ポスターに誘われた雪の街で湯気と一緒に出会ったのは…
友人から湯気・雪・ポスターというお題をもらって書いた短篇です。
相変わらずの文才の無さですが、よかったら暇つぶしにどうぞ。
ゴトン…ゴトン…。
K県から都内に戻るため、夜の電車の車内で俺は揺られていた。
特に何かすることがあるわけでもない。リズミカルな揺れに眠気を誘われながら、ぼんやりと窓の外を見ていた。
といっても、すでに夜の帳に包まれ、電車の揺れと一緒に上下に揺れる車内の灯りと自分の顔が映し出されているだけだが。
その顔が、窓にかかる俺自身の息で時折白く曇るのを見ながら、何とはなしに今回の旅行のことを思い出していた。
「あー、どうするかなぁ…。」
世間と同じく、俺の会社も明日からは年末年始の休業に入る。俺は明日からの久々の休日の過ごし方を悩んでいた。普通なら田舎に帰るんだろうが、俺の場合もともと東京生まれの東京育ち。両親はすでに他界してるから帰省先なんぞ無い。
かといって恋人がいるわけでも、家族がいるわけでもない。さみしい一人暮らしなのだ。こんな状態だから特に年末だ、正月だと浮かれるわけでもない。
金はある。取り立てて趣味のない独身男にとっては、給料の使い道なんてそれほど無いものだ。仕事が忙しくて使う暇もないしな。
現状では、後はこの年末年始の休みの過ごし方さえあれば完璧なんだが…。そう思いながら自宅を目指して街を歩いていると、腹が減ってきたので、目に付いた定食屋に入った。どうせ帰っても誰が待っているわけでもない。今から家に帰って自炊する気分でもなかった。
野菜炒め定食を食べながら(部屋でごろごろするのも良いかもしれんが、それで年末年始を過ごすのもなぁ…)などと考えていると、ふと壁に貼ってあるポスターが目にとまった。
『今こそ秘湯の旅!都会に疲れた心と体を癒す素敵な露天風呂が貴方を待っている!!○○温泉』
(温泉か…そういえば、ここのところ行ったことはないな。)
食べ終わった野菜炒めの皿を少し横にずらして、スマホで『○○温泉』を検索してみる。
都内から電車で4時間。微妙な時間だな。ちょっと行くのに躊躇する時間だ。日帰りは厳しい。泊まりがけで行くにはちょっと近い。しかし…。
(温泉宿が三つ。それぞれ売りが違って…会席料理フルコースに…いろいろな種類の風呂に…全室離れ形式の個室部屋か。)
近くには適度な観光スポットもある。でもいくら何でも今日の明日で空き部屋はないだろう、年末年始なんて宿泊客でいっぱいの筈…!?それぞれ日はずれてるが空いてるな。一泊ずつ宿を変えてみるというのも面白いかな?)
どうやら、これで年末年始の過ごし方は決まりそうだ。たまにはこんな贅沢も良いだろう、そう思って予約を入れる。次は電車の切符か。帰ったら旅行の準備もしなきゃダメだな。
勘定を払い店を出る。最初はゆっくりだった俺の足は、いつの間にか自宅に向かって早足になっていた。
こうして俺の年末年始の過ごし方は決まった。
初日はいろいろな風呂が楽しめる宿「富水亭」に泊まった。
打たせ湯に岩盤浴、泡風呂に薬風呂、低温サウナ等々。十分に堪能した。砂蒸し風呂まであったのには驚いた。まあ、かわりに部屋や食事は値段なみだった。
夕食後に改めて露店風呂に入っていると、湯気の向こうから地元のおじちゃんらしき集団の会話が耳に入ってきた。どうやら此処の風呂は地元の人にも開放されているらしい。
「やっぱり『升や』の風呂は気持ちが良いの。」
「『塩や』も良いけど、こっちは露店風呂が格別や。」
何だ、「升や」とか「塩や」って?
