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交錯-2B

中々合流してくれない





      『仲間の命乞いを、した事があるか?』







     ≪5≫




夜、ジゼルは発熱した。

怪我による発熱だと、医者は言ったが、意味がよくわからなかった。

炎に焼かれた肌が、まだ熱を好むのが不思議だった。

冷却シートはすぐにぬるくなってしまって、そのたびに彼女は痛みを訴える。

とはいっても、言葉や声に出して訴えるわけではないので始末が悪いと看護士の一人が、愚痴を零した。



部屋にあるものを投げ、壁にぶつける。

苛立ちの対象は人には向かない。

せめて言葉で言ってくれればいいのに、痛みを身体でしか表現しない彼女は恐らく赤子と同じ、自分の状態を把握できていないのだと、帰りがけに医師が言った。

夜勤の若い医師がジゼルを引き継ぐのを内心では重荷に思っていることを読み取ったのだろう。髪に白いものが混ざり始めたベテランの医師は、安心させるように若い医師の肩を軽く、叩いた。




大丈夫。

子供は泣き出す前にミルクを与えれば大人しくしている。



手を焼く患者にめぐり合うのが嫌で陸軍に入った若い医師は、引継ぎの医師が帰ると同時にあからさまに疲れた溜息をついた。

そして、誰も彼女に面会に来ない理由がわかった、と毒づいた。





*   *   *   *   *





同じころ、最も優秀な設備を揃えていることで有名な、州立病院にあるICUで。

一人の男が沈痛な面持ちで見下ろす先、一人の男が眠り続けている。

規則正しく脈拍と脳波を伝える電子音だけが部屋に響き、もう随分と長いことそれだけを聞き続けているな、とアイザックは自嘲した。

いつまでも見つめていたところで、らちがあかない。

けれど、パトリックには目覚めてもらわなければならなかった。

でなければジゼルに会わせる顔がない、彼はそう思いつめている。


傍についていてやることを、彼女が喜ばないことを彼は知っている。


傍らで手を握ってやることの、意味が分からないのだ。恐らく、彼女には。

繋がっていない神経を、無理に繋ぐことはできない。

ジゼルはそんな風に、理解できないことが多い生き物だと彼はわかっていたから、それが思い込みだったとしても、思うままに行動することはできなかった。

彼女には、些細に枝分かれした神経がない。

たった一本の本筋、中枢神経だけで生きている。

他を補うぶん、その中枢に流れるものの量は膨大なのだろう。

きつい子だ、と周りに印象づけてきたのは、恐らくは、そういうことだと、アイザックは解釈している。


だが、らちがあかない。

ICUに入って30分、いい加減迷惑げに向けられる看護士の視線にも慣れたころだったが、もう、潮時だろう。らちがあかない。

思い切って背を向けると、監視モニターに向けて開けてくれ、と呼びかける。

ほどなく扉が開かれ、彼はICU入室時に義務付けられている手袋とキャップ、それからエプロンを脱いだ。

随分と窮屈だったことに、脱いだあとで気づく。

容態が変化したら伝えます、と、出口の横に立っていた警備員が告げた。





病院を出るとすぐ、彼は携帯を取り出して上官に掛けてみたが、電源が入っていないため掛かりません、と機械的な応答が流れるだけだった。

ひとつ舌を打って、再びそれをしまうと、彼は足早に病院の敷地を出た。

警察犬をつれた警備員と途中、幾度かすれ違う。

こんな厳重な警備を敷いているのも、パトリック一人のためだった。

重要なのは彼の命ではない。彼の持ち得る情報だ。

だが恐らくは何人もの命を奪ってきたであろうテロリストの、今度はその命を守る警備を敷く自分たちが少し滑稽に思えたが、そんなものだと割り切る事に抵抗は無かった。





敷地を出るとすぐ、面したメインストリートに出る。

渋滞は緩和されていない。しかし他に手段があるわけでもなく、タクシーを拾って帰ろうかと、彼は通りを横断する。

隊員寮に向かう側の道に立ち、キャブの黄色い屋根をみつけようと、身を乗り出したとき。


悲鳴が、きこえた。





*   *   *   *   *





大通りに面した、茶色いレンガの安いアパートメント。

