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交錯-2

白い茨の~の冒頭部分に突入していますので「交錯」

白い天井に、碁盤の目のように走るタイルの線。

何の意味があるのか分からない、不規則的な黒い斑点。

陸軍に限らず、陸海空の医療室や市民病院の天井は、たいていがこの白地に黒の斑点を描いた簡素なパネルで張られている。

なんとはなしにそれを見つめ、数秒経過してようやく、自分が寝かされている硬い簡易ベッドの感触にジゼルは気づいた。


ああ運ばれたのか、そういえば。

そんな、どうでもいい出来事を思い返すように、小さく溜息をついた。

視線だけで辺りを見回すと、薄黄色を帯びた白いカーテン一枚引いた向こう側に、静かな誰かの気配を感じた。

恐らくは、医療スタッフの誰かが、デスクに向かっているのだろう。或いは仮眠を取っているか。

目覚めた事を知らせたほうがいいかどうか、ジゼルは考える類の人間ではなかった。

身動きや呼吸のたびに、引き攣れたような痛みが走る。





―――――火傷はすぐに冷やさなければ。

炎は消えても、どんどん身体の奥へと蝕んでゆくのよ。



そう、誰かの言葉が蘇った。

赤い唇を笑みのかたちに変えて、しゃがみこんで目線を合わせる女の姿。

優しく噛み砕いて言い聞かせるように、はやく冷やさなきゃ駄目よ、そう言って女は、手にした線香花火を近づけて。

それから。


どっと溢れる水のうねりのように、成す術もなく押し寄せる記憶に呑まれそうになりながら、ジゼルは伸ばした手を顔の前へと持ち上げる。

ご丁寧に指の一本一本にまで巻かれた包帯。

だが、それだけだった。耐火性にも重点を置いた特別製の"クロイツ"の制服は、袖口より上へは炎の侵入を許さなかったらしい。

焼かれたのは、煙草を点けるのに邪魔だからと手袋を外した右手、腕で庇いきれなかった右の頬だけ。

無事なほうの手で触れてみると、大袈裟なほど分厚く巻かれたガーゼと濡れた感触が指先に、触れた。



また、痛みが記憶を連れて来る。



―――――いい?ジゼル。忘れないことよ。

女が自身の腕に落とした橙色の生温い光。

線香花火の熱がちりちりと女の肌を焼き、自分は、どうしただろうか。怯えて、泣き出したのだろうか。

……思い出せない。

ただ、いつの記憶なのかも分からない、けれど一方的に溢れ出す紛れもない真実の記憶は、忘れられる事を強固に拒み続けている。

―――――逃げちゃ駄目。この日を、忘れないで。

忘れはしない。

けれど、憶えてはいない。知っているのは、あの女はもう生きてはいないということ。

何故――――何故あの日だけが、こうも鮮烈に記憶に留まり続けるのか。

過去も未来もなく、ただ漠然と"今"を蝕む獏のようなわたしに。


女は今も、絶えず何かを語り続けている。




    +++




報告を受けたのは、6時を少しまわった頃だった。

30分に及ぶカーチェイスの末、その事故が起きたのは4時45分過ぎのこと。

随分と遅れて入った情報に舌を打った。




ヘリは街の上空を旋回する。




「戻られないのですか?」

報告をまわしてきたパイロットは、ミシェルが待機を命じた事に不思議そうに聞き返した。

出過ぎた事を、とミシェルは思う。

部下の負傷ひとつで任務放棄して戻るような無能な上官だと思われているのか、それとも、軍に入るということが私情からかけ離れた場所で行動を決定することをわからない相手なのか。