気になった俺はその人達に聞いてみることにした。
「すみません、ちょっとお聞きしても良いですか?」
「何や、兄ちゃん。ここに泊まっとるお客さんか?」
「ええ。それで先程言っていた『升や』とか『塩や』って何ですか?」
「『升や』はここのこっちゃ。」
「でも、ここは『富水亭』でしょ?」
「うちら地元のもんは『升や』って呼んどるけどな。」
「何でそんな呼び方するんですか?」
「兄ちゃん、屋号って知っとるか?」
「屋号?」
その後、親切なおじちゃん達が教えてくれたところによると、この辺はもともと同じ名字が多いそうで、今回泊まる3件の宿も名字は全部同じ「中村」。俺と同じ名字か、と思うと何だか親近感がわいてきた。ついでにいえばおじちゃん達の名字も中村だった。中村性は特に多く(もともとここら一帯が「中村」という地名だったらしい。)家同士の区別を付けるのが難しい。だからその家が営んでいた職業などがその家独特の呼び名になった。それを「屋号」と言うんだとか。
そんな話をしている内に、すっかり意気投合した俺たちは風呂から出たら、そのまま飲み屋まで一緒に行くことになった。実に楽しい夜だった。次の日の朝は少し二日酔いだったけど。
二日目は「歓喜亭」。ここの目玉は夜の会席料理だ。風呂や部屋は並。
地元の食材の説明を仲居さんに受けながら料理に舌鼓を打った。ここの名産は温泉の地熱を利用した養殖のスッポンやナマズ。それを美味しく料理したお造りや鍋をしっかり堪能した。
「最初はナマズなんか名産になるか、なんて地元の人は思ってたんですけどね。」
「俺もナマズは初めて食べましたけど、結構美味しいですね。」
「でしょう。これがビックリで。養殖したら泥臭さが抜けて美味しいんですよ。」
「天然物よりもですか。」
「天然物、というより普通のナマズはやっぱりちょっと泥臭い感じがするんですよ。」
「じゃあ、養殖したおかげで名産ができたと。」
「そういうことですね。」
「そういえば、昨日地元の人に聞いたんですが、この辺って『屋号』があるんですってね。」
「ああ、少し年配の人たちはよく使いますね。わたし等くらいだと使う人、使わない人半々でしょうか。」
「この宿にも『屋号』はあるんですか?」
「ありますよ。ここは『籠や』って言うんです。」
「何か面白いですね。」
「都会のお客さんには面白いかもしれませんね。わたし等にとっては当たり前ですけど。」
「ちなみに仲居さんにもあるんですか?」
「うちは『下駄や』って言うんですよ。ああ、そろそろ雑炊にしましょうか?」
「お願いします。」
締めの雑炊も旨かった。食い過ぎでちょっと苦しかった。
今日は大晦日。この温泉旅行の最終日である。今日の宿は「山水亭」だ。此処の売りは「離れ」、つまり部屋が完全に個別になってることだ。広い庭園の中にぽつりぽつりと「離れ」がある。完全にプライベートを楽しめるように贅を尽くしてある、という感じだ。その分、料金はちょっと他の二軒より高めの設定になっている。風呂は部屋ごとの家族風呂と露店風呂の大浴場の2種類。料理は並の上、といったところだ。
部屋出しの夕食を堪能し、露店風呂に行こうとしたとき、後ろから絣の浴衣を着た子どもが追い抜いていった。6,7歳くらいの子どもだ。転ばなきゃ良いが。
風呂に入ってのんびりしてると、子どものはしゃぐ声が聞こえてくる。さっきの子かな?何にせよ子どもが元気なのは良いことだ。
こっちの風呂も最初の宿と同じく、地元の人に開放されているらしい。一緒に入ったじいちゃんに聞くと、地元の人には割引があるんだとか。地元に喜んでもらえて、自分達も収入がある。なかなか商売上手だね、なんて思ってるとじいちゃんが話しかけてきた。
「兄ちゃんは他の宿の風呂も入ったのかい?」
「ええ、最初は『富水亭』、こちらの屋号で『升や』さんでしたか。あそこでいろんなお風呂を楽しみました。」
「『升や』の風呂はいろいろあるから楽しめたじゃろ。」
「そうですね。一緒に入った地元の方に屋号のことも教えてもらいました。」
「ここの露店風呂もええんじゃが、風呂はやっぱり『升や』じゃな。」
「こっちも良いですよ。」
「そうじゃ、『塩や』の風呂もええな。」
『ああ、ここの屋号は『塩や』なんですね。」
「そうじゃよ、うちの屋号は『馬や』ちゅうて、もともとは…」
この後じいちゃんの長話に付き合わされてのぼせそうになった。年寄りの話は長い…。
風呂上がりに缶ビールを一本自販機で買って、部屋に戻ろうとすると、また後ろから子どもが走ってきた。ちょっとぶつかりそうになったので、
「走ると危ないぞ。」
と声をかけた。