エントランスといえるほどのものもなく、入ってすぐの螺旋階段は5階までの吹き抜けで、しかしそのお陰で悲鳴は建物内に反響してわんわんと響いた。

木造でない、鉄筋の内壁に響いた声は実際のものより数倍大きく増幅され、苦もなくアイザックは悲鳴の発信源をつきとめることができた。

彼が立っていた場所から、2、3軒も離れていない。

扉をぶち破るようにして安アパートに飛び込んだとき、おろおろと扉前ですれ違った老婆に何があったの、と問いかけられるが、無視した。


「よりによって5階か、くそっ」

毒づくのと同時に降ってくる、明らかに人間のものでない唸り声。

見上げた遥か上の5階。

踊り場といえるほどのスペースもないその場所で襲われているのは、若い女だった。

今にも階段を転がり落ちそうに見える。

反射的に、必死で顔を庇うあまりに足元への注意がおろそかだ。

パニック状態の彼女が階段を踏み外す前に、5階まで辿り着けるか、アイザックは必死に階段を駆け上がる。

誰かが吐き捨てたガムが古くなってこびりついた跡、子供のらくがき、それから子供でないもののらくがき、そんなものが消されもせずに放置されている、ところどころが欠けた、石の階段だった。


「飛べ!」


理性を失って悲鳴を上げ続ける女の耳に、その声が届いたかどうかわからない。

けれど叫ぶと同時に彼女は一瞬、こちらを振り向いた。

同時に振り上がる獣の腕。

「こっちだ!早く!」

意味が分からないように彼女が目を見開き、間に合わない、そう思った瞬間、振り下ろされた獣の鋭い爪が、背を向けた女の肩に食い込んだ。


絶叫。


そのまま女は倒れ込み、階段を転がり落ちる―――寸前で、辿り着いたアイザックがその身体を受け止めた。

左腕に女の体。

ぐったりと全体重を預けてきたそれを支え、その反動で半回転した身体を利用して、右手の銃を獣に、向ける。

理性を失くした獣の動きがつきつけられた銃に、ひるんだように、見えた。

ここにある全てが止まる、一瞬。

「消えな」


銃声。


発砲した反動でも、びくともしない腕。

反動で吹き飛んだのは、その腕に眉間の真ん中を撃ち抜かれた獣のほうだった。

そのまま背後のレンガ壁に、それから石の床に叩きつけられる。

血のあとが広がる。

硝煙のにおいが、たちこめた。








「じっとしてろ」

左腕の女を床に座らせ、銃を構えたまま獣に近寄ってみたが、ぴくりとも動かない。

念のために足で数回蹴って仰向かせ、瞳孔を見る。

そうやってようやく死亡を確認するとアイザックは、階段途中に座り込んで耳を塞ぐ女の傍に駆け寄った。


「おい、あんた、傷を見せろ」

血まみれの腕で耳を塞いでいたせいで、顔半分も赤く染まっていた。

がたがたと震えて、身体の筋肉が強張って動かないらしい。

大丈夫、と言い聞かせながらアイザックは丁寧に女の指を引き剥がしていった。

泣き喚かれるよりはましだったが、錯乱していることに変わりはない。

あまりの恐怖と痛みに、声さえも出せずただ震えて縮こまろうとする女の姿は、哀れだった。

「大丈夫だ、ほら、ここを押さえて。今、救急車を呼んでやる。分かるな?もう大丈夫だ」

安心させるための言葉をかけて、衣服を裂いて止血する。

アパートの住民が、騒ぎが収まったのを感じたのか、恐る恐るドアの隙間からこちらを伺っている気配に気づいた。

「見てねえで手伝え!誰かタオル持ってこい!」

期待せずに叫んだ言葉だった。

誰もが面倒を避ける時世だ。それも、こんなアパートの住民では、繋がりも薄そうに思えたので、半ば好奇の目を追い払うために叫んだ言葉。

思った通り、バタンと扉の閉まる音が幾つも重なる。

しかし意外にも、数秒を経て室内から探し出してきたらしい、タオルや救急箱を抱えて駆け寄ってくる者も数人、いた。

そのうちの一人が、アイザックに並ぶように女の前に屈み込む。

「どんなだ、傷を見せてみな。俺は昔、野戦病院にいたんだ」

細身の筋肉質な、背の高い白人男性だった。

治療の邪魔になる、背中まであるドレッドヘアを器用にまとめて、彼は手際よくタオルを裂いて傷口にまきつけると、自分で持ってきた金属の棒(恐らく何かの部品を壊して持ってきたのだろう)に結び目を巻きつけ、そのまま4、5回ねじって止血をする。