どちらでもいいが、愉快なことではなかった。

問いかけには答えず、クリストフからの連絡を待つ。

よほど不機嫌に見えたのか、パイロットはそれ以上なにも言ってこなかった。


アイザックとジゼルに伝えた情報は、パトリックに関する情報のみだった。

軍はなにも遊んでいるわけではない。部下に伝えないだけで、情報というものは幾つか同時に入ってくるものである。

年末のせわしない街を眼下に、彼はもう幾度も目を通した書類に視線を落とした。


―――足掻くな。おまえは、飲まれるだけでいい。


不意に、男の声が脳裏に蘇り、軽い眩暈に似た感覚に書類を握る指が震えた。

それが怒りのためなのか、自分でもよく分からない。

在るのはただ、成す術もなく食いつぶされる感覚。

握った手の中で、爪が皮膚に食い込んだ。





*   *   *   *   *





上層部に呼び出しを受けたのは、その日の昼前のことだった。


「座りなさい」

犬に命じるような気軽さで、しかし抗う事を許さぬ重みを持って、初老の男が言った。

面接用の部屋なのだろう。

狭い室内には国旗とトロフィが飾られており、3人がけのデスクに4人、こちらを向いて腰掛けていた。

どれも、知った顔だ。

そしてどれも、すでに現場を知らない。

もと軍人であったことを匂わせる、体格のいい初老の男が3人、デスクワーク一筋であったことを疑わせない、品のよさそうな女性が一人。こちらもやはり、初老だった。

まるで不始末を咎めたてられるような、密室。

けれど無論、ミシェルには暴かれるような不始末も無いばかりか、嫌味なまでに、全てにおいて完璧主義を貫いていた。

ゆえに、これは軍においてごく稀に行われる、……圧力をかける類の隠密事項のようなものだと、解釈する。

腰を下ろした、安物のパイプ椅子が軽く軋んだ。







上層部は、知っていたのだという。



MLWと云うひとつの地下組織とは、長いつきあいなのだと。

合衆国のごく一部、一般市民の知らぬ顔。

"テロとは馴れ合わない国家"を前面に押し出しながらも、実際は牽制し、あるいは取引をして、互いの利益に沿うかたちで敵対を避ける。

どの国家でもやっていることだ、と言う。

仕方がないことだ、とも。


「その、MLWから、要請を受けました」

初老の女性はミシェルから視線を外さず、まるで母が子に言い聞かせるように、丁寧に、言葉を紡ぐ。

そうでもしなければ、納得してはくれまいと思ってでもいるかのように。

「現在の力関係は、合衆国国家のほうが無論、上です。だからこそ彼らは、我々に助けを求めてきたのです。自らの失態の後始末を、我々に縋ってきたのです」

それで?と先を促す。

会話の流れを決して塞き止めようとはしないミシェルの態度に、彼らには少なからずも、ありがたいという思いがあるようにも、みえた。

「"獣"を作り出しているのは彼らです。」

「……知って、います」

「でしょうね。ですが"獣"となってしまった失敗作以外のもの、……つまり成功作を、彼らから我々国家が買い取っている事も、知っていましたか?」

知るはずが無い。

表情ひとつ変えずに、いいえ、と告げる。

動揺のかけらも無い様子に、それでこそ"クロイツ"を任せるのに相応しいと、男が微笑むのがわかった。




外資系企業が資金援助をしていた、こと。

それも仕方の無い事だと、言う。

彼らは合衆国だけに頼っているわけでもなく、自らの存続のため、どの国にでも取り入って中枢に絡みつく蔓のようなものだと彼らは、言った。

明確な、言葉にされたわけではなかったけれど、恐らく、空軍が身柄を拘束した企業主や関係者を、兵士もろとも葬ったのは、他でもない我が合衆国のほうだったのだと、ここで初めてミシェルは気づく。


MLWは、漂流者が群れたようなものだ。

どの国家にも属せない、ボーダーを生きる彼らが寄せ集まって、愚かに傷を舐めあっている。

厳密には、テロリストではないのだ。




「目的は、人間の強化にありました。いまや精子バンクはポピュラーなものです。肉体、頭脳、容姿において優れた人間を生み出す事が可能な時代です。ですがそれには時間がかかる。人は突如として育つわけではないのです」

