら既に何もかもを把握していた。常備する菓子から、菓子が納められた抽斗の位置までである。箪笥の中を見れば、今日蛍子がどの下着をつけているか瞬時に理解することが出来るだろう。

 満は蛍子のことが大好きだった。それは幼馴染であったためという以上の強い愛情だった(ロレーヌの見た所、レズビアンというわけではなく、無邪気で危なっかしい蛍子の姉代わりという意識を持ち、可愛い妹を偏愛しているようだった)。そのため満は蛍子と絶交した後、一週間も絶たない内に彼女と会えないことに耐えられなくなり、蛍子の留守を見計らって彼女の部屋に忍び込むようになって、家ではガサツな蛍子の部屋を整頓したり(蛍子は母が整頓していると思っている)一人になった蛍子がいじめられていないかロレーヌに問いただしたりなどして寂しさを紛らわせているのだ。ロレーヌは別離して以降増長の一途を見せている満の偏愛よりも、このことが蛍子にバレて二人の関係修復の壁にならないかが心配でならなかった。蛍子の父、憲純もそうだが、蛍子は些か過保護に扱われ過ぎている。きっと自分の知らない外の世界でも蛍子を陰ながら支え守っている人間は大勢いるのだろうな、とロレーヌは想像し、自分もその一人であることに気付いて溜息をついた。坂東蛍子という少女は、走り出したら止まらずそのままワールドレコードを出してしまえるような才気に満ちた傑物だったが、本当に止まることが出来ないため、踏切が下りていても飛び越えてしまいかねないし、川に落ちたらそのまま海まで流されてしまいそうな危うさがあるのだ。そんな彼女は周囲をいつも慌てさせたし、だからこそ惹きつけもするのだった。


「さて。一通り終わったし、今日は帰るわ。そろそろ蛍子も夕飯を食べ終わる頃合いだろうし」

 満は手をパンパンと叩いてロレーヌの頭をひと撫ですると、窓縁に腰かけて靴を履き始めた。それとほぼ同時に階段を昇って来る足音が廊下に深く響き、次第に大きくなっていく。たまにロレーヌは満が超能力者なのではないかと心底疑わしく思うことがある。

「じゃあ、蛍子によろしくね!」

「私が人間との交流を禁じられていることを知った上で言っているだろう・・・」


「あれ、ママ何時の間に掃除してくれたんだろ」

 さっきまで一緒にご飯食べてたのに、と部屋に戻ってきた蛍子が不思議そうな顔をしてドアを閉める。蛍子はベッドに腰かけてロレーヌを抱きかかえ頭を撫でると、ハッとしたような顔をした後で可笑しそうに一人で微笑んだ。

「なんだか満の香水の匂いがした気がしたの」とロレーヌに語りかける。

「もしかしたら何処かで見守ってくれてるのかもね」

 蛍子はロレーヌをギュっと抱きしめた。ロレーヌは窓の外で蛍子を凝視している満に「早く立ち去れ」と目で促した。

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