鮮やかな手際のよさ。

傷口を締め上げられる痛みに、はじめて女の口から呻き声が上がった。

結果としてそれすらもよかったのかもしれない。

あのままの状態が長引けば、ショックでこの先口が利けなくなるかもしれないとアイザックは思っていた。

止血を終えると、男はアイザックに視線を移す。

「救急車はまだか」

「きっと渋滞に捕まってんだ。……あんた、名はなんて?」

「ロニーだ。おい、このままだと失血死するぞ。通りの向こうにでかい州立病院があるだろう。運ぶぞ」

ロニーが女を抱え上げようとしたので、慌ててアイザックは止めに入った。

「いや、あそこは駄目だ。今、全ての患者の受け入れ拒否してる」

「なんだと?そんな馬鹿な話があって……」

「あるんだよ実際。おい、どうする」

ロニーが一瞬、迷うのがわかった。

しかしすぐに彼は意を決したように、おれの部屋に運べ、と言った。

救急車のサイレンはまだ聞こえてこなかったから、アイザックは、その申し出を迷う間を持たなかった。





*     *     *     *     *






チャリン、と硬質の高い音を重ねて、薬莢が温室の床に落ちた。

マガジンを入れ替えて、安全装置を外す。

しかしそれは備えだけ。これ以上撃ち殺す対象がもう居ないことを、彼は匂いと勘で悟っていた。


しかし、聞いていない。

獣が出る、とは分かっていたが、まさか同時に4頭とは。

銃声を聞きつけて野次馬が集まってこなければいいが、あのパイロットの事だから、ひょっとしたら園内の封鎖すらいまだできていないかもしれない。考えたくないが、在り得ない話じゃない。