女が子を生み、命を育ててゆくという過程。

日々を折り重ね、他人との摩擦を繰り返し、そうして人は育ってゆく。

そうしなければ"人"は、育たないのだ。

「ですがもし、成人を強化することができるとしたら?優れた兵士に知己を。或いは、優れた学者に逞しい肉体を。まさに理想国家の誕生です」

そうですね、と差し障りの無い返答を返すこの男を、そろそろ不気味に思い始めたのか。

どこか具合でも?と控えめに尋ねられ、ミシェルはなんともいえない苦笑を浮かべる。

それが、他人を押し退けるものだと知っている。そうやって、たとえ事務的なことにおいても彼は、二線三線おいて決して人を、踏み込ませないのだ。



気を取り直したように、事務的な口調で女性は続ける。



「MLWはその技術を持っていたのです。我々はそれを欲しました」

どのように。または、どうやって。

それもやはり、ミシェルは聞かなかった。


聞いても分からないだろうし、聞くことに意味がないというのもあったが、やはり、興味がないのだろう。

美貌に似合わぬ安っぽいパイプ椅子の上で、この男は、退屈な話が早く終わるのを待っているようにも、みえた。



「ただ、技術が完全ではなかったので、失敗作が多く出る。成功例1体に対し、失敗例はその30倍というのが、我々の見方です」

血管の浮いた白い手が、デスクの上の資料をめくる。

恐らく、ペンより重たいものを持ったことがない、もうじき還暦を迎えるであろう女性は、透明のマニキュアを塗った短い爪で二枚目の書類を軽くはじいた。

薄く引き延ばされた年月を生きた、証のように点々と白い肌に浮かぶ淡い茶色の斑点。

老いた欧米人の特徴のようなその手で、品の良い眼鏡をかけ直す仕草は、やはり、現場を知らない人間のものだとミシェルは、思う。



「失敗作はMLWのほうで始末するというのが、これまでのやり方でした。…ですが、何らかのミスがあったのでしょう。ここ15年、獣が街に流出してしまった」

それを始末するために、貴方がたが組織されました。

間違えてはいけない。

貴方の成すべき事は、MLWを消滅させることでなく、MLWのミスで流出した失敗作の排除だけなのです。




その話は、ぼんやりとした輪郭のみを辿るようなものだったと、思う。

それでもミシェルは理解した。恐らくは、彼らの意図したところ通りに、正しく。

「昨日の摘発は、不適当でした」

何故ならミシェルがそう発言したことで、彼らは目を細めて頷いたのだから。


力関係を崩してはならない。つまりは、そういう事なのだろう。


MLWが自らのミスを認め、自身の手で後始末を終えなくなった事を明かしてきた。

こちら側に縋るかたちで。

それを国家が処理し切れなければ、力関係は同等のものへ落ちる。それ故に、是が非でも成功させなければならない。そういう事なのだろう。

クリストフの情報収集力は、有能すぎたのだ。

"クロイツ"は、MLWの存在にまで辿り着きはしない。そう、上層部がふんでいる間に、彼はMLWの存在と、アジトの一部をミシェルに提供した。

指揮系統の独立ゆえに起きた、意思伝達の遅れ。

獣討伐の全てを任されたミシェルが、独断で行った摘発に、慌てて上層部が動いたときには、もう遅かったのだろう。

自国の兵士をも巻き添えに、企業主一同の口を塞いだのは、そんな背景を受けてのことだった。




―――つまりは、私の先走りで彼らは死んだわけか。


人生において初めてのミスだな、と小さなためいきをついた。

痛む胸も、悼む胸も持ち合わせてはいない。それを度量の大きさとして国家が買っているのだから、それでいいとミシェルは思う。




「貴方は隊員にMLWの存在を明かしてしまいましたね」

書類を置き、こちらに改めて向き直るかたちで彼女は言う。

それを遮るように、隣に座っている男が軽く手を翳し、予想していたよりは幾分軽い口調で、女性の後を引き継いだ。

「機密、というものはこうやって漏れてゆく。それを防ぐのが我々の仕事だ。…分かるかね」

短く刈られた髪はすでにだいぶグレイがかっていて、それがもともとの髪の色なのか、それとも白髪なのか、判断できなかった。

しかし、目は恐ろしいほど黒く、真っ直ぐにこちらを見つめる男の視線を見返すと、底の見えない穴の淵に立って中を覗き込んでいるような錯覚に陥った。

成る程、現場に必要の無い人間だ、と彼は思う。

そして、この場になんと相応しい男なのだろう、とも。




「本来ならばきみの口を塞がなければならない処かもしれない。しかしきみは、非常に優秀な隊員であるし、忠実なる国家の僕であると我々は理解している。きみを高く評価しているわけだ」

「……そうですか」

すぐに、言葉はでてこなかった。

彼には、彼らがなにを期待しているのかがわかったからである。

「すでにマスコミも騒いでいる。"ビルの一室で多国籍テロリストが一斉自害"、今年最後の大きなネタというわけだ」

秘密裏に行われた摘発を、報道陣に明かしたのは他でもない、陸軍のスポークスマンだった。

公式発表についての詳細を、ミシェルは知らされていなかった。

全て彼らのシナリオなのだろう。

「これは、あちら側から示された妥協策なのだが、……MLWの機密を持ち出そうとした男がいるらしい。名はパトリック=セルロウ。"クロイツ"は、彼の確保に勤めてもらおう」