すると、その子はこっちを振り向いてにこっと笑った。何だかものすごく嬉しそうな笑顔だったのでちょっとビックリした。
「もう、『塩や』には居られないの。」
「ふうん。どうして?」
そう問い返しながらも俺は(きっと今日までこの宿に泊まっていて明日は帰るんだろうな。)などと考えていた。
「『塩や』にはいっぱい居たの。もうダメなの。」
「じゃあ、お家に帰るんだ。」
「ううん、次は『中村』に行くの。」
そう言うと廊下の向こうに走って行ってしまった。
(何か嬉しそうに笑う子だったな。)
そんなことを思いながら俺は自分の離れに戻った。買ってきた缶ビールを飲み、大晦日の定番の紅白を見ていたが、何となく飽きて眠くなってきたので、もう寝ることにした。
布団に潜り込むとすぐに眠気がやってきた。
(明日は東京に帰るんだな…。まあいい旅行だった…。)
ぼんやりしながら寝入り込もうとする時に、どこからか子どもの走り回る音が聞こえてきた。
トタトタトタ…
裸足で走り回るような音。
ポンポンポン…
まりつきか、お手玉かするような音。
(子どもが大晦日ではしゃいでるんだろうな…ちょっとうるさいけど。)
そんなことを思いつつも俺は睡魔に負け、いつの間にか寝入っていた。
翌朝、広間で朝食を食べた。ここは夜は部屋出しだが、朝は大広間で朝食が出る。今日は正月らしくお節と雑煮だった。
食べながら仲居さんと話をする。
「離れには子ども連れも泊まってるんですか?」
「え?」
「夜に子どもがはしゃぐ声が聞こえたもので。」
「離れの方には居なかったはずですよ。あ、でも別館の方にはお子様連れが居ましたからその子達かも。」
「なるほど、夜の探検をしてたのかもしれませんね。」
「騒がしかったんですか?申し訳ありません。」
「いいえ、そんなことはなかったです。楽しそうでしたよ。」
「申し訳ありませんでした。」
別に仲居さんのせいじゃないと思うけど、恐縮して頭を下げてくる様子に逆に俺は困ってしまった。慌てて話題を変えることにする。
「そう言えばここら辺は屋号があるんですよね。」
「ええ、私の家は『柿の下』って言うんですよ。」
柿の下。柿の木でもあるのかな?
「『中村』って屋号もあるんですか?」
「『中村』?そんな屋号はないですね。どうしてまた?」
「昨夜会った子が『塩や』から『中村』へ行くって言ってたものですから。」
「『中村』ですか…。ああ、地名かも。」
「地名、ですか?」
「この辺は上村、中村、下村っていう三つの村が集まって町になったんですよ。」
「ああ、なるほど。じゃあ、上村へ行くと『上村』って名字が多いんですか。」
「そうなんですよ。だから困ることも多くって、屋号はよく使いますね。」
「ところ変われば、というやつですね。」
その後しっかり朝食も食べて、俺は宿をチェックアウトした。
宿を一歩出ると辺り一面雪景色。どうやら昨夜の家に降ったらしい。
宿からは一筋の足跡が外に向かって歩いていったのが分かった。俺より先に出て行った人のだろう。歩幅からすると随分背が低い。子どもかもしれないな。その足跡を追いかけるようにして俺は駅に向かった。
(まあ、いい旅だったな。)
そう思いながら電車の窓をぼんやり眺めていると、窓が俺の息で白く曇る直前に何か見えた気がした。
慌てて窓の曇りを手でふく。しかしそこには何も映っていなかった。映るのは先程と同じ俺自身と一人で座っている座席だけ。
(寝ぼけたかな?隣に女の子が笑っていた気がしたんだが…。)
しかし、乗り込んだ時からその座席は空いていた。それは間違いない。
(何だかとても嬉しそうに笑っていた…)
顔がはっきり見えたわけではないが、その笑顔だけが目に焼きついていた。
ガタン…ゴトン…。
先程と同じ揺れに、揺られながらいつの間にか俺の眠気は何処かに行ってしまった。
あの旅行からしばらくして、新聞を眺めていると
「○○温泉の老舗が倒産」
という記事が目にとまった。最後に泊まった宿がつぶれたらしい。まあ、あんなせまい温泉町でそれぞれ生き残りをかけて名玉を作ったのに結局うまくいったところとうまくいかなかったところがある、て事だよな。それより俺には気になるところがある。
えっと…。18265…18266…。
「やっぱり当たってる。」
この前何の気無しに買った宝くじの三等、50万円が当たってるのだ。
「最近、俺はついてるよな。」
会社での営業成績も上がった。あの旅行から運が上向きになった気がする。
「やっぱ、リフレッシュするのは大切だよな。」
そんな独り言を言いながら、俺は銀行に宝くじの換金に出かけることにした。
玄関の鍵を閉めた時にふっと、誰かが部屋の中で嬉しそうに笑っている声が聞こえた気がした。