昼間の熱を閉じ込めて、植物の湿気が放つむっとした熱気。

温室特有の、澄んだ、しかし停滞した空気が澱む。

血と硝煙の放つ匂いに辟易したように、ミシェルは動かなくなった獣から踵を返した。

背を向けた木々が夜の惨劇に相応しくない、さわさわと平和な音を、たてた。




「お疲れ様です!やっぱり凄いですね!」

温室を出ると同時に駆け寄ってくるパイロットに、うんざりする気すら起きずミシェルは片手で彼を遠ざける。

「何をしている。処理班に連絡を入れろ」

「あ、はい、すいません、すぐにやります」

まさか本当にまだ入れていなかったのか、と今度こそ舌を打ちたい気分に駆られながら、彼はヘリに足をかける。

が、そこで再び振り向き、運転席の無線に話しているパイロットを引き寄せた。

「公園内の封鎖もまだか」

「あ、はい、すいません」

「処理班を呼ぶよりも先にそちらを手配しろ。そんなことも分からないのか」

「すいません、すぐにやります」

悪びれた様子もないパイロットにそれ以上何も言う気にならず、ミシェルは携帯の電源を入れると着信履歴の一番初めの番号を呼び出す。

コール3回でクリストフは電話に出た。


「聞いていない。一度に4頭だ」

『それは驚いたな』

少しも驚いていない口調で言う。

しかしそれは口調だけ、本当にクリストフは知らなかったのだろう。

電話を持つ手を持ち換えると、ミシェルは今度こそヘリに乗り込んだ。

「うんざりする」

『駄々っ子みたいな事を、言うなよ』

電話の向こうで彼が笑う気配がした。

つられて少し笑って、それから、再び電話の向こうの空気が真剣になるのを感じた。

『アイザックが、獣に襲われた娘を保護した。傷はそうひどくないけど、出血量が多いらしい。救急車は渋滞に捕まって立ち往生だし、おまえ、ヘリなら帰りがけに拾ってやれ』

「わかった。場所は」

『南通りの州立病院から近い、古びたレンガのアパートだ。3軒隣のビルの屋上に、着陸できるように手配しておく』

「分かった」

通話を切ると同時に、離陸します、とパイロットが告げた。

アイザックと怪我人を乗せることを告げると、余計な詮索をまた始めたパイロットの言葉を一切意識からシャットダウンし、彼は窓の外に視線をむけた。


眼下の街は、光の渦のように統制なくきらめいている。

むかし、見上げた空の星に似ていると思った。

星のひとつひとつに命があって、誰かが死ぬと星が落ちる。

そんな話をしたのはクリストフだった。まだ、子供だったころ。

いまでは地上のほうが光が多い。

この光が消えるとき、命を落とすのは星そのものなのか、寄生生物である人間なのか、彼には判断つきかねた。

ふと。


もし、全ての人間が獣と化してしまえば、この街の光は消える。けれど、空には満点の輝きが戻ることだろう。


そんな思考が過ぎって首を横に振った。

彼にはそれが堪らなく、甘い欲求に思えたのだ。










部屋には電子音が鳴り響いている。


簡素な部屋。

老朽化の進んだ、ヒビの多く入った壁は恐らくもとは白かったのだろう。

写真の一枚も飾っていない。家具と呼べる家具もない。

しかし無機質、というには確かに、生活の匂いがそこにはあった。

絨毯も敷いていない、磨かれてもないざらざらの石の床に、古ぼけた木のテーブルと簡素なパイプベッドが置いてあった。

そのベッドは、蒼い顔をして時折うめき声を上げる若い娘が横たわっている。


「飲め。気が落ち着く」

女の上体を起こして、ロニーはマグカップに入れた温いココアを彼女の唇に押し当てる。

糖分を摂取させることにまでそうやって気を回す。

あんた何モン?と尋ねようとしたとき、ロニーはこちらに視線を向けて、煩いと呟いた。

「え?」

「携帯、おまえのだろう。さっさと出たらどうだ」

「あ、ええ?あんたのかと思ってた」

バイブに設定してつもりになっていた為、先程から鳴り響く電子音を自分のものだと思っていなかったアイザックは、慌ててポケットを探る。

辛抱強く鳴り続ける携帯を引っ張り出して、相手も確認せずに通話ボタンを押した。

『……遅い』

「ミシェルか。悪ぃ、怒るな。クリスに聞いてないか?こっち、今ごたついててさ」

『知っている。2分以内にそこに到着する。毛布に女をくるんで待っていろ、ヘリで搬送する』

「マジかよ、助かる。出血は止まったけど、血液型が聞き出せない。輸血、全種類の血液型を用意させといてくれ」

『手配済みだ。私を誰だと思ってる』

「あんたのその自信家なとこ、好きだぜ」

『言っていろ』

話しているうちに、アパートの窓ガラスを震わせてヘリのプロペラ音が聞こえてきた。


窓辺に駆け寄ると、数件先の屋上に軍用ヘリが着陸しようとしているところだった。