MLWとしても裏切り者を始末できる。

我々としても、彼を逮捕し裁判にかけることで、国民に向けて筋の通った発表ができる。

一連の獣騒ぎは、彼の手によるもの。

彼の裁判が終わるまでに、"クロイツ"は獣を徹底的に国土から排斥する。

これで全ては万事解決する。



「彼の持ち出した機密とは?」

「未遂に終わった、とMLWは言っている。ただ、彼はあちらの研究チームの一員だ。獣の生態に関して、MLWがこちらに明かさない事もなにか、知っているかもしれない」

話は終わりだ、と言わんばかりに4人は同時に立ち上がる。

ミシェルもそれに倣い、一歩譲って敬礼を交わす。

すれ違いざまに男の一人が、彼の耳元で囁いた。


――――― 一日も早く平和を。


ちり、と鈴を鳴らすような一瞬。頭のどこかでなにかが啼いた。

……錯覚だった。

「もし、貴方がたの茶番のせいで隊員が死ぬことになっても?」

珍しく、いや、初めてだった。彼がなにか、自らの意思で口答えをしたことが。

声は小さかったが、4人は同時に振り返った。

最初から失言であることに気づいていた。故にミシェルは何も言葉を取り繕うことなく、静かに4人を見返した。

囁いた男が、顔に皺をつけて微笑む。

労わるようにミシェルの肩に手を乗せ、明らかに、面白がるように。

囁いた。

「足掻くな。おまえは、飲まれるだけでいい。」

それにこれは、我々の茶番ではない。

この茶番が、世界という全てなのだよ。







*   *   *   *   *





ピリリ、と鋭い電子音が鳴り響いて、はっとしてミシェルは顔をあげた。


ヘリのプロペラ音に負けぬように鳴り響くベル。パイロットがミラーからこちらを伺っている。

詮索めいた視線を鬱陶しく思いながら、ポケットに忍ばせた携帯に手を、伸ばす。

ディスプレイに表示された名は、案の定、連絡を待っていたクリストフからのものだった。





「……私だ」

『そこから北に3キロ。自然公園の中の、白い屋根の建物が目印。こちらの弾き出したデータでは、あと2、3分しかないと思う』

前置きなく、電話の相手は機械的に状況と用件を告げる。

離れている間に彼がみたものを、結果だけにしてこうやって告げる。

こういうやりかたでしか繋がれない男を、心のどこかで不器用だとも思った。

ほとんど、兄に近い育ち方をした相手であるから、余計に。

『周波数によると、思春期あたりの男の子だと思う。ただ、確信はないから気をつけて。お前なら大丈夫だと思うが』

「わかった。……切るぞ」

返答を待たずに終話ボタンを押し、そのまま押し続けて電源を切った。

「北に3キロ。自然公園の中だ」

パイロットに指示を出すと、彼はもう一度深く、座り心地のわるいシートに身を沈めた。





電子機器に似ている。

獣が現れると、磁場に似たものが生ずる。

人が獣に代わるとき。

人が襲われ、通報を受けてからしか出動できないのであれば"クロイツ"の意味は無い。

"クロイツ"は形成されると同時に、特殊な周波数のみを受信する建物を建設した。

たったそれだけを頼りに、事前駆除に努める。


そのデータが送られてくるのは、30分前のこともあれば、今回のように2、3分前にならなければ入ってこないこともあった。

今回は、あまりデータがよくなかった。


ゆえに30分ほど上空を旋回しながら、クリストフから正しい情報を待っていたのだが、間に合うだろうか。

目撃者を極力、減らさなければならない。

年の暮れに差し掛かってから、目撃件数が増えた。出現数も。

意味のないことだ、とミシェルは思う。

目的地近くです、とパイロットの声。

銃を握ると、まだ着陸していないヘリの側面の、扉を開けた。

ばさりと風が靡く。突風が吹きつけたように思ったが、その突風を起こしているのはこの鉄の乗り物なのだ。

似ている。とても。

獣を狩る我々も、実のところ、その獣に狩られている。




錆びかけた鉄の床を強く踏んで、外灯に照らし出された園道のうえに降り立った。

これから殺される少年のために、祈る両手は持ち合わせていない。

今もこの手は銃だけで手一杯で、そして、それを不満に思わない。

昼間聞いた、男の言葉が実感なく押し寄せてくる。

砂の味がしたことに彼は気づかなかった。


…どうか、一日も早い平和を。


白茨サイドは、もう少しこちらをUPしてから混ぜます。

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