『切るぞ』

「待て、そこまで女を運べない。やっと出血が止まったばかりで危険な状態だ」

ベッドの傍らから見上げた窓の外に、ヘリが見えたのだろう。

通話相手がどこに居るのか悟ったらしいロニーが声を上げる。

電話の向こうから、誰かいるのか?と問われて曖昧にアイザックは頷いた。

「医学の心得があるらしくて、応急処置を彼にしてもらった。担架をつくるから引き上げろと言ってる」

『……わかった。なんとかしてみよう』

ヘリが再び飛び立つのが見えた。

そのまま、アパートの側面を飛び続ける。この部屋を探しているようだった。


『どの部屋だ。外から確認できない』

ヘリのライトは大きすぎて、ひとつの窓に絞れないらしく、時折光が過ぎてはまた、戻ってくる。

窓を開けて合図しようとしたが、安物の窓枠はまるで固定されているかのようにびくともしなかった。

「おいロニー、窓、開かないぜ」

「女を見ててくれ」

たてつけが悪いんだ、と呟いてロニは立ち上がる。

台所へ行って、懐中電灯を手にすぐ戻ってくると、窓から外に向けてライトを点滅させ始めた。

ヘリへの合図。

アイザックにもわかった。モールス信号だ。

あんたやっぱり何者?とアイザックは、思う。元ボーイスカウトには、とても見えない。


『確認できた。窓を割るから離れろ』

言うが早いか、ヘリからワイヤーで人影が降りてくるのが見えた。

「離れろ」

慌ててロニーの腕を引いて、窓から離れる。

外からそれが見えたかどうか分からないが、タイミングよく二人が窓から遠ざかったのと同時に、弾丸が続けざまに2発、安い窓ガラスを割った。

反動をつけ、ワイヤーが大きく揺れる。

その勢いを利用して、ミシェルはガラスの散乱する室内へと降り立った。


「あっぶねえなあ、軌道上に俺たちがいたらどうするんだよ」

床に落ちて鈍く光る、潰れた弾丸に視線を落としてアイザックがぼやく。

その後ろで、ガラス弁償しろよと小さくロニーが呟いた。

「担架は」

「そのパイプベッドの足を畳めば充分、担架になる。重さも3Kg程度だから、大丈夫だろう」

言いながら、ロニーがベッドの横に跪く。

もともとそういう設計になっているらしく、ストッパーを外すと、がくんとパイプは折れ曲がった。

「手伝ってくれ、患者をこれでベッドに縛る」

折りたたむ直前に、ベッドの下から取り出してきた太い医療用の拘束ベルトを、ロニーは二人に向かって投げる。

「だからあんたやっぱ、何モンよ」

一般家庭に標準装備されているとも思えないシロモノを手に、アイザックは言われた通りに女とベッドとを固定する。

もはや何をされているか分からない状態で、女はなにかアイザックにむかって言葉を発したが、プロペラの音で聞き取れなかった。

「大丈夫、もう安心だって」

息を合わせて、ロニーとベッドを窓辺まで運ぶ。

ミシェルが、ワイヤーをヘリから下ろさせて、それをベッドのパイプに繋いだ。

「重量ぎりぎりだな。軍用ヘリでよかった」

重量600Kgに耐え得る強化ワイヤーが、万が一外れたりしないように。それから女が、ベッドから滑り落ちないように。

3人はそれぞれにベッドと女を支えながら、同時にヘリの艦内へと引き上げられていった。


上空に行くにつれて、風が強くなる。

ミシェルやアイザックは慣れているが、怖い、としきりに女が訴えるので、彼女の頭の近くにいたロニーが安心させるために片手で女の頭を抱きこんだ。

「あんた、怖がらないな。もと軍人か何か?それとも警官?そろそろ白状してよ、何モンなのさ」

大きめの声で言ったつもりだったが、聞こえないようだった。

プロペラ音が耳を劈くほどになり、ようやく艦内に引き上げられる。

全員を収容してハッチを閉めたとき、アイザックは心底疲れ果てていた。





*   *   *   *   *





州で一番大きな病院が軍の圧力を受け、一時的に新たな患者の受け入れを拒否したことにより、どの病院も過密な状態だった。

屋上のヘリポートに到着したとき、若い看護助手が二人、駆け出してきた。

手が足りないんです、と言って、明らかに現場慣れしているわけではない不器用な手つきで女を搬出する。

マニュアルを思い出し思い出ししながらの様子に流石にこの男も危なっかしいと思ったのか、行くぞ、とミシェルも衣を翻した。


「俺らに手伝える事って?」

居ても邪魔になるだけじゃない?と心配げのアイザックに、冗談じゃない、という視線をミシェルは向ける。

「馬鹿を言うな。何故ここまできて怪我人の面倒など。詳しい状況を知りたいから来いと言っているんだ」

やはりこの男に、他人の心配という芸当は無理らしい。

溜息をついてアイザックは、今しがた降りたばかりのヘリを振り返る。

エンジンを切って惰性で廻るプロペラの合間から、好奇の視線を向ける若いパイロットの姿が、見えた。

単にあいつの前であれこれ寛げないだけか、とあたりをつけてアイザックは大人しく、気難しい上司に従う。

その気難し屋はヘリポートを離れ、立体駐車場を指差している。どうやらあそこで、という気らしい。


「じゃあ、俺はこれで。窓の修理代は、陸軍に請求しておこう」

言って、ロニーが背を向けた。

面倒ごとに関わりたくないのだろうと、アイザックは思う。

こういったごたごたを好む類の人間には見えなかった。親切心で手を貸したばっかりに、窓まで壊されれば流石にうんざりもするだろう。

しかし、彼の上司は足を止め、幾分鋭い声で、

「待て」

呼び止めた。


「ロニーとか言ったな。協力を感謝する。すまないが、きみの目撃したことを話してもらいたい」

話がある、というのは彼なりの口実で、実のところは本部に戻る前に少し一服したいだけなのだろう、くらいにしか思っていなかったアイザックは、驚いてミシェルを見上げる。

なんのつもりかは知らないが、しかし、仕事の上においてアイザックは彼を信頼していた。

故に、不思議に思うが口を挟むのは控えて成り行きを見守ることにする。

「おいおい、冗談よしてくれよ。俺は何も見てないさ。あの娘と、そこの兄ちゃんの声を聞いて初めて外に出ただけさ」

軽い口調で言って、ロニーはやれやれと手を振る。

そして再び背を向けるが、カチャリ、と軽い金属音に否応無く足を止めさせられた。

「おいミシェル!」

「待て、と言ったのだが」

もう一度、やれやれ、とロニーが溜息をついた。

「やめてくれよ。善良な一般市民に銃なんか向けないでもらいたいな」

確信はなかった。

しかしミシェルには、この男がただの市民とは思えなかった。

応急処置の手際よさだけなら、医学の知識のある人間だと信じただろう。

だが、何か。

この男の、一見穏やかに見える目の奥にあるものが、彼には見えた気がしたのだ。




瞬間、ロニーが動いた。

左足を軸に半回転し、大きく踏み込む。

その瞬間容赦なくミシェルは引き金を引いたが、当たらなかった。

手刀で跳ね飛ばされた銃が高く宙を舞い、コンクリの地面に落下して3回転ほどして、止まった。



ロニーの左手に、右手の銃を跳ね飛ばされた瞬間、逆にその反動を利用してミシェルは左の肘を打ち込む。

しかしそれも予測済みだったのか、ロニーは大きく後ろに飛び下がると地面を転がり、延長線上にあったミシェルの銃を、拾った。

ロニーがミシェルと離れた瞬間、アイザックが発砲した。

銃を手にしたロニーはそのまま身を低くして走り、ヘリの車体の後ろに身を潜める。

カン、カン、と乾いた音がして、足を狙ったアイザックの放った弾はヘリのタイヤに弾かれた。





「ちっくしょ、ロニーおまえ、イイ奴かと思ってたのに!」

二人は同時に、左右に分かれてヘリに回り込もうと、走る。

否、走り出そうとした瞬間、足を止めた。

ヘリの裏側から、パイロットを人質に取ったロニーが姿を、現す。


「銃を捨てろ」

5、6m先から自身に向けられる二丁の銃から視線を外さずにロニーが、言った。

頭に銃を突きつけられたパイロットは、身に纏う空軍の制服が情けなくなるほど、恐怖に引きつった顔をして震える両手を挙げている。

「助けて…」

「黙れ」

いっそう強くこめかみに当てられた金属に、ひっと呻いてパイロットはきつく目を閉じる。

ち、と舌を打ち、アイザックはミシェルに視線を送る。

上官の行動に従うしかないのだ。だが、捨てるしかない。

視線の先で、静かに、ミシェルが銃を下に下ろした。


「話の分かる奴でよかった。ではそのまま、動かずに」

かすかな微笑さえ浮かべ、ロニーはパイロットの頭に銃口を押し当てたまま、一歩、また一歩とヘリポートを下がる。

それと同じだけ、ミシェルは一歩ずつ、進んだ。

「ロニーとか言ったな」

ここで、人質を放り出して背を向けて走るような能無しであればよかったのだが。

人質を盾にするやりかたも、素人のものではない。

昼間から何度も読み返した書類の文字を思い起こして、今度こそ確信めいたものを抱きながら彼は、言った。

「貴様、ロニー・ジェファーソンか?」

ほう、とロニーが小さく笑った。

「名の知れるほどの事をした覚えはないのだが。仕事が細かいな、俺の名前も陸軍のブラックリストに載ってるのか?」

アイザックには、知らぬ名だった。

一方ロニーは、ミシェルが自分の名を知っていたことに、興味をもったようだった。

「笑わせるな。私がお前の名を知っているのは、お前が末端に居る小悪党だからだ」

「ははっ、だろうな。正直だなあ。"上"は、俺達みたいな末端の名簿しか、零部隊には明かしてこなかっただろ?」

「…ロニー・ジェファーソン。貴様の身柄を拘束させて貰う」

「そりゃ、無理な相談だ」


話しているうちに、じりじりと、彼はヘリポートのへさきまで後退していた。

それを追い詰めるように、少しずつ歩を進めながら、人質のせいでそれ以上を進むことが、できない。

ちら、とロニーは背後に一瞬、視線を移す。

そこから先はなにもない。

12階建てのビル、墜落すれば生き残る術は無い。


「諦めろ、ジェファーソン」

「それは俺のセリフだ。…分かってるだろう?あんたには、俺を逮捕する権限が無い」

「どういう意味だ?」

聞き返したのはミシェルではなく、アイザックだった。

僅かにミシェルは、不快そうに眉を顰める。

言われた意味が分からず困惑するアイザックの目の前で、ロニーが小さく笑った。

「せっかく俺も今日は人助けができていい気分だったのに、お互い残念だったな。だが、これでおあいこだろ?」

言うと同時に、ロニーが人質を、二人に向けて突き飛ばした。


素早く身をかわしたミシェルの横で、見事に人質と正面衝突したアイザックがもんどりうって倒れる。

その瞬間、ロニーが、背後へ。ビルの下に向かって、飛び降りた。



目の前でロニーが逃げた。

逃げた、というより、あのままでは地面に激突して即死だ。

「てめえっ、早くどけっ!」

怖かった、怖かったとうわ言のように叫びながら自身にしがみついてくるパイロットを引き剥がそうと、アイザックはもがく。

しかしその次の瞬間、再び大きな悲鳴を上げて、パイロットの身体が跳ね飛ばされた。


「え?」


なにが起こったのかわからず、ほんの一瞬、アイザックは、何かに引きずられてもがきながら屋上のふちへと向かって滑ってゆくパイロットを呆然とみつめた。

「呆けている場合か!」

呆然としていたのは一秒にも満たない間だったが、ミシェルの怒声ではっと我に返る。

ミシェルがパイロットを捕まえ、ヘリの目印にと立てられたポールにしがみ付く。

それを追い、猛然とダッシュしてアイザックも同じように、ポールに捕まってパイロットの身体を引き寄せようとした。

死にたくない、死にたくないとパイロットの悲鳴。


何が何だかわからないが、彼は屋上を引きずられているのだ。

まだ屋上の上にいるが、あと数メートル、このままではロニーの後を追って地面に墜落することになる。

……ロニーの後を追って。


「ロニーの後を追って?」


思わずアイザックは、声に出してつぶやく。

ふたりで支えているぶんには、負担はそれほどでもなかった。

そのまま首をめぐらせてパイロットの身体を見下ろすと、いつの間に結んだのか、彼の着衣のベルトに縛り付けられた太い拘束ベルトに気づく。

女をベッドに固定した、あの拘束ベルトだった。

それに気づくと同時に、下で銃声と、ガラスの割れる音。

その瞬間、突如としてパイロットの身体から負荷が、消えた。




突然の力の解放。

反動で3人は屋上に倒れ込む。

一時的に酷使した筋肉が震えるが、それを無視して起き上がり、みっともなく泣き喚くパイロットに結び付けられた拘束ベルトをミシェルは、手に取った。



「……何が起こったんだよ、今」

こちらは起き上がる気力もなく、四つ這いの状態でミシェルの足元まで這ってきたアイザックが、問いかける。

下を覗いて見てみろ、とミシェルは言った。

ちくしょう疲れたと毒づきながら、這ったまま拘束ベルトを辿り、へさきから下を覗き込むと、3階下の窓ガラスが割れていた。


渋い顔でミシェルは腕を組む。

「…そこの能無しに繋いだベルトに捕まり、屋上から飛び降りた。当然ジェファーソンの重みで彼は引きずられる。となると、我々が彼を救い上げようとするだろう。その間に奴は、ベルトに捕まったまま窓ガラスを銃で割り、院内へ着地して逃げた」

その証拠に、長い拘束ベルトの先は3階下の割れた窓ガラスの切っ先に引っかかって途切れていた。

「な……、つくづくアイツ、何モン様ですか一体……」

「MLWの下っ端だ」

「えええっ?」

遥か下で、パトカーのサイレンが聞こえてきた。

同時にミシェルの携帯が鳴る。情報が早い、この屋上での銃撃を聞きつけたのだろう。


ミシェルが携帯に応じている間、アイザックは嫌が応にも、泣き喚くパイロットの背をさすり、落ち着かせる羽目になった。

それ故に、軍関係者と話すミシェルの目が少しずつ冷たい光を帯びてゆくことに、気づかなかった。


白茨との合流がこんなにも大変とは。しかたがないので、次あたり…途中で一度、短く白茨をはさみます